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月曜日, 3月 05, 2012

03月04日(日)抽象の習作を

8時前起床、朝食でNHK日曜美術館『人と土と空の物語・彫刻家・佐藤忠良がのこしたもの』観る。柳田邦夫がコメンテーター、「緑の風」(仙台市・台原森林公園)のエスキースと設置空間を計算し尽くした女子像に、確かな蒼穹を見出す。美男美女ではなく派手な身ぶりもない佐藤彫刻は、街角で、公園で、行きかう人々を見守るようにある。昨年3月、98歳で亡くなった佐藤(1912-2011)は朝8時から夜8時まで、70年間、毎日、粘土を手に、追い求めたのは“ただそこに自然にいる人間の姿”。「生涯一粘土職人」と自らを呼び、文化功労賞などあらゆる賞を辞退した姿勢に敬服。「芸術とは本来“ふつう”のもので、愛情と同じように、特別な存在ではない」と、愚直に無名の人々の姿を彫り続けた。佐藤コレクションの佐川美術館が追悼展『生誕100年 佐藤忠良展-“人間”を探求しつづけた表現者の歩み-』 が 4月14日(土)~6月24日、全国巡回。
10時にははや雨。CLIPPINGで、サンデーらいぶらりぃ水口義朗・評の加賀乙彦・著『科学と宗教と死』(集英社新書)をチェック。昭和4年生まれの著者は陸軍幼年学校で「お国のために死ぬことは名誉」と教えこまれ、医学部学生のとき、広島、長崎の被曝者たちの脳の研究を手伝った。爆心地に近い場所にいた10歳の男の子の脳を顕微鏡で見ると、脳細胞自体がすべて溶けてしまって、まるで荒野のように何もなかった臨床体験。戦争という地獄、敗戦後の下町のセツルメント活動で見た飢餓と貧困という地獄、精神科医として死刑囚と向かい合う地獄を巡った。フランス留学時に断崖から落下し、九死に一生を得、79歳で迎えた妻の急死。さらに自らは81歳の時に心臓が止まった経験。長く不信の徒であったと告白する加賀は、人を救うために自分の命を捨てよというパウロの愛の思想に近づく。親鸞や道元を読み、親鸞はキリストに近い人間だと感じ、本質は自己犠牲と悟って夫妻で洗礼を。門脇佳吉神父と4日間、質疑応答をしつくした瞬間、光あふれて『パウロの回心』と同じ気持ちだったと書く。科学者でもある加賀は遺言「日本には原発が54基、私はそれを廃炉にして全部お寺にしたらいいと思う。炉は供養塔にする。人間のコントロールの及ばない原子力を使って何かをしようとした人間の懺悔の心をあらわしたものであると、後世にまで伝えていく遺産です」と言明。<サンデー毎日 2012年3月11日号>
午睡後、3時半から6時の入浴まで今できることと抽象の習作再開!鉛筆やダーマトがうまく握れないなあ!
入浴後、髭剃るが洗面台の手が滑りそう!で手鏡を取ってもらい車椅子に座って、なんとか完了。
MENU①BAKEDBACON野菜・アーモンドバター&B・YOHGURT+JAM・珈琲②UDON*大福餅③BEEF野菜炒め・焼タラコ*BANANA

03月03日(土)左近の桜、男は左!

4時、胸に圧迫感がして息苦しく覚醒。寝返りが打ちにくい。パジャマが宇宙服のように身体と別の動きであらぬ方向に。軽いはずの羽毛布団も宇宙ステーションの内部のように重苦しい。しばし輾転反側!明るくなる頃、コピーライターのIK君たちと天神祭で賑わう雑踏のまっただ中にいる夢、続いて黄色いプレゼン用紙が並ぶ広告代理店H堂にIZRさんと居る夢が途切れて離陸一番機で起床。
晴れてアッたかな桃の節句!下駄箱に幼児だった娘に買ったお雛様をディスプレイ。中国にならい日本では古来、右より左が上の位。皇帝が南を向いた時に太陽の昇る東側、左が上座、日没の西側が下座となる。左大臣は右大臣より位が高い。「左近の桜、右近の橘」、桜は天皇の左側。宮中紫宸殿の敷地に実際に植えてある通り。雛人形の配列も男びなが左で女びなが右だったが、今では逆が一般的だと。逆転したのは昭和天皇が即位式で皇后の右に立ったのがきっかけとされる。いわば、西洋儀礼に沿った皇室の並び方に雛人形も倣った。今もローカル色豊かな地域の雛飾りは逆、大いにケッコー!兼好法師22段に曰く『何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ』 朝食を済ませて10時、公園へEXに。風はあるが日差しは春!鉄棒伝い歩きの脚がいくぶん軽い。3周スムースに終えて車椅子押し歩き。なんとなくゴールの3ブロック目まで行けそう、行けた!帰宅して早飯!
SIESTAは止めてBLOGをUP。夕食までスケッチ類をフレームIN。画想を練ってみる。
MENU①トマトオムレツ野菜・アーモンドバター&B・YOHGURT+JAM・珈琲②UDON*おはぎ③マグロ造り・筍ワカメ煮・黒豆