まや-NET

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月曜日, 2月 04, 2008


BS映画「モーターサイクル・ダイアリー」
 地球の裏側はどこか?小学校のとき、このまま地面の下を掘ったら何処へ行き着くかの疑問に、教育実習中の先生は南米、多分ブラジルあたりと答えてくれた。旅と放浪の好奇心は男の永遠の夢だ。今夜のBS映画「モーターサイクル・ダイアリー」はその夢を久しぶりに思い出させてくれた。
ブエノスアイレスの医学生エルネスト(23歳)と親友の生化学研究者アルベルト(29歳)が1952年から8ヵ月ブエノスアイレスからヴェネズエラGUIJARA半島までの8000マイル・約1万キロの彷徨を始めた。アルベルトの1939年製ノートン600CCおんぼろ単車に乗った二人。いつかはこの広大な大地に病院を立てたいと理想を語り合いながらネルーダやマルケスなどラテン文学の引用会話に交え転倒を繰り返しながら進む。
単車は牛群にクラッシュ、難航しながらアンデスを越えチリに入り、テムコを経てロス・アンヘルスにたどり着き、エルネストは病気の老女に自分の喘息の薬を与えてしまう。単車の修理が不能でヒッチハイクに切り替える。パルパライソを通過、アタカマ砂漠を行くころから状況は一変、移民労働者や土地を追われた住民に遭遇。単なる冒険譚がビンボーや不公正に怒る話題に転換。町を追われた共産党員夫婦が毛布を分け与え、二人が生きる糧を求めて行き着くアナコンダ銅鉱山に行き着く。労働者の実態を見、「水ぐらい飲ませてやれ」と叫ぶ医学生エルネスト。
ぺルーに入国、原住民が土地を追われるみやげ物でかろうじて生活している実態を見せる。クスコからマチュピチュやリマを経て、ようやく恩師に紹介されたアマゾン流域のSan Pabloハンセン病隔離コロニーに渡る。このコロニーでエルネストはボランティアとして素手で患者と触れ合い、患者の心を開き自らの行き方の方向を固めていく。24歳の誕生日にアマゾンの南北で分けられたコロニーを喘息ながら川を泳いで、重症患者のオ群れに飛び込んでいく直情径行をアルベルトや周りが見守る様は感動ものだ!
旅の終わり、カラカスの医療施設に残るアルベルトに「南米は一つ、メキシコから南、メスチィーソは協同しなくてはならない」と語り、エルネストはアルゼンチンへ帰っていく。エルネストが別れた親友アルベルトに再会したのは1960年、エルネストはチェ・ゲバラというキューバの革命家として。アルベルトがいまもキューバ健在である実写のプロフィールでエンディング。
いやあビックリしたな、NHKの予告では青春冒険オートバイ旅行としかガイドしていなかった。ロバート・レッドフォードが製作総指揮を執り、04年の映画完成後、キューバでゲバラの遺族とともに鑑賞したという。そういえばペルーでの若い女性「ナンパ」シーンで相手に対してCHEと呼びかけることがアルゼンチン独特の話法(普通スペイン語で二人称はウステ、親しい場合はツゥ)であることをさりげなく紛らせていた。NETで検索したら、同年のカンヌ映画祭やサンダース映画祭に出品され大喝采を浴びたという。ついでに米国のPFS=ポリティカル・フィルム・ソサイエティに行き当たり、「硫黄島からの手紙」と並びの名作入りを知らされた。南米の地図もおぼろげな弛緩した世の中に一服の青春清涼剤だ。
「世界を変えよう・・君は世界を変えられる」Let the world change you….and you can change the world」が映画の謳い文句(TAG LINE)。【監督】ウォルター・サレス イギリス/アメリカ、サウス・フォーク・ピクチャーズ/テュ・ヴァ・ヴォアール・プロ制作【製作総指揮】ロバート・レッドフォードほか           【原題】DIARIOS DE MOTOCICLETA
1月31(木)日
 SATさんがいる。添乗員が出てくる。次々に昔の路面電車が動き、終結する。ミューゼアムのような所についた。館長が来る。説明を聞く身は裸にタオルケットを纏っただけだ。いつ間にかアジアンに囲まれてSさんがドンゴロス袋を開けてハシシのような草を嗅ぐ。一風変わった夢を見た。
DIARY=07:15起床。クリアな晴れだが冷たい。14:20~15:20歩行訓練、鉄棒伝い歩き6回、車椅子押し歩きはゴールのコーナーまで SOSO
MENU=①BOILEDウイナー野菜・B&B・YOHGURT黄粉JAM・バナナ・珈琲②UDON*ぜんざい③野菜天ぷら・タラの芽美味!ブリ照り焼き*あんぽ柿
●BOBから新聞アデレード・アドバイザーの記事(洪水と日本の不景気)添付メール着。オールド・タイマー病になってごめんと付記があった。