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月曜日, 4月 12, 2010

                 ▲奈良県大宇陀の又兵衛サクラ

4月11日(日)散るサクラ
 
 7時半起床。前夜からの雨があがって曇り。
 10時前公園へ、日曜で花見の人出があるがそろそろ葉桜。清掃中のベテラン9年さん、バック・ウォーキング夫妻&Kさんがエールくれる。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分で花壇中央に。途中でコリー連れの老夫婦にいつものように挨拶。散るサクラに惜別。 午後、日乗整理。SISETAせず。
●昨夜、井上ひさしの訃報。ひょっこりひょうたん島のドン・ガバチョは秀逸!筑摩書房の限定雑誌「終末から」で「吉里吉里人」を連載時、おもろいと思わず膝頭を。ヨメさんが若い男に走ったとき戯作者然と淡々、よかったな!ヨメさんの堂々としたの態度も記憶に残る。
●NAKさんからカタログ礼メール。

4月10日(土)公園で花見弁当

 7時前起床。晴れて暖く25℃近い、絶好の花見時!!
 弁当を持って11時半公園へ。土曜日なので花見客が至る所。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。和菓子屋さんだったUさん夫人と合流、花見会として弁当を広げる。Uさんの話では二三日前のABCTV夕刻ニュースでこの公園の花見の様子が流れていたと。
 帰途、噴水前で人工呼吸器を装備したBEDに横たわる中年女性が関係者と思しき10数人に囲まれながら花見を。ウーン!
帰宅して、カタログ到着の連絡頂いた皆さんに返メール。
●竹馬の友YUKさんからカタログおおきにのメール。

4月9日(金)薄紅色の雪しきり
 
 6時前起床。曇り、風がある。
10時前公園へ、花見客チラホラ。風が無情に花を散らす、薄紅色の雪がしきりに降る。鉄棒&車椅子押し歩きは花壇西端まで15分+25分。
●S社Mさんからメール返信。
●K出版社のSAKさんからカタログお礼メール。

4月8日(木)カタログが届きだした

 8時前起床。晴れ、昨日よりは温暖そう。
 10時半公園へ、まだ満開の花見の人出。施設や幼児団体が多い。交通亜安全教室でコース使用中。鉄棒&車椅子押し歩き花壇中央まで15分+25分。Uさんがベンチで休憩中だったので先週撮ったデジカメ写真渡してもらう。花壇ベンチで小休止の後、グロサリー買い物に連れてもらう。
昼食後SIESTA3時まで。S社Mさんにカタログ恵送のお礼メール。ぼちぼちカタログのお礼メールが届き出す。
●もとキャリアフラッグ広報のKさんから。
●COMSのMさんから。
●OZさんからも「山が春でした」と嬉しい「森を守る活動」の近況が。

4月7日(水)SANWAカタログ出来!

 6時起床。曇り、肌寒い。ツバメの群れが宙をしきりに舞う。
 10時過ぎ公園へ、花の絨毯、花筏が随所に。寒いのに施設の花見会の場所取りがあちこちで。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。昼食後SIESTA3時まで。夕食までデジカメDATA整理。
●夕刻、SANWA社の2010年春カタログ到着。甘ピンと色悪い原画が気になってしまう!!

4月6日(火)又兵衛サクラ観る
 
 6時前起床。晴れて暖か!!今日も花時!
10時過ぎ出迎え有、10時半、中国道豊中ICから近畿道経由南阪奈道路へ。初の通行、橿原出口で混む。桜井を経て大宇陀道の駅へ。トイレ休憩して人麻呂公園でお弁当。観光というか村おこしというか、大宇陀はすっかり様変わり。観光バスが押し寄せる「万葉・かぎろひ」のメッカ。薬草料理の大願寺も昔泊まったころの古寺の風情をなくし、鉄筋コンクリートに建て替え。大賑わいの「道の駅」に隣接、威容を誇っている。休日でもないのに又兵衛サクラ見物の人でごった返す。
 又兵衛サクラ見物。杖のオバアサンか近づいてきて堰を切ったように話しかけてくる。「さっきから見ているが、よくまあ、面倒を見てもらってよくお出でになった。私も主人を亡くし病気で右足が10㌢短いが何とかがんばって居る。今日は弟が連れて来てくれたが、あんさんを見て元気をもらった!長生きしてください」と握手を求める。こちらも意外なエールに面食らって感激胸いっぱい!!誤嚥しそうでオバアサンにどう訴えたら良いのか?!
 2時、仏隆寺の千年サクラを求めて隘路を登るがまだ咲いてない。旧道を室生寺目指して下がる。小学校の恩師N先生が神主をしていてよく訪ねた室生龍穴神社を通過、橋本屋の前を登っていくと室生西光寺に行き着く予定で車が進む。平日なのにオジサン・オバサンの一団が道路のあちこちでカメラを構える。途中で警備員が工事中ゆえこれ以上は車で無理だという。西光寺の枝垂れサクラを断念、針ICへ帰途に着く。4時10分、針IC到着、西名阪経由近畿道から中国道豊中を経て5時半帰宅。

4月5日(月)起き上がりに難航

 6時前覚醒。起き上がりに苦心!起き上がり子法師の要領でいつものようにBEDの柵を持ちながら拍子をとって上体を起こすがダメ。8回目にようやく起き上がりに成功、これは退化か!!
 曇りのち晴れ、暖かく20℃の予報。
 9時半前に公園へ、遠目にもサクラ満開。子どものスケッチ大会か、画板を抱えた児童があちこちに陣取り。ブルーシートのグループや施設のデイケア団体が大勢。鉄棒&車椅子押し歩き15分+花壇中央まで25分。鉄棒で後ろ向きに歩くウォーキング夫婦が、コース途中でコリー連れの老夫婦がいつものようにエールくれる。Tさんが合流、11時半まで公園でサクラ見物に、まぎれる。

4月4日(日)アーバン仙人たちの園遊会

 6時前起床。快晴、絶好の花見日和。
 9時半、FさんがHさんを乗せて団地前へ到着。Fさんの愛車プリウスの車椅子を押し込んでもらい大阪空港へ、15分で到着したのでモノレールで来るTさんを待つ。10時半、Tさん到着。元気そうで何より!一路173号線へ。川西で食材補充買い物。一庫ダムから能勢路、山には満開のサクラ。大阪の北海道・天王から丹波篠山路、瑞穂を目指す。なだらかな田舎路に堪能。
 12時半前、瑞穂きさらぎ道の駅到着。トイレ休憩でバリアフリートイレに連れてもらう。残念ながらこのトイレ、水が溢れている。いったい管理はどうなっているのか!とにかく用を足して版画家Sさん宅へ5分ほどで到着。1年ぶりの再会、去年は4月18日押しかけだったが。庭のサクラはまだ、杏の木の下でBBQを。今朝は未だ霜が降りていたそうでさすが標高200㍍。Fさんが去年の伊賀肉を名張に手配をしていてSさん宅に届いていた、あとは火床起こしに。たっぷりの焼き肉を頂戴して満腹。
 ひと段落してSさんが去年取り組んだ作品を見せてもらう。木口木版で名を成した彼が日本画顔料で挑んだDRAWINGとコラージュー。去年高島屋でやった個展に行けなかって、あらためてここで鑑賞!蒼い色が馥郁として抽象表現に合っていてこれまでの作風から脱皮・進境が私には心地よい、とSさんに感想を漏らす!!そのままSさんに車椅子を押してもらって周辺を案内してもらう。蔓や雑草が生い茂っていた周辺が去年より綺麗に手が入れられていた。創作の合間にSさん自身が刈り込んだという。3時半になり、三味線を習っている中学生のジュニアの新内リサイタル。落語のテープを聴いていてご本人が小学5年で習わせてと言い出しとそうだ。なかなかいける!!タイムアップ、名残惜しいが帰途に、染色家の奥さんが手早く椿としいたけ・勝栗を土産に包んでくれた。丹波路・能勢路と帰りを急ぐ。日もたっぷり暮れてFさん送るまで無事送り届けてもらう。

4月3日(土)岡山ドライブ
花の雲、南半球にもサクラに思い至る
 サクラ満開、花の雲がたなびく。絶好の花見日和の朝、娘夫婦に誘われて山陽自動車道赤穂ICから日生の町を横目で眺め、岡山ブルーラインから眼下に穏やかな海の眺めを楽しみながら備前・邑久(おうく)にある「岡山いこいの村」まで遊山。花見を楽しんだ。
 夕刻、帰宅してM紙夕刊に目を通すと社会面トップ記事に目が留まった。終戦直前、豪州で起きた日本人捕虜脱走事件の生存者でハンセン病患者だった元兵士が二度も社会から隔絶された悲劇を岡山県の女子高生らが聞き取り調査、その成果を英・ケンブリッジ大であった戦史研究の学会で展示したという。
 昼間見た丘の眼下に広がる東洋のエーゲ海、牡蠣養殖筏の対岸の瀟洒な建物群はたぶん牛窓あたりのホテル群と思ってカメラに収めて、家族にもそう説明したがまったくの見当違い!あれは永い間弧絶された島・国立ハンセン病療養所「長島愛生園」であると確認。
事件は1944年8月5日未明、オーストラリア南東部NSW州のカウラ捕虜収容所で起きた。1104人が脱走を図り231人が死んだカウラ事件だ。記事によると聞き取りを受けたのは事件生存者の一人で長島愛生園の一角、邑久光明園入園者の立花誠一郎さん89歳。
 事件の年の4月、ニューギニア・ガダルカナル戦線で捕虜となり、収容所入所時にハンセン病と診断され別テントに隔離された。脱走計画は知らされず「未明に突撃ラッパが鳴り響き、外に出ると、バットや食事用ナイフを手にした日本人捕虜が飛び出し、収容施設の小屋には火が放たれた」と当時の模様を語る。戦争とハンセン病で二重に自由を奪われた人生を知った女子高生らは「事件から学んだことを多くの人に伝えたい」と結んでいる。
 南半球の豪州のサクラは十月初旬に開花する。事件の舞台カウラ市はこの悲劇をきっかけに日本との関係が深く、日本庭園も造られて捕虜収容所跡を結ぶ通りはサクラ・アヴェニューと命名されるほど。道路脇に日豪双方の寄付金で桜が植樹され、関係者の手でサクラ祭りが毎年開催されている。
 私も現役時代に担当していた日豪友好プログラム「姉妹都市にサクラを贈る」の参考に同地を訪れ、泊まったモーテルで南十字星を仰ぎ、翌朝、犠牲者の墓地で花を捧げて水不足にあえぐ桜並木を見学した。案内所で求めた豪の作家ハリー・ゴードンのDIE LIKE THE CARP78年版(鯉のように死ね)で事件の概要を知った。まさしく「まな板の鯉」のように逝った兵士たちをはるか南半球の桜とともに想い出して胸が刺さる。
*カウラ事件は05年にはNHKのドキュメンタリーになり民放でもドラマ化されている。

4月2日(金) アンパンGET

 4時半いったん覚醒。7時過ぎ起床。雨が上がり曇り、WTCや南港が良く見える。墓地横の林のサクラ咲く、武庫川堤防のサクラも目立ち始めた。温暖。

●M紙朝刊によると昨日付けで地方部長だったSさんが社会部長兼科学環境部長に栄進。
●SATさんからメール。PCが故障だったので不便されたらしい。竜馬の新婚旅行地・霧島や中国雲南「茶馬古道」へも予定がありとか。中国の地溝油問題や東京オブザーバーにも言及されていた。
 11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.5℃、血圧116-78、脈正常、聴診器による診断異常なし。
 昼食後、1時過ぎサクラ満開の公園へ。施設の人々の花見か車椅子が多い。鉄棒は冠水で出来ず。車椅子押し歩きで交通安全教室コース一周を30分で。途中で清掃中のベテラン9年オジサンがいつもどおり優しいエールをくれ、ホッとする。終わって混みだした公園を後にグロサリー買出しに連れてもらう。世界で一番美味いベーカリー、学校通りのHIROへも寄ってアンパンGET!
帰宅して4時までSIESTA。

4月1日(木)言葉捜し

 雨が降っている。いつも通りPCのスイッチを入れると、トロントのクラシックFM局が音楽の隙間に小鳥のさえずりを入れている。各紙をチェックしながら今日も「言葉」を捜す。サンデー毎日に南伸坊が鶴見俊輔の『言い残しておくこと』を紹介している「南方の密林を敗走する日本兵が、木の枝にぶらさげた塩の袋を見つけた。塩の袋には走り書きで、『シオ、ヨゴレテイナイ』と書いてあった」鶴見さんが書きおいておこうとして書きおいたコトバである。この本を読むと鶴見さんが、どういうふうに生まれて、どういうふうに生きた人なのかがわかる。帯にはこんな文句が書いてある。「善人は弱いんだよ。善人として人に認められたいという考えは、私には全然ない。I AM WRONG.悪人で結構だ!」外は雨。音楽と小鳥のさえずりとPC、電子効果というなかれ、私には過ぎたる朝の芳醇な言葉探し時間で、贅沢に過ごしている。

 7時半起床。朝から4月の雨、温暖。 BLOG入力。CLIPPING。昨夜、メールをくれたM紙Nさんにメール。4日の花見の件でFさんとお邪魔をする京丹波の版画家Sさんにメールを入れる。 エクササイズ出れず、SIESTA3時まで。
●Fさんから4日9時半迎えありとの返信。
●GUI TOU氏上海へ。
Subject: 関空より愛をこめて Date: Thu, 01 Apr 2010 15:51:31 +0900
これより上海へ出稼ぎ(オモロネタ探し)に出陣致します。ついでに冷凍餃子の件、文句言うてきますわ・・・何が犯人見つかったや!オンドレ、ギョウザんじゃないよ!森村デス。頑張ってネタ探してメール致します。まや編集長の腸がネジレル位のヤツ送りますね。ほなバイナラ!
85(85イタリア語でお願いします)
 入浴して爪切り&髭そり!