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木曜日, 3月 04, 2010

▲可愛いい孫たち
3月3日(水)突風に煽られて

■明け方、なぜかLONDONにTさんと仕事で滞在、シティに行く段取りをしてHOTELで朝食をオーダーしている夢を見る?
7時起床。晴れているが冷たい。BEDで朝刊。
10時過ぎ、公園へ。北風が冷たい、エクササイズ・鉄棒15分+車椅子押し歩き20分強。突風に煽られ二三度身体を支えてもらい、ブレーキで休止。
昼食後3時までSIESTA。 夕刻まで、確定申告書書類をFILL UP。なんで生活保護と同額の年金に申告が要るのか?

3月2日(火)T Z氏帰朝

■昨夜来の雨上がる。7時半起床。BEDで朝刊。
10時過ぎ、公園へ。西ゲート近くの紅梅が綺麗、いつもどおり鉄棒&車椅子押し15分+20分弱。Uさんが大きな声で「おはよう!」と追い抜いていく。事務所近辺は子どもの安全教室でゴーカートが。
●T Zさん上海から帰国第1報+第2報
昨晩、上海より帰国いたしました。まず関空に着いて、感じることは空気がウマイなということです。そして安全な国に帰って来たなとつくづく思います。中国では道を歩いていても一瞬たりとも気をぬくことができません。歩道を歩いていてもどこから自転車やバイクが出てくるかわからないのです。横断歩道はあるものの早いもの勝ちなので、我先にと競争が始まります。昔、上海へ初めて行った時、嫁に何でこんなにみんな急ぐのか?と聞いたところ、「人に先を譲っていたら自分は12億番目になってしまうでしょ!」ですって・・・バカげた言い分でしょ?

Subject: 帰国のご報告(後編)
先日(你好上海!第三便)でお伝えした写真屋の爺さんですが、調べたところ「陸士諤」と判明しました。早速検索しましたら、下記の記事が見つかりましたのでご覧ください。
実現した百年前の予言=奇跡的成長を遂げた中国が次に向かう道―華字紙
2009年10月1日、欧州の華字紙・欧州時報は記事「100年前の予言から見た新中国60年」を掲載した。2日、環球時報が伝えた。
1910年、清朝の衰退はもはや誰の目にも明らかなところとなっていた。中国は5000年の歴史の中でも未曾有の苦境に立たされていた。しかしその最中にあっても中国の知識人らは希望を失ってはいなかった。小説家・陸士諤(ルー・シーウァ)は「新中国」という名の小説を発表している。同作は100年後、すなわち2010年の上海万博を予言したばかりか、長江を越えるトンネルや橋、そして地下鉄の存在などを正確に予言している。
どん底の時代にあって明るい未来を想像するのはどれほどの勇気が必要だったのだろうか。愚か者のたわ言だと笑われたに違いない。しかし今、中国の台頭が明らかになった現在でも、国内外のエリートには20年後、中国が米国を追い抜くと信じられない者がいる。
建国から60年、中国は奇跡的な成長を遂げた。では陸士諤の予言にならうならば、われわれはどのような未来を想像するべきだろうか。伝統的な価値観を保ちつつ、人類史がいまだ踏み入れたことのない新たな世界を切り開き、世界に平和と平等、そして発展の価値観を広める。そしてその貢献をもって中国は再び世界の中心としての地位を長期に渡り保持し続ける。少なくともわれわれはこうした想像を強く信じるべきではないだろうか。(翻訳・編集/KT)
以上です。
 尚、翻訳・編集/KTは、私ではありませんので、念のため・・・
 昼食後3時までSIESTA。 確定申告の手続きにかかる。 7時過ぎ、娘夫婦が来て『雛祭りEVE』で夕食会。
●9時から、BS映画HOW GREEN WAS MY VALLEY1941年米映画『わが谷は緑なりき』。ウェールズの谷あいの炭鉱町、モーガン一家の人間讃歌をジョン・フォードが監督。6人息子末っ子ヒューが老後に、少年(ロディ・マクドウォール=好演!!)だった頃を合唱をバックにしみじみと回顧する設定。父(ドナルド・クリスプ)と息子たちは皆炭坑夫。稼いだ賃金はいつも出迎える気丈な母(セーラ・オールグッド)のエプロンに置く。姉アンハード(モーリン・オハラ=懐かしいな!)が新しく赴任してきた牧師グリュフィード(ウォルター・ピジョン)がアンハードと親しくなってドラマが展開。

 白黒の映像が幾重にも重なる諧調の緑を、豊かに表現していて驚いた!


3月1日(月)3番街B2へはアクセスない!!

■朝、晴れていたが遅くには雨の予報。今日から修二会、天平勝宝以来1259回目という。7年前に現地二月堂下で震えながら見学したが、今年も春を迎えられるか!
 7時半起床。BEDで朝刊。
9時半、公園へ。ルーティンのエクササイズを15分+20分弱で終える。
北野病院へ=雨にならないうちに北野病院へ特定疾患担当医療機関変更申請用の診断書をもらいに行くことに決め、11時出発。TAXIで武庫之荘に、20分発の電車に係員の介助で乗車。阪急梅田でTAXIに乗り12時前病院着。書類をもらい病院からTAXIで阪急梅田駅に戻り、三番街で昼食と思ったが、なんと、食堂街B2Fへのエレベーターがない!あちこち探し、やっと保安室で業務用エレベーターしかないことを確認。バリアフリーのアクセスない旧施設『三番街』に声が上がらないか!!やむなく、阪急ホテルにする。ホテル奥の珈琲店レインボーでランチ。ROTOを買い、阪急電車で武庫之荘に。駅前のわたなべクリニックに書類を届ける。駅へ引き返し、愛想が悪い南口のTAXI群を避け、客を降車したTAXIに乗って帰宅。2時過ぎ。
 3時~4時までSIESTA。雨脚の音に起きる。なんてLUCKYだろう!!
●夕食まで雑感作文を整理。

2月28日(日)津波WARNING

■昨夜来の雨上がる。7時半起床。BEDで朝刊。
 10時過ぎ、公園へ。水路に小ぶりのサギ。よくもまああんな細い脚で立てるな!鉄棒が水没。車椅子を押して交通安全教室の外周コースを一周、30分。帰途時、Uさんが「明日は倍、歩かなアカンでえ」。
 TVは終日チリ地震の津波WARNINGを終日。
●昨夜NHK深夜ラジオで鎌田實DOCTORがオリーブ橋小脳萎縮症患者の話。「実は難病を患者に告知するのが大変だったんです。2年で歩行困難、さらに2年で喋りが出来なくなりモノを飲み込めなくなる、なんて。でも告知してよかった。当時70歳の患者は告知を聞いてPCを購入、今では介護5なんですが、バリバリPCで株式投資まで楽しんでます。」と。
 昼食後3時半までSIESTA。かくて2月は終わりぬ!
●S社の校正依頼原稿をUP、夕刻、送信済み。