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水曜日, 2月 03, 2010

2月2日(火)書家の思い上がり!

■やや暖か、予報は2-9℃。7時起床。BEDで朝刊。
10時過ぎ、いつもどおり公園へ。ルーティン・エクササイズを15分+20分弱で。
●豪紙AUSTRALIANで朝青龍のスキャンダルを写真入AP電で。Sumo grand champion Asashoryu, right, faces a lifetime ban from the sport after allegedly assaulting a Tokyo nightclub manager. AP Source: AP
●JANJAN市民ニュース02月01日から→「大沸次郎賞」受賞・石川九楊氏のコメント(1月29日A紙)を見て激しい怒りを憶えた」という書き込みアリ。
-意識が肉体を震わし、外に出ることで一つの言葉が生れる。
話し言葉なら声を通じ生まれ、書き言葉なら、触覚を通じて初めて文字が生まれ、文章、文学が生まれます。パソコンによる作文は、触覚なしに成立しますが、非常におそろしい問題を含んでいます。肉体的、精神的な行程をすっぽり抜いて、一種の奇怪な機械操作によって文字があらわれ、つなぎ合わさって文章ができる。書くことなどどうでもいいと軽んじる風潮に、今の日本の文化的危機が隠れているように思います。触覚のない書き言葉は本来はないのだと思うのです。-とコメントした。
▲この人はパソコンをしないのでしょう。私もやりませんが。書き言葉とは通常の文章のことでしょうが、文章を書くにあたって紙に表す時の方法だけが違うだけです。鉛筆、ボールペン、筆、それ以外の方法、パソコンは文化的危機だというのは大変貧しい発想(考え方)です。パソコンで文章を書くにしても精神的思考、創造性、そして文章を書くためのあらゆる知能をそこに集結してパソコンを打つのです。その結果、文章化されてくることは今の人は誰れでもわかっていると思いますが、どうでしょう。書文字、と文章は違うのです。その辺の違いが理解出来ていない人が大佛次郎賞というのも滑稽です。日本のえらい芸術家諸氏の現代社会感覚はこの程度のものであるならば、当然世界の芸術文化のあり方から見捨てられていくでしょう。新聞も、雑誌もパソコンで作るんですよ。石川先生。
 文字を書きにくくなった私も同感!書家の思い上がりだ!!
 昼食後3時半までSIESTA。夕食までミラノ風景下書き。夜、娘たち来てプレ立春を祝う夕食。