まや-NET

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金曜日, 12月 07, 2012


12月06日(木)車椅子&ベッド点検

夜間烈風やまず4時半トイレへ。夢亡失、7時過ぎ起床、身支度。朝食(インゲン入りオムレツ&トマト)、トイレ◎。
9時半過ぎ、郵便局へ。団地入り口で自治会役員が業者とXマス・デコレーション飾り付け。郵便局でBOBあてXマスカード発送。53円年賀切手50枚買って公園へ。北風が寒い中、係員が落ち葉集め。鉄棒2周してPTさんの助言どおり一服、3周目を終える。頚椎損傷オジサン来て「寒いのにがんばるねえ」とエール。
10時半帰宅、DESK。CLIPPING。皿UDONで昼寝2時半まで。起きて珈琲と最中。3時半、レンタル介護用品社員2人が車椅子と介護用電動ベッドの点検。結果、外用車椅子は折りたたみ部分硬くて交換。ベッドのマットレスも明日夕刻交換予定。
入浴。

12月05日(水)PTさんのよもや話

3時半トイレ、仕事の夢を見たが忘失。明け方近く、ショッピングモールにいたところ、北朝鮮軍が侵入襲来した兵士が高齢者で日本語を話す?さては在日かなと思っているところで覚醒。突拍子もない夢だった。7時過ぎ起床、身支度すると8時。朝食とトイレ◎済ませ訪問リハビリを待機。TVは勘三郎57歳の急死伝える。メディアはこぞって不世出の役者と賛美。大地喜和子の次には宮沢りえに自殺未遂で迫られるなど艶福発展家で羨ましかった?
9時半、PTのM先生、来宅。血圧146―92(*午後、計りなおしてもらったらいつもの127-78)、酸素99%、36・2℃。先ずはBEDで脚と足のストレッチ。アキレスが伸びてゆくのを痛感。側臥位でのストレッチ。両脚のキック、首を持ち上げる腹筋運動。今日は特に立ち上がりの演習、先生の腕を持って立ち上がり反復。やはり後方重心、右足に重心が残る。助けを借りずに立ち上がり練習反復。何度かに一度かろうじて立ち上がる。重心の移動を心がける練習!たっぷりの1時間。ああ、疲れた!!

トリートメントの間にPTさんが語るよもや話。①出版社勤めの弟さんがバンコクで睡眠薬強盗に遭って、身包み丸裸。大使館からPTさんに身元確認の電話があって吃驚②病院の後輩PTが東福岡高校でサッカー、インテルの長友とチームメート。近く結婚予定で新婚旅行にミラノへ行ってNAGATOMOと再会予定とか。
皿UDONで昼寝3時まで。起きて珈琲と焼き芋、BOBへの封筒PRINT、なかなか大変。
SATさんにお礼メールやっと返信できた。詩人YAMさんから一昨年7月急逝の夫人、速水智也子さんの詩集「かざし(挿頭)」が届く。

12月04日(火)メンドくさいのが民主主義

5時過ぎトイレ。INさんと公共施設で仕事をやりながら、K氏の評論してる夢を見て覚醒、7時半。身支度して朝食、トイレ◎。
掃除してもらいDESKでClipping。BBCで日本の総選挙、ウヨク台頭のレポ。上智大K・NAKANO「経済低成長・中国との領土問題が起因の右傾化」とコメント。Could this man, 80. be Japan’s dictator?とイシハラの動きなど追う。岩手日報紙はコラム風土計で『20世紀の転換点は、16党乱立の1930(昭和5)年9月14日のドイツの総選挙でナチスが107議席獲得して第二党になったとき。弱小政党だったナチスは、冗談でしか名前が出ない存在だったが2年後に第一党となり、議会制民主主義を葬り、全体主義国家の道を突き進む。82年前のドイツと今の日本は酷似と指摘するのは杞憂か。経済低迷と外国圧力でナショナリズムが高まる。政党は有効な対策を打ち出せずに迷走する。「決められない政治」で不気味な符合。「決められないことへのいら立ちは、議会制民主主義の拒否につながりかねない」。危ぶむのは早稲田大法学学術院の水島朝穂教授。内政も外交も八方ふさがりの中では物事を決めてくれる強い指導者を求めがちだ-と』
待っておくれやす、メンドくさいのが民主主義だっせ!!
まったく違う例でいえば、介護施設で職員が一番疎まれるのは「さあ、◎◎さん、靴を履きましょうね」と自分で履けかかった靴を、時間のない職員に手助けされ履かされること。自尊心をいたく傷つけるのを私はよく解る!!!民主主義は「もうちょっとせめて3分は待つこと」と見つけたり。
先ずはBOBへのXマスカード手づくりの準備。皿UDON食べて3時まで午睡。珈琲とモナカ。Xマスカード、なんとか完成して入浴。
メールチェックしたら昨夜、SATさんから頂戴していた。

12月03日(月)今朝から長袖下着&パッチ

3時半トイレへ。夢を見たが忘失、7時起床して身支度。あかわらず厄介な衣服の着用だが、ユニクロの冬用ズボンの裏地がまとわりついて履きにくい!
家人は昨日から風邪気味。用心して今日から下着上下に長袖着用。朝食(インゲン入りオムレツ&トマト)トイレ◎。愚息から電話定期便。
9時半公園へEXに。ハナミズキが葉を落としているが真紅の実が目に鮮やか。桜はすっかり枯れ木。干上がった池の微かな水溜りでカルガモの群れ。セキレイつがいが水辺で何かを啄む。鉄棒で脊椎損傷オジサンにばったり「今日は寒いから気をつけて」とエール。伝い歩き3周、途中で花壇北在のオジサン「おはよう」と自転車で通過。10時半、帰宅。風邪気味で病院へ寄る家人に手紙3通の投函頼む。
CLIPPING。BBCの1分NEWSダイジェストでトンネル崩落事故。
MOST WATCHEDニュースでもトップ。CCTV shows scene inside Japan's collapsed Sasago tunnelとトンネル内設置ビデオを報じる。
数紙は「140年前、明治政府は1872、明治5年12月3日を明治6年1月1日とした」歴史を。道新によればニッセイ同和損保が「選挙保険」を発売して話題に。正式名称は「選挙活動賠償補償プラン」?
昼、皿UDON食べて昼寝3時まで。起きて珈琲とモナカでCLIPPINGを整理。
熊本のMIくんから喪中葉書、お父さん5月没と。夕食後、BS映画「チャーリー・エンジェルズ」たわいなく笑い寝る。

12月02日(日)トンネル経年劣化か?

4時前トイレへ。5時ごろまで徒然草141段・待つということ・毎日発見ということ・などあれこれ反芻する。夢は忘失、7時半起きて身支度。朝食&トイレ◎。
朝刊に、ブレーンだったコガ某が維新の会と決裂とツイッターに出ていると。
自室掃除してもらいDESK。先ずは薬の分包。
CLIPPING、BBCで中央道のトンネル崩落事故を速報。
昼、皿UDONで福岡マラソン観る。一般参加のケニアのギタウがトップ。脚がカモシカのよう、旭化成の堀端が何とか二位に食い込む。観終わって午睡3時半まで。珈琲と昨夜娘が持参してくれたWALTERPEAKのケーキ食べ、DESKで夕刻まで喪中葉書のTAT夫人とMA夫人にお悔やみ状、KOさんに礼状を仕上げて入浴。入浴後、手紙3通の封緘、宛名書きにトライ。体が温まっているか、どうにか判読出来る字が書けた!
夕食時、中央道笹子トンネル事故詳報観る。経年劣化か、つらいなア、ご同輩!恵那山トンネルも同タイプという。ETV♪らららクラシックは音楽コンクール詳報観て寝るか。

12月01日(土)維新の影にタケナカ?

4時トイレへ行き朝刊の音聞く。誰かの華燭の典に出席しているような夢だったが,忘失。7時離陸機で覚醒、PTさんのいう巧緻性の欠けた動作で着替えすること30分たっぷり。今朝はシャツにセーターを着込む。今日から師走!朝食とトイレ◎。
TV観ていたら見たよな風景、ああやっぱり武田尾温泉「紅葉館あざれ」だった。この間、珈琲をサーブしてくれた婦人は総支配人だった、へー。彼女が落ち葉で創った額縁がところどころ架かっている。出勤途上の車の娘から電話で観ているか?と。
今にも降り出しそうな空だが9時半過ぎ公園へEXに。木々はすっかり落葉、遠くの大銀杏の周囲だけ照明を入れたように黄色く輝く。常連公園スズメのベンチに挨拶して、南ゲートのフウの木が紅葉見ごろ。鉄棒伝い歩き始めて1周目でパラパラ雨が。北風も強いので思う様に脚が前へ進まず難行!3周終えて帰路に。スズメの席から「冷たいから気をつけてネ」と声がかかる。
10時半帰宅、DESKでCLIPPING。M紙朝刊「ニュースの匠」に『:まかり通る政界のウソ』と鳥越俊太郎が例のBLOGOSに出たハシシタのウソを「あまりに品がない」と二番煎じ。同じく日本維新の会が選挙公約に「最低賃金制の廃止」と内田樹がまた。BLOGOSとJANJANで田中龍作がイシハラの記者会見で確認。「最賃に歯止めがかからなくなるの、そりゃマズイワ。「橋下にとって竹中は神様みたいになってる」と言わせしめた。嗚呼、ヤッパリ!
*メディアが報じないが田中とイシハラのやり取りがオモロい!
**石原:「大阪の連中(橋下大阪市長、松井府知事ら)が一所懸命考えたが、非常に未熟な所があってね…(後略)」
石原:「(賃金低下に)歯止めが効かなくなるの?」「そりゃマズイわね。未熟な所がたくさんある。(選挙公約は)骨太の何項目かにして、あとは皆で討論しようということにしていたのだが…」
田中:(橋下氏らは)世間知らずにもほどがある。
石原:「そうなんだ。(橋下が)10ページもの公約集を発表するなんて言った時、『やめろ』って言ったの。『君(橋下)が(政権公約を)作ったことは多とするけど、(中略)理念に走り過ぎる所があって、実現不可能だぞ』って。(田中の)仰る通りだと思います」。
田中:竹中(平蔵)さんが書いてるからですよ。 
石原:「そう(頷きながら)。俺、竹中って好きじゃないんだ。(会場爆笑)あれ(竹中)が、こういうの(選挙公約を)全部書いてあるのが分かる。これ(竹中は)ね、口説の徒でしかない」。
田中:日本をズタズタにした小泉改革と同じじゃないですか。
石原:「だからね、あんまり竹中を信じるなって。『そりゃ止めろ』って言ったの。彼らにとって神様みたいになってる。コンサルタントの堺屋太一なんか首かしげてる。発言力を認められないのかなあ。これ(竹中)に対しては批判的ですよ」。
田中:石原さんの晩節を汚すことになりますよ。
石原:「そんなことさせないよ」。
日本維新には「最低賃金制度の廃止」「解雇規制の緩和」の他、「混合診療の解禁」がある。勤労者をさらに貧しくさせ、仕事にさえありつけないようにする→国保財政破綻→病院にかかるには民間の医療保険に入るしかない→米国資本保険会社が儲かる。この構図は日本維新がTPPに積極的なことと符合する。タケナカ平蔵は途中挫折した郵政民営化のスケールを拡大し実現するつもりだ。郵貯・簡保マネーは約300兆円だったが、医療保険が民営化されれば個人資産1400兆円の大半が米国資本保険会社に流れ込む。日本人はハゲタカの餌食となる。「日本を米国に売ることになる」として小泉政権の郵政民営化に反対し職を辞した元総務省官僚は「維新のバックは、小泉・竹中のバックと同じだからね」と話したと、田中は結ぶ。
家人は駅前へ晩餐のグロッサリー買い出しに。皿UDONで午睡3時。珈琲とロールケーキ、みかさ食べながら、JリーグG大阪vsJ磐田戦観るも劣勢。前半で観終わり、喪中はがきの返書書く。
夜、7時娘たち来て遅ればせのBIRTHDAY晩餐会を鴨鍋・カニボイル・若狭ガレイ揚げ物・野菜炊き合わせなどで。デザートは娘持参のWALTERPEAKのケーキ。9時半帰宅でBS4空港ガイドSFO編観て寝る。

11月30日(金)大先達の訃報知る

4時トイレへ行きしばしウトウト夢見。制作用の紙を買いに紙問屋へ自分で車を運転。気づくといつの間にか大阪南港。降車して道を行くが周りはカヌーの艇庫ばかり。手入れしているのは老人も多い。カヌーの製作工場に足を踏み入れるが、いつしかSUGさんがカナダ通貨で工場買収の交渉を。いつもながら山ッケたっぷりと眉を顰めたが、ま、置いとこか。無事紙を買ってデジャブな風景見ながら帰路に着いたところで目が覚め7時過ぎ!身支度して朝食、トイレ◎。
愚息から電話定期便。自室掃除してもらい10時過ぎDESKでCLIPPING。朝食時耳にしたBIGNEWSはパレスチナの国連オブザーバー参加可決(138:9)でBBC観る。30 November 2012 Last updated at 00:11 GMTPalestinians win upgraded UN status by wide margin(There was applause as the result of the vote was confirmed)
パレスチナを「国家」に格上げ 国連総会、決議を採択=国連総会は29日午後(日本時間30日午前)、パレスチナが持つ国連の参加資格を現在の「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする決議案を採決し、賛成138、反対9、棄権41の賛成多数で採択した。これによりパレスチナの格上げが決定した。 *オブザーバー国家は正式加盟国と異なり国連での投票権はないが、国際社会が「国家」として認める政治的、象徴的な意味合いを持つ。また国家を加入資格とする国際機関にも加盟しやすくなるとみられる。
維新の原発公約、フェードアウトというので内田樹が語義からモノイイ!
「フェードアウト」は「しぼむ」「衰える」の意味で用い、事物的には存在する。量的に減じたり、目立たなくなっても、「フェードアウト」。この文言を考えた維新の会の人間は全部わかっていてこの語を選んだはずだから、代表にも「石原さん、ご心配なく。『フェードアウト』っていうのは『なくなる』っていう意味じゃありませんよ。たぶん有権者はそう誤解して『脱原発』だと思い込むでしょうけれどそうじゃありません。全発電量のうち原発のシェアが1%でも減れば立派な『しぼみ』です。あちこちにちらばって建っていた原発を少しまとめて一目に立たないところにまとめれば、これも立派な『おぼろげ』です。そういうことなんですよ。こんな英語にころっと騙されるやつがバカなんです」そう説明されて、有権者はほんとにバカだからなあと笑顔を交わしているシンタローとハシシタの姿が想像できると。
イベント屋や映像関係者はFO=フェードアウトの語義はよくご存知だ。通称「笑う」という言葉が画面から消えることを指すことを。TVタレントだったハシシタはとっくに知っていてまた「どや顔」か?
昼、皿UDONで午睡2時半まで。珈琲とロールケーキ食べて賀条案を考える。
喪中葉書しきりの季節だが、今日もMCのIK嬢からご尊父の逝去で喪中葉書来信。
驚いたことにTAT夫人から喪中葉書が来てご本人の7月逝去知り、仰天!!同業の一回り先達で何かとご指導頂いた、若いころK電鉄を紹介してもらうなど何かと一緒に苦労した仲。なんといってもK病院で再会、当時のM院長が教え子だといって連絡してくれ、担当医が診察の時、神経内科部長が直々に院長室へ案内された。院長と面談、激励をしてもらったのが昨日のようだ。次に病院でお会いしたときは酸素ボンベを引きながらのことで、以来、メールで近況を知らせ合っていたのに、無念。誰も訃報を知らなかったか?大先達に瞑目、合掌!!
儚いことはもう一件。家人が隣家の奥さんに出会って不調だと聞いていた「ご主人のその後は如何ですか?」と訊いたところ「6月に救急車で緊急入院、還らずの人となった」由。不覚にも隣家の異変に気づかなかった!ドア一枚隔てた世界は全く別世界の無常!!