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月曜日, 5月 27, 2013

05月26日(日)SCDの夫人を介護するM紙記者

2時渇きで起きPOKARIと経口補水液補給。グループで南西諸島へ行きホテルから外出する夢から覚め6時前、再度トイレとPOKARI補給。7時過ぎ身支度、朝食、トイレへ行き半時間糞闘とするも×や!
ETV日曜美術館観ながらクスリ小分け。
朝刊書評に脊髄小脳変性症患者家族の2000日を綴った「みぞれふる空」文春から新刊と。チェックしてみたら筆者はM紙西部本社学芸部記者。夫人が私と同病に冒されて「この病気に医療は何も出来ません」と宣告されて、2000日余の苦闘の日々をM紙西部版に綴ったもの。
*みぞれふる空 - 脊髄小脳変性症と家族の2000日・米本 浩二【著】 ¥1,365文藝春秋(2013/04発売)
DESKでCLIPPING。東京紙「コラム筆洗」がハシゲの喧嘩必勝法を弁護士時代の著書で紹介、アーンなるほど。あす外国特派員協会で講演&記者会らしいが、どうなる?
『筆洗5月26日 ありえない比喩による論理のすり替え、相手に考える間を与えないテクニック…。『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』という本に書かれている駆け引きの実践例だ。橋下が十年前に書いたこの本には弁護士として磨いた交渉術を今も活用していることが分かる。古書店では元値の倍以上の値がつく人気。
自分の発言のおかしさや矛盾に気付いた時は「無益で感情的な論争」をわざと吹っ掛けるとあった。その場を荒らして決めぜりふ。「こんな無益な議論はもうやめましょうよ。こんなことやってても先に進みませんから」と。きのう出演したテレビ番組で、在日米軍に風俗業活用を求めた発言に、米軍と米国民に謝罪、発言を撤回する意向。発言撤回に言及は初めてだ。言い負かせば勝ち、という価値観も国内外からの批判に揺らいだとみえる。「(従軍慰安婦が)必要だったのは誰だって分かる」との発言を「その時代の人たちが必要と思っていたと述べた」とすり替え「日本人の読解力」やメディアに責任転嫁した。これら発言も撤回すべきだ。弁護士時代のように、感情的な議論を吹っ掛け、「無益な議論はやめましょう」とごまかせない。すべて自らがまいた種だ。頼みの「ふわっとした民意」が逃げてゆく。』
皿UDONで昼済ませ午睡2時半まで。起きて珈琲と桃プリン。トイレへ、シンドいが○か。
6時、全介助で入浴、上がって足の爪を切ってもらう。
夕食後、BS朝日で岩波茂雄が戦前建て、作家の佐伯泰英が譲り受け管理する熱海「惜櫟荘ものがたり」観る。アンジェイ・ワイダも宿泊、水彩画を遺している。
NMEU③茄子ピザ・タラ煮付け*KIWI&バナナ**ラキソベロン12滴


▲JEIME&ALLISON農場の夕暮
05月25日(土)BOBまたチェンマイへ

夢を忘失、2時半覚醒、トイレへ行き、家人が目覚め、帰り BED手伝ってもらう。POKARI補給。両肩、脱力感がいっぱい寝苦しい、何度も寝返り!5時半、明るいので目覚め、昨日の木彫展を反芻。7時前、身支度、装具の向こう脛部分にクッション当ててみる。7時半、汗吹きながら公園へ出発。屈伸と伝い歩きMENUどおり終えて帰路、ベンチでいつもの公園ディオゲネスが寝ている。8時過ぎ帰宅、朝食。トイレ扇風機ONにしてもらい奮闘するも○。
10時過ぎDESKに。
皿UDON食べ昼寝3時まで、両肩が依然ダルい!!珈琲とカステラ。
写真の取り込みとBOBのメール整理。月末から22日間もまた、チェンマイへバイク旅行、敢行って!
Re: My sketches2013年5月23日 木曜日 午後5:41From:"Bob Algate" 
ハーイKOHSUKE、綺麗なキミのスケッチ、名古屋空港など旅行の見どころポイント、お姉さん夫妻などの写真などいっぱいの2週間前のメール、あリがとう。日本の美しさはやっぱりワンダフルだよ!
キミがお医者さんたちの診察から「強靭なココロ」をキープしているって聞いて、私たちは大変喜んでいるよ。困難な状況にもかかわらず、キミの素敵な家族、とりわけお嬢さんやお婿さんの大いなるヘルプで遠出もカバーされて、キミがポジティブな日々を送れている様子が容易に察知できるよ。たった一回きりの貴重なイノチのために、我々はあらゆる困難さにも立ち向かうべきだし、若い人でもガンなどを患って懸命に闘っているのを聞くと、イノチの有り難さに思わず我々も「頑張らなくっちゃ」と自覚するよ。
私は、あいかわらず市議会の忙しさに追われているんだが、まもなくこれも終わりで、GARYとまたチェンマイへ22日間バイク・アドベンチャーするつもりでいるんだよ。アデレードを5月31日に発って6月22日に戻る。ともかく、それまではメリディスとジェーミー・アリソン農場で過ごし、メリディスをアデレードの姉妹宅にジェーミーに送ってもらい、私が戻るまで滞在。
ジェーミーは100エーカーの畑の収穫の準備に入ったんだ、ブロ-クンヒルは22ミリ降ったんだが、かの地は昨日10ミリの降雨があったらしい。4月25日以来、収穫準備しているんだがずっと遅れているんだ。ジェーミー・アリソン農場を離れるが、ま、お互いそれもハッピーかもね。
数カ月前からジェーミーは再度、家具作りを再開。アリソンの継娘がブロークンヒルでオープンさせた家具屋でそれを展示しているんだ。農場の収入が少ない15年前に始めた家具作りもアップグレードして、今では当地でちょっとは有名なんだ。何しろ、農場でパドックのフェンスから、水回り、タンクに至るまでしょっちゅう何かの手入れで大忙し、経験大きいから。
アンドリュー、ベリンダも元気だよ。べリンダはブロークンヒル一の電機店のマネージャーなんだ、アンドリューは仕事が少ないが、甘んじてハッピーにしてるよ。残念ながらここ豪州も建設業は良くないんだ。みんなが余分なカネは使わなくなったし、高齢化したコミュニティも余分なカネの悶着は嫌なんだ。
ここ2日ばかりは22ミリの雨、気温も今日はMAX12°とミゼラブル。こんな天気はやる気を削ぐよ。そんなドライでもないのに例のエミューが出没だ。餌と水を求めて毎日通りを徘徊、6羽も出没。野生が市街を水と餌のために闊歩するなんて、ちょっと異常だよね。写真を添えとくね。
メリディスの記憶力はやっぱり徐々に低下、体重も45㌔まで低下ガリガリだよ。医者に行ったら病気によるものじゃないんだが、血液検査の結果、ビタミンDとB12不足、食欲不振と関係あるかもで、医者はB12の注射とDサップリメント服用をしてくれ、体重は回復するかもといってる。**ビタミンB12は、葉酸と協力して赤血球の生成や神経細胞の修復にかかわって、赤血球や神経細胞中の核酸(DNA)の合成に葉酸と協力して補酵素として働く。
今日はそんなところかな。またタイから戻るまで5週間ほどメールできないけどみなさん十分ご自愛を!!!。LOVEとベスト・ウィッシュを込めて、BOBXXXXXX
夕食後、野球ハムvs阪神戦観る。奇妙なジャッジで奇妙な勝ち?就寝時、カラダ拭ってもらいパジャマに。
MENU③ミンチピーマンくるみ・花豆・ポテトフライ・クリームチーズトースト*KIWI&バナナ**ラキソベロン12滴

05月24日(金)伊丹で「たちのぼる。」木彫展

2時前一旦覚醒、夢は忘失。辺りが明るいから5時半ごろ目覚め。7時過ぎ身支度、やっぱり汗が。朝食トイレ○.
娘から電話、午後空き時間がるので美術館への誘い。
愚息から電話定期便。
11時、訪問看護ナースOさん来宅。血圧122-80、酸素98%プルス77、体温35・9℃。月曜のWクリニック月例診察結果、残尿も少なかったことや便通も普通、装具の補正後の状態も伝える。機能低下進み不便さが増すが、入浴もできている、OH製薬の介護職アイートの補充も報告。
正午、皿UDON。
1時、娘の迎えで伊丹市立美術館へ。棚田康司「たちのぼる。RISE」展へ(*タイトルの最新作は東北地震復興に地元高校生などが制作協力)。68年明石生まれの東京芸大卒彫刻家。やや観念先行的だがオモシロい。木彫の柔らかさ、一木から彫り出す少年少女像に生命感と神秘性を強調か。様式は古代エジプトを連想させるが、何よりも、立ちポースが我がリハビリでPTさん推奨スタイル・一歩前へ重心を移す「人間の自然なニュートラル・ポジション」を想起させて、親近感がある。スキージャンプの高梨サラが立ち上がってジャンプ台にスタートする姿勢ダ!
美術館西側の酒蔵・岡田家住宅にも展示が木彫に合っている。50点近くの展示。3時前観終わって帰路に。
3時半帰宅、娘と珈琲ブレーク、ハーゲンダッツで。4時から4時半まで午睡。起きてCLIPPING、共同47NEWS一応に三浦ジイサンの快挙を。オモロないナ。
今日も全介助で入浴。
MENU③タイつくり豆腐と炊合せ・空豆煮・餃子・チーすトースト*KIWIバナナ**ラキソベロン12滴

05月23日(木)竹馬の朋二人が来宅

亡くなったTATさんや過ぎし日親交あったKIさんなど多くの人をであってる夢だった。最後はTAXIに乗り、大阪市境で突然ドライバーの自宅に停車。後ついて行き「Tくんのご自宅ですか?」に諾の答え。なーんだT君のオヤジさんか」で覚醒、トイレとPOKARIと経口補水液補給。しばらく輾転反側。朝刊配達の音、明るくなる。6時前からウトウト。7時前、身支度。今日からズボン下履かず。パッチの下肢を切ったモノを右脚に履く。7時半前、公園へ。MENUどおり膝屈伸&つたい歩き3周。脚は上がるがイキが切れる。バラを見に花壇に連れてもらうが、早々に帰宅。8時半朝食とトイレに扇風機で◎。9時半DESK。
正午、ハヤメシで皿UDON、竹馬の朋GENちゃんとYUKさんの来宅待機。
1時過ぎ到着の携帯電話アリ、急いで駐車場ゲートに迎えに出る。愛車のYUKさんとGENちゃんの日焼けした元気顔!まずは駐車場に車を移動。昨夜電話連絡もらったGENちゃんオススメの伊丹荒牧バラ園は無理だが、公園の花壇にバラが満開なので観に行く。帰宅してお茶、近況など。ハシゲ批判など床屋政談から盛り上がる。GENちゃんはDATAメモを取り出して説得力十分。「80最エベレスト登頂成功」のNHKテロップ速報に意義アリ?カネかけた老人の夢に、公共放送が加担するのか。私は「支えた家族がスポンサード表示オードをバックに記者会見を。
GENちゃんはタウン紙をもとネタにしたA紙の街ネタも証拠品を例示。NEWSのツクリ欺瞞差に相槌。深い思索の人YUKさんは60年アンポ敗退以降シュリンクした人心に言及。高齢者免許講習に話は及ぶ。誰かが儲ける社会システム、みんな歎息。あっという間の再会は終り、駐車場に二人を送り、4時半から5時半、午睡。
起きてDESKで多忙のBOBからのメール返信2週間ぶりに受信。
夕食後、野球ロッテvs阪神戦観る。
MENU③サーモンムニエル+Gアスパラ・花豆・介護職の肉じゃが*イチゴ**ラキソベロン12滴

05月22日(水)毛沢東の孫娘、億万長者?

蒸し暑くて眠れず、3時過ぎトイレとPOKARI補給。長い旅の夢だったが忘失。6時前、カーテン越しに明るくて目覚めた。7時過ぎ身支度、今日は半袖ポロに。朝食とトイレ◎。自室掃除してもらいクーラー稼働させて訪問リハビリ待機。
9時半、PTのMセンセ来宅、血圧132-88、酸素99%、体温35・8℃。ストレッチから反復20回。立位の練習、ニュートラル・ポジションを前へ。体重移動の練習、踏み台の上がり降り。車椅子押しながら体重移動の練習。疲れたら膝の屈伸でリリース、リラックスすること肝要。
CLIPPING。高知紙コラム「小社会」が『中国建国の指導者・毛沢東の孫娘夫妻が大富豪の仲間入りした』と中国誌が伝えたのを紹介。『造反有理』や『青年は午前八時のタイヨウダ!』に痺れっぱなしで軽挙妄動したが、「アサ8時の太陽」だけは老さらばえた今、ひしひし実感できるが、。
さて、毛の孫娘の孔東梅は、後に夫となる男性と17年前に保険会社を設立、大当たり。他のビジネスも加えると夫妻の資産は50億元(約820億円)に達する。世界第2の経済大国・中国では、億万長者が続々と生まれている。孔夫妻はその一例にすぎないが、共産主義の理想を追求した毛主席の孫だけに、好意的な受け止めばかりではない。共産中国の理想は「均霑(きんてん)思想」。貧しきを憂えず、等しからざるを憂う平等主義。「中国人の価値観」(学生社)によると、約30年前、中国のスローガンは「向前看」(前に目を向けよう)だったが、経済発展とともにその後は同音の「向銭看」(お金に目を向けよう)に変わってしまったのかナと、論評する。
久しぶりにM紙専門編集委員MAKITAROが本紙夕刊に『大きな声では言えないが…:死ぬためのクリニック』と題し昨日東京夕刊に書く。 
医学用語で「予後不良」と言えば今後の見通しが悪いことで、治癒が望めないとか、後遺症が残るとか、時には「死亡する」という意味も。が、競馬では「予後不良」は全く違う意味で使う。競走馬が脚に大けがをし、回復が極めて困難。「薬物を用いた殺処分の処置が適当」と診断された状態を「予後不良」と。つまり「安楽死」を遠回しに表現した言葉。名馬テンポイントの例を挙げる。人間はどうだろう?「俺はもう予後不良。延命処置を止めてくれ!」と叫んでも、日本では「死ぬ権利」が認められていない。安楽死(尊厳死)は刑法上、殺人罪の対象になるが、欧米では事情が変わりつつある。スイス、米国オレゴン州、ワシントン州、ベルギーなど、数少ないが「安楽死法」を持つ国が存在する。スペインの日刊紙「エルパイス(ElPais)」が最近、オランダの「安楽死事情」を報じた。世界に先駆けて、02年「安楽死法」を施行したオランダでは11年、自殺ほう助を含む安楽死の件数は3695件。年間死者数の2・5%に当たるという。第3の都市、ハーグには「レーフェンスアインデ・クリニック(死ぬためのクリニック)」が誕生した。この安楽死専門クリニックでは約200人が「その時」を待つ。昨今、憲法96条先行改正ばかり話題になっているが……「死ぬ権利」も国民的議論にふさわしいテーマのような気もするのだが……どうだろうか?と、傾聴しました。
昼、例によって皿UDON(豚・卵・キャベツ入りを皿にもり食べやすくブツ切りしたもの)。昼寝3時前まで。家人帰宅、4時、珈琲とHIROの菓子パン。
6時、ヘルプしてもらい入浴の大仕事。
夕食後、あす来宅のGENちゃんから電話「伊丹荒牧のバラ園もいいが」とのご提案。ロッテvs阪神戦だらだら観る。
NMEU③ビーフシチュー・介護食の野菜スープ・トースト*焼き林檎**ラキソベロン12滴

05月21日(火)乙武さん、謙虚にネッ

暑くて寝苦しかった、2時半覚醒トイレとPOKARI補給。輾転反側しながら瀟洒なバルで芳醇なワインを親友二人?誰かわからない*と飲みながら談笑する夢。明るいので目覚め6時過ぎだった、「逆睫毛 ちかごろ亜細亜の怨嗟も 混じりおる」また「燕翔び 呼吸(いき)ととのえる 通院日」を反芻。7時過ぎ、身支度。今日から下着にランニング。朝食、トイレ◎。
9時過ぎ、公園へEXに。真夏なみの汗!MENUどおり終え早早に帰宅。
10時半、DESKでCLIPPING。各紙、ハシゲ問題後遺症か。
NET世界ではBLOGOSが五体不満足・乙武洋匡(東京都教育委員でもある)が銀座のイタメシ店Gに予約を入れていたものの、オーナー・シェフに当日に車椅子だと知らされても対応ができないと言われて入店を拒否されたと、嘆いたTwitterに書き込んだのが発端。店側の謝罪で決着した経過が色々な反響を呼ぶ。「弱者を気取った強者の横暴!」と書き込む人も。身近なだけに色々検索。欧米と比較して日本のバリア・フリー化の遅れを嘆く声と同時に、理屈抜きで車椅子ユーザーへの軽蔑的な態度が見られると批判する福祉関係者。しかし、今回の経過をチェックすると「差別」は双方の態度の問題?か。
「乙武氏ツイートの銀座の店に行き、店主に取材しました」という投稿で『店主からは、「聞きたいことがあれば事情は説明しますが、すでに店と乙武さんとで和解しているので、事情についてはぶり返す必要はないので書かないでほしい」とのこと』が、現場の詳しい写真付きで実証的。現場を観ると「こらアカンワ」が実感。
外出時のバリアフリー・チェックは私にとっては、大問題!まだまだ日本社会は発展途上。事前に相手方にコミュニケーションに取ってもらっているのが現実。乙武側は事前連絡がなく、「甘え」と「ココロのコミュニケーション不足」だったと判断できる。その上で、障害者として乙武の「深く傷つき、腹を立てしまった"こんなひどい対応をされた"と、普段から応援してくださっているみなさんに泣きつきたかったのだ」とのコメントを承諾。乙武自身も、愚挙だったと『「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。でも、僕はなれなかった。愚かなことに、そのケンカ調の言い草に、ケンカ調で返してしまったのだ。それは、僕の友人を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない』とその後、書き込む。有名人だから「余計謙虚さ」が迫られるよネ。
皿UDONで昼、3時前まで午睡、起きて珈琲&菓子パン。YUKさんにメール送信。夕食後、セリエAの蹴球観て、米の竜巻ニュース詳報観て寝る。
MENU③マナガツオ煮付け・野菜ビーフシチュー・トースト*焼き林檎**ラキソベロン12滴

05月20日(月)アンチエイジングの夢映画?

早く寝たので1時には覚醒、トイレとPOKARI補給。異郷の夢、それも中国。大きな橋を徒歩で階段上り渡っている。次の景色は食堂街、みんな家族で鰻を頭から茹でたのを食べている?「我、日本人ウォ・リ-ペンレン」と中国語で喋って何かほかにもチュウゴク人に話しかけている。サンザン寝返りうった挙句6時すぎ目覚め、便意で7時過ぎトイレへ○。身支度、朝食*茹でキャベツかたく難渋、再度トイレへ◎。愚息から電話定期便。Wクリニック受診予約してもらう。
YUKさんに23日来宅時間訊ねるメール送信してCLIPPING。
昨夜、ハシゲがシンタローに「迷惑かけた」とわびを入れたTVニュースがあったが、詫びを入れるなら国民に!!
12時前、TAXIでWクリニックへ。12時40分、Wドクター診察、エコー検査で残尿は30cc強でパス。当分は現行の利尿薬ハルナール。装具の具合、公園での隔日EXの続行、PTさんの訪問リハビリなど伝える。ドクターはケアマネから食事MENUなど聞き及ぶとのこと。「では、いつもどおり頑張って!」逆流性食道炎・緩下剤ラキソべロン・湿布など処方。薬局へ移動。TAXI呼ぶ間、クリニック玄関燕の巣ウォッチング。通りがかり女学生も盛んに携帯のカメラ向ける。
1時15分帰宅。皿UDON食って昼寝2時から3時まで。起きて珈琲と今川焼き。4時、H眼科へ連れてもらい、また、逆睫毛抜いてもらう。処置台に座り変えるのが大変。ドクター「またチクチクするか?ようし、これでスッキリするわ」と。
6時入浴の大仕事。
夕食後、プレミアムシネマ「ベンジャミン・バトン 数奇な人生THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON」08年米映画、観る。アンチエイジングが世の風潮だが、加齢ではなく「減齢」がほんまになったら?メークでB・ピットが演じる大人の童話。舞台になったニューオーリンズの路面電車や車窓風景を懐かしく観る。
原作:F・スコット・フィッツジェラルド。生まれてすぐ親に捨てられた赤子が老人養護施設を営む黑人女性に引きとられ、医者から短命を宣告されるが大切に育てられ、成長とともに少しずつ若返っていくハンディーを負う。美少女デイジーと運命的な出会い、彼女は子を宿す。「減齢」の止めは赤子になって恋人に抱かれ死ぬ。CG技術を駆使、B・ピットが老人から青年時代までを演じ、アカデミー賞13部門ノミネート、視覚効果賞など3部門を受賞。共演はケイト・ブランシェット。
MENU③ビーフシチュー・トースト*KIWI**ラキソベロン12滴

05月19日(日)リコールの声もないのん?

2時過ぎトイレとPOKARI補給。寝苦しい、PCの電源OFFしたかどうか気にしながらウツウツ。7時前目覚め、身支度。朝食とトイレ◎。
9時過ぎ、天気が下り坂の予報、早めに公園へ。クリーンDAYとか至るところゴミ袋持った人々が、公園にも。鉄棒でMENUどおりEX。今日はいささかキツイ!10時帰宅、一服してDESKに。
今日は高知紙の「小社会」が大阪人気質をふまえていい。
『終戦直後の1946年に「食糧メーデー」があった日と指摘。戦前、昭和初期にもサラリーマンが大量失業し、昼食にも事欠く日々があった。小津安監督の映画「大学は出たけれど」が公開されたころ、大阪・梅田に、日本初のターミナルデパート阪急百貨店をオープンさせたのが小林一三。食堂のカレーライスを福神漬け付き20銭の安価で売り出し、評判。家族連れで食事ができるよう配慮した。小林はさらにライスと福神漬けだけを5銭で食べさせ、金のない客はライスにソースをかけ「ソースライス」と呼んで競うように食べた。やがて懐に余裕ができた客が、百貨店のお得意さまになった。作家の大谷晃一は不法駐車の横行などを例に、大阪は「観念よりも実際を、善悪よりも損得を大事にする」と『大阪学』で書く。大阪の顔ともいえるこの人もそうなのだろうか。従軍慰安婦をめぐる発言が内外から批判を受けている橋下徹大阪市長。慰安婦制度は必要だったとして、在日米軍幹部に風俗業者の活用を求めたと聞いてこちらも凍り付いた。同じ日本人の男として恥ずかしい。そう思っていたら、発言内容が誤解されたと主張し「日本人の読解力不足が原因だ」。小林は庶民の心をつかんで成功した。温かみのある損得である。いまの市長に言っても馬耳東風だろうが』と。リコールの声も挙がらぬとは、トホホ大阪やねん!!
昼、皿UDON食べ、降雨と同時に昼寝3時前まで。起きて珈琲とアンパン。夕食までDATA整理。
MENU③茄子グラタン・ジャーマンポテト・鯖煮付け・トースト***ラキソベロン12滴

05月18日(土)兵庫陶芸館で「尾形周平展」

なぜかワープして秀吉の幕下にいる夢、跳んで北朝鮮のキオスク風売店でタバコを買ってふかしている、しかも10$も払って。
9時半、娘夫婦と出発。ガソリン満タンにして宝塚ICから中国道、舞鶴道・三田西IC。
10時半、兵庫県立陶芸美術館で「尾形周平展」観る。江戸後期の文人趣味の煎茶器が多く展示してあり、TEXTともいうべきデザイン雛形もあった微細で丁寧仕事かルーペによる展示もあった。車椅子視線が好都合、ま、こんなこともある。中国志向だが中に紅毛人風俗を書いたものもあり、オモロい。!F別室の「戦後復興期の丹波の作家たち-市野弘之・生田和孝・大上昇・市野信水」も観る。ご縁があって訪ねた市野弘之の大皿青1971(昭和46)年作が懐かしい。同氏宅で拝見したリーチの画帳に新鮮な驚きを覚えた経験が蘇る。
*尾形周平1788-1839は、京都陶工、初代高橋道八の三男、尾形乾山1663-1743伝来の陶器製法書を読み、私淑して尾形姓を名乗り、清水あこや町に居を構えた。生涯自分の窯を持たず、五条や清水の共同窯で作品を焼成したという。
様々な窯の創業に携わり、文政元年1818に桜井里焼(島本町)に招かれ、江戸に下り、向島百花園主の佐原鞠烏(きくう)が創業した隅田川焼(墨田区)を手伝った。同10年に開窯した南紀男山焼(和歌山広川町)へも招聘された記録も。天保2年1831から翌年にかけて姫路藩士・橘秋蔵の招きで姫路の東山焼を指導、同3年から5年頃には淡路の珉平焼に関わった。さらに、尾張国津島(愛知・津島市)の文人大橋秋二1795-1857にも製陶を教えたと伝えられている。
作品は、成形や絵付けの細部にまで神経が行き届いた、精巧なつくりの煎茶器が主。江戸後期における文人趣味隆盛を反映、中国陶磁から図様を引用・翻案したものが中心だが、中に西洋風の人物を描いた異国趣味溢れる作例も。
作品や足跡が重要かつ魅力的な陶工であるにもかかわらず、従来あまり注目されていなかった。初企画で初公開を多数含む初代の作品のほか、周平が関わった各地の窯や青木木米・仁阿弥道八(にんなみどうはち)など同時代に活躍した陶工の作品、跡を継いだ2代の作品も紹介。
1F別室「戦後復興期の丹波の作家たち-市野弘之・生田和孝・大上昇・市野信水」。
* 平安末期に誕生した丹波焼は今に至るまで800年。時代の要請に即したやきもの
を連綿と作り続けてきた。江戸後期からの徳利づくりはガラス瓶が普及する明治末期まで、丹波の主力製品として量産。昭和初期には植木鉢の生産量が増え、1937(昭和12)年には石膏型や機械ロクロを用いる技術革新。戦時中には、硫酸瓶や軍用の薬品瓶が大量に生産。戦後は日用品が不足し、丹波から水甕やすり鉢などを、京阪神周辺地域へ出荷。しかし1950(昭和25)年前後には、人々に日用品が行き渡り、不況と重なったその時期に、確固たる供給システムを持たなかった丹波は販売不振におちいり低迷。この間に本格的に作陶をはじめた、丹波焼の窯元生まれの市野弘之1924-・大上昇1929-2002・初代市野信水1932-1997は、丹波焼の伝統的な技術を受け継ぎながら、自身の作風をそれぞれに確立していく。同時期、民藝運動を提唱した柳宗悦らが伝統的な製作技法や窯場が残る窯業地として丹波を評価。
そんな丹波に興味を持ち、1956(昭和31)年にこの地に移住作家に、鳥取県出身の生田和孝(1927-1982)がいる。生田は丹波焼にはなかった糠釉、そして鎬や面取などの装飾技法を持ち込み、新しい風を吹き込んだ。戦後の低迷期を乗り越えて、丹波焼の復興期に寄与し、現代の丹波焼の礎を築いた4人の作家を紹介。
12時過ぎ、今田薬師温泉へ行き、レストランの具合見てもらい車椅子ではキツいと判断、篠山へ。12時半、いつものように篠山市内「大正ロマン館」でトイレと昼食。トースト、黒豆コロッケ&サラダ、珈琲にスプーンとフォークもらいトライ、これならいける。各自適当に定食。
1時45分、帰路へ。丹南篠山口ICから舞鶴道、中国道宝塚ICで帰宅、3時前。4時から5時まで爆睡。入浴して夕食、昼食が重かったので皿UDONに。
夕食後、BS朝日で06年米映画「ミス・ポター」観る。絵本「ピーター・ラビット」の作者ビアトリクス・ポターの自伝。
MENU③UDON*KIWI&バナナ**ラキソベロン12滴

05月17日(金)「モリー先生との火曜日」

3時前覚醒、トイレ。東京のJADMAのKさんとMA社長の宴席の夢。7時前目覚め、身支度。朝食BACON-EGG・茹でキャベツ・トマト・アーモンドバタートースト・自家製ヨーグルト・珈琲、トイレ◎。S愚息から電話定期便。10時、DESKに。CLIPPING。
皿UDONで昼終えて昼寝2時半まで。
BEDで本日着信の考える人編集長河野通和のMM反芻。
ミッチ・アルボム『モリー先生との火曜日』(NHK出版)の紹介。ココロ揺さぶられたので 『愛は唯一、理性的な行為である』の要旨を転記。
死を間近にした老教授が教え子に自宅で行う「人生の意味」について最終講義。1997年に米で刊行、ノンフィクション部門のベストセラー。著者は人気スポーツコラムニスト。ある日、深夜ニュースで、大学恩師モリー・シュワルツ教授が難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)とを知る。
何年もの空白に負い目を感じている著者をよそに、まっすぐに問いかけてくる。「誰か心を打ち明けられる人、見つけたかな?」、「君のコミュニティーに何か貢献してるかい?」、「自分に満足しているかい?」、「精一杯人間らしくしているか?」しばらくの間、そうやっていっしょに食事。病気の老人と健康な青年が、部屋の静寂を体の中に取りこみながら。……突然モリーが「死ぬっていうのはね、悲しいことの一つにすぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ。ここへ来る人の中には不幸な人がずいぶんいる」
また、こうも「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」=以下略

05月16日(木)アサギマダラ飛来の報


3時半渇きで覚醒、経口補水液とPOKARI補給でトイレでガス抜き。夢忘失。7時過ぎ身支度。朝食とトイレ○済ませ公園へ。9時、鉄棒で膝屈伸と伝い歩き始める。昨日より気温低めで楽だ。3周目も無事終え、花壇へ連れてもらう。バラ園が豪華絢爛をきそう。真紅・紫・白・黄・赤混じりの白・絶世の美女立ちが香りも気高くにおう。花壇のオバサンに声をかけたら、アグロステンマ?数本を摘んで一輪挿しにとご好意。有難く頂戴。10時過ぎ帰宅。ワイン瓶に活けてもらう。
正午、ハヤメシ、家人は城東区へ墓参に出かける。
4時帰宅、珈琲とパンケーキ。A紙夕刊電子版にアサギマダラ宮崎に飛来の報。
今年は例年より少し早い4月中旬から姿を見せ始め、数もいつもの年の倍ほどという。 「旅するチョウ」アサギマダラは東南アジア付近から北海道に生息し、春に北上し、秋に南下する。「毎年寄ってくれる旅人のよう。月初め三ヶ根ドライブウェイ展望所でも「飛来地の表示」あったばかり。少年の頃、大台ケ原で出逢って以来、その優雅な飛翔姿に憧れもあり、ときおりアサギマダラNETを散見。
もう二度と出逢えないアサギマダラの自由に飛翔する蝶の浪曼に浸りながらDESK整理するも、蝶のように動けない、モノ掴むだけでバランス崩れる!
入浴大仕事。
夕食後、BSTBSで米98年映画「偶然の旅行者THE ACCIDENTAL TOURIST」観る。優柔不断のトラベルライターの恋?
MENU③タラのムニエル・花豆・インゲン・なす田楽・介護食のご飯*KIWIとバナナ**ラキソベロン12滴