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土曜日, 3月 26, 2011

晴れときどき阿呆果 春到来

公園の桜が膨らんできた。黙認の露天商のオネエチャンたちが脚立でせっせと雪洞の配線をしていた。雪柳も白い斑点を付け、三本しかないアーモンドの花が満開、沈丁花も香る。少々寒いが春の陽射しが厚着した身体を包んでくれる。
Y紙コラムは伝道師でもあった山村暮鳥の詩『桜』を紹介。さくらだといふ/春だといふ/一寸(ちょっと)、お待ち/どこかに/泣いてる人もあらうに〉。〈ずつと磐城(いわき)平(だいら)の方までゆくんか〉と『雲』の呼びかけを被災した福島県の地名を織り込んでいると引用。A紙も桜がはらむ死を想う心を夏目漱石が早世した友に問うた句〈君帰らず何処(いずこ)の花を見にいたか〉で詠嘆。
M紙は別のコラムで、首都圏のスーパーの棚はガラガラになった。ある小学校教師は「保護者から、子どもを外で遊ばせるなと電話がかかる」と話し、自粛ムードも感じる。不安はある。けれど東京で暮らす私たちは、これまでの生き方を見直しつつも、落ち着いた生活を送らないと。そうしなければ、被災者に申し訳ないと、自省の真情を吐露する。(3月25日記)
 *厚顔の原子力安全委員会がやっと国民向けの発信をした
原発の事故で国の原子力安全委員会は25日に臨時会を開催し「放射性物質の放出が継続すると考えざるを得ず、20~30キロの屋内退避区域のうち線量が高いと考えられる区域に住む住民に対し積極的な自主的避難を促すことが望ましい」との見解をまとめた。さらに「これらの区域以外の屋内退避区域に住む住民も、予防的観点から自主的に避難することが望ましい」とした。また、周辺での緊急時モニタリングの実測データと、大気中の放射性物質の測定値や気象情報などから被ばく線量を試算するシミュレーション結果からみて「現在の防護区域を変更する必要はない」とした。その上で「緊急時モニタリングの結果などを踏まえ防護区域の見直しについて適時検討することが肝要。特に、空間線量率が高い値を示している地域は注意する必要がある」と指摘している。班目春樹委員長は委員会終了後「できる限り(モニタリングで)特異な値が出たときは解説、評価を加えてホームページに掲載する。一般の人が心配していることに応えられるような評価を出したい」と述べた。14時43分M紙夕刊

晴れときどき阿呆果  姿を見せた原子力安全委員長?
 福島第一原発の事故後、23日夜に初めて、報道陣の前に姿を見せた班目春樹・原子力安全委員会委員長は「電源の喪失は深刻で予想を超える早さでトラブルが次々発生、技術陣の対処能力を超えた」と指摘。事故や放射性物質の放出データなどを評価し、わかりやすく伝えるという委員長の役割について、会見を拒否してきた12日間を謝罪したと、今朝のY紙が報じた。
 なんでメディアは国の安全規制の基本方針を決定して関係省庁や東電など事業者を指導する強権を持つ独立機関・原子力安全委員会の代表、原子力工学専門の元東大大学院教授で10年4月から委員長という原発のドンをこの騒動で追い回わさなかったのか摩訶不思議!ではないか。
 昨日、M紙は目立たない2面囲みで「原子力規制行政、見直しを」「福島の事故、個人的に謝罪」と見出し。22日の参院予算委員会で、東日本大震災に伴う福島第1原発の事故について「(耐震設計が)想定を超えたものだった。世界的な見直しがなされなければならない」と指摘し、「今後の原子力安全規制行政を抜本的に見直さなければならない」と述べ、従来の原子力安全規制を大幅に見直す考えを明らかにした。事故については「個人的には謝罪する気持ちはある」と述べた。
 社民党の福島瑞穂党首が、班目氏が07年2月の中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟で、複数の非常用発電機が起動しない可能性を問われ「そのような事態は想定しない」と発言したことを追及したのに対し、班目氏は「割り切らなければ(原発の)設計ができないことは事実。割り切り方が正しくなかったことも、十分反省している」と述べた。大震災発生直後12日未明、首相に「水素が発生する可能性がありますが、大丈夫です」と説明。「(説明で)首相の判断が甘くなったことはないと理解している」と説明したらしい。(3月24日記)

晴れときどき阿呆果  疲れた身にマクロ眼
 連日の震災報道に些か泣き疲れた!人知を超えた大災害、想定外の災厄!
 まことに幸運なことに偶然と偶然が重なり合ったことで、凡夫である私たち人類が「弥陀に見初められ、あるいは神の『恐るべき恋人』として生き延びているのは僥倖としかいいようがない。ちょっと視点を  マクロに置き換えてみる。
 そも、地球は宇宙に漂っていた宇宙塵から46億年前に誕生した小さな星に過ぎない。大きな津波がすぐに届く直径1万3000㌔の地球を1㍍大のボールに置き換えれば、空気ある大気層は1㍉、海の深さは0・5㍉。その真下に数ミリの「プレート」と呼ばれる十数枚の岩板がある。このプレートがドロドロに溶けて熱い対流を起こしているマグマの上に浮かび、その動きに載って移動している。もともと薄皮がマグマに浮かぶ頼りない地球の表層にわずかにひしめき合って、:私たちは住んでいるという。
また、地球史を一年のカレンダーに例えれば、3月に葉緑素を持つ原始バクテリアが発生、9月に酵母菌誕生、十二月三日に両生類が発生、十四日にやっと爬虫類と恐竜が姿を現し、二十日に鳥類が誕生。人類は大晦日の午後十時過ぎにやっと出現したに過ぎない新参者に過ぎない。(3月23日記)

晴れときどき阿呆果  食う!
 昨日、訪問看護に来てくれたナースOさんが話す。「辛くて観ておれない大災害ニュースに明るいことといえばたった一つ、女性がたくましいこと。老女がオニギリをむさぼっているのを見てホッとした」と。
思えば食べれない恐怖にそそのかされ、どれほど思想を放擲したことか。鳥を見よ!飛ぶエネルギーのため四六時中、エサを啄ばんでいる。
 池波正太郎が剣客商売や梅安シリーズを書いた時期(昭和47年)のエッセー「食卓の情景」食い道楽とは死生観に満ちていて薀蓄十分。
*「人間にとって、ただひとつ、はっきりとわかっていることは、/『いつかは死ぬ』/という一事のみである。/あとのことは、いっさいわからない。/人は、死ぬために、/『生れてくる』/のである。/おもえば、恐ろしいことである。/この一事を、昭和の大戦に参加した者は、忘れきることができまい。/私も一週に一度は、考えてみてもはじまらぬ自分の死のことを考える。これは二十代で終戦を迎えてから、ずっとそうだ。/『よく、それで生きていられるねえ』/と、知人が私にいった。/まことにそうだ。
*死ぬことを考えると、だれだって気が滅入るであろう。/しかし、人間というものは実によくできている。/死ぬときのことを考えていた翌朝、あたたかい飯と、熱い味噌汁と、好物の焼海苔を口に入れた瞬間に、/『生きていることの幸福』/を感じるように、できているからだ」
 引き続きビンボウ暮らしの身に一番贅沢だと思う学校通りのベーカリーHの5枚切り食パンの上に、扱い難くなった箸でハムとトマトを載せ、湯通ししたキャベツを食べるときの至福感。まだ生きていていいのか?(3月19日記)