まや-NET

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日曜日, 8月 14, 2011





晴れときどき阿呆果 

けっして安らぐことのないこころ

酷暑が続き、体調もよくない、エクササイズも捗らない
と、ホッとするし詩句をさがしたくなる。手近にあった長田弘「詩は友人を数える方法」の冒頭にウォレス・スティーブンス「われわれの風土の詩」からの1章を引用して「オープン・ロード」の旅立ちを讃える。
けっして安らぐことのないこころが、人にはあるのだ。だから、人は逃げだして、長くずっと
落ち着いているもののところへ戻ろうとするのだ。
不完全さが、われわれのパラダイスだ。
こころせよ。不完全さはとても激しいもの。
その悦びは、苦々しさのうちにしかない。
損なわれた、手に負えない音のうちにしかない。
(8月9日記)

旧盆

今朝はべランダ越しに見える旧集落の墓地が賑やか。うらぼん「盂蘭盆」間近か、丁寧そうな掃除が進む。梵語でullambana 倒懸と訳され、逆さ吊りの苦しみの意とされるが、イランの語系で霊魂の意のurvanとする説もあるという。盂蘭盆経の目連(もくれん)説話に基づき、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、供物を祖先の霊・新仏・無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈る。墓参・霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなぎょう)にまわる。
この暑さのさ中、地獄の業火は想像に難くない。6文で渡った三途の川、途端に奪衣婆バアサン鬼に身ぐるみをはぎ取られる。衣服は木に架けられ、枝が重さで垂れ下がれば悪人、軽いと善人に分けられる。先には七つの法廷が待ち受け、裁きは1週間ごとに延々と続き、エンマ王は第五法廷で睨みをきかす。最後の第七法廷には六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に通じる六つの鳥居があり、行き先は自分の生前に積んだ業で決まる。ちなみに三途は、六道のうち地獄(怒り)、餓鬼(欲望)、畜生(愚かさ)の三悪道の意味もあるという。

子どものころ近所の寺でよく見さされた、地獄の絵図の幻燈が甦るが、それより悪行を積んだ我が身には昨今ブームの啄木がぴったりと思えてきて口に浮かぶ。
自己嫌悪の歌「非凡なる人のごとくにふるまへる/後のさびしさは/何にかたぐへむ」
(8月6日記)

足元見る

弱みを見て、吹っかける「足元を見る」ショウバイが大手を振って罷り通る。以下、東奥日報から。
夏祭りたけなわ、祭りは売り物が少ないのに買いたい人がたくさんいると、高い値段を付けても買ってもらえる。青森ねぶた祭の時期、旅館やホテルの宿泊料金が普段の1.5倍から2倍の「ねぶた値段」に跳ね上がるのもそうか。売り手が強気を押し通す。
 青森市内のあるホテルは、1万500円の1泊朝食付き料金をねぶた期間だけ1万6500円に上げている。別のビジネスホテルは、消費税込み4500円のシングルルームが8月中は1万円だ。それでも迫力満点のねぶたを見たいという観光客がいて、どこも満杯だ。
 料金を2倍にした経営者は言う。「観光客向けの朝食はビジネスマン向けとは違う。新鮮なイカ刺しを出すし、品数も多い」。こうも言っている。「他県の祭り時期の料金を見てください。同じでしょう。トップシーズンとレギュラーシーズンに価格差があるのは当たり前」。
 何千円もする絶品イカ刺しを食べてみたくもなる。理屈はどうあれ、ねぶた頼みは昔から変わらない。困ったことに、どっと押し寄せる見物客を泊める宿が足りず、ねぶたを見終わった客を乗せた大型バスは、夜の高速道を秋田県の宿泊地へ突っ走る。本県に金は落ちない。
 「残るのは、空の弁当とごみとおしっこがたまった簡易トイレ」。ホテル経営者のジョークは笑えない。祭りの稼ぎ時が過ぎると閑古鳥が鳴く。だからねぶた値段で稼ぐ。通年観光でにぎわえば料金も落ち着くのだろうが、掛け声先行は否めない。ねぶた値段は本県観光の底の浅さを物語ると、東奥日報はコラム天地人(8月5日)で地元批判。同感同感の声が全国津々浦々からおこりそうだが?(8月5日記)

三つの恨み

 金の恨み、恋の恨み、食事の恨み。人生には三つの恨みがある。
60数年前に体験したわれわれの飢えの恨みはほぼ根絶され、TVはグルメ番組があふれる。飽食ゆえの生活習慣病やダイエットに悩むという別の恨みが列島を覆っている。
夏が来れば、飢えの体験が甦る。ムスリムの断食月・ラマダンにも想いが至る。それにしてもこの身は「ヒトを食い過ぎたきらいがある」何となれば、小骨の人骨が喉に刺さり、誤嚥や噎せをこのところ繰り返す。(8月4日記)

生き延びる

「毎日が失せ物、毎日が物探し。物探しに明け、物探しに暮れる」。74歳の春のことだ。死ぬ1年前には弾む感じでこう書いている。「『楽しく楽に』を最優先。不快、厄介、後廻(まわ)し。楽々鈍で、どんどん楽」。世界でも希有(けう)な長寿社会を実現する一方で、「老い」をどう迎えるか。気骨の作家、城山三郎が手帳に残していたメモが文庫入り。「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」として新潮文庫が刊行された。
同時にニュースは日本人の平均寿命は去年、女性が86・39歳、男性は79・64歳だった。女性は26年連続で世界一、男性は前年の5位から4位に浮上したと伝える。
長寿国日本のDNAは何だろうか?コメや野菜中心の食生活、医療制度...。いくつもある中で、一つは自らを律し耐え抜く国民性にあるのかもしれないと、自らを慰めておく。(8月3日記)

働かないアリは

 アリはみな働き者だと思っていたが、実際はそうでもないらしい。巣の中にいる働きアリの7割ほどは特に何もしていない「休憩中」で、1か月以上観察を続けると、2割が「ほとんど働かない働きアリ」だったという。進化生物学者の長谷川英祐氏が、著書の「働かないアリに意義がある」(メディアファクトリー新書)で紹介している。働かないアリという「余力」が、巣穴が壊れるなどの緊急時への備えとして、重要なのだそうだ。
働き者を尻目にさぼっている“昼あんどん”のアリも、いざという時には大活躍する。個性の違うアリが役割を分担して、組織全体の繁栄を支えているさまは、人の社会のようでもあると、1日付のY紙編集手帳はいう。
3割分に当たる働き癖の我が身は「いつも何かをセコセコしていないと落ち着かない」ビンボウ症が悲しいかな治らない!(8月2日記)

はや晩夏到来!

季語では早や晩夏が到来。セミ鳴き、じっとしてても汗が滴り落ちる。身体も思うように動かない。
葉月とはよくいったもんだ。公園のサクラは葉を生命力一杯謳歌して、芽を養生中らしい。(8月1日記)

アサヒビール大山崎山荘美術館への返書

返事をくれたアサヒビール大山崎山荘美術館館長Nさんへ次の返書を出した。

ユニバーサル・ミュージアムを目指して
障碍者に現状情報も

酷暑でご多忙の中、私どもの勝手な意見具申に対して、わざわざご丁寧な返信を頂戴して誠に有難うございます。
現在、貴美術館でバリアフリー工事が進められているとお聴きして、嬉しい限りです。ユニバーサル・ミュージアム完成時には、是非ゆったり鑑賞できることを念じています。先週末には改正障害者基本法も成立しましたが、私どもがお伝えしたかったのは、まだまだバリアフリー化社会は途上段階。
貴美術館が障碍者鑑賞にロケーション上不便であることの表示や「改良工事中」であることの情報をもっと事前に知りえたならばと、心残りでした。アサヒグループ美術館のことだからと、私どもが安心していたのが手落ちです。
情報の点からいえば、貴ホームページを拝見して、大変素晴しいと感じました。山本コレクションをはじめモネ、ムーア、ジャコメッティ、イサム・ノグチの作品紹介にも「原画・現物を観たい要望」が大いに喚起され、庭園案内とともにバーチャル体験でき、私のような障碍ある身にもありがたく拝見できます。
しかしながら、貴HPには障碍者用のガイドページが無く、現在着手されているバリアフリー工事についての情報もまだ公開されておらず、とても残念です。ご覧になられたことと思いますが、京都国立近代美術館や京都市美術館のHPにはバリアフリー情報の項目があります。
現在、進められている工事が完成時に更新されると思いますが、私たち障碍者にとっては工事中である事実も知りたい情報の一つです。
たまたま観たホイットニー美術館のホームページには①車椅子②視覚障碍③手話用④聴覚障碍用ガイドがそれぞれあり、車椅子なら74番街と75番街のマディソン・アベニュー945のメーンエントランスでエレベーターが使えること。また、利用可能なバスの番号、降車場所、美術館へのアプローチ法などが掲載されています。

美術鑑賞は「作品に心を寄せる」ことだと私は思っています。美術館がビジターにマニュアルどおり応対をされることは致し方ないことです。社会の目線を障碍者に合わせることは難しい問題ですが、私どもが「ビジターに対しての美術館のやさしさ」の目を感じたら、引き返すことはなかったように思えてなりません。
話はそれますが、先月中旬、私は友人たちと奈良へ所要で立ち向き、時間があったので西の京・唐招提寺へ参観に立ち寄りました。突然の訪問にも、駐車場で車椅子姿を目ざとく見つけたお寺の関係者がすばやく私たちを先導、車椅子が通行できる通用口に案内し、入場の手伝いされました。さらに、心打たれたことは境内一面に敷き詰められたバラスの中央部分に、車椅子通行に支障ないようバラスが避けられたルートが、南大門から金堂まで確保されていたことです。私たちには鑑真和上の遺志の遭遇したかに思えて、このことだけで十分感激の記憶が残りました。

余分なことまで言及してご免なさい。
豊かなコレクションあふれる貴美術館が、障碍を持つ人々にも広く、たやすく鑑賞できるユニバーサル・ミュージアムを一日も早く実現されることを願ってやみません。

さらなるご発展を心からお祈りしております。(7月31日記) 

天人の五衰

 老衰とはよくいわれるが、はるか天上界にもやっぱり「老衰」があるという。
手持ちの岩波「佛教辞典」によれば、天界の住人が死ぬとき5種の衰弱相が現れると出ている。往生要集の六波羅蜜経3の所説で①頭上の花鬘(はなかつら)忽ちに萎み②天衣が塵垢に著(けが)され③腋の下より汗出で④両の目しばしば*目偏に旬(くるめ)き⑤本居(ほんご)楽しまず(天界の生活を嘆く)という。
ああ、そろそろ我が身にもと、振りさけみればでゾクリ!
正法念処経23では「この五衰時の苦悩に比べれば、地獄の受苦もその16分の1にも満たないという」
「かの*(りっしん偏に刀)こう利天の如きは、快楽極まりなしといへども、命終に臨む時は五衰の相現れず」と往生要集の大文第1に、また、「およそ人間の八苦、天上の五衰、今にはじめぬ事にて候へども」と、曽我物語の巻12の「虎にであひ」で出てくるらしい。(7月30日記)

事前の挨拶状(高知新聞コラムから)

今朝の高知新聞コラム「小社会」は、自分の死去のあいさつ状を生前に用意することを提案する津城寛文・筑波大大学院教授のことが、同紙28日付朝刊に掲載され「遺言状とは違う体裁で、自分の思いを文書、録音、録画などの形で残しておけば、家族、友人らは故人をしのぶよすがにすることができる」とお勧め。
「私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません」「映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった」と、4月下旬に亡くなった田中好子さんの告別式の生前録音メッセージを援用、「必ず天国でお役に立ちたい」と、命の灯が尽きる前の弱々しい声音で大震災被災者を気遣っての言葉に人柄が滲み出ていたと、追想した。このあいさつ状はいわば死の事前準備。
同じ手法をとうの昔に新聞発行で実践した人がいると、香川県出身の宮武外骨の反骨精神を紹介。明治後期、「大阪滑稽新聞」の創刊号に何と「本誌廃刊の辞」を掲載した。あらかじめ示した廃刊理由は二つ。一つは「一人の読者もない場合」で、もう一つは「悪政府の爪牙にかかって発行禁止の圧迫を受けた場合」。後者には政府の言論弾圧に抗議、牽制する。大事の前に発する言葉には魂を絞り出すような響きがあると結んでいる。(7月29日記)

よく寝てられるなあ、と

K社のSさんから近況メールを頂戴して、睡眠不足を託っておられるとか。よく眠れないので「余計に眠ることに不安感が増す」と伝わってきた。
暑さも本格的で、ヤツガレはのほほんと実にイージーに眠る。カタストロフィーCATASTROPHEが近いというのに、昼飯を食べたら数分で睡魔が襲ってきて、姿勢が保持できない!
ルース・ベネディクトは著書「菊と刀」の中で、日本人はどんな姿勢でも、どんな環境においても楽々とよく眠ると驚嘆している。睡眠は「日本人の最も完成された技能の一つ」とまで持ち上げている。
『よく寝てられるなあ』と感心されるが、寝てナアしゃあないんヤンケ!(7月28日記)

長寿遺伝子?

日本はトップクラスの長寿国と NHKニュースで伝える。去年の日本人平均寿命は、女86.39歳、男79.64歳で、女性は26年連続で世界一「金メダルや!」。男性も香港、スイスなどに次いで世界4位と、日本は世界でトップクラス の長寿国。ヒトの細胞には長寿遺伝子(サーチュイン遺伝子)というものが存在しているが、普段は眠り込んでいて役目を果たさない。しかし、うまく目覚めさせると、平均寿命を100歳に延ばすのも夢でないという。カロリー制限で「飢餓」を演出すれば目を覚ますらしい。「必要量」の80%とか75%とかにカロリーを減らすと、数週間で長寿遺伝子が活性化し、老化物質の掃除を始めるらしい。
 NHK放送の「あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿遺伝子~」はざっと、そんな内容で大反響だったらしい。話のポイントは、人間のような高等動物も「飢餓」という生存を脅かす危機に立ち至ると、危機回避メカニズムがムクムクと立ち上がってくるということ。「火事場のばか力」など、これにちょっと似ている。眠っている原始生存本能が、危機に際して一気に噴出する。
 まだ長生きか?そんな声が天国から聴こえる。70歳はもう十分長生きだ!(7月27日記)