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火曜日, 7月 05, 2011

晴れときどき阿呆果 モノの言いかた

復興担当大臣辞職の速報。
「知恵を出さぬやつは助けない」「コンセンサス得ろよ」「我々は何もしないぞ」「ちゃんとやれ」と地元知事相手の発言の数々。客を待たせるとは非礼だ。そんなことをすればどうなるか、知ってるだろう。おおむね、そんな趣旨の言葉をテレビのマイクは拾っていた。ことの是非はともかくモノの言い方には埒外だ。
日曜朝のTVでM紙Kが復興相就任について「あの人は特殊な人脈を持っているから」と推挙理由を口ごもりながら言ったのでハハーン!と氷解した。今朝のM紙も伝えたが、この不遜な態度のオトド(大臣)は、かの部落解放運動の雄・松本治一郎の孫だそうだ。きっと成長過程で、ちやほやと恐持(こわも)てが、入り組んだに違いない。
TVカメラが入ってのかかる「上からのモノの言い」かたに、大方の反発を想定済みか。今朝のテレ朝でも地元関係者の評判いい声は伝えたが、バックグラウンドには触れずじまい。メディアは今もってタブーに触れたがらない、根性なし!と観た。自分の発言が気になったのか、こうも言い放った。「これはオフレコ。守らない社(新聞やテレビ)はおわり」に、反論もないなんて!(7月5日記)

9億8200万円、8億8200万円、8億2300万円

東京商工リサーチが発表した役員報酬のベスト3で、順に日産のカルロス・ゴーン社長、ソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長、大東建託の多田勝美前会長。11年3月期決算の上場企業で1億円以上の報酬をもらった役員は294人。前期より5人多い。企業に利益をもたらした人には報酬を―というのは自由経済では当然で、世界には報酬数十億円という役員も少なくない。
富の階段をダッシュして駆け上がって視界を遮るカネモチやエスカレーターに乗ってゆっくり蓄財できるエリート天国からは視えない「ビンボウ」世界も止まることを知らない。この3月で生活保護受給者は全国で202万人を超え、戦後の混乱期の水準。所得の低い沖縄の県民所得は203万円余(08年度)。50年も働き続けてようやく1億円を超す。トホホ!(7月4日記)

アガパンサス(ユリ科)

 このところエクササイズに出た戸外でよく見かける、草丈は70から90㌢くらいのハマユウに似た紫の花の名前が分からない。花が放射状について全体が球形、よく見ると白い花も混じっている。たまたま見たNHKのラジオHPで「アガパンサス」と出ていた。南アフリカ原産で和名は紫君子蘭。戸外でも越冬して6、7月の梅雨時期から明けくらいに花を咲かせる。花の名前は「三つだけ覚える」のが忘れない秘訣だとプロに聴いた。
学名Agapanthus africanus

彼岸へ渡河するには

頼んでいた葬祭会場チェーンから、会員証と案内パンフレットが届いた。磁気用の立派な会員証だけに「何回も使えばポイントをつけてくれるのか?」と冗談を家人にいいながら、目を通す。宗教は?宗派は?祭壇は白木か生花か?死亡を知らせる範囲は?香典をどうするか?式典には何を望むか?式後の法要や墓地のことなど、パンフレットには微に入り記入欄があって、あらかじめ記入して会場と打ち合わせ自分は副本を所持することと、ガイドがある。
まあいつかは書いておかなくちゃっと眺めながら、「遺影は何を指定しておくか?」の項目に至って、あれこれ夢想広がり、少々怯む。当分、あの写真この写真と、望外のことに悩みそうだ。
醒めたところで、パンフには07年日本消費者協会調べの葬儀費用は1,423、000円+飲食接待費用401,000円+寺院費用549、000円だと明記がある。09年当社平均は葬儀費用1,109、968円+飲食接待208,873円だと記載。つまり、二百万円くらいは葬儀のために残しておかないと彼岸へ渡れないぞ、と釘を打たれた。(7月2日記)

サマータイム
 
6月30日は俗に「ハーフタイム・デー」と言うそうだ。早くも一年の半分。うるう年ではないから正確には7月2日が折り返しだが。
大震災に原発事故が加わり、節電が喧しい。去年の「暑い」は車椅子の身にも大いに堪え、シエスタの1,2時間にクーラーのご厄介になった。幸い、このアパートの4階は南北向けに建てられて思いのほか、風がよく通り。
節電対応では企業で勤務時間を早める「サマータイム」導入も広がっている。「だらだら残業せずさっさと飲みに行こう」と呼び掛けるビール会社もある。万事横並びが好きな国情、早晩、右へ倣え増えるだろう。
標準時だけしか頭にない「大都会」中心主義に今日の琉球新報はコラムで「東京と実質約1時間の時差がある沖縄ではサマータイムにはもともと慎重論が多く、そもそも今回の電力不足とも直接関係はない」といい、「だが原発事故の余波は人の働き方や価値観までも問う広がりを見せている。沖縄も省エネや時の過ごし方、夜型社会の在り方などを見詰め直す好機では」と懐かしい沖縄の夕食後の夜社会を自戒している。(7月1日記)

風 六月ノ緑ヲ吹キ 哀シミヲ流ス

 6月30日、早くも一年の半分。ことしは前半に起きた大災害と大事故が心に重くのし掛かって、ハーフタイムを挟んで頭を切り替えようという気にはとてもなれない。自身の症状が進み、運動機能や体力は確実に劣化。もはや日課のエクササイズは限界だと思い知る。洗面やトイレで危ないシーンも続出、歩行器代わりに使っていた車椅子も乗ったまま一日を過ごす。季節は着実に移り変わる。
中井英夫の詩「六月の遺書」には、こんな一節がある。<風 六月ノ緑ヲ吹キ/風 六月ノ哀シミヲ流ス>。水無月(みなづき)の風よ、憂愁を連れ去っておくれ。
幻想世界を書いた中井は(1922~93年)は、花や庭を題材にした作品を多く残している。「幻想庭園」と題する短文では<私にはこの地上のどこかに、この世ならぬ神秘な花の咲き乱れている庭があるという確信が棲みついている>とも。
去年、公園のむせ返る草花を描いたころ、詩人夫婦のYさんの夫人T・Hさんが逝き、弔意にこの絵を送ったところ、まるで「向うの風景」だとパネル仕立てにして『偲ぶ会』の会場に飾られた。(6月30日記)

ケッタイな?

 シジン・ヘンジン山之口貘(1903~1963)を茨木のり子が〈ひょうひょうとして、あたたかく、どこか間がぬけていて、親しみやすい人柄だったからでしょう〉と評している。(『貘さんがゆく』)
貧乏を苦にするふうもなく詩をつくり続け、平易な語り口に導かれて作品を読み進めると、身を削るようにして生み出されたに違いない表現、深い洞察に出あう。
琉球にある「うむまあ木」という木が出てくる「世はさまざま」。
〈木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ/いつも墓場に立つてゐて/そこに来ては泣きくづれる/かなしい声や涙で育つといふ/うむまあ木という風変りな木もある〉
尊大でなく、群れることを好まなかった詩人が70年前の1940年に発表したこの詩に、戦争と、「ケッタイな」を認めない時代に対する鋭い批判を感じる。(6月29日記)

米子駅がバリアフリー化

07年の盛夏だから4年前、米子市美術館で開催の特別展「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を日帰りドライブで娘夫婦が連れてくれた。汗拭きながら米子市役所の駐車場から車椅子を押してもらって、会場の美術館に行った記憶がよみがえる。
ことほど、地方のバリアフリー化は遅れていて、行くたびに地方自治体にクレームを入れておくのが習慣になった。畏友OZさんお勧めのバリアフリーライターを僭称してのクレームに、むろん「ごめんなさい、検討中です」回答をもらうのが関の山。
今朝の共同配信網のチェックで、日本海新聞コラムが米子駅がバリアフリー化したとうれしい報道を目にした。
海潮音 6月25日付け
 米子は鉄道で栄えた町、駅舎は立派だが、ホームにエレベーターやエスカレーターがないし、トイレも不便だなと、かねがね思っていた。それがこの春からバリアフリー化され、随分と便利になっている。不覚にも県外からの客に「駅がよくなりましたね」と教えられた◆米子駅のバリアフリー化は長年の懸案だった。三つのプラットホームをつなぐ陸橋とそれぞれのホームにエレベーターや上り専用のエスカレーターが新設され、面目を一新した。あらためて利用してみると乗り降りが楽。お年寄りや身障者にとっては、もっと助かるだろう◆ホームの中には身障者用の多機能トイレも設けられている。ところが、このトイレには温水洗浄の機能が付いておらず、ある会合で身障者の団体から「何とかしてほしい」という切実な声が出された◆しかし、「公費では難しい」という。そこで、米子市老人クラブ連合会などが1口500円の募金を呼び掛けている。早速、同僚にも声をかけ、協力した。市民の善意を集め、「真心トイレ」をぜひ実現させたい◆駅といえばその町の顔。旅で降り立った駅が人にやさしく、さわやかであればその町が好きになり、いい思い出につながる。米子駅は「山陰の玄関」である。(6月26日記)

ゴーマンな人?

その男がどれほどゴーマンだったかというと、他人の絵具を勝手に使い、「絵具も下手なやつに使われるより嬉しかろう」とうそぶく。お辞儀は頭を下げずにそっくりかえり、美術界のアレキサンダー大王になるのだと鼻息荒し。
もう皆目いなくなったオレ様男だった『海の幸』青木繁展が京都国立近代美術館で開催中、でも、とても観に行けないだろうな。
28年8カ月の生涯で重要文化財2点!漱石にも認められた絶頂期は束の間、最後の3年は貧乏と病を抱え、九州放浪の日々。「絵か、それ以外か」という選択肢しか持たず、いつも迷うことなく「絵」を選んだ青木。「それ以外」には、自身の命も含まれていたのではないか…。「評価されたい。認められたい。青木はどれほど焦り、もがいたろう」
このあたりが人をゴーマンにさせる分かれ目か?才能っていったいなんだろう。だれしもが一度は考えたことがあるだろうこの問題を若いころ、ずいぶんと考えた。が、次第にどうでもよくなって、考えなくなった。どうでもよくなったというのは、才能があろうとなかろうと、今できることをやるしかないと思ったからである。そして車椅子に乗っておめおめ生き延びている。
あの笛吹き童子の尺八奏者・福田蘭童が青木の息子、クレイジーキャッツの石橋エータローは孫だと、関係者は知っている。(6月25日記)