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木曜日, 6月 09, 2011

晴れときどき阿呆果 アホな監督辞めさすレベル?

 各紙のコラム、今日は内閣不信任案に?だ。アホかいな、プロ野球の何処かの球団みたいに点が取れないからアホな監督辞めさせてんか!レベル。
M紙コラム発信箱で『自民党の悪い癖が出始めた。権力欠乏症である。長期間の権力不在に耐えられず、目の前に権力がちらついてくると、条件反射的に体が動いてしまう「懲りない面々」だと』論説室・倉重篤郎がバッサリ切る。
 A紙天声人語は▼菅おろしの勢力は「震災で政権延命を図るな」と批判するけれど、国難の政治利用ならお互い様だ。「被災者のため」と言い張る野党に、民主党の「党内野党」が呼応する。これが政策にかこつけた政局でなくて何だろう▼領土問題などでの「甘さ」に我慢ならない保守論壇も、震災対応の不手際をここぞと攻め立てる。曰(いわ)く、この首相では国が滅ぶ。では空前の大災害を、誰がいかに収めるというのか▼経済学者の浜矩子さんが、「絶句につぐ絶句……仕事しろ」と政治状況を嘆いておられた。
 N紙春秋は▼人馬一体を称して「鞍(あん)上(じょう)人無く鞍下馬無し」という。国民と菅政権の間にそんな境地は望むべくもない。それは分かる。しかし、震災後の国づくりという激流を一刻も早く渡っていく新しい馬はどこにいるのか。素人には代わる馬の影すら見えないが、奥にはとっておきの駿馬(しゅんめ)が隠れているとでもいうのだろうか。
 珈琲ブレークに採決中継のTV観ていたら、オザワは例によって欠席戦術。共産・社民党の欠席戦術の言い訳が一番真っ当に聴こえるに聴こえるから不思議。案の定、BBCもNYTも否決を速報。(6月02日)

晴れときどき阿呆果 メルトダウンした権力亡者

 ジミン、コーメーなど野党3党は1日夕、KANに対する内閣不信任決議案を衆院に提出。情けないことに政治はほとんど機能不全、メルトダウン状態にある。
 不可解なのは第1に閣不信任の理由がまったく情緒的。不信任理由について決議案は(1)東日本大震災の対応で初動の遅れと曖昧で場当たり的な指揮命令(2)震災よりも内閣の延命を優先する無責任、などを挙げた。
トッチャン坊やタニガキは震災・原発事故への対応の手際悪さを論うばかりで、「KANは信を失っている」「復興はあなたではできない」と言葉だけが。被災者の救援や被災地の復興をどうするのか、前向きな議論がほとんどない。これでは被災者は「いい加減にしろ」と言いたくなるし、犠牲者は浮かばれない。
 第2に、長年「国策」と称して、「安全神話」と電源三法交付金をばらまいて原発を推進してきたのはジミントウ。自らの責任は頬被りしたままで他党を追及する資格はない。
 第3に、内閣不信任に後継内閣構想が何も示されない。タニガキは「あなたが辞めれば党派を超えて新しい日本のために団結していく道はいくらだってできる」というが、どんな政党の組み合わせによる政権ができて、だれが首相になるのか、国民にはわけがわからない。
 内側から揺さぶるオザワの言動はもっと理解に苦しむし、参院議長がKAN退陣を迫るのも奇っ怪な風景だ。ヤクザ顔負けのチンピラ風・議長が国会が指名した総理大臣に「辞めろ」は、マスコミ受けを狙った政治家根性はみすぼらし過ぎる。
 この際、はっきり知りたいのは
1つは、東電原発事故の賠償限度の問題。最終的に電気料金値上げの形で国民に転嫁される可能性があるし、東電免責な事態になりかねない。どんな議論になってゆくのか、見守る必要がある。
 もう1つは、原発の今後。KANは中部電力に東南海地震で事故の恐れがある浜岡原発の運転停止を要請、中電はこれを受け入れ、中長期対策が実行されるまで、運転を全面停止することを決めた。各方面?は全国の原発に波及しはしないかとの懸念がある。
 この2点、混乱に目を奪われて見逃すわけにはいかない。(6月01日)

晴れときどき阿呆果 表現し続けることは

 M紙「ニュース争論―大震災を詠む」で詩人・和合亮一と俳人の長谷川櫂が対談。和合はツイッターで長編詩「詩の礫(つぶて)」を発表。叫びのような詩句の閲覧者は1万4000人を超えた。長谷川櫂さんは「震災歌集」(中央公論新社)を刊行。文明全体を俳人が31文字で問いかける。圧倒的な現実を前に、詩歌にできることとは――夜、泣きながらつぶやく――と和合。政治や経済も想像力を――と長谷川が対談するが、はてっ。オイラも夜毎泣こうか?(5月31日)

晴れときどき阿呆果 免責?

 M紙山田孝夫が今日のコラム「風知草」で原発免責問題を取り上げいち早く警鐘を鳴らす。長いがその薀蓄を!
 米クリントン政権の国防副長官だったハムレが、東電に無限責任を負わせれば日本の原子力産業全体が倒れるから、アメリカのプライス・アンダーソン法を参考に免責したらどうだと言っているとの発言。N紙12日朝刊で明らかになった)。
 国の電気事業審議会委員を長く務めた経済学者の伊東光晴京都大名誉教授(83)が、チェルノブイリ原発事故の直後、岩波の「世界」(86年7月号)に寄せた原発批判の文章にこんな一節がある。
 「資本主義は節倹の美徳の上に、その若き時代の理念を作った。それはミレーの『晩鐘』のように、敬虔(けいけん)な安らぎの心を伝えてくれるものであった。原子力発電の精神は、敬虔な安らぎとは逆に、(中略)廃棄物その他についての将来的不安定性を不安定技術の中に秘め、明日よりも今日の1キロ(ワット)の電力を求めているのである……」
 ハムレ案に共感するかしないかの分かれ道は、「原発の欠陥を人類の英知が克服する」という物語を信じられるかどうかという点にある。原発依存の無限成長という未来図をのみ込めるかのみ込めないか、その判断の違いともいえる。
 私は信じないし、のみ込めない。使用済み核燃料の処分技術は未完成にして不安定だ。英知で克服というが、人類はすでに排出した放射性廃棄物の制御に困りぬいている。
 そこから出る放射線は生物のDNAを傷つけ、子々孫々に至るまで害毒をもたらす。そういう廃棄物を大量に抱え、天変地異の恐怖にさらされている現状に居直るのか、そこから脱出するのか。DNAがどうなろうと賠償金はたんまり出ますという繁栄でいいか。そんな日本、そんな世界にしてしまっていいのかという問題だ。(
5月30日)

晴れときどき阿呆果 雨だ、兼好法師を 

 雨が徒然を呼び、「あやしゅうこそものぐるほしけれ」と、今日も兼好法師を読む。(5月29日)