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土曜日, 5月 07, 2011

晴れときどき阿呆果 足手まといに抗議、官邸へメール

 昨日朝刊を観てショックを受け、次のメールを総理官邸に送信した。
『日夜を問わぬ皆さんの奮闘に敬意を表します。大震災復興は先ず着手することが大切。走りだす前にとかく言うことが、どれほど実行意欲を削ぐかは幼い子どもに聞いても明白です。そのことをわきまえて、原発事故避難問題で一言申し上げます。今朝の朝刊を広げて驚嘆しました。福島第1原発「一時帰宅 足の不自由な母娘、参加困難」とあります。立ち入りが規制されている警戒区域への一時帰宅で、福島県南相馬市の足の不自由な母娘の参加が困難な状況に対し、国は「移動に支援を必要とする者は対象としない」との見解を示したとあります。そんはずがない!と私は思いますが、実際にはどうなんでしょうか?
 私自身も車椅子暮らし、阪神大震災も体験して「移動弱者」に対する社会の理解もようやく進んできたと思っている今日このごろですが、今朝、報道されたような冷酷な「国の見解」が事実でないと願っています、ご返答頂戴できれば安心です。』(5月05日)

晴れときどき阿呆果 真犯人はアルカイダか?

 Y紙=ウサマ・ビンラーディン、A紙=オサマ・ビンラディン、N紙=ウサマ・ビンラディン、M紙=ウサマ・ビンラディンと英語表記のOsama Bin Ladenを珍しくまちまち表記。厄介者扱いが分かる。殺害されたビンラディンの遺体が死後24時間以内に土葬のイスラム教慣習に反し、水葬されたというニュースに?臆測が飛ぶ。殺害を巡り「何らかの作為」を疑う声も強まりそう。米政府高官は「引き取り手がいないからだ」とAP通信に説明したという。
 ビンラディンはサウジアラビア出身、同国国籍はすでに剥奪、遺族も絶縁している。引き取り先がテロの対象になる可能性もあり、悪名高い人物の遺体の引き取り手を探すのは困難。また、埋葬地がイスラム過激派の「聖地」になるとの指摘もある。だが、米政府が「最重要容疑者」として行方を追っていた人物の遺体を殺害直後に水葬し、場所も明らかにしないのは、極めて異例な措置だ。米政府は「複数の方法で本人確認をした」と説明しているが、遺体がなければ検証もできない。*5日付、BBCも「No release of Bin Laden photos」と伝える。
 コーラン(クルアーン)ではどんなに偉い人物でも、アッラー神の下(もと)、人は平等であり、死ぬとそのおぼしめしに従い大地に還っていく、という。また、2章牝牛186節で。「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために堂々とこれを迎え撃て」と命令している。但し、「こちらから不義を仕掛けてはならぬぞ」ともある。同188節、189節に「しかし、向こうが止めたら(汝らも手を引け)とある。
N紙「私の履歴書」(4月)のブッシュ前大統領は「大量破壊兵器に関するCIAの間違った情報でイラク攻撃をしたことを悔やんでいる」と吐露。
「9・11テロ」の真相解明を期待する08年1月11日、変則的な衆議院再議決により、新テロ対策特別措置法が成立。これにより、インド洋における海上自衛隊の給油活動は2月中旬に再開。前日10日の「参議院外交防衛委員会」における攻防について、週刊文春(1月24日号)は、「国会は『珍獣の舘』」というワイド記事で「『9・11』陰謀説をブチあげたF議員(民主党・藤田幸久)に『あの人ダイジョウブ?』」という記事を掲載、ヘンジン扱い。
 「(普段は)ごくまっとうなF議員が『トンデモ話』に乗っかって、「9・11の同時多発テロは本当にアル・カイーダの仕業だったのか?」と質問、問われたフクダ総理やしたり顔のマチムラ官房長官が不快感を示した、由。「そもそもの原点である「9・11テロ」の検証が、アメリカ政府からの間接情報に全面的に依存していていいのか?と疑問をメディアすら皆無だったなあ!「事実は何か?」という視点で改めて検証をすべきだと考えるが、、。(5月04日)

晴れときどき阿呆果 ベトコンのトンネルで

アルカイダの首魁ビンラディンが潜伏中のイスラマバード近郊で米特殊部隊(SEAL)に急襲され丸腰で殺害された。OBAMAが「Good day for America,」で「The world is safer」だと高らかにスピーチするBBC速報を観た。01年、9月11日、アルカイダは同時テロを敢行、NYで貿易センタービルが灰燼に帰してから10年で、米国は宿敵のリーダーを抹殺したという。
世界中はアルカイダ騒ぎで持ちきり。海外旅行厳戒の中、02年正月休暇に、私は家人とホーチミンに旅行。メコンデルタのベトコンのトンネルや米大使館跡など抗米戦争遺跡を見学した。東洋人向けに細く狭い案外清潔なべトコン・トンネルの中で、案内のベトナム人ドライバーに「もし、ここにビンラーディンが潜伏いたら?」と訊いたら、「悪い冗談は止めてください」と釘を射された。アメ帝もはるかになったと、速報を観ながら思い出した。(5月03日)

晴れときどき阿呆果 チャレンジド・村木&浅野

 昨夜観たNHK・ETV『二人のチャレンジド―浅野史郎と村木厚子』に考えさせられた。
2年前に発症した成人T細胞白血病(ATL)と闘病中の前宮城県知事で慶應大学教授の浅野史郎。去年、郵便不正事件で無罪が確定、職場復帰し現在、内閣府政策統括官を務める村木厚子。二人はそれぞれ厚生省、労働省に入省し、障がい者問題をライフワークとしてきた旧知の仲。くしくも2年前の6月、浅野が入院した直後、村木は無実の罪で逮捕された。障がい者の就労支援に尽力してきた村木の誠実な仕事ぶりを知る浅野は、当初から無罪を信じ、病床から支援のエールを送り続けた。
二人が共通に唱える障碍者を示す「チャレンジド」は、障碍者を単なる弱者ではなく“神から試練を与えられた者”ととらえる考え方。行政側から「チャレンジド」を応援する立場だった二人は、5カ月に及ぶ無実の拘置所生活や、死と隣あわせの闘病生活を、自らに与えられた「チャレンジ」としてとらえ、苦しい時期を乗り越えた。番組は2年ぶりに二人が再会する場に立ち会い、思いあふれる二人の対談を収録。二人はいかに試練を乗り越えたのか?互いに現在の心境を存分に語り尽くす。
村木は拘束されたときメディアの検察一辺倒の報道に疑問を呈し、被疑者側の取材がされない経過をもらす。病床の浅野は無罪署名にコメント『あきらめるな、正義は勝つ』を寄せ協力。収監担当女子職員が「これからですよ、泣いてなんかしていてはダメ!」の言葉にあらためて腹をくくり直したという。130冊あまりの差し入れ書籍に感激。(うち絵本とミステリーを紹介)先の収監時のエピソードを挙げ、「何よりも人間性」を訴え、今後は、役所が市民・国民から信頼されることを望むという。
二人が逆境で矜持を保てたのは「リッチで恵まれたエリート[上級公務員]だったことをいい忘れてはいけないと思う?(5月02日)

晴れときどき阿呆果 メーデー懐古

 M紙コラム「余録」のみがメーデーを取り上げた。
日本のメーデーが11年ぶりに復活したのは敗戦翌年の1946年、5月1日だ。毎日新聞大阪本社にいた記者・藤田信勝は冷めた目で見つめていた。藤田の日記をまとめた「敗戦以後」(リーダーズノート新書)によれば、この5月1日はこうある。「ほんとうに盛り上がった熱情ではなくて動員されたメーデーの感が深い」▲きっと少数派だったろう。「このごろはうっかり社内でも、ものもいえぬ時代になった。進歩的と自認する人々が、威圧的、暴力的な態度で、自分に反対するものはすべて、『反動』の一語で片づける傾向が最近強い」と書いている▲70年代を境に左翼・労働運動は退潮し、その後の東西冷戦終結でイデオロギー対立の時代は終わったといわれた。ところが似た構図は残っていたのだ。原子力研究者らの間の原発推進派と反対派の対立だ▲多数を占める推進派が「反対派は左翼的」といったレッテルを貼り、危険性を訴える主張に耳を傾けてこなかったと今、しきりと指摘される。少数意見をもう少し聞き入れていたら地震や津波の「想定」は変わっていたかもしれない。悔やむ人も多かろう▲原発に限らない。賛成か反対か、敵か味方か。単純に色分けして他者を排するような社会から今度こそ脱皮したい。65年前の藤田の日記は「理性が支配するのが民主主義的なあり方」と続いている。
はじめてメーデーに参加して昂揚したのは昨日のようだが、動員手当てをもらったのは意外で面食らった。複雑化した現代社会にあって、原則を遵守する側を原理派と非難するのは易しいし、積極的消極派を「ダラ幹」と切り捨てるのも容易い。民主主義はそうは簡単に進まない!(5月01日)

晴れときどき阿呆果 ガラパゴスか、第二の敗戦か

 知日派で知られる英人ジャーナリスト、ビル・エモットは大震災直後、イタリアの新聞コラムで、世界への関心を失い、国内に引きこもってしまう危険性がある日本が、ますますガラパゴス化しないか、と心配してくれていた、とM紙論説室・福本容子はコラム「発信箱:ニッポンの危機」でミンシュトウの内紛を嘆く。
魚住昭のWEBマガジン29日号で、四茂野 修は連載中の「ホロウェイ論13労働組合は中間団体たりうるか?」で、原発翼賛体制を憂い『日本の第二の敗戦』だと、日本の労働組合の現状を論評している。もうとっくにメーデーは過去のものになったのに!
 今も継続する福島第一原発の事故は、日本の第二の敗戦かもしれません。小中学校で使われていた原発関連の副読本が訂正されると報じられました。そこには「大きな地震や津波にも耐えられるように設計されている」(中学校向け)とか、「地震が起きたとしても、放射性物質がもれないよう、がんじょうに作り、守られています」(小学校向け)と書いてあったそうです。敗戦のとき、作家の三浦綾子が体験した、教科書に墨を塗らせるのと同じことが繰り返されようとしています。
 といい、三浦綾子の言葉を引用する。
「まず修身の本を出させ、何頁の何行目から何行目まで消すようにと、わたしは指示した。生徒たちは素直に、いわれたとおり筆に墨を含ませてぬり消していく。誰も何もいわない。なぜこんなことをするとのかとは、誰も問わない。/…教科書は汚してはならない。大事に扱わねばならないと教えてきた。その教科書に墨を塗らせる。わたしは、墨を塗る生徒たちの姿を見ながら、かつて、日本の教師たちの中に、このような作業を生徒にさせた者がいたであろうかと思った。昨日まで、しっかりと教えてきた教科書の中に、教えてはならぬことがあった。生徒の目に触れさせてはならぬ箇所があった。教師にとって、これほどの屈辱があろうか。」(『石ころのうた』)
ガラパゴスも第二の敗戦も肯定するが、だからどうした!
こちらBRB(ビンボウ・ロウラン=老懶・ビョウキ)ながら今日も生きるぞ。(4月30日)

晴れときどき阿呆果 作用反作用

 サクラは花びらが丸いうえ花びらに反りがあるため、ひらひらとゆっくり舞い落ちる。高速度撮影映像を撮りTVで実証していた。しかし、落ちて行くのは地球の引力のせい。時たま筆や絵具を床に落とすのも同じ、地上にあるものは、すべて地球の中心に向かって引き寄せられる。
しかし、BEDに座っている私が落ちないのは、地球が私を下向きに引っ張っている力とまったく同じ大きさの力が上向きに働いていて、帳消しになっているからという。壁を押せば押し返されるという物理学でいう「作用・反作用」の法則である。宇宙全体は、反対の性質がせめぎあう中で、バランスがとれているものだけが存在するようにできているからだと、宇宙物理学者S博士は言う。らしこのところ伝い歩きで両腕に負担がかかり倦怠感が増すのは?と考えてしまう。
(4月29日)

晴れときどき阿呆果 露出されない制作

 今日配信のDESIGN WEEKLYで、妻の遺した秘密の絵「関谷富貴 の世界」が栃木県立美術館で6月19日まで開催中の報。同館のHPを覗いてみたら、ヴァーチャル観覧できて興味津々! 忘れ去られていた、いや、そもそも美術界に登場することなかった画家の画業が初めて紹介されたという。
富貴(1903-1969)はこれまでその存在を全く知られてこなかった画家で1950年代に制作された抽象作品は、鮮烈な色彩とイメージが画家の内面からあふれ出してくるような力に満ちている。
栃木県北部の伊王野村(現在の那須町伊王野)に生まれで若くして両親と死別、20歳の時には兄も亡くし、その後、画家の関谷陽と結婚。晩年まで世田谷区暮らし。アトリエでは、夫の陽が二科展に出品しながら絵画教室を開き、富貴は画家の夫を支えた。生前、富貴は作品を発表することは一切なく、また周囲の人にさえも制作する姿を見せることはなかった。ごくわずかの人々を除いて、200点近くの作品の存在そのものが知らなかったらしい。露出欲求過多の美術界にあって、ひたすら発表される日のない制作態度に黙然!(4月28日)

晴れときどき阿呆果 言葉の力!

 A紙Y紙コラムとも「天国で、被災された方のお役に立ちたい」と、泣かせる言葉を残して旅立っていった田中好子さんに感動。
YNA3紙連合NET版「新聞案内人」で元「天声人語」執筆者の栗田亘は 『言葉の力、声の強さ』と題して好子さんの生前メッセージを前文掲載。死去の報に始まる関連ニュースの大きさに辟易したが、25日夜のテレビニュースで接した別れのメッセージには心を打たれた。NHKで声を聞き、チャンネルを回して今度はTV朝日「報道ステーション」で再度、告別式で突然披露されたという録音の全部を聞いたと、吐露。
前回同コラム「筆舌に尽くしがたい、という形容があるが、大津波の映像にまさる文章は、存在しないだろう。地震と津波が去ったあとの惨状もまた、文章の役割をしのぐ」を引き出し、田中さんのメッセージで、活字の力を上回る音声の力を感じ、繰り返し文字を辿ってみても、声の強さには及ばない。文字を生業の手段としてきた者には、いささか以上に残念なことだけれどと、述懐。
 A紙4月13日の「記者有論」に、〈失われた言葉 想像し続ける力がほしい〉と武田耕太記者が書いたいわゆる新聞業界でいう「雑感」についての所感は、老兵にとっても示唆に富んでいた。「言葉を失った人の心を伝えられるのは、言葉でしかないと思う」と結ぶ。
 N紙のコラムから「さくらさくらさくらさくら万の死者」。今週の日経俳壇にあった句、作者は岩手県大船渡市の桃心地さん。三陸の被災地からの投稿だ。選者の黒田杏子さんは「国民的鎮魂歌」と評しているのも記憶にとどめよう。(4月27日)

晴れときどき阿呆果 何もなく過ぎしがごとし春の雲

 M紙夕刊題字下「近時片々」で「何もなく過ぎしがごとし春の雲=横光利一」が目を引く!(4月26日)

晴れときどき阿呆果 6年目

 維新だという。改革だという。もはやそんなことにはまったく興味を失った。あの脱線事故から6年目、同時間に覚悟を決めてK病院に検査入院して「脊髄小脳変性症」が確定。以来6年目!!体の機能は日一日低下、伝い歩きもシンドウなった。(4月25日)