まや-NET

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土曜日, 4月 16, 2011



▲丹波氷上町清住のカタクリの里で


晴れときどき阿呆果 ビンボウに帰る


元N紙論説主幹で作家の水木楊は本日付で『 大惨事の後 価値観が変わる』をAYN紙連合NETに寄稿。『大都市にはさまざまな人が集まってきますが、彼らに共通している物差しは、損得勘定です。お金を持った人間が勝ち。人を蹴落として何が悪い。自分が浮かべば人が沈む。人が浮かべば自分が沈む。負けるものかと金を追い、金が金を生む「強欲資本主義」なる怪物まで出現しました。都市こそは功利主義の巨大な巣窟です』と書き、都市に住むことを止める「田園の知恵と精神を」を勧める。あのゼニ本位制を誇るN紙の元論説主幹が、、。

 同じ日、M紙コラムで潮田道夫は米ハーバード大ラリー・サマーズ教授が今度の震災を受けて「日本は前より貧しい国になるだろう」発言を紹介。 小幡績慶応大准教授のエネルギー多消費型産業は海外移転するほかない、それが論理的必然ではないか。日本から雇用が流出し、サマーズ氏の「日本は貧しくなる」が実現してしまいそうなイヤな予感がすると、追い討ち。「災害と経済成長」を扱う経済学常識でいう先進国の災害は成長を妨げない楽観記事や飛躍のチャンス説を抑え、『私は低エネルギー社会への移行は不可避だと思う。とすれば、仮に経済成長=所得が低下しても、それなりに心豊かに暮らせる社会にしなければならない。助け合いがカギ』と言い切るが、、。

 兎にも角にも『ビンボウ』が大手を振って罷り通るほど価値観の変換はありうるのか?生きているうちに観たいもの!(4月13日記)


晴れときどき阿呆果 サトウエイサク曰く


 大地震から1カ月。4月10日現在のまとめによると、死者約1万余人。行方不明者は約1万5000余人。15万人以上が避難所で生活。被災地、福島県は地震・津波・放射能の三重苦に喘いでいる。

前知事の佐藤栄佐久が『巨大地震や大津波のせいで原子力発電所が故障したため、事故は仕方がないと考えてはいけません。東京電力は今年の2月7日に、運転開始から3月で40年を迎えた福島第一原発1号機について「さらに10年間運転を延長するために必要な保安規定の変更認可を、保安院から得た」と発表。認可されたのは震災の約1カ月前です』とNET情報「PJニュース」で言明。「沿岸部に原発を建てるなら津波のリスクを考え、防波堤を高くするべきだったなどと『技術的な問題』に矮小化するのではなく『原発の設計思想』そのものから考えなければいけません。『部品を交換したから安全に運転できる』訳ではないのです」「地震や津波の被害は天災。しかし『原発事故は天災ではなく人災』。経産省から原子力安全・保安院を分離する動きがでていることに対して今更遅すぎる」と語ったという。 汚職容疑でとっ捕まる前に言うてほしいなあ!! (4月12日記)

晴れときどき阿呆果 今日は1カ月、許容した我々は?

 今日で1カ月、あの日津波の映像はホームドクターの往診で始まり、予期しない原発問題で世界中からを注視されている。M紙日曜コラム「時代の風」3月26日付で、『原発を「許容していた」私』と加藤陽子東京大教授の自省を掲載した。長いが引用する。

 『テレビは、首相官邸、原子力安全・保安院、東電等による記者会見の模様や現場の状況を臨戦態勢で報じた映像を見ながら私の頭に浮かんだのは、奇妙にも次に引く大岡昇平の言葉だった。「(昭和)十九年に積み出された時、どうせ殺される命なら、どうして戦争をやめさせることにそれをかけられなかったかという反省が頭をかすめた、(中略)この軍隊を自分が許容しているんだから、その前提に立っていうのでなければならない」輸送船に乗せられた時、自分は死ぬという明白な自覚が大岡を貫いた。これまで自分は、軍部のやり方を冷眼視しつつ、戦争に関する知識を蓄積することで自ら慰めてきたが、それらは、死を前にした時、何の役にもたたないとわかった。自ら戦争を防ぐという行動に出なければならなかったのにもかかわらず、自分はそれをしなかった、こう大岡は静かに考える。

 よって、戦争や軍隊について自分が書く時には、自分がそれらを「許容してい」たという、率直な感慨を前提として書かねばならない、と大岡は理解する。その成果が「レイテ戦記」にほかならない。この大岡の自戒は、同時代の歴史を「引き受ける」感覚、軍部の暴走を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察だろう。 以上の文章の、戦争や軍部という部分を、原子力発電という言葉に読み替えていただければ、私の言わんとすることがご理解いただけるだろう。』

 ジミントウ政権とトウダイ卒を初めとする官僚、エスタブリッシュたちは長年、原発を地球温暖化対策の切り札だとする考えを国民に納得を強い、原発は、パッケージ型インフラとして海外展開され、政府策定の新成長戦略の一環でもあった。庶民の生活面でも「オール電化」は、火事を起こさない安全なものとして語られていたことの事実を忘れてはならないし、我がビンボウ生活でも「トータルに許容していた」んだ。 敗戦の総括についても自力では行えなかった我々。ならば、せめて今回の事故について、同じ過ちを繰りかえしたくはない。(4月11日記)


晴れときどき阿呆果 モクレンと倶会一処


3カ月ぶりに馴染みの旧友たちに逢う。六甲の裏側、西神戸「しあわせの村」という福祉施設。文字通り車椅子の障碍者も多い。広い園内を、車椅子を押してもらっての遊行。サクラ満開、菜の花やタンポポの黄色が春を謳う。サクラの花びらは白いのに樹全体を観るとほんのり桃色。

 中に二本、モクレンがある。夕闇の中で際立つ白さの花を、もはや撒いている。早世した色白の仲間、TAさんが舞い降りたように白い。優し過ぎる性格が災いして病気も受け入れたのだろうか。

 降って沸いた災害や病気や死は、人が夢見ていた未来を容赦なく変えてしまう。ただいま以降の未来は誰にも予測できない。不条理な運命、それでも生きる努力をするのは、自分という個体が未来のためにできるたった一つのことなのかもしれないからか。今宵もTさんを思い出しながらこう呟くだろう。「諸上善人 倶会一処=くえいっしょ」と「さあ、TANOさん、食うでええ!!!!」

*ともに一つの場所で出会うということ。阿弥陀経は極楽浄土へ生まれる願いを起こすことをすすめ、それは浄土の仏・菩薩たちと倶(とも)に一つの処で出会うことが出来るからと説いている。一つの処とは浄土のことである。岩波『佛教辞典』(4月09日記)


晴れときどき阿呆果 海底もずれる  

 

 海上保安庁のHPは、3月28、29日の測量船「明洋」による海底調査を実施、「東北地方太平洋沖地震(M9.0)で震源のほぼ真上の宮城県沖海底が東南東に約24㍍動き、約3㍍隆起したこと。陸上で検出されていた牡鹿半島で約5.3㍍の4倍以上に相当する最大移動量であると発表した。

 天動説のような日々を過ごしているのにこのデータには剋目で脱帽!!(4月08日記)


晴れときどき阿呆果 アートが何ぼのモンじゃ


 M紙コラム余録は震災と文化に触れている。何ほどのモノも生産しない無職渡世の無力感と、なおオマケな生活に耽るブンガクシャの矜持は?

 『関東大震災で被災、寝食に不自由した菊池寛は「我々文芸家にとって第一の打撃は、文芸ということが生死存亡の境においては、骨董書画などと同じように、無用の贅沢品であることを、マザマザと知ったことである」▲同じく正宗白鳥も「数分間の大地の震動に比すると、月評家の筆などは何の力もないのである……文筆の士の痩腕(やせうで)で果たして以前の如く生きていられるでしょうか」と書いた。なるほど震災は人間の文化的営みに深い無力感を与えるだけでなく、その基盤も破壊する▲「芸術は生活の過剰だそうである……しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ……過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」。震災の後に文筆家の矜持をこう記したのは芥川龍之介だ▲避難所で本を手にする子供の姿を見れば誰しもほっとする。「人間を人間たらしめる」営みは、震災で壊れた世界を少しずつ修復してゆくことだろう』と書く。

石川啄木は『頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず』『いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ』と詠んでいる。 ブンガクが何ぼのモンじゃ!アートが何ぼのモンじゃ!ゲイジュツが何ぼのモンじゃ!!無力感で万感迫る。(4月07日記)