まや-NET

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木曜日, 4月 21, 2011

晴れときどき阿呆果 カバ地震で転倒して死ぬ

 またもやサトウ・エイサク 


 M紙コラム「風知草」で山田孝男論説委員が『中部電力の浜岡原発を止めよ』という。三陸と福島を回り、帰京後、政府関係者に取材を試みて、筆者はそう考えるに至った。福島に入った山田を浜岡へ向かわせたのは先日取り上げたサトウ・エイサク前福島県知事(71)だ。サトウに「首都圏の繁栄の犠牲になったと思うか」と聞いたとき、前知事はそれには答えず、こう反問した。「それよりネ、私どもが心配しているのは浜岡ですから。東海地方も、東京も、まだ地震が来てないでしょ?」5期18年(5期目半ばで辞任後、収賄で逮捕・起訴。1、2審とも有罪で上告中)。国・東京電力との蜜月を経て原発批判に転じたサトウが、恨み節を語る代わりに首都圏の油断を指摘した。
 浜岡原発は静岡県御前崎市にある。その危うさは反原発派の間では常識に属する。運転中の3基のうち二つは福島と同じ沸騰水型で海岸低地に立つ。それより何より、東海地震の予想震源域の真上にある。「原発震災」なる言葉を生み出し、かねて警鐘を鳴らしてきた地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。
 「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)
 しかも政府関係者から「浜岡は止めなくちゃダメだ。新聞で書いてくれませんか」と声をかけられたという。原発輸出を含む新成長戦略を打ち出した内閣ブレーンのひとりが、浜岡に限っては反原発派と不安を共有「原発を維持するためにこそ止めるべき。なのに、聞く耳をもつ人間が少ない」と慨嘆したそうだ。
 福島のあおりで中電は浜岡原発新炉増設の着工延期を発表したが稼働中の原子炉は止まらない。代替供給源確保のコストを案じる中電の視野に休止はない。
民主党政権は無残だが、ジミン党ならみごと制御できたとも思わない。空前の大災害で、なお収束のめどが立たない。
 向こう1000年、3・11級の大地震や津波がこないとは言えないだろう。列島周辺の地殻変動はますます活発化。そういうなかでGDP(国内総生産)至上主義のエネルギー多消費型経済社会を維持できるかと言えば、まず不可能だろう。首相官邸にはあまたの知識人が参集、「文明が問われている」ようなことが議論されている。ずいぶんのんきな話だと思う。危機は去っていない。福島の制御は当然として、もはやだれが見ても危険な浜岡原発を止めなければならない。原発社会全体をコントロールするという国家意思を明確にすることが先ではないか。と、山田は力説する
 夕刻には上野動物園の長寿カバ「サツキ」が震災直後に転び、怪我したのがもとで16日に死んだことが公表された。大震災直後に転んで左前脚が化膿性関節炎となり、痛みや炎症が全身に広がったのが原因だという。39歳11カ月。カバと原発って関係ないか! (4月18日記)

晴れときどき阿呆果 遅まき花見、生き下手人間たち

 人生にはすばらしい人に出会う瞬間もあるが、『生き下手』人間たちに出会い、あまりの心地よさに酔いながら老残期までご一緒して憚らぬ仲間も多い。
 今日の花見も年一回そんな同志が集って、京丹波に寓する版画家のアトリエで開くBBQ会。称して「アーバン仙人の会」、もう40年も付き合っている。
 何時の日か、桃源郷に俗事を離れて憩う場を作ろうと企んだ。それでも、めいめいが労働の対価を得ている間はやれ山小屋が棟上げだと言っては飲み、やれ清談と称しては飲み騒いだ。意気軒高に日を過ごし、日本経済の冷え込み出した途端、懐具合も緊縮。おまけに、各自の加齢ととともに意気消沈、実現は遠ざかった。 それでもなお、『ココロだけ仙境』にこだわるメンバーはたまに集うて、世情に慨嘆する会合を、備前山中、気鋭陶芸家の登り窯の焼入れを手伝いながら。また、自家用車改造キャンピングカーを駆って信州や九州へ遠征、ひそやかに杯を重ねていた。
 16年前、未開の京丹波の山間部に移住、アトリエを構える相談されたの機に、少壮木版画家のアトリエが格好のポイントになり、サクラの季節、たまさか集うことになったのがこのところの年一回の常会。みんな生き下手やけど、今年も花見が出来た。こんな句が思い出される。

 『満月や 大人になってもついてくる』

 俳号「貨物船」の辻征夫の句は『本の立ち話』小沢信男著(西田書店)に出てくる。(4月17日記)

晴れときどき阿呆果 不耕貪食の徒

 棚の絵具を取り出したとき、E・H・ノーマン「忘れられた思想家」が目に付いた。八戸の医師だった江戸期の思想家・安藤昌益の再読を思い立って始める。昌益は「世の中には不耕貪食の徒と直耕の衆」と二通りの人がいると、不労を戒め、自然優位を説いたマイナー思想をもう一度噛み締めてみよう。(4月16日記)

晴れときどき阿呆果 生き続けるということは、M君へ

 グラフィック・デザイナーを続ける元少年Mが来宅。萎む経済情勢を嘆息、将来への不安を漏らした。
 Mくん!生き続けるということはシンドイ。並大抵でことは運ばないよ。 体は健康でも、当節のように社会が病むとき、普段考えもしなかった『生きる難しさ』を意識せざるを得ないね。まして、君のようにステキな『自由業渡世』は誰からの庇護もない「不自由渡世」なんだ。常に活路を絶たれる不安でイッパイ。末路の老残は私自身にも重なる。
 
『生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽(び)がまぶしいということ
ふっと或(あ)るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと』
 谷川俊太郎の詠むように「生きる」と軽やかにいかないんだ。

 地震や津波が襲ってきて水道も電気もガスも止まってしまって、みんな『生きる』ことをいやおうなく考え、共通の意識が芽生え、痛みを分かち合う『心地よい人間コミュニティー』は成立する。
阪神大震災を経験、見聞したから、ほどなく心地よいコミュニティーに主(あるじ)の属性によって分化が始まるのを知っているよ。勤め人は会社の大小で救援物資が届く質量に差がたちまち生じるのを十分観た。街の人は会社勤めと商売稼業の損得勘定をとっくにご存知だ。
 家賃10万円以上の社宅にタダ同然で入れる会社や家賃補助がある役所、社員食堂タダ!の会社。通勤に新幹線代が出る会社、家族手当などもろもろの手当、残業手当が1日1万円を超すうらやましい会社もあってオモテの年収だけではサラリーマンの実入り実態は本人以外分からない。その差が時間とともにボディーブローのように効いてくる。てなことを十分考えなかった君や僕は、それでも生き続けることを止められない。

 社会が病んでいるとき、人は生きることを考える。私もまた病んで思うように体が動かないのだが、二十四六時中、くしゃみをしながら考えているんだがね。Aくん!(4月15日)