まや-NET

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火曜日, 4月 26, 2011





▲上は萌春、下は春のスケッチ



晴れときどき阿呆果 女性詩人訃報

 立て続けに関西在住女性詩人の訃報だ。一人は大阪万博テーマ曲「世界の国からこんにちは」の島田陽子。東京生まれながら軽やか大阪弁を駆使し詩を書いた。18日、すい臓癌で81歳。もう一人は在日女性文学の先駆け宗秋月(チョン・チュオル)、「宗秋月詩集」、「猪飼野タリョン」の詩集があり、沖縄の作家Sさんと生野で酒席をともにした。23日、急性心不全のため死去、66歳。
A紙23日天声人語掲載の新詩集からTake note。
『滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
まっさかさまに
落ちて落ちて落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走りはじめる』
島田が6年前にがんを手術で病への驚怖を表したのだろう。昭和の応援歌を書いた人が残した震災後日本への励ましに思えてならないと紹介している。
 僕も自身のカタストロフィーを追想する。(4月24日)

晴れときどき阿呆果 鋏状較差?

 先日(15日)、M君が来宅した折、同君に漏らした感想「生き続ける大変さ」で触れた。震災後、時間とともに被災者の間に生活格差が広がることについて言及したが、今日のM紙「余録」でこの格差を精神科医は「被災のはさみ状較差」だと指摘している。でも、どうすればいいのか?格差を指摘しても無力感は増大するばかり、「生きる辛さ」「生き難い世界」に海図を示せないニッポン。(4月23日)
 阪神大震災で被災者のケアにあたった精神科医は、地震の40~50日後に人々の間のある変化に気づく。ふだんより元気になった人と、ひきこもってしまう人の違いが目につく。その差がまるで開いたはさみの刃のように広がっていくのだ▲柔軟に新発想を出す人と考えられないほど頑固になる人、酒を飲まなくなった人とアルコールにのめり込む人、仲がよくなった夫婦とヒビの入った夫婦--最初のわずかな差が日を追ってどんどん開いていく。医師はそれを経済用語を借りて「鋏状較差(きょうじょうかくさ)」と呼んだ▲貧富の差もはさみ状の広がりを見せる。経済力や社会的人脈、地縁をもつ人々と孤立した人々の境遇の違いが拡大した。人々の生死を分けた震災は、その後も人々の幸不幸を切り分けた(中井久夫編著「昨日のごとく」)

晴れときどき阿呆果 好子さん急逝

 朝刊の「田中好子さん死去:突然すぎる」を見て驚愕!
 70年代に「キャンディーズ」で一世を風びし、その後は女優として活躍した田中好子(たなか・よしこ、本名小達好子=おだて・よしこ)さんが21日午後7時4分、乳がんのため東京都港区の病院で死去した。55歳。東京都出身。午後10時半すぎには、夫で実業家の小達一雄さん(56)が記者会見。92年に乳がんが見つかり、一時は回復したが、今年2月に多臓器に転移したと明かした。
 テレビなどで見せた元気な姿の裏で、長年にわたってがんと闘っていた。乳がんが見つかった92年は結婚翌年。36歳の時だった。その後、何度か再発したが、医師から「心配ない」と言われて放射線治療で対処し、乳房も除去しなかった。昨年9月に十二指腸潰瘍で入院。いったん退院したが、今年2月に体調を崩して再入院。十二指腸から大量出血し、高熱が出た。この時、絶食状態が続き、免疫が大幅に低下。その後、がんが多臓器に転移していることが分かった。

 私のリタイア後、4年前の5月22日付けでCM撮影中をぬって「まやさん おひさしぶりです。ただいま千里でSOのCM撮影中です。とてもお天気に恵まれ楽しく過ごせています。Nさんも空回り?!することなく一生懸命頑張ってくれています。今も和菓子を頂きました(超美味しい!)今では、Nさんの顔を見るとホッとするほど癒されています。まやさん、リハビリ頑張ってくださいネッ!!コマーシャルもお楽しみに!田中好子」と見舞い葉書を頂戴した。今振り返ると彼女も闘病中だった?昨秋にはNHKドラマ出演の案内ももらっていた矢先。今年届いた自描のカレンダーは今も卓上だ。
 山口瞳が「私はスーちゃんを妻にし、ランちゃんを恋人にし、ミキちゃんを秘書にしたい…」と語ったのを91年没のコラムニスト青木雨彦が『にんげん百一科事典』(講談社文庫)に書き留めている。
 キャンディーズ時代はおろか、演技派女優に転進した「黒い雨」を見たころはまさか、この女優と仕事をするなんて夢にだに思っていなかったある日、クライアントからCMの候補に是非にとリクエストされた。もうそのころ、構音障害が始まっていて、出演を依頼するのに所属事務所に長文の手紙を書いてマネージャーに会えたのは03年秋、六本木ANAホテルだった。前夜、東京の旧知たちと旧交を温めギャラ相場をリサーチしていたから、出演交渉もトントン拍子。イベントやCM仕事で交流するようになったのが昨日のようだ。
 新幹線の駅やホテルで迎える好子さんは偉ぶらないフツーの目元パッチリのスマートなオバサン、ただ、すれ違う人々が大勢見返るオーラ発光には存在感を再認識した。メークやスタイリスト、スタッフたちにも細心の気遣い人一倍。いつも差し入れる和菓子に素直に喜んでくれ、打ち上げのビールを一緒に楽しんだ。酔狂の挙句、「暇になったら、好子さん向けにホン(脚本)を書いてあげるから」とビールを勧めたら「どうもありがとう!待ってます」と微笑み返しをくれたっけ。(4月22日)



 同日付けM紙夕刊題字下コラム「近事片々」は:さよならスーちゃん
《雷鳴を轟(とどろ)かせる黒雲が市街の方から押し寄せて、降って来るのは万年筆ぐらいな太さの棒のような雨であった。真夏だというのに、ぞくぞくするほど寒かった》 井伏鱒二「黒い雨」
 今村昌平監督で映画化される際、台本を渡された田中好子さんは重い内容に自信が持てなかったが、「私の女優の“花火”にしよう」と決心した。89年度毎日映画コンクール女優主演賞に選ばれた時語っている、
と。


晴れときどき阿呆果 日当十七万円なり?

 NET市民ニュースで、原発事故関連でかき集められた現場作業員の過酷な状況が報じられているが、今朝、M紙はトップで詳報を掲載。多少、胸をなでおろす。
NET情報で囁かれたヤバイ日当一日40万円もあながちでデマとは否定できない。詳報の社会面を見ると一日十七万円、三日で五十一万円が支払われたとある。モンタンの映画「恐怖の報酬」を髣髴させるが、モン無しの当方にはチョビット羨ましいな!(4月21日)
M紙トップの記事福島第1原発:「ババ引くのは作業員」嘆く下請け社員
 福島第1原発の復旧作業を担う作業員の被ばく線量を定めた特例措置があいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に記載されていないケースがあることが明らかになった。現場の作業員はあいまいな運用に不安を漏らすとともに「結局、ババを引くのは作業員」と嘆く声も聞かれた。関係者からは「線量管理がいいかげんだと、訴訟になった時に証拠が得られない可能性もあり、問題」との指摘も上がる。

晴れときどき阿呆果 ハシモトくんの野望?

 わが尼崎選出の田中康夫衆議院議員は著書で都知事を「日本で唯一MAYOR(市長)とGOVERNOR(知事)を兼務する存在」で、東京は日本で唯一の特殊な自治体と指摘する。
東京23の特別区は選挙で選出された区長は存在するが収税権がない。つまり独自財源がないので都からの交付金でやらざるをえないので、区長は都の機嫌を伺う。しかも23区の消防、水道、清掃も都が行っているので都知事は23区の総元締めのオヤブンでもあるのだ。
ひょっとして大阪の橋下知事も同じコトを大阪でやろうとしているかな?
また国賓来日時には都知事は三権の長でもある首相、衆参両院議長、最高裁長官と同列の扱い。また年間100人近い外国の市長や知事等の訪問を受け、外国の国家元首の訪問をも受けている外交官的な仕事もある。それだけでなく11兆円の予算、18万人の職員を率いる都知事の権力はそれだけ強大であると過言でない。
「パチンコする人は我慢なさい。自販機がなくても生きていける」とおっしゃっていたイシハラくん。発言は節電策というだけでなく、日本という国がいかに異常だという指摘でもあった。せやけど、日本の異常を言うなら「東京一極集中」こそを挙げなければなりませんけど!(4月20日)

晴れときどき阿呆果 そうかもしれない

 震災後、流行り言葉『覚悟』が頻発される「覚悟バブル」だと、M紙ジュネーブ支局の伊藤智永が嘆く。
景気や経済を振りかざし、カラ元気の押し売りも横行。売れっ子作家が「こんな時だからこそ、頑張っておいしい物食べに行こう」と書く。それで世の中、変わりますか?本音は正直に「それでも原発とともに生きる」と言えば。維新や敗戦を持ち出す輩も願い下げ。革命は国民の半分が没落しない限り成就しないぞ。震災前から震災後へ、皆が自分は生き延びたと高をくくっているうちは、覚悟なんか持てやしまい。「何だかうそ臭いな」と恥ずかしくなった、と警告。
太宰治の「トカトントン」で最後に、作家から主人公へ贈った言葉「気取った苦悩ですね。いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです」を引く。
 民主党政権誕生を、当時の首相の軽口に唱和して「革命だ」とはやした人たちが、そのまま復興を語るから、大連立がどうした、首相は代われ、という話になる。東電も保安院も原発も私たち自身が生み育ててきた、我が身の投影であると、断じていた。
そうかも知れない。(4月19日)

4月25日(月)6周年&好子さん葬儀

7時前起床。ここ1週間、両手付け根から肩にかけて脱力感いっこうに治まらずたびたび覚醒。起きても症状が引かず。晴れたが朝食中、急に雷鳴轟くヘンな天気!
本日9時16分はJR尼崎脱線事故6周年。同時刻にこちとらは北野病院初回検査入院!「早ければ3年から5年」と担当神経内科KO先生からSCDの宣告を受け、すべてはここから始まる。「生き延びた」感慨無量。 昼食後、午睡2時半、デスク回り片付け。
N君も参列している田中好子さんの葬儀の模様も頻繁にTVが伝える。夕刻にはご本人の3月29日のお別れメッセージが流れ、思わず涙腺緩む。

田中好子さん告別式:“3分20秒のラストメッセージ”スーちゃん肉声に涙…
 「キャンディーズ」の元メンバーで、21日に乳がんのため55歳で死去した女優田中好子さんの葬儀・告別式が25日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。アイドル時代からのファンら約2200人が参列。出棺前には、死期を悟った田中さんがキャンディーズの仲間や東日本大震災の被災者にあてて病室で録音していた肉声が紹介された。デビュー当時の歌声が流れる中、ファンは霊柩(きゅう)車に向かって次々と紙テープを投げ、往年のコンサート風景を再現しながら天国への出発を見送った。
 田中さんは、会葬者を想定して自身の肉声を残していた。夫の小達一雄さん(56)が喪主のあいさつで、映画で使うカチンコを持ち出し「女優田中好子の第1章は幕を下ろしましたが、第2章第1幕を本日、スタートさせてあげたい。第2章シーン1、テーク1。用意!」と合図をすると、「こんにちは、田中好子です」と語りかけた。
亡くなる23日前の3月29日に病室で録音。自分を愛し、支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝え、「特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした」。この日、弔辞を読んだキャンディーズの仲間の伊藤蘭(56)と藤村(現・尾身)美樹さん(55)に特別な思いを寄せた。また、「もっともっと女優を続けたかった」と無念さもにじませた。
 演技の時とは違い、消え入りそうな細い声。死期を悟り「天国で、被災された方のお役に立ちたい。それが私の務め」と、震災の被災者を気遣う言葉も。義妹で女優夏目雅子さんが急性骨髄性白血病のため85年に27歳で亡くなった後、「夏目雅子ひまわり基金」が設立されたことに影響を受けたようで、「義妹のように、社会に恩返しを」と遺志を託した。
遺言のような声は3分20秒続き、小達さんの「カット!OK!」の声で終了。式場では、すすり泣く声が漏れ、ハンカチを当てても涙を拭いきれない参列者が見られた。

4月24日(日)OHさんピースボート出航

8時前起床。曇天のち晴れ。
昨深夜Oさんからメール。本日、横浜から世界一周ピースボート乗船のOHさんに激励メールをと。
NA君からメール。明日、東京・青山墓所の好子さん告別式に参列してくれるらしい。リクルート情報もあり一安心。
NHK日曜美術館で十数年前に尋ねた阿蘇山録小国の「坂本善三美術館」の紹介、懐かしく見る。畳敷きで抽象画!の快適さ。本棚からここで買ったカタログ引っ張り出し再見。
10時、サクラの花シベが詰まった道路を公園へ、Uさんが既にベンチ挨拶。近くの博寿園の職員たち10数人が車椅子の実地訓練中。鉄棒途中で昨日も家族に介助された老人が同じように伝い歩き始める。「頑張って」とエール送り車椅子押し歩き4ブロックを。終って商店街へ連れてもらいスーパー同行。 昼食後、SIESTAをしていたら娘が手作りのドーナツ持参で珈琲ブレーク。
夕刻まで越谷在のIM家の娘さんに3回忌欠席の葉書書く。

4月23日(土)雨

8時前起床。雨、終日外出できず。エクササイズできず。午睡と制作。

4月22日(金)田中好子さん急逝

昨夜は寝不足、何度か覚醒。7時半起床。脱力感なお残る!!
曇天、予報は雨。
朝刊観て驚愕!田中好子さん急逝のニュース。NA君もメールをくれていたので返信。
朝食中、TVが震度4の横浜・金沢八景マンションの液状化を伝える。昨夜、SANさんにメールを入れたばかり。
とりあえず雨が来ないうちに公園へ。常連の公園スズメ陣取るベンチに挨拶。軽トラックで落ち葉を集めるKさんも「お早う!」。鉄棒中、バスから降りてきた1丁目のご隠居が「片手で出来てるなあ」とエールをくれ通り過ぎる。車椅子押し歩き4ブロックを済ませ帰宅。
11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.0血圧122-66。ホームドクターにレポした事項を読んでもらい、近況を報告。痰きりムコダイン再服用を伝える。

4月21日(木)首が回らない!

7時前起床。晴れだが、まだ首がよく回らない!昨日から続く猛烈な脱力感!
午前、CLIPPING&BLOG UP。昼食後、公園へ。噴水から続く水路にKさんが浸かって溜まったドロと格闘中。お疲れさんと声をかけると「ほおっておくと臭いがするからね。今日は暑くて大変!」。鉄棒4周、車椅子押して歩くがシンドイ!何とか4ブロック。帰りに花壇そばの八重サクラ観に連れてもらう。満開で咲くサクラの下でシートを広げるグループもいる。
帰宅後、爆睡!4時から少し制作。横浜のSANさんに17日の花見の写真を添えてメール送信。