まや-NET

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金曜日, 7月 15, 2011





▲宙そら▼貌かお



晴れときどき阿呆果 やらせ

 先週の英国は英日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」126年の歴史的廃刊で大騒ぎ。同紙は組織的に盗聴の挙句、スクープ連発していたらしい。一月までキャメロン政権報道官だった元同紙編集長が逮捕された。タレントや政治家らだけでなく、誘拐やテロ事件の被害者も標的に留守番電話の伝言を盗聴して消去していたという。誘拐事件で殺された少女の家族が長く生きていると信じ込んでいたというBBC報道も。
酵素飲料でダイエットに成功したと紹介された女性がその酵素飲料の販売会社経営者だったり、15億円でホテル購入に乗り出したという「セレブ」女性がホテルの宣伝業務受託社員だったなど、日本のバラエティー番組の「やらせ」など可愛らしい。
メディア王マードックも今日は英下院召喚が決まった。やはりマードック傘下の米紙ウォールストリート・ジャーナルと競合するニューヨーク・タイムズの調査報道が疑惑を再燃させたというから、メディア間攻防も露骨だ。
今朝の天声人語は件の話題をネタ振りに、原発再開問題「知事は九電マンの父君を持ち、同社も支援し当選、九電幹部の個人献金を受けてきた。玄海町長も親族の建設会社が、九電から50億円超の工事を受注してきた仲という」のやらせを指摘。根深いやらせ構造に首長も無縁ではあるまい。それに切り込むべきが、支持率15%の「へたれ政権」とは情けないが、ことは安全に関わるから無関心ではいられない。国民の胃にも障る、とんだストレス試験である、と慨嘆する。(7月14日記)

セミ鳴く

 梅雨明けが早く、セミの羽化が間に合わなかったと、気象台はいう。太陽がジリジリ焼け、暑さが一足飛びに来たのに、いつもとは様子が違う。静寂を意に介せず大声で鳴き続けるセミが、今年はちょっと少なく、まだ涼やかに聴こえる。哲人アリストテレスは「セミの夫たちは幸せ。なぜなら彼らの妻たちはしゃべらないから」と言ったとか。
雄ゼミはなぜ鳴くのだろう?(故)日高敏隆「人間はどこまで動物か」(新潮社)によると「昆虫記」のファーブルも疑問に思って、実験。
セミが鳴く木立の前で何人かの男たちが大声を張り上げたが、セミは平気。ならばと大砲を借りてドカーンと発射。それでもなお平然として鳴き続けた。互いの交信のためというファーブルの推論予測は外れ、セミは耳がなく音が聞こえないと結論づけた。
今では、セミの雄が雌を呼ぶために鳴いていることが証明済み。耳はセミの声域用に調整され、人間の声や大砲の音は可聴範囲外で全く動じない。私も都合が悪いときに時おり、「セミ耳」勝手ツンボ(ああ使用禁止用語)を装うのだが。(7月13日記)

少数派?

 厚生労働省は「4大疾病」として重点対策に取り組んできた①がん(152万人)②脳卒中③心臓病④糖尿病(237万人)に、新たに精神疾患を加えて「5大疾病」とする方針を決めたという。うつ病や統合失調症など精神疾患323万人の患者は年々増え、従来の4大疾病をはるかに上回ったのが現状で、重点対策が不可欠と判断した。年間3万人を超える自殺者もかなりが含まれると見られている。

生活が豊かになって?生活習慣病が増加。患者数が一番多いのが高血圧性疾患。次に糖尿病、心疾患、脳血管疾患、悪性新生物と続く。検索したら、高血圧性疾患患者は718万6千人、糖尿病211万5000人、心疾患が184万5千人、脳血管疾患が147万4千人、悪性新生物=癌が127万人。医療機関にかかっている患者の総計は全国に1400万人以上、つまり1割以上の国民が生活習慣病で、病院通い。
食いモンがよくなって歩かへん!いつの間にか、菜っぱ中心の和食を止めて高カロリーの肉食中心の欧米化した食生活になり、車の普及で運動不足。アキマヘン!
 このビンボウ人はかかる国民的傾向からも見放され、10万を分母とする「難病」に取り憑かれる始末、ああ少数派!(7月12日記)

「ゾウの時間ネズミの時間」続編

 本川達雄は前著「ゾウの時間ネズミの時間」で「心臓時計」で計れば、ゾウもネズミも生きる期間は一緒。生物の生存期間を心拍の絶対値が一緒だと指摘して分かりやすい新書だった。同書巻末には著者の音符つき歌が掲載されている。「①ゾウさんも ネコもネズミも 心臓は ドッキンドッキンドッキンと 20億回打って 止まる②ウグイスも カラス トンビにツル ダチョウ スゥハァ スゥハァ スゥハァと 息を3億回 吸って終る③けものなら みんな変わらず 一生に 1キログラムの 体重あたり 15億ジュール 消費する」は,ふむふむと思わず膝を打った。
6月刊の『生物学的文明論』は既に二度増刷。とにかく、めっぽう面白いと、惹句をパラリ。
・「生命が海で生まれたのは、四捨五入すれば『生物は水』だから」ヒトの体重の62%は水。クラゲは95%、ゴキブリでさえ61%は水。生きている状態とは「恒常的に化学反応が起きている状態」だが、液体は気体や固体に比べ圧倒的に化学反応を起こしやすい。
・「文明は硬くて四角い。生物は丸くてやわらかい」
 生物の基本は円柱形で、長い時間をかけてその形を獲得してきた。ところが、四角で硬い直線的なものが機能的で良いという美意識に、私たちは慣らされすぎている。生物と人工物のデザインが乖離しすぎているところに現代の問題がある。
・「還暦過ぎの人間は人工生命体」
20億回打ってしまったヒトの心臓。現代人の長い老いの期間は、医療の進歩などが作り出した技術のたまもので、還暦以降の人間はさしずめ「人工生命体」である。
 膝を打つような指摘の数々が、独特のユーモアのある文体で語られ、飽きさせないと保証つき!例によって「歌う生物学者」を自称する著者自ら作詞作曲した「ナマコ天国」の楽譜と歌詞も掲載という。「♪砂を食べてりゃこの世は天国 ナマコ天国 ナマコ天国 ナマコのパラダイス♪」。ああ、早よ読まんと!(7月11日記)

暑さと遺著

 衰えた機能に。この暑さと他人様の遺著が身に堪える。
 昨年8月、乳がんのため64歳で亡くなった河野裕子<考へても仕様がないんだ転移してまた転移して喰はれゆくこの身>の遺歌集「蝉声(せんせい)」が話題を呼んでいる
 抜け落ちる髪、急激に衰える体力。夫で歌人の永田和宏によると、河野は鉛筆が握れなくなった後も、口述筆記によって歌を作り続け、何か話していると思って耳を傾けると、歌になっていた。慌てて書き取ったことも何度かあったという。<子を産みしかのあかときに聞きし蝉いのち終る日にたちかへりこむ>は初産のときに聞いた蝉の声で歌集のタイトルに。
<あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき><手おくれであつたのだだがしかし悔いるまい生き切るべし残りし生を>は儚い人生への愛惜と後に残す家族への思い。<手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が>。亡くなる前日の絶唱。

 夫君・永田和宏(47年生まれ京都産業大教授。宮中歌会始選者、朝日歌壇選者)の「もうすぐ夏至だ=白水社」を福岡伸一は「科学と短歌、通底する形式とは」とカズオ・イシグロのケースにたとえる。創作のきっかけは、自分の中にあった大切な日本の記憶が消え去ってしまう焦燥感。なんとかそれを定着しておきたいという願いからだと。そして時間の記憶は死に対する部分的な勝利だと。同様な言葉を本書で見つけてはっとしたという。
 細胞生物学の第一人者の著者は、同時に著名歌人でもある。どうして科学と文学というまったく違ったことを同時にできるのか訊ねられて、創作、発見の楽しみ、喜びがあるから。そう答え、そして自らも思い込んできた。
けれども、そんなのはまったくの嘘で、二つのことには特別な関係がなく、同時に行うことにも意味はない。ただ、「なんら関係のない二つのことを同じ重さでやってきたというスタンスと、その時間の堆積が、ようやく最近になって、自分のなかでかけがえのないものであったと思えるようになってきた」。
 著者の娘で歌人の紅が、20歳の頃、こんな風に言い当てたという。歌を作るということは「自分の時間に錘をつける」ことのような気がすると。「短歌はその短さゆえに、事実を正確に記録する点では日記や小説に及ぶべくもないが、逆に、ある瞬間の心の動きを敏感にキャッチし、短い言葉で定着するという早業においては他の文芸の追随を許さない」
 このようにして著者は、一心不乱に研究を進め、一心不乱に歌を詠んだ。科学も文学も、流転する時に抗うある形式だと気づかされる。歌の同志でも、ライバルでもあった夫人、河野裕子を追想する書でもある。と、福岡は6月9日のA紙書評で絶賛していた。<一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ>

お墓にひなんします

 「先、行くもんドロボー」子どもの囃し言葉にあるように、トップを切って走っていく連中に「パブリック」に無縁だ。


 公共は常に一番遅く歩くペースの合わせてほしい。
 福島・南相馬市の緊急時避難準備区域に住む93歳女性が6月下旬、「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。と書き残し、自宅で自ら命を絶った。
原発事故で一時は家族や故郷と離れて暮らすことになり、事故収束を悲観した末のことらしい。遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。「要介護2」の足手纏いの我が身には辛いニュース!(7月9日記)

サバの教え 
 仏教の作法に「生飯(さば)」がある。
食事の際に、ご飯の一部を取り置き、鳥獣などに施すのだという。食べ物を独り占めにせず、すべてのものに分け与える。そんな考え方が根本にあると聞く。禅寺では1人当たり7粒のご飯が器に集められ、境内に寄ってくる小鳥に供されるが、あの修二会「お水取り」でも籠もりの僧がサバを撒く。
(7月8日記)

七夕抄

 ワシ座1等星アルタイルとコト座1等星ベガ、彦星と織り姫星の夫婦星の距離は15光年も離れている。光速で飛んで行っても15年、新幹線なら7千万年だ。愛のシグナルを送信しても天の川を挟んで返信まで30年。
 太陽までの距離1億5千万㌔、光速でも8分20秒、月まで38万4千㌔2秒だ。
広大無辺な世界を思うとき、地上のことは仏教でいう指一回弾くあいだに65刹那(サンスクリットKASPAの音写)が過ぎてしまう。仏典でいう1昼夜の648万分の1、つまり75分の1秒の「刹那」の世界に過ぎない。
 七夕だろうか、学者もその存在をアピールしたくなるらしい。「銀河系外ではTDLにろうそく3本を点す程度の明るさしかない」と発表した。
 地球がある銀河系(天の川銀河)外の宇宙空間の明るさは電気を消した夜の東京ディズニーランド(TDL)(51㌶)をろうそく3本で照らした程度と、研究成果を名大大学院理学研究科の松岡良樹特任助教らのグループが。
 計測に使ったのは、米航空宇宙局(NASA)の惑星探査機パイオニア10・11号が70年代に火星と木星の間を飛行した時に撮影した画像。パソコン上で天の川銀河に存在するすべての星を取り除き、太陽光を反射するちりの光もゼロにして解析。その結果、宇宙空間から地上1平方メートルあたり8ナノワット(1ナノは10億分の1)の光が降り注ぐことが分かった。松岡助教はこの光について「他の銀河からの光が源と考えられる」と話し、NASAのハッブル宇宙望遠鏡で観測された天の川銀河以外の銀河からのすべての光の量と、今回の光の量を測定するとほぼ等しいことも判明。「宇宙全体の成り立ちを解明する研究への重要な一歩だ」というが。(7月7日記)

右足、左足を踏んづける!

 ヒトの息使いや心拍はもちろん、地球の自転公転など自然現象はすべて「繰り返し」が基本。ちぐはぐでデタラメな動きをするよりも規則的な方がエネルギー効率も高く、無駄が少ないことに起因する。投げられたボールが美しい放物線を描くのも、飛行時間と飛行経路が最短で飛んでエネルギーを節約する「最小作用原理」と呼ぶ自然の基本法則のせいだと、物理学者はいう。
 ヒトも成長過程で自身の身体の中に、ムダのない動きを会得していく。水中で余分な力を入れて泳ぐと、ロスが多く不格好と分かり、カッコよく泳ぐコツを覚える。自転車に乗れるようになるのも同じだ。オマケに一旦覚えたら忘れない。身体は実にエライ!とさえ感動する。
 無駄な動きをしないスポーツでの肉体を観察すれば納得だし、無駄な遊びの中にすら優雅な動きを見出だして、ハッとすることがある。南木佳士のエッセーを読んでいたら、作文の秘訣も同様だという。「力を抜いて書く」ことを心がけているらしい。

 ところがどうだ、このところ私の動きの無様な格好は!右脚が左脚を踏ん付けた!昨日までと違って、自力で立てなくなり、歩けなくなると世界は一変する。たとえ大脳が正常に機能していても、バタンバタンとちぐはぐな動きの毎日。身体の「原理」どおり動けなくなる日が来たら「世界は揺らぐ!」。なぜ、昨日のように出来ないのか。嘆いていても始まらない。(7月6日記)