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木曜日, 8月 16, 2012

08月15日(水)長兄に瞑目するもケロリ午睡?

クーラー2時間ONで寝たが、2時半蒸し暑さでトイレとPOKARI補給、再度クーラーONで寝る。山之辺・萱生の墓参を済ませ、穴師の集落へ近づくと、交流のなかったとっかかりの家から「まあ入りや」と歓待を受ける。同じMO一族だそうで全員からモテナシの言葉を受ける夢だった。お盆ゆえの夢の不思議な夢だった。また自分で車を運転、大阪駅付近の軌道敷のある道路を通過している夢やNさんが孫の世話をしている夢などバラエティに富む夢が、睡眠浅いか?
6時半、EXなので身支度するが、汗がひとしきり!背中を拭ってもらい排便すませて7時過ぎ公園へ。表に出ると風がないが外気が当たって快適。噴水池には大きくなったカルガモ5羽、アオサギも佇む。鉄棒に縋りつく。クライミングのザイルを手繰るように鉄棒を手繰って進む。汗が目に入り、介助の家人に拭ってもらう。無事、3周して帰宅。
8時前、定番MENUで朝食。また便意で排便◎。自室掃除してもらい10時、DESKに。
本日、67回目敗戦記念日。
N紙春秋は、神田駅前の電気屋で聴く正午の詔勅を『正午の時報。「つづいてお声をきく。みんな頭をさげ、粛然としてきく……この戦争で私は何をしてきたのだろう、と思ったら涙が出てきてとまらなかった」』と94歳(当時27歳)の生活評論家・吉沢久子の戦争中の日記を。
A紙天声人語は戦没学生の遺稿集『きけ わだつみのこえ』から〈激しかりし敵火の中に我と生きし邦子の写真眺めつ想う〉。早大を出て敗色漂う1944年フィリピンにいた陸軍中尉の歌を。
M紙余録は内田百間の日記から『(玉音放送前夜)−−夜8時過ぎ、火事だと声があり、市ケ谷の大本営の後ろに火の手が見えた。空襲でない火事は珍しく、消防車が出たが構内に入れてもらえない。内田は気づいて記した。「何か焼き捨ててゐるのではないか……」。史書によれば14日午後からすでに始まっていたという陸軍の文書焼却だ。火の手はなんと16日まで絶えることなく続いた。終戦時の公文書焼却は鈴木貫太郎内閣の閣議決定にもとづくもの。陸海軍のほかに内務省、外務省、大蔵省でも大量の公文書が焼かれ、内務省の裏庭の火も三日三晩燃えさかったそうだ。もちろんそこで灰にされたのは文武の官僚たちの歴史的な責任だった。「東京でも各所で盛んに紙を焼いていて、空が黒い灰だらけだという」と作家、高見順が16日に鎌倉で聞いた東京の情報』を紹介。
海外メディアはこの日に触れない。わずかにNYTが閣僚の靖国参拝を伝えるのみ。
Japan: Cabinet Member Visits Tokyo War Shrine By MARTIN FACKLER
世界史では9月2日の日本が戦艦ミズーリで降伏文書にサインした日が、終戦?「降伏意思表明が終戦」と考えた日本人はうかつ。旧ソ連は狡猾にもそこにつけ込み、「降伏が正式に実行されていない」と対日中立条約を破棄。日本軍が抵抗をやめた後もドッと攻めてきて悲劇が生まれた。
とまれ、正午には中国湖南省衡陽市で戦死した21歳だった長兄に瞑目。ケロッとして皿UDONを平らげ、3時まで午睡。転寝してたら、街角でよく見かけた白衣の傷痍軍人が歌う「異国の丘」が夢に出てきた。
起きて珈琲と愚息持ち帰りのワッフルを。しばらく堀田善衛「方丈記私記」再読。兼好と長明の違いをケンコウは「医」を重視したのに長明は触れていないと指摘。「金はすぐれたれども、鉄の益多きに及(し)かざるごとし」と捉え、時代が移っていくことが認識される、という。『兼好は長明没後70年、定家没後42年ほどの後に生まれた人であった』で8章を結ぶ。
シャワーを6時に済ませ、数少ない機会の子どもたちとの食事にそなえる。
7時前、娘夫婦が帰省土産持参で来て食事はじめ、8時半、愚息が帰宅食事に加わる。愚息は段々不器用さ増す手にマウス不要のタッチ・パッドを持ち帰ってくれる。10時半、就寝。アツイ!
MENU③ローストビーフ・天ぷら・貝柱(みんなはウナギ蒲焼)*無花果**LAXラキソベロン12滴