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木曜日, 10月 27, 2011


















▲公園でのスケッチなど


10月26日(水)徒然草詳読続き

運転している車で再三駐車場を探す夢見るが、この夜もそうだった。大阪南部近辺の公園のエラス、大きなテーブルのある食堂で「おむすび定食」をオーダーしている夢。
7時半起床。CLIPPINGとTOZENSOH詳読を続ける。午睡、2時過ぎまで、珈琲ブレークして3時には公園へ。鉄棒3周+車椅子押し歩き2B、花壇と木立に連れてもらう。4時半帰宅、TOZENSOHを夕餉まで再開。

10月25日(火)娘夫婦と夕食

象のいる夢を見たが、詳細亡失。7時半起床。DESKでCLIPPING&またTOZENSOH詳読続き。
昼食・午睡を挟み同じ。珈琲ブレークを後、3時過ぎ公園へEX。秋風吹く噴水池にカルガモがソロで静かに泳ぐ。鉄棒3周、車いす押し歩き2B。終わって商店街へ連れてもらう。夜、娘夫婦が来宅、一緒に夕食。木枯らし1号が吹いたとか。

10月24日(月)フェルメールとレーウェンフック?
 
 どこかの駅、N社営業部長と営業担当が一緒にいて、これから訪問するお得意あてのGIFTを届ける予定。改札口がわからなく、彼らと合流できないでいるうちに覚醒。
7時半起床、快晴。霜降だそうだ。愚息から電話定期便。家人は昼食後、友人の入院お見舞い。
 深夜ラジオは福岡伸一のエッセー「フェルメール」。画家のヨハネス・フェルメールはデルフト生まれであり、「デルフト眺望」という風景画も描いている。彼の墓は市内の旧教会(Oudekerk)にある。アントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek、1632年10月24日 - 1723年8月26日)はオランダの商人、科学者。歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物を観察し(初めてオタマジャクシ状の精子を観た人)、「微生物学の父」とも称せられる。二人に接点あったかもと、福岡はいう。

10月23日(日)昼まで寝る

 不安が過ぎって寝不足!6時に覚醒したものの日曜、天気も悪いと割り切ってズル休み。11時過ぎまで寝る。起きて身支度に勇気がいる。パジャマを着替えて、足に装具を装填、ゲートルを巻くように巧拙がすぐに結果になる。重錘も巻いてやっと立ち上がれる。
朝食もかねてUDONを食す。2時、公園へEXに出向く。休日で鉄棒にも親子連れがいて、縋り歩き始める。3周、車いす押し歩き2Bこなして帰宅。コーヒーブレークの後、TOZENSOH詳読、いよいよ終焉の章に近づく。

10月22日(土)Nくん、職に就く


 宴会の続きでどこかの宿泊施設に寝ている。周囲で寝ているのは親戚ばかりだ。次のシーンはデジャブ感のある東海地方の銀色の電車、車窓の風景が次々変わる。それも心電図のペースで、どの風景も見覚えあり、挿話もよみがえる。詩にしようとメモを取るができないで覚醒した。6時だ。BEDの柵を掴みながら7時半起床「生きている!」。曇天。
 DESKでCLIPPING始める。N君から就職決まるの吉報あり、ブランドの自転車メーカーだ。早速、返信。
 午睡を挟んでTOZENSOH詳読続き。 3時の珈琲ブレークの後、EXと思い外出するも雨降り始める。
 竹馬の友・YUKさんから写真付き嬉しい便り。
 「突然の写真で驚かれたでしょう。買ったデジカメの初撮影で、初めての送信です。12日から15日まで、埼玉、群馬、千葉に行ってきました。初日は東京博物館で、熊本の江田船山古墳出土の鉄剣等と、奈良、新沢千塚126号墳から出土した、ガラス製品などの本物を見て来ました。感激でした。埼玉では稲荷山古墳で金錯銘鉄剣が目当てでした。各地の資料館や古墳を訪ねることが出来、満足できた旅でした。東国の地は古代、ヤマトの命で馬匹を生産する「牧」が多く有りました。多くの埴輪が各所で展示されていましたが、馬がやはり圧倒的に多くあり、又馬具類も豊富でした。馬具類は鉄ですから、あるいは製鉄も盛んだったのでしょう。人物埴輪には明らかに、「とつくに」と思われるものがあり、異質で独自性のものでした。一方で巨大円筒埴輪があって、形状からヤマトとの関連が強く感じられました。幾つかの館で学芸員から説明を受けましたが、地方を強調しながら、やはり畿内中央を向いているような気がします。学会主流に沿った話でした。初めての関東でしたが、私にはとつくにであり、畿内とは少しく違うなという印象でした。縄文社会と弥生社会、ひょっとしてその違いなのか・・・。 」

10月21日(金)カダフィ殺害

 5時覚醒、二度寝。7時半起床、予報は曇天だが晴天。金剛葛城の山並み見える。朝食でまた誤嚥しかかる。
カダフィが捕捉され殺されたと朝刊に。BBC観ると、撃った男や隠れていた排水管らしき穴、金のピストルなどがレポートされている。CLIPPING、ローカル・コラムが豊穣。
 11時、訪問看護ナースOさん来宅.検温。36.7℃、血圧126-77。聴診器で呼吸器チェック、異常なし。ホームドクターW先生あてのレポを渡して、誤嚥頻発を伝える。補助剤、カプサイシンを14日の往診日から服用してること・大事に至らないがその後もちょっとした嚥下機能低下によるトラブルあることを伝える。
 午睡2時半まで。その後、TOZENNSOH詳読続ける。

10月20日(木)色付きの夢
 
 版画家Sさんが展覧会を開くので作品群を内見会、色付きの夢鮮やかに。オーストラリア風景がケン・ドーン風に描かれているので生の黒は良くないと注文をつけている。小品は細密なパターンが繰り返しの抽象だったが?
 家人が陶芸で外出するので7時前起床。今日も快晴、暖か。
 朝食後、PCに。昨日、「古道山歩―佐和山城から中山道鳥居本宿から摺針峠へ」レジュメを頂戴したSATさんからご丁寧なメール。レジュメ冒頭の関ヶ原で戦闘した東西両軍15万がいかに大きなスケールだったか、興味深いデータを示されている。
 豊臣の大番頭・佐和山城主石田三成が関ヶ原で家康の東軍と戦ったのは慶長5年9月15日(1600年10月21日)。関ヶ原で軍勢は東西あわせて15万。歴史人口学者・鬼頭宏著「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫によれば当時日本の人口は1227万3000人。日本の人口は1億2806万人だから、410年前は現在の1割惹だ。そんな中、侍が15万とはオドロキ。しかも秀吉の朝鮮出兵・撤退から2年目。民百姓の膏血が絞られたに違いない。同書によれば畿内・京都大阪奈良は228万4600人、畿内周辺・滋賀三重和歌山兵庫は139万7500人に過ぎない。今、大阪府の人口886万人、世界人口は今月末で70億人に達するが1600年当時は6億人だったという。
 先ずはSATさんにお礼のメール、指がなかなか動き辛い。
 CLIPPINGなど。午睡2時半まで。4時、公園へEXに、今日は噴水池にセキレイのつがい飛来。少し暑いか、蚊がつきまとうが鉄棒3周、車椅子押し歩き2Bを終えて帰宅。