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月曜日, 8月 22, 2011

晴れときどき阿呆果

村の船頭さん


 10年ほど前に天竜川の川下り。日焼けと皺の老船頭に、川下りの苦労話でもと思って「何年やっておられる?」と訊いたら、意外にも3年という答え。
先だっての転覆事故で不明になった船頭が66歳でベテランかと思ったら経験はわずか3年。かじ取りは3月に始めたばかりの新人船頭だった。66歳で新人とは厳しい。「頭ではなくしっかり体で覚えるまで経験を積むしかない」との同業者の指摘がある。かじ取りになるための必要な練習時間や規定もなく、国家資格は不要だという。
「村の渡しの船頭さんはことし六十のおじいさん」と、一昔まで60歳で「おじいさん」と呼ばれた世代は、船頭一筋で生きられた時代だった。ハッピーリタイアという言葉があるが、今の60歳はとても「おじいさん」とは呼べないし、還暦過ぎてから転職せざるをえない世代である。事故はその厳しさを浮き彫りにした。川下りはスリルを求めてあえて渦に突っ込むという。失敗した責任は大きいが、慣れぬ仕事に挑戦し続けた「老船頭」を思うと、ここは会社側の経営責任の重さの方を問いたい。 (8月20日記)

沖縄は襟を正す!
 
「今今と今という間に今ぞなく、今という間に今ぞ過ぎゆく」。江戸後期大流行した心学の道歌の一つである。あっという間に時間は過ぎ去る!
夏休みもあとわずか。この時期、宿題を前に、なぜもっと早くからと悔いる親子が増える。
ドクバイ・グループの元締め正力亨氏がお盆の最中に逝去。父君はディズニーと同じ、CIAの工作員でコードネームも持っていると公文書にある。
 由緒正しい日本の「原子力の父」だった。戦後、いち早く原子力の平和利用に目を付け、紙上キャンペーンや原子力博覧会などを展開し、1956年には初代の原子力委員会委員長(国務大臣)に就いた。
しかし本人は「原子力に関する知識は小指の先ほどもなかった」と作家の佐野眞一氏が著書「巨怪伝」で記す。就任前年の国会で原子力3法が審議されたとき、「核燃料」を「ガイ燃料」と読んで訂正されるなどしどろもどろの答弁が議事録に残る。ともあれ、原子力の平和利用の旗の下、政治主導で発足した原子力委員会が日本の原子力政策を進め、各地に原子力発電所が建てられた
原発を建設するために国は「絶対安全」と主張し、交付金という“アメ”をちらつかせて過疎や高失業に悩む地方に原発を受け入れさせた。“アメ”の仕組みをつくった電源3法を模したのが米軍再編交付金だ。「弱者に米軍基地や原発の負担を押し付け、金で片を付けるのが日本の政策だった。大震災をきっかけに日本全体が差別構造を考え始めている。もう政府のキャンペーンにはごまかされないだろう。東日本大震災を想定外と言い張り、釈明に終始した政治家や官僚、学者の姿を見ては」と、さーすが沖縄の地元紙・沖縄タイムス「金口木舌」氏は襟を正す!(8月19日記)

夏は終わった

今朝の天声人語に塩とサラリーマンの関係に言及していた。
そもそもサラリーはローマ時代の兵士に与えられた「塩を買うための報酬」に由来する。貴重だったらしく、中世英国では家に塩の貯蔵庫のあることが貴族の自慢。人は塩なしに生きられない。そして猛暑の夏、「塩入り」の食べ物、飲み物に人々の手が伸びている。
熱中症は全国で約3万5千人がこれまでに救急搬送された。予防意識か?「塩人気」を生み、飲料メーカーの塩サイダーは発売1カ月で年間目標を超え、スーパーの棚には各種の塩飴がずらりと並んでいるらしい。元気者が病むのを「鬼の霍乱」と呼ぶ。霍乱は熱中症や食あたりを指すそうだから、暑気は侮れない。その暑さも明日あたりから一段落らしい。
翻って想う、世のサラリーマンの3倍、人生の暑さを謳歌した。秋近し、もうそろそろ矛の納め時近い。(8月18日記)

生き下手

 半年振りに逢う二人の子どもの仕草や話す言葉を見聴きしていると、自分のそれと酷似しているので背筋がゾクリとする。真っ向から物事に反対できない性格で、いまだに酷暑の中、冷房も無い社会の底辺で齷齪している。処世術でも「生き下手」を認めざるをえない。イノチがつながれた遺伝子について、あらためて想う。
イノチの実態
昨日の自分と今日の自分は同じか違うか。大して変わらないが、分子生物学的には明らかに違っている。古い細胞を捨てて、新しい細胞に置き換えているのが生き物の鉄則だ。1週間もすれば分子レベルではすっかり別人だそうだ。皮膚、爪、毛髪で日々だれしもが実感できる。脳細胞のタンパク質は20日ほどで、肝臓は3日で半分が入れ替わっている。人間は動的平衡でイノチを保っている。(福岡伸一著「生物と無生物とのあいだ」佐倉統著「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?」)。
 身体のあらゆる部分は絶えずつくり替えられており、その源は食べ物だ。生物は食べるという行為を通じ、地上にあるすべては物質循環の流れの中で生きている。
生きるというのは自分たちの遺伝子を残すこと。英の生物学者リチャード・ドーキンスが表現した「利己的な遺伝子」自分だけが残ればいい、ということに尽きるが。(8月17日記)