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水曜日, 8月 24, 2011



晴れときどき阿呆果

至らなかった夢ども


 向田邦子の30回忌。毎週のように乗っても離着陸の時は平静でいられないほど飛行機が苦手だったらしい。空の旅となると縁起を担ぎ、乱雑な部屋から出かけた。下手に片付けると「万一のことがあったとき、『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで」(ヒコーキ)の一文を遺して3カ月後、彼女は台湾で万一に遭った。
 事故に遭遇して、その瞬時にあれこれ思いを馳せる時間はない。秋を待ちながらしきりに「至らなかった夢たち」に想いが馳せる。もっと絵を描いていたかった、さらなる詩歌を書いていたかった。秋の夜が無事故で通り過ぎる。(8月23日記)

KAN蹴りの後始末

 加藤典洋が11日M紙夕刊で「疑問だらけの菅降ろし」と題して脱原発首相に対する批判勢力の言葉の貧しさを酷評した。
 論旨は、いま最大の政治課題は原発である。首相は脱原発という新しい価値を明示したが、反対派は現状維持(原発推進)以外に提案がない。足りぬ電力をどうするかは経済の問題だ。反対派は真に必要な政治論戦をサボり、首相の政治努力を空洞化しようとしているにすぎない--という。
事の発端は、KANの脱原発表明にあると、心あるメディアも市民側も捉えている。原発丸かかえ組VS被爆国につき核エネルギー反対組みの構図だ。
 KAN蹴り後継候補たちは原発維持に理解を示している。「原子力技術を蓄積することが現実的」(ノダ)、「世界最高の安全基準を策定する」(マブチ)、「短絡的な脱原発というイメージの独り歩きは危険」(カイエダ)……。脱原発志向の候補もいるにはいるが、KANをしのぐまでの執念は感じられない。
 KANはどう見ているか、知人の問いにこう答えたらしい。
 「もう逆戻りできないところまできたとは思うんですよ。ただ、脱原発は、社会構造全部にかかわる大政策ですからね。そういう意味では、まだまだこれからですよ」政権に未練はないかという質問には、「そんなこと言ったら10年やってなくちゃいけない」。加藤典洋の文章にも目を通しており、「見てくれている人は、見てくれている」と自負を語ったという。
 ソーリの座も票次第。原発推進派の世界観にしたがえば「世界の主流は原発推進であり、青臭く迷っているのは日本だけ」である。だが、米露英仏といえども国内で原発不信がくすぶっている。と今朝もM紙コラムで山田孝夫は慨嘆するが、同感!(8月22日記)

悟りの佛教、救いの基督教

論語に没頭していた呉智英が『つぎはぎ仏教入門(筑摩)』を上梓した。
 「知識人たちがしばしば自分の思想のつっかい棒として仏教の安直な利用をするのにも疑問があった。野間宏の親鸞論はただ人間は平等だと言いたいだけ、吉本隆明の親鸞論は、ただ大衆はすばらしいと言いたいだけである。国粋主義者たちの日蓮論は、ただ日本は世界一だと言いたいだけ。仏教ってその程度のものなのか。そんなはずはないだろう。それなら、仏教はどれほど深く、どれほど先鋭なものなのか」若き日のこの自問について、64歳の呉智英が答えた、直球勝負で親鸞「救済の思想」を考える一冊。
 仏教を基督教と比較して論を進めるのが秀逸。例えば「仏教――覚りの宗教・基督教――救いの宗教」とまず説明して、基督教が原罪を犯し迷える子羊となった人間を救う宗教であるのに対し、他人をどうこうするのでなく自分という存在の根本について目覚める(覚る。悟る)のが仏教の肝所と見定め、日本に現在広く根差す大乗仏教を批判する。
 何年か前、死刑廃止論が叫ばれた頃、呉智英は“死刑反対仇討復活”のメイ言によって人権派の主張の虚を衝いたが、今回はそうした得意の変化球は止め、なぜか直球勝負。日本の大乗仏教思想のなかで最も深くて魅力的な親鸞の例の悪人正機論に挑む。
 悪人こそ往生する資格があると言うけれど、本当か。親鸞の教えを潰そうとする悪人を親鸞は許すことが出来るのか。親鸞の息子で父の教義に距離を置いた善鸞が異端として追放された事実をあげ、悪人正機論は、思想としていくらすばらしくても人間の現実には合わないだろうという。
 そして、親鸞の“悪人こそ救われる”の思想を、基督教の「一匹と九十九匹の譬え」につなげ、“百匹の羊のなかの罪ある一匹を救うために基督は来た”と同根の思想と指摘する。たしかに、言われてみるとその通りで、親鸞と基督の救済の考え方はよく似ている。
 深くて魅力的な大乗仏教の救済思想を呉智英はなぜイコジに切り捨て、狭い小乗仏教の側につこうとするのか。
 死の問題だった。「人間にとって死の恐怖は、自分が負の無限に呑み込まれること、絶対的な虚無の中を漂うことである」暗く冷たく何もない闇の世界を目前にした時、人間は、とりわけ宗教による救済など本気で信じたことのない人間は、本を読むのが好きなような現代人は、どうすればいいのか。まさか急に宗教に走るわけにもいくまい。
 ことここに至って、呉智英は初期仏教を発見する。
 教団と教義の確立以後、原始仏教として軽んじられがちな釈迦の金口直説の教え『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』には「生があるが故に、老・死があるのである。」ゆえに、「生を滅することによって、老・死は滅するのである」と。
 生あるかぎり死はあり、死があるから生もある。生が消える時、死もまた消える。この真理に目覚めることが覚り。迷える人間が仏となる境地。釈迦は一人覚り、死についての迷いは消えたが、当初このことを世に広めようとは考えなかったという。
 しかし、最後には慈悲の心によって衆生に教え、やがて大乗仏教が生れるのだが、宗教など信じぬ呉智英は大乗による救いはあくまで拒み、「釈迦の原点に還れ」。生が消える時、死もまた消える。論理上はその通りだが……と、藤森照信が評する。(8月21日記)

8月23日(火)大山崎山荘美術館HP訂正を

蒸し暑さが復活。予報どおり深夜に降雨の音が。明け方、Fさんのオフィスで「心地よい浴室の家?」プレゼン案をみんなで考えている夢。ンー?きょう23日は二十四節気の一つで暑さがやむ時季という意味の「処暑」。
7時起床、雨。
午前、CLIPPINGなど。車椅子来館者に冷たかったアサヒビール大山崎山荘美術館のHPの案内欄にやっとバリアフリー工事中の訂正が入った。
●車椅子でご来館の場合、事前にご連絡のうえ送迎バス停留所向かい(トンネル横)の障害者専用駐車場をご利用ください。(電話:075-957-2364)駐車場から美術館受付までは300mほどの坂道になっています。受付にて駐車許可証を発行いたしますので、付添いの方はお手数ながら許可証をお車に掲出していただきますようお願いします。(ただし、公的機関発行の駐車許可証をお持ちの方はそちらを掲出していただいてもかまいません)立地の関係上、バリアフリー工事終了まで大変ご不便おかけしますが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。地図はこちらをご参照ください。
昼食後、午睡3時半まで。
N君からメール受信。リクルートの結果、【上を向いて前進していきます】と、残念ながらの報告。その意気にエール返信。
大山放牧場からの眺めパステル・スケッチほぼUP。
雲行き妖しくエクササイズ断念。

8月22日(月)空襲の夢みた

扇風機も点けずに長パジャマを穿いて寝た。空襲に逃げ惑う夢をみて覚醒、室温26℃!予報によれば本日MAX31℃で昨日+4℃。
不貞寝が快適で7時半起床。朝食後、SHINから定期便の電話。CLIPPING。
家人は都島の大阪医療センターへNさんのお見舞い。
ハヤメシ後、2時まで午睡。BLOGをUP&スケッチ手入れ。
家人が留守中、車椅子のストッパーを止めずに転倒するも自力で起き上がる。
奈良榛原U家から明日入院の報。
5時半、秋が近付いた公園へ。鉄棒伝い歩き3周、車椅子押し2ブロックで脚止まる。