まや-NET

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土曜日, 9月 01, 2012


▲暑い夏、兵庫県立陶芸館からのビューイング
8月31日(金)八月尽

3時前、暑くて覚醒、トイレとPOKARI補給。谷九か谷六の地下鉄駅構内でウロウロしている夢だったが。6時前目覚め、EXの予定なので身支度。ベランダを通して南方面が葛城・金剛が朝焼けでよく見える。五本指ソックス、装具に重錘巻き、身体を拭いてもらい、スタンバイ。45分、公園へ。アオサギ、カルガモ、カラスが餌やりオバサンの動向をうかがっている。胸の白がくっきり鮮やかなセキレイのつがいも水辺に。鉄棒を3周伝い歩きして7時半帰宅。汗を拭いてもらい朝食、排便◎。愚息から電話定期便、宇宙船の船外作業が失敗したとも。今日は早や「八月尽」です!
自室掃除してもらい、9時過ぎ、DESKに移動のとき無理な姿勢で、また誤嚥!
先ずは昨夕メールを頂戴したOさんに「何とかやってます」と返信。
CLIPPING。ファイルを新しくする。昼食皿UDON食ってSIESTA。暑いアツい!:
今日付けの東京新聞コラム筆洗(中日春秋)によれば*以下要旨*
『信じられないことだが、脊髄損傷で下半身が麻痺すれば余命二、三年といわれて、床ずれでの感染や尿毒症であっけなく落命。早く死ぬ方が周囲の人々にとって好ましいとまで考えられていた。それを一人の医師が変えた。迫害を逃れ英国に逃れたユダヤ人のグットマン博士は内科や外科の医師らがばらばらに行っていた脊髄損傷の治療にチームワークを持ち込んだ。さらに機能回復にスポーツを導入して効果は絶大。八割の脊髄損傷者が半年の治療で社会復帰するまでになった。第二次世界大戦末期にロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で起きた革命だ(中村太郎著「パラリンピックへの招待」岩波書店)。この病院で始まった競技大会はもう一つの五輪「パラリンピック」と呼ばれるように』呼ばれる規模に。そして『一つ忘れてはならないことのは英政府が博士を招き脊髄損傷治療に力を入れたのは、戦争のためだったということ。余りに多くの若者が、戦闘で障害者になった』と。
ALS患者(難病の筋萎縮性側索硬化症)で、車いす生活の宇宙物理学者で英国のホーキング博士(70)もパラリンピック・ロンドン大会開会式パレードに加わった。
このところ公園で早朝EXのため、出会うことができない頚椎損傷オジサンや、同じ鉄棒でリハビリしていた高齢のIさんがすぐ浮かぶ。1FのNさん(夫人が認知症)もALSと言っていた。体幹機能は脊髄the spinal cord神経に集中している。私のように脊髄プラス小脳が変性する(次第に機能しなくなる*英語でDEGENERATION)と、昔は死ぬのを待つしかなかったんだ、とツラツラ憶う。
3時過ぎまで寝て、珈琲と鮎菓子。夕刻、遠雷が聞こえ、自室にかすかに涼風が。
夕食後の歯磨きでまた、食べ滓が喉に滞留、洗面所で誤嚥!
しばらく休息しながらやれやれと、BSNHK「新日本風土記・奥の細道編」観る。山寺(へー、「ムサカリ絵馬」の風習なんて!)や湯殿山、月山が懐かしい。10時には早々にBED。クーラーで橘曙覧全歌集、読みながら就寝。POSITIVEに寝よう!
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