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土曜日, 2月 23, 2013

02月22日(金)死刑執行と「それでも人生にイエス」

夢不見。
昨日は死刑執行3人(うち2人は上告断念したというが、真偽は)の報に、偶々届いた、考える人メルマガ「考える本棚」が河原理子『フランクル夜と霧への旅(平凡社)』を紹介。「それでも人生にイエスという」と題された河野通和のエッセーに深く考えさせられた。合法的殺人と強制収容所からの生還、イノチの不条理なやりとりにウ~ン!
メルマガ概略は次のとおり。
1946年ウィーンで出版時に「一心理学者の強制収容所体験」という素っ気ないタイトル。1953年から西独留学の臨床心理学者の霜山徳爾氏が、偶然、本屋で見つけ、この本に深い感銘を受けた氏は、ウィーンに著者フランクルを訪ねる。『かくして快活、率直な彼の魅力的な人柄にひかれ、私は彼と十年の知己のごとく親密になった。最も印象的だったのは、或る夜、彼に招かれて、ウィーン郊外の有名な旗亭アントン・カラスで、ワインの盃を傾けながら、彼からアウシュヴィッツでの語られざる話を聞いた時であった。謙遜で飾らない彼の話の中で、私を感動させたのは、アウシュヴィッツでの他の多くの苦悩の事実ばかりでなく、彼がこの地上の地獄の内ですら失なわなかった、堅い良心とやさしい人間愛であった。それは良質のワインの味すらも、全く消し去るほどのものであった』(霜山徳爾「『夜と霧』と私」)
 以来、この本を何としても日本に伝えたい使命感に燃えた氏は、自らその翻訳を買って出る。いまでは約40の言語に翻訳され、世界中で1000万部以上出ている大ベストセラーだが、世界で最初に翻訳が出たのはアルゼンチンの1955年。翌56年の日本は2番目、250円で発売、2カ月で12刷。
霜山の情熱によって日本にもたらされた『夜と霧』は、ロングセラーとして定着、フランクルの他著作も順を追って紹介されていく。それが02年、同じみすず書房から『夜と霧 新版』として新訳が刊行。霜山氏が依拠した1947年版ではなく、1977年版の新版にもとづく改訳。従来の「解説」や写真を外して、フランクルの本文だけのシンプルな体裁に生まれ変わった。同書の「発見者」でもあり最大の功労者とも言うべき訳者存命中に、新訳が同じ版元から並行して出版されるというのは、かなり思い切った決断。
話のきっかけはA紙夕刊の新聞記事。この新訳刊行をめぐるドラマを紹介。加えて、その連載シリーズは「生きること」と題されていた。連載スタートが11年4月18日。東日本大震災からほぼひと月後。このタイミングになったのは、まったく偶然だったというが、「生きることの意味」を問い続けたフランクルの存在が、これを機に再び注目されるようになったことも事実だ。本書はその連載をもとに担当記者がさらに思索を深め、再びヨーロッパの地を訪れて丹念な取材を重ね、じっくり熟成させた労作。
『どんな運命に見舞われたとしても、人は運命に翻弄されるだけの存在ではなくて、不条理を引き受け、運命に対してどんな態度をとるか決める精神の自由があるのだ、とフランクルは説いた。それでも人生にイエスと言うことができるのだ、と。そうした考えをフランクルは、あの強制収容所の生活のなかで確かめたのだ』(同署まえがき)
フランクル自身の人生を追う旅も、抑えた筆致で胸に迫る。37歳から40歳までの約2年7カ月を4つの収容所で過し、その間に衰弱した高齢の父を看取り、母をアウシュヴィッツのガス室で喪す。最愛の妻は45年4月15日に解放されるが、再会を果たすことなく病没。押しつぶされそうな体験を重ねながらフランクルは生還を果たす。著者は彼の送り込まれた収容所跡や、ゆかりの人々を現地に訪ねながら、フランクルの言葉の背景を探っていく。
『ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、……もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される』*『夜と霧・新版』池田香代子訳、みすず書房
『人間はあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても――人生にイエスと言うことができるのです』*『それでも人生にイエスと言う』春秋社
彼の思想の中核をなす考えやメッセージが、「癒しや励ましのおまじないではなくて、……苦悩を焼き尽くす状況のなかで、鋼のようにして鍛えられた思想だった」ことを、彼の足どりをたどることで、著者は身をもって感じ取っていく。
あるいはまた、『人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる』と言い、人間は善人にも悪人にもなり得るのであって、集団に「悪魔」のラベルを貼って単純化するのではなく、罪は個人に問うものだというフランクルの主張が、ナチスを許す発言だと誤解され、反発を受けた事実にも目を向ける。
『ナチズムは人種的狂気をひろめました。けれども、本当に存在するのは二つの「人種」だけです――品格ある人たちと、そうでない人たちと。……強制収容所のなかでも、ときにはちゃんとした親衛隊員に出会うことがありましたし、またならず者の囚人もいたのです。ちゃんとした人たちが当時少数だったこと、またいつもそうだったこと、これからも少数派にとどまることを、私たちは受けいれるしかありません』
『だからあえて言う。どこの国だって、別のホロコーストを引き起こす可能性があるのです!』
ナチスドイツによるオーストリア併合から50年目の88年3月10日、ウィーン市庁舎前広場で開かれた記念式典で、フランクルはこう訴えた。豊かな現代日本社会でも、いつの時代でも、生きる意味を見いだしかねて「実存的空虚」に苦しむ人は絶えない。その中にあって、『夜と霧』をはじめとするフランクルの著作がいかに「人生からの問い」に向き合う手がかりを与えてくれるか、「良心」にてらして社会に抗する勇気を与えてくれるか――が、自問する著者の文章を通して、染み入るように伝わってくる。

7時半まで覚醒せず、8時前、家人に促されて身支度。朝食(BOILEDEGGも)、トイレ◎快調!
愚息から電話定期便。娘から昨日のタンコブ事件、腫れがひいてお騒がせしましたとメールで安心。
10時過ぎ、今日も廊下に出てEXや。膝屈伸10回のち、伝い歩き、隣家前まで2往復。
11時、DESKでCLIPPING。
南日紙コラム南風録が『大浪池の東回り登山道で黄色い花がほころび始めた。霧島連山に早春の訪れを告げるマンサクである。えびのエコミュージアムセンターによると2月中の開花は珍しい。来月半ばには登山道沿いに咲き乱れ、花のトンネルが楽しめそうだ。えびの高原はこの冬、寒さがあまり厳しくない』と、3度も訪れたえびの高原の春を報せてくれる。
沖タイコラム大弦小弦は、『遅きに失したとはいえ、ハトヤマ元首相の「告白」は長年の米国依存で思考が停止したこの国の体質を明らかにしたと思う。同氏は普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と訴えて政権に就き、1年足らずで名護市辺野古に回帰させた。県民との約束をほごにした責任と、県内移設の根拠に挙げた「抑止力」を方便と開き直った発言は、今も納得できない。普天間迷走の経緯説明は興味深い。とりわけ、県外移設先が官房長官でとどまり、日米防衛首脳会談への首相提案を防衛相が無視するなど、信じられないような「内部告発」に驚かされる。「米国の虎の尾」を踏むと、首相といえど情報が上がらず、指示もできない』と。
アベは普天間の辺野古移設に向け、低姿勢を貫きつつ日米合意を推進する方針。「ハトの失敗」に懲り、硬軟織り交ぜて落としどころを探るつもりのようだが、あくまで米国の意向に背かないことが前提のようだ。ハトは「普天間移設は日本国内の差別問題だ」と指摘したが、在任中に気づき県民、国民と向き合うべきだった。アベが学ぶべきは移設のテクニックではなく問題の本質だ。と同紙の平良武はいう。
*沖縄タイムスコラム「大絃小絃」の由来=大絃急なれば小絃絶ゆ=国を治めるには寛容の心が大切で、政治があまり厳しすぎると、民を疲れさせ、国を滅ぼすことになるたとえである。琴などの太い弦を強く張りすぎると、細い弦は切れてしまうことから。
昼、皿UDONで昼寝3時まで、起きて珈琲&ワッフル。
夕刻までDESK整理。
夕食後、BSTV「新日本風土記・越前の冬」「世界遺産・エストニア心をつなぐクリスマス」観て、またトイレ◎。寝るが、ないはずの奥歯が痛む?
MENU③ホタルイカ・焼売*バナナ**ラキソベロン12滴

02月21日(木)琉球弧の主張

夢を見た。大阪駅周辺で駐車場から車を移動、自宅で「鳥好き」をする予定で電話手配。Oさんはじめ全員もとN紙グループ。編集委員からTVXキャスターに転じたIさん、現役記者のHさん?など5人が乗り込み、走り出すが淀川を越えるころからスピードが出なくなる。アクセル踏み込むが、前へ進まないで汗が滲むところで我に返って覚醒。7時過ぎ、階上の靴音と離陸機の音を合図に身支度。愚息も交え朝食、トイレ◎。8時半、愚息は今日から仕事場に復帰。
9時半、ケアマネのSさんが従来担当のMさんと一緒に来宅。現状ヒアリング。訪問リハビリや先日の月例診察結果を伝える。途中で娘から電話が入り、自宅でオデコにタンコブをつくり本日休業の連絡!にケアマネさん来月分介護計画を置いて辞去。
10時半、自宅前共用廊下でEX。膝屈伸10回、伝い歩き2往復。
11時過ぎ、ハヤメシ。
CLIPINGして午睡3時まで。家人が帰宅して珈琲とワッフル。
入浴まで、DESKで雑文整理。
沖縄の県紙、タイムス(沖縄タイムス)の「大絃小絃」と琉新(琉球新報)の「金口木舌」というコラムの主張は、ヤマトに向けて直球勝負。毎朝、刮目さされて襟を正す。琉球弧からの発信は無視できない。
琉新コラム金口木舌22日付け「詭弁を弄さぬ政治を」で『お酒を飲むと酔う。ビールでもウオッカでも酔う。どちらにも水が入っている。ゆえに、水が酔っぱらう原因である」。真顔でこう言う人がいたら嘲笑されるのが落ちだ』「詭弁論理学」(野崎昭弘著)の詭弁の一例として紹介。では、この発言はどう?「こんな憲法でなかったら横田めぐみさんを守ることができたかもしれない」とアベ発言に切り込む。右へナラへと衆院選後、改憲発言が目立つ。国家の誇り威厳を保ちたいなら、日米不平等条約の日米地位協定が先とちゃうか!!と。
*金口木舌の由来=すぐれた言論で、世の人を指導する人のたとえ。口が金属で、舌が木で作られた大鈴の意から「木鐸ぼくたく」のこと。
入浴後、ヒゲを剃る。危なげなし。
夕食後、BSで「旅のチカラ・移民たちの島唄・宮沢和史・ペルー」観る。名曲『島唄』の作者、宮沢が1930年代から移住が始まり、日系9万のペルーでコンサート開くルポ。やっぱり、つくった本人が歌う島唄が秀逸!
チャンネルそのままで続いてGIFT『MISIA命の歌をつなぐ旅・セネガル』観る。年末の紅白で現地中継をしたというが、未見の歌手・5オクターブの音域のMISIAミーシャは、取り組んでいるアフリカへの支援活動を受け、第5回アフリカ開発会議(TICAD5)名誉大使に任命され13年6月に開催の会議に先駆け、西アフリカ・セネガルへの旅ルポ。この地から海を渡り世界へ広められたといわれる音楽というギフトを通して、生命の根源に触れる旅に。水の危機を抱える国で、触れ合い、感じ、未来への希望を歌でつなぐ。
MENU③タラ煮付け・フキなど野菜炊き合わせ・黒豆*バナナ**ラキソベロン12滴