まや-NET

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木曜日, 12月 18, 2008

▲ニューヨークタイムスに登場のアーネスト・カレンバックさん
12月17日(水)クシャミで誤嚥!

●オバマは年俸3600万円
 先日のラジオ深夜便ワシントン報告で大統領TRANSITION(政権移行)の模様を聞く。直接任命される行政府スタッフ3300人あまり、7000人以上に及ぶらしい。猟官運動の人にデータとなる表紙の色にちなんだ『PLUM BOOK』が引っ張りだこ。役職・アドレス・年俸のすべてが記載されていてAMAZON BOOKでも購入できるとか。8年前にクリントンが懇請した大統領年俸は20万$から40万$。今のレートで行けば邦貨3500万円?

■曇り、次第に明るく。昨日の疲れか8時過ぎ起床。10時過ぎ公園に。鉄棒縋り歩き4回、コース外周をスイマルク押し歩き20分でBETTER。昼食後、SIESTA3時半まで起きて珈琲ブレーク。
 4時、パソコン前に座ってクシャミを堪えたら口の中の残り茶を誤嚥!七転八倒、ベッドで5時半まで安静強いられる。誤嚥の度に命が短縮される念を覚え、身辺整理に焦燥感!
 夜、パチューカ(MEXICO)VSリガ・デ・キト(EQUADOR)のFIFAセミファイナル観る。0:2でパチューカ敗れる。

12月16日(火)北野病院で一日
■晴れ。7時起床。9時前、娘が迎えに来る。名神・阪神高速経由で10時前に病院到着。ひたすら待つ!45分遅れから60分、100分遅れと表示。フィルム袋持参の紹介患者が多くドクターも大変だろう。2時過ぎやっと主治医Sドクター診察。「最近患者が多くて」と診察遅れを謝るが顔を見て安心。レポートを読んでもらって、まずまずだ。高価な吸入吸引器の常備に抵抗していたが「まあ、見るのが嫌だったら押入れに仕舞い込んで防災用具だと割り切ったら」「尽きつめて考え過ぎないように、まあ今年も無事やり過ごしたよと思ったら」にほっと。遅まきながら食堂で昼食、薬を待ったら結局3時過ぎ。帰路は中津、加島、神崎のルートで。4時半、帰宅。一日がかりと相成った娘には申し訳なし。疲れた。何も出来ない一日!

12月15日(月)主治医宛レポ

●Sドクター宛レポート
 S先生おはようございます。ご配意いただいた検査入院は結果が心配していたほどでなく、入院のきっかけになった咳き込みも入院中に解消して、10月24日退院できました。症状進行が比較的緩やかだとのT、Y両先生の診断に少しばかり自信を回復しました。いろいろありがとうございました。退院後もホームドクターM医師による往診を毎月2回のペースで受診していますが、特段の異常もなく入院前のペースで日常を送っています。退院以降の経過は次の通りです。
『大過なく過ごしていますが、動きが鈍化しました』

▲日課にしている隣接公園での鉄棒伝い歩きと歩行器代わり車椅子の押し歩きは、毎日約1時間強、歩行訓練として続けています。寒暖や体調の変化によって違いますが、好調な日は距離を倍近く延ばすこともあります。
▲誤嚥は3度ありましたが、その都度、妻に背中を叩いてもらって大事には至っていません。また、唾を飲み損ねたときも極力落ち着くようにして、姿勢を変えたり、横になることで対処できています。
▲体幹バランスが少し悪くなってきて、自宅で手を滑らせて2度ほど尻餅をつきました。自宅内の伝い歩きや行動ペースも「遅くなったなあ」と実感しています。利き手である右手の動きが鈍くなって箸や筆記具が上手く扱えないことが増えています。時折、指と手足が硬直することもあります。
▲食事やトイレ、入浴、睡眠は支障なく自分でこなせています。毎日昼食後、午睡が常態化、睡眠もよく眠れていますし、毎日便通もあります。そのほか、外出は家族や友人たちの介助に甘えてチャンスを逸さないよう「乗って」旅行やドライブ、ショッピングが程よい回数できています。以上、概況です。よろしくご指導をお願い申し上げます。

●Mさんから「ご報告」とメール。どうやら「演劇集団フォルム」演出家のTAさんが入院らしい。
●先だって見舞いに夫婦で来てくれたOG君から来信、「貴君の日常、サーフィンに乗って自由に波乗りをしているかに思った」由。

■晴れ冷たい。7時45分起床。11時過ぎ公園に。鉄棒縋り歩き5回、コース半周をスイマルク押し歩き15分で。昼食後、SIESTA3時まで。
 主治医宛レポート作成。カレンバックのリバイバルNYT記事詳読・翻訳作業。夜、BSでドキュメント「改革開放の中国」観る。トンポウポウの弛まざる粘り腰に舌を巻く。「実事求真」を唱え「白い猫も黒い猫もネズミを捕らえる」とは!


12月14日(日)カレンバックさんNYTで!

カレンバックさん再評価を知る

 朝、NYTを見て仰天!バークレーのカレンバックさんが大きな写真とともにLIFE&STYLE面トップに登場している!97年秋、「住民投票」出版時に米側の寄稿を依頼、バークレー在住のコルベット夫妻にネットで寄稿者を募ってもらったところ、アーネスト・カレンバックさんが応募。渡米してバークレーが一望できるレストランで端正な老学者(というよりは風采のあがらぬ老人といったと方が初対面の印象)と面会した。寄稿を依頼して食事をともにして自著をもらった懐かしい記憶!がなんとNYTで再会できるとは!

 記事は邦訳もあり40万部売れた彼の70年代の環境小説「エコトピア」が環境問題を重視する大学や知識人から再評価され、再版されることになった。ポートランドではすでに彼の小説で提唱された公共輸送手段や地産食料を重視する風潮が実現されたと記事は始まっている。記事SCRAPして詳訳にかかる。

●13日の深夜ラジオ・ポーランドのXmas報告。ポーランドの聖夜には一般的は肉食しない、赤カブなど野菜がメーンで家風を反映したワンタン風ピロシキがその夜の特徴。重要なことは必ずテーブルが一席余分にあること、行く当ての無い人が、もし訪れたらと各家庭ではしつらえるそうだ。新聞記者が試したところ各家庭で大歓迎されたと報告されている。

●YUKさんからメール。例によって盗用してごめん。RED CLIFF考だ!
 『さて、しばらくのご無沙汰です。お変わりございませんか。今日は生憎の曇り空で、今にも一雨来そうな雲行きです。貴兄の歩行訓練に差支えが無いように、このままであってくれれば良いのだがなーと、案じています。
 何十年ぶりになりますか、東宝シネマズなんば(旧南街会館)で映画を観ました。新聞屋さんでただ券を貰ったのです。「RED CLIFF」が題名で、かの「三国志」中、もっとも有名な「赤壁の戦い」を描いているのは、映画通の貴兄なら或いはご承知でしょう。監督はジョン、ウーです。
 ところで、これより前になります。紀伊国屋で三国志を立ち読みしてきました。もちろん「赤壁の戦い」の項のみです。本屋さんには気の毒でしたが、しっかりと復習し、新知識も頭に入れたものです。こうして準備万端、当日は、まー久しぶりの映画鑑賞に、少しく興奮気味で入場しました。導入部から凄い迫力があり、思わず引き込まれました。が、途中から合戦の場面が多くなり、凄惨な殺戮に目を覆いました。実際の戦は本来はもっとひどいものだったでしょうが・・・。名だたる豪傑が出て来て、当るを幸い、斬っては投げ、千切っては投げ、と獅子奮迅の活躍をするわけですが、そのあまりの様に、些か荒唐無稽の感を受けました。諸葛亮の謀略も描き切れず少々不満。とはいえ、徐々に映画は主題に近ずき、いよいよ「赤壁の戦い」にさしかかろうとするその時です。いきなり終わり。です。えー、何で、そんなん有りかー。隣の友人に尋ねる。彼曰く、これはPART1やで。迂闊であった。悔やんでいるさなか、続編の予告を延々と映している。実に腹立たしく詐欺にあった思いでした。これからが本番なのに・・・。がっかかりもしながら、知らずに来た間抜けな事この上ない自分。あー、・・・らしいな、と納得。PART2は絶対観るぞ。コマーシャルベースに乗る凡くらなのです。
 それにしてもです。この戦いはAD208年のこと。これより21年後の239年は我が卑弥呼は魏に遣使。片や隣邦の「朝の国」は、北方では高句麗が勢威に向かい、南は三韓(馬韓、弁韓、辰韓)の時代です。これら諸国(?)の相関関係を見るとき、自分にとっては、なかなかに興味尽きない東北アジア史となるのです。むかし博物館で、魏の景初3年銘の銅鏡を見たときの驚嘆と嘆息。歴史を身近に感じたことがありました。映画館を出、友人と一杯やりました。あれこれ独断と偏見による、歴史談義に花を咲かせ、帰路に就いたものです。』

●UBAさんからBLOG訂正依頼の報。ごめんごめん!!

■晴れ冷たい。7時45分起床。11時過ぎ公園に。鉄棒縋り歩き5回、コース半周をスイマルク押し歩き15分で。 昼食後、SIESTA3時まで。夜、Gamba VS Adelaide観るGamba1:0で辛勝。


12月13日(土)Mさんの健筆

●Mさん・Kさん・SAさんからメール。Mさん長文の健筆ぶりに拍手!アメリカ感には同感です。そのうち触れ合ったヤンキーたちから得た『美国(アメリカ)弁証法的漸新論』を書こうと思っているのです。Mさんのメール盗用・ごめん!

 『その後もお変わりなくお過ごしのことと思います。それにしても、いつお伺いしてもお住まいの部屋は居心地いいですね。明るくて静かで眺めがいい。そのうえ、風もよく通りそうです。毎日午後に昼寝をされるのももっともなことです。 私もお伺いするたびに長居をしてしまいます(ま、私の昔からの悪いクセですが)。

 世の中、不景気の極みにあり、こないだも、セミナーで隣にいた70歳代半ばの老紳士が言うに「景気はいつか回復するやろうけど、寿命との競争やがな」と。紳士にくらべれば、還暦まであと1年の私にはまだ時間があるのかなあ。

 たしかに好不況の波は資本主義の最大矛盾。これを神の手に代わって人が手を加えようとした社会主義という20世紀の人類の壮大な実験も多大な犠牲をはらうばかりで終わろうとしています。夏に小林多喜二の「蟹工船」が書店に平積みされているのを見てビックリするやら懐かしいやら、矛盾だけは生きながらえているようです。

 われわれ団塊の世代は麻雀をしていても、こども時代の貧乏を自慢しあうことがあり、高度経済成長前の時代を知っていることを若い人にも話しがちです。20世紀という戦争の時代、その終了後に生まれ、世界史上稀有な長い平和のなかで、ひたすらに社会全体が底上げされるままに生きてきたにもかかわらず。われわれは恵まれていますよね。

 今アメリカの一国支配が終わろうとしているというアナリストが多くいます。中国、インドなどの新興国が台頭してくるのはまず確かという人も多いです。私はアメリカもまだまだ捨てたものではないと考えます。人口も増えていくでしょうし、資源もあります。アメリカがまだまだ強いゆえ影響力もあるゆえに、われわれが期待したでデカップリング論も露と消えたのでしょう。しかし、新興国が伸びてくるのもまちがいありません。マンションの窓から母校の校舎を見るにつけ、馬珍(H先生)が地理の時間に繰り返し言っていた「中国は将来大きく発展する」というのを懐かしく思い出すとともに、そのGNPが日本、アメリカを凌ぐことが現実と思えるようになってきたことに驚きます。今日本に来ているアメリカ人の大学教授が、子供時代に日本製といえば安くて粗悪だったという思い出話を書いていたのを読んで、5,60年前の日本が今の中国なんだと、これも感慨を深くしてしまいます。

 地球上に社会主義という実験が行われていた時代に、また、日本の歴史でいえば、南北朝の内乱を超える大きな社会変化をもたらした高度経済成長という時代に生きてきて、これから世の中がどうなって行くのかということに興味はつきることがありません。まだまだ見届けたいことはたくさんあります。まあ、不安というのもいっぱいですが、年齢的にはINTERESTINGのほうが強いです。

 こうした時代に世界の国々をじかに見てきたまやさんならなおさらでしょう。ブログをよませてもらうにつけてもそう思います。たしかアラスカも取材で行ってましたね。長々と書いてスミマセン。』

■晴れて温暖。7時半起床。10時過ぎに公園に。鉄棒縋り歩き5回、コース半周をスイマルク押し歩き15分で。帰宅して昨日までのBLOGをUP。昼食後、例によってSIESTA。目覚めたらFIFAクラブ杯メキシコが同点、延長戦を観る。4:2で逆転。このあたりから休日ムード。CLUB WORLD CUPPachuca downs Al Ahly in thriller