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火曜日, 2月 26, 2013

02月24日(日)人口増加率は沖縄NO1!

奥歯跡が鈍痛して寝つき悪かった。どこか公共施設で 某組合大会を撮影。フィルム装填し直したカメラで景色を撮る。望遠レンズで木々をUPにしたらフィルムが引っかかるので覚醒、4時半。
また寝て8時前に起床、身支度。朝食、トイレ×!昨日同様リズムが狂いガスばかり。自室掃除してもらい、10時半、寒風吹きさらしの廊下に出てEX。六甲は時雨か、手すりが濡れているので拭いてもらって膝屈伸10回。伝い歩き2往復。
11時、DESKでCLIPPING。
東京新聞が原発反対を機会ある毎表明しているのはご立派!今日もコラム筆洗で、日米会談の「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活したと自信を持って宣言したい」と有頂天のアべに『前政権が打ち出した「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略をゼロベースで見直すことも伝えている。脱原発を求める広範な世論には耳を貸さず、原発維持路線をあらためて鮮明。(日米の)「絆」は本来、犬や馬などの動物をつなぎとめる綱のこと。束縛などの意味が生じ、強い結びつきという使い方は比較的新しいという。アべが絆を強調するほど、本来の意味を思い浮かべてしまう』と冷水を。
もう1紙、琉新の金口木舌は『日本総研の府県別幸福度ランキングのトップの長野県に比して地元沖縄は指標のうち若者の完全失業率、学力、大学進学率、県民所得など全国最下位。生活習慣病受診者率、待機児童率など指標の項目を見せられると、うなずくしかない。ただ指標のうち人口増加率で沖縄は全国1位。評価項目にはないが、出生率も全国一。子どもが多く生まれ、外から人が集まる証し。住みやすさなら沖縄はこれ以上ない場所と思う』と、異議ナシ!ハッピーなれば「子作り」や。
皿UDONで昼寝3時まで。起きてラグビー観ながら珈琲&菓子パン、生チョコ。
夕食まで各紙書評チェック。おっと、A紙に『写真家 井上青龍の時代』著者、太田順一&秋山高廣、出版はブレーンセンター。
評者の後藤正治(ノンフィクション作家)は『ドヤ街に住み、撮影した無頼派』と紹介。
『昭和30年代、幾度か暴動も起きた釜ヶ崎で写真を撮ったことで名を馳せた井上青龍の評伝。社会派カメラマンが生きた時代の匂いが濃厚に立ち上ってくる。井上は高知の人(*たしか名前の青龍は札所の寺からと言っていた)。関西写真界のボス、岩宮武二に師事し、ドヤ街に住みつきながら写真を撮った。個展では「人間そのものが泣きたくなるほど好きになり、死んでしまいたいほど嫌いになる場所」という言葉を。「結局、釜ケ崎を変えることはできなかった」という言葉も残す。「狼が抜き身で歩いているような」男であったが、シャイで俳句に親しむ文学青年でもあった。釜ケ崎以降、テーマに行き詰まる。人間にレンズを向けるとはきつい行為である。とりわけドヤ街においては。長い空白はその“受傷”故でもあったのか。旧式のボロカメラを手にCM撮影へ、終われば競馬場へ。無頼風のスタイルを貫く。釜ケ崎の写真集が刊行されたのは25年後のこと。ようやく新しいテーマ、南島・奄美に取り組みはじめた矢先、水難事故で世を去る(*遺体を海風社の故作井さんが伊丹空港へ出迎え、金時鐘さんらとも葬儀の手配)。晩年、井上は大阪芸大の教員ともなった。机に一升瓶をどんと置き、講義が済むと学生を引き連れ、釜ケ崎のホルモン屋へと向かう。いまゼミ生の何人かはドキュメンタリー写真の道に進み、韓国のジャーナリズム界で活躍。学生たちは、どこかで“無頼教師”が宿す心根を受け取っていったのだろう。著者は、井上とはスタンスが異なるが、在日の女性、内地の沖縄人、ハンセン病などのテーマに仕事を重ねてきた写真家である。井上への違和や作品批判を率直に述べつつ、それでもなお行間から伝播してくるのは、写真を撮るとは何かという問いを抱え続けて生きた先達への、くぐもった共感と哀惜の念である』と評文をおくる。なんで版元が海風社でないのかなあ??
夕食後、WBC野球オーストラリア戦、ダラダラ?観て寝るか。
MENU③トンカツ・ポテトサラダなど野菜・金時豆煮*バナナ&いちご**ラキソベロン12滴