まや-NET

http://mayanet.zouri.jp/

金曜日, 4月 30, 2010

▲公園からシロツメクサが消えた!サクラ保護のため除草剤を撒いてしまったから=絵は去年の春
4月29日(木)万博開幕直前の上海から通信

 夕べはよく降った、雷すら聞こえた。7時半起床、起きたら晴天。
9時半過ぎ公園へ、なんと人ごみ。フリーマーケット開催中(150出展という)、いつもより大規模、出展者も客も多い。おまけに天理教の大掛かりな掃除奉仕、これもかなりの動員力。鉄棒は諦め車椅子押しに、外周一周25分で、コリーの夫婦とエール交歓。終わってマーケット見物。11時半帰宅、NETがつながらない状態午後まで続く。
 昼食後3時までSIESTA。以後、CLIPPING整理など。
 夜、BSでジェームズ・リプトンの「アクターズ・スタジオ・インタビュー」にハリーポッター出演のダニエル・ラドクリフ。JEWISHでIRISHと自らの出自とラッキーな演技歴を語る。好きな言葉Verdurous=青葉茂れるさま、はいいなあ!ついでfannyは英国で放送禁止用語に近いスラングで使えないと知る。 
●万博開幕直前の上海からメール。股間に探知機?
Date: Thu, 29 Apr 2010 01:06:54 +0900 (JST)  Subject: 上海通信-4月号-
 『お待たせしました。万博準備で忙しくて、ゴメンネ・ゴメンネ~!
今回は、万博を間近にした上海の様子をお伝えします。上海中心部は厳戒態勢で、地下鉄は改札で持ち物検査が必要です。テロ対策だと思いますが、午後10時を過ぎると係員がいないのでノーチェック、見かけだけのお粗末な警備です。爆弾持ち込むのも夜遅くなら簡単です。万博会場では準備期間から厳しい検査(要領が悪いので時間がかかる)があり、毎日股間にまで探知棒を当てられています。(最近結構これが気持ち良くて???Españaの85)
 水やジュース、目薬、化粧水、口紅の類まで、勿論ライターも没収されるため、毎日あちこちで万博側と入場者の罵倒合戦(アホ・ボケ・カス・いてまうぞ状態です)がみられます。因みに私もノドぬーるスプレーが見つかり、腹が立つのでその場で大量にシュシュとしたら気持ち悪くなる始末で、中指立てて※※キングブーシーしてやりました。
 30日の午後から5月1日にかけて上海中心部は大規模な交通規制も行なわれる為、(要領の悪いヤツが要領の悪いヤツラを規制するのですから)パニックになるのは確実です。わが大阪館は準備も整い、無事プレオープンも終え、本番を迎えるだけです。5月1日は日本からNHKが生中継で万博の特番をAM10:05~11:15で放送する予定で、大阪館はAM10:05~10:12とAM10:50~10:55の時間帯で見られると思います。是非ご覧ください。では、またホットなオモロイ情報を送ります。
Expo Nicolas Guisi 』
●版画家SAIさんからメール。作品セールスの依頼も。食えないのは当方も同じだが、探してみよう!

木曜日, 4月 29, 2010




▲改装中のBOB宅キッチンの様子


シロウトの壁04―14

 「プロになりきれない人物」はどんなジャンルもいる。シロウトの壁ともいえるこの限界は、どうして乗り越えられないのか?雑誌「上方芸能」代表の木津川計は落語家を引き合いにこの問題を解いている。
「この世界は五年、十年でコロッ、コロッと変わっていきます。いわゆる脱皮というヤツです。脱皮の仕方が派手なヤツとそうでないヤツがあります。また脱皮しかけるんやけど脱皮しないまましぼんでしまったヤツもいてます」と桂文枝の言を引用。
 しぼんでしまった例として米朝の兄弟子で定年まで会社に勤め、余技に落語を演じた落語家?を挙げ、男が演じる「つる」を聴いて、世の中にこれほど面白くない落語があるのか、悲しいほど下手だったと呆れる。一方で桂枝雀没後十年の追悼会で再現された同じ「つる」枝雀に驚嘆、満場を抱腹絶倒させる話芸に圧倒されたと述懐している。
 「脱皮しないでしぼんで行った」落語家に共通するものは「計算しすぎやないかと思います。頭で計算ばっかりしていると体が頭に着いて行かないんで。口先だけで喋っていて、腹から喋ってないんです」と先の文枝の至言を続ける。
 シロウトの浅知恵こそがいつまでたっても乗り越えられない壁だという。あちらにもこちらにも横行する計算づくに思わず身振るい、ああシロウト奴ッ!と慨嘆する前にモノつくりは「みな同じ」やと自省しきり。ヘタウマもいるし、「下手も絵のうち」の熊谷守一翁もいた。開き直って生きようか。


4月28日(水)ドライブ&恐怖の誤嚥!

6時前起床。BEDで鶴見和子&多田富雄対談「邂逅」読む。
 晴れ、黄砂が心配だが大丈夫そう。温暖そうなので娘たちとドライブ決行。
 10時過ぎ発、名神尼崎ICから八日市IC経由11時半過ぎ「ブリューメの丘」着。障害と介護者は無料でグーだが、坂と石畳敷詰めてスイマルクは移動に大変!無料なのはこれで了解。奮発して1500円のバイキングランチ、10万本のチューリップ畑など散策して美術館にアプローチしたが、アクセス不能。以前、健常のとき織田広喜の作品展を見たが、もはや無理!!仕方なく1時半出発。
 国道1号、近江富士(三上山)を側に仰ぎながら琵琶湖大橋から堅田へ。仰木道から奥比叡ドライブウェイへ。5月5日まで桜祭りと銘打っているので随所に名残のサクラを観るが、山ツツジが紅紫色に綺麗に咲き誇る。展望台から根本中道パーキングを経て京都東IC4時、吹田、中国道豊中4時半、5時前帰着。6時半まで寝る。
 夕食後の歯磨きで恐怖の誤嚥!で七転八倒。気をつけてはいるのにまたやってもうた!!
●朝刊に某の意見を散見。読まない・ツンドク本はスペースばっかり取る「不良債権」であると、のたまうが!?。
●夜、「赤プリ閉鎖」のニュース流れる。あそこで手伝った五月ミドリ・ショーなどを思い出す。タレント部屋で飲みながら白々夜が明けて来た朝があったなあ!

4月27日(火)Yさんの詩作開かず
 6時過ぎ起床。朝から雨。
 雨が降りそうでない間に11時前公園へ。人気がないが、ベンチで小休止のUさんを確認、挨拶をして鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。
●YAMさんから返信、せっかく詩作を添付してもらうもPDFファイルが開けず、無念!→返信。
●SATさんから「古道山歩」の実績など来信。
入浴後、ツメきり髭剃り。

4月26日(月)ジョン・フォードの敗者の美学

6時半起床。BEDで新聞&昨夜のCLIPPINGに目を通す。晴れたり曇ったり、昨日よりは温暖。
●ジャパンタイムスの記事をチェックMonday, April 26, 2010Amagasaki derailment remembered
 10時過ぎPOSTではがきを投函してもらって公園へ、珍しく頚椎損傷オジサンがいて声をかけてくる。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。安全教室が開かれていて、コースを避けるが、係員が「ここは子どもが通りますから!」と杓子定規なウォーニング。だからよけて通っているのに、毎日欠かさずコースを利用しているオイラを知らないアンタはモグリか!まあ仕事やからと口噤む。
 昼食後、天気がよいのでグロッサリー買出しに連れてもらう。2時から3時前までSIESTA。
 3時からURの事業仕分けを観る。詩人YAMさんにメール返信。
 夜、BSでジョン・フォード観る。ジョン・ウェイン、J・スチュワート、クリント・イーストウッドがコメント。オーソン・ウェルズが語る。ホリゾンをいっぱい取るか、かすかに画面の下に残すかが先ずフォード美学の第一課。いつものように展開する顛末はVICTORY IN DEFEAT=敗者の美学か。綺麗な映像と家族愛を謳う「わが谷は緑なりき」はフォードの理想か。

4月25日(日)福知山線脱線・入院5年

 6時半起床。快晴だが冷たい。
 乗客106人と運転士が死亡、562人が負傷した福知山線脱線事故から5年。JR西日本は午前9時過ぎから尼崎市総合文化センターで追悼慰霊式を営み、発生時刻の9時18分に参列者全員黙とう。
北野病院へ入院、BEDで落ち着いたのは5年前まったくの同時刻。主治医Kドクターから事前の問診でSCDだと告げられていて、ヒルトニンの点滴と病名確定のための検査漬けの二週間が始まった。今日のように快晴でもっと暖かく、BEDで妙にホッとした記憶がよみがえる。
 10時公園へ、久しぶりの快晴の休日で人出も増えてきた。鉄棒&車椅子押し歩きは花壇西端まで15分+25分。終わって池に連れてもらい、鉄柵伝いに少々歩いてみる。たくさんの亀が甲羅干し、丸々太った鯉が無数泳ぎ、カルガモが一羽日陰で休む。
 いったん帰宅、天気が良いので開放気分。コンビニでオニギリ&おでんをピックアップ、サイド公園へ。新緑のシャワーに打たれながらベンチで昼食。木々の緑と家族連れをボケーッとウオッチング。幼児が鳩を追い、カラスが遊びに夢中の家族の食料を狙う。1時半、切り上げてスーパーへグロッサリー買い物に連れてもらう。2時から3時前までSIESTA。 夕刻までCLIPPING&礼状作成。
 夕食の他人丼ボリューム多すぎ苦闘。食後調子悪い!

4月24日(土)BOBに返信

 7時起床。晴れたり曇ったり、今日も低温だ。
 10時、すっかり緑の公園へ、鉄棒で伝い歩き中、南ゲートから1丁目の好々爺が手を振ってエールくれる。車椅子押し歩きは花壇西端まで15分+25分。花壇手入れ中のボランティアのオバサンがヒメキンギョソウを「よかったらもっていって。誰かにとがめられたら分区園で貰ったと言って」と一抱えくれた。帰宅して飾ってもらう。
 昼食後2時までSIESTA。BOBに返信を準備、四日のBBQパーティと6日の大宇陀又兵衛桜見物の写真を添付。天候不順と近況、来月のMRI検査のことなど伝える。3時過ぎ、娘がヘアカットに来て、持参のケーキで珈琲ブレーク。
●SCD会報&思文閣から木田安彦展の案内。
NHK深夜ラジオで鎌田實ドクターが著書「がんばらない」のSCD患者とのエピソード。

4月23日(金)BOBがベトナムで体調崩す

 7時前起床。曇り、気温低し。
 9時半公園へ。春落ち葉を踏みしめて鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。車椅子押し中、向こうから1丁目の好々爺が大きく手を振ってエールくれる。終わって、商店街で再度遭う。
●M紙コラムに多田富雄さんの追悼、テークノート。
●BOBから帰国第一報メール。案の定ベトナム旅行で体調不良に、ホーチミン、ホイアンで蒸し暑く、ハノイで寒く風邪をひき、旅行中70%下痢だったという。
Subject: Long Silence   Date: Fri, 23 Apr 2010 10:02:25 +0930
 『ハイ!KOHSUKE、永いご無沙汰御免、いろいろあった2週間のホリディーから戻ってきたよ。 まずホリディーの旅はよかったが、ベトナムの蒸し暑さに閉口したよ!!ホーチミンとホイアンでは連日34℃を下がらず、湿気は80-90%で耐えられなかったよ。ホーチミンの四日間は鼻風邪にやられて、過度の湿気と発汗でとうとう下痢だ。ハノイに着くまでずっとこの状態が70%続いたんだ。ハノイは気温が下がり25-6℃、しかし毎日軽い雨が降り止まず湿気が強くしんどかったよ。家へ帰り着いてから、今なお風邪と下痢が続いているんで、お医者さんに薬を処方してもらったんでもうすぐよくなるとは思うんだが。メリディスも湿気には参ったが、彼女は汗をかかなかったんで大丈夫だった、長旅疲れがあるもののOKだよ。
 家へ戻ってから、前から準備していたキッチンの改修に取り掛かったんだ。予定では19日から26日までに終わるはずだったが、トテモ間に合いそうにない。アンドリューと私で古いキッチンのカップボードやオーブン、調理台などを取っ払い、床の張替え、電線や配管工事などやり終えないといけなかったし、それには頑張っても四日間はかかるしね。アンドリューはよくやってくれたんだ。期限に間に合うようにほとんど自分でやり遂げ、19日にキッチン業者が持ち込む新しいカップボードなどの運び込みに間に合わせ、22日には終えたんだ。石工がアデレードから運んでくる黒御影石のベンチトップを据え付けるまでにアンドリューが床の補修をやってくれたしね。
ここ1週間は市議会関係の会議が4件、カレッジの会議が1件で目いっぱいなんだ。取りあえず君に連絡を入れて、しばらく一息入れるつもりなんだ。キッチン改修の過程の写真を添えるよ。ベトナムで700枚以上も写真を取ってきたんでそのうち送るよ。君たちの家族やトモダチが変わりなく元気で居ることを願っている。又、君からのニュースも聞きたいね。まずは皆さんによろしくね。君のメートBOBからXXXXX 』
●夕刻、詩人YAMさんから仏隆寺の千年桜を添えてのメール。

4月22日(木)ツバメ飛ぶ

 6時起床。予報どおり朝から雨。群れて飛ぶツバメ。
 朝食時、毎朝食べるキャベツが異常に高いと聴かされる。
 火山灰騒ぎで6日経過のフライト中止が収まりつつあるとBBCが。Europe's skies returning to normal
 雨でエクササイズ出られず。SCAN作業。
●M旅行TさんからSATさんの「古道山歩-大峯奥駈みちの西行」21・22日催行のレジュメ届く。湯峯から本宮、備崎橋、七越峰、吹越峠、山在峠を経て上切原で熊野川に降りる難行コース。

4月21日(水)桜は緑一色に

 6時起床。予報が変わり今日は晴れ、温暖。昼食後SIESTA3時まで。
 3時前公園へ。桜のグラデーションが終わり、緑一色。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。いつものペースだが、バランスやや悪い!!
 夕食までスケッチ手入れ。
●SAIさんからメアド変更通知あり。

水曜日, 4月 21, 2010





▲スケッチ上から、鞆の浦風景・二月堂裏参堂を行く修二会連行衆・京都巨椋池水路のサクラ

4月20日(火)ギリシャ移民の奮闘

 7時半起床。予報どおり雨。今日から3日間雨らしい。
 10時半、ケアマネMさん来宅。現状ヒアリング&5月分介護計画。
 雨でエクササイズできず。昼食後SIESTA3時前まで。 夕食までスケッチ着彩。
 夜BSでギリシャ系女優ニア・バルダスが自身の体験を下に書き主演した2002年の米映画MY BIG FAT GREEK WEDDING観る。トム・ハンクスらが制作サポート。ギリシャ移民の内情や奮闘振りがよく分かるコメディ。世の中の言葉はすべてギリシャが起源だとする意地っ張りの父親に好感を覚える。故国から呼び寄せた祖母のトルコ嫌いもよく飲み込める。子どもにKIMONOは?と訊かれ親父はFIMONO=衣類だと答えるシーンには笑ってしまった。
●夕刻<S社Mさんからメール。

4月19日(月)一庫公園へドライブ

 4時半に覚醒するも二度寝、7時半過ぎ起床。晴れたり曇ったり。
●朝の韓国KBSニュースはアイスランド火山噴火の灰が偏西風に乗って今日にもアジアに飛来すると伝えるが、日本のメディアからのニュースは今のところなし。欧州便など今日で空港閉鎖五日目、数万フライトがキャンセルというが。今夕からKIXローマ、NRTミラノ便のアリタリア再開らしい。
 10時前、BANKから郵便局へ連れてもらいS社のMさん に手紙発送。そのまま公園へ。1丁目の好々爺と南ゲートで今日も出会う。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。広場で施設の若者たちが演技するのをビデオが撮影している。
 昼食後、SIESTAの途中で娘から連絡有、午後一庫ダムまでドライブの誘いあり。もちろんすぐ乗り、2時から新芽の綺麗な新緑を見に能勢路へ。3時過ぎ一庫ダム経由、整備された県立公園へ到着。見晴らしの良い広場で鶯を聞きながら珈琲ブレーク。4時、ネーチャーセンターでトイレを済ませ帰途へ。

4月18日(日)新藤監督よ!

●新藤監督よ、車椅子でかっこよく!
 98歳を迎えた映画監督、新藤兼人さんが昨夕、(4月17日7時のNHK)TVニュースに久しぶりに登場、新藤作品を特集している東京・池袋の映画館の催しに招かれて次回作発表と抱負を語る模様が放映された。新作タイトルは「1枚のハガキ」。戦死した兵士が残したハガキを戦友が家族に届ける姿を通して、戦争がもたらす家族の苦しみなどを自らの体験をもとに描く作品で、来月16日にクランクインし、今年10月ごろの完成を目指すという。
 数人のスタッフに介助されながら、「戦争によって家庭がめちゃめちゃになってしまうことを考えてもらいたい。車いすに乗って非常にかっこ悪く撮影することになると思うが、生きているかぎり、映画に関する仕事をしていきたい」と、新作への意欲を見せる監督の元気な姿を見たが、車椅子の表現に引っかかった。
 ご本人は謙虚に語ったと思われるが、三年前から車椅子暮らしに入った私にはショックだった。難病を患って、社会に車椅子姿を露出するまでずいぶん勇気が必要だったが、今では外出の機会は逃さないように「明るく」表に出て車椅子の存在をアピールすることに努めている。「裸の島」以来のファンとしては同監督が堂々と車椅子姿でメガフォンを取り、かっこ良く撮影する姿を待ち望んでいる。
 
 6時前起床。晴れ、温暖。
 10時前公園へ、晴れて公園には多数の家族連れ。噴水で1丁目の好々爺が腕立て伏せでストレッチしながらエールくれる。鉄棒&車椅子押し歩きは花壇西端まで15分+25分。緑が綺麗で弁当を作ってもらって、公園に引き返し1時半まで、家族連れのピクニックに混じってボケーッとベンチで過ごす。

4月17日(土)全欧で飛行停止

 6時前起床。カーテンの隙間から久しぶりに朝の光が。坪内稔典の「俳人漱石」を再読。
俳人漱石
カーテンを閉め切ってなかったので日の出時刻に覚醒。枕頭の坪内稔典の「俳人漱石」(岩波新書)を読む。朝っぱらからいやはや面白かった!英語教師になった漱石は子規の影響で松山と熊本で句作にふける。
漱石の創作原点が句作にあったと稔典は読み解き、漱石の二千五百あまりの俳句クロニクルを①俳人になるまで―子規と交友始まる②俳人・愚陀仏―松山赴任・子規は従軍記者に③二人句会―熊本転勤まで④ときめき・漱石―熊本赴任から英国留学まで⑤俳人から小説家へ―ロンドン時代、我輩は猫である・坊ちゃん発表から朝日新聞入社、と5期に分類。漱石の独白、子規の見解、稔典の解釈を会話風に挿入してダイアローグ、鼎談に仕立て「いかに句作」が漱石を作り上げたか、百を選句、解析する。
① 期の句では「寝て暮らす人もありけり夢
の世に」は中国伝説の黄帝が華胥(カショ)の国黒甜の郷の昼寝する快感に依拠する句で耳に心地よい。
厭世観横溢の「世を捨てゝ太古に似たり市の内」漱石らしい。
子規の病気見舞いの返信に添えた「弦(ツル)音にほたりと落(オツ)る椿かな」も秀。
④期の教職を辞め朝日入社時の「人に死し鶴に生まれて冴返る」が早春の寒戻りでキリリする。
草枕を想起する「木瓜(ボケ)咲くや漱石拙を守るべく」にも覚醒。
「山高し動(ヤヤ)ともすれば春曇る」今日この頃の天気にピッたし。時の文部大臣園遊会の欠席に添えた「時鳥(ホトトギス)厠半ばに出かねたり」は返書として使えるぞ。
⑤期では怪奇趣味「秋風や唐紅の喉仏」が絵金のような色を想起。
人間の生死も人間本位の立場を易(カ)えて自己が自然に成り済ました気分で観察したらただ至当の成り行きで喜び悲しむ理屈はゴウも存在しないと知人の手向けに「有る程の菊抛(ナ)げ入れよ棺の中」が秀逸。
それぞれを早朝にテークノートする!
●アイスランド火山噴火による灰の影響で全欧に飛行停止。火山灰は厄介だ、小さなガラス状の突起になっていて集積すると下水を詰まらせるし、シアトル近郊のセントヘレナ火山や雲仙噴火時にもコンピューターが止まったという! Air travel 'facing days of chaos'
 10時前公園へ、行きがけに近所の老翁が「こんなに寒いのに!」と。噴水前で時々出会う武庫之荘1丁目のオジイサンがエールをくれる。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分で南ゲートへ。
そのままグロッサリー買い物に連れてもらう。電器店、ベーカリーHIRO、スーパー・モンマルシェ。11時半帰宅。
 昼食後、婿殿さんがキッチンの天井ライトの電球を替えに来てくれた。終わって、眼鏡枠の調整をしにMIKI眼鏡武庫の郷店まで連れてもらい修正してもらう。帰宅してSIESTA。
●SATさんからカタログ受領のメール。

4月16日(金)北野病院が、

 6時前起床。冷えて雨が。
 10時前公園へ、雨模様。雨中、傘をかけてもらい鉄棒伝い歩き15分を終えて終わる。
 11時、訪問看護ナースOHさん来宅。36.2℃、血圧122-70、不整脈なし。
 夜のNHK 関西特集でナースのストレスで起きた事件の特集で、改善に取り組む北野病院と北九州産業病院とケースが紹介され、北野は新人にベテランが付くシャドウ・ワークの例で7階病棟が出ていた。

4月15日(木)冴え返る
 6時前起床。曇り、昨日より冷える、東北は雪だとか。季語で言う「冴え返り」か。
 昼食後、1時半に公園へ、鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分で南ゲートへ。BLOG手入れ。昼食後3時までSIESTA。夕食までCLIPPING整理・スキャン作業。5時過ぎ、椅子からずり落ちた!が何とかセーフ!!
●Fさんが4日のアーバン仙人花見会のとき乗せてもらったプリウスに表示した身障者マークを失念していたのを送り返してもらう。
●F&SUTさんにメールでお礼を。

4月14日(水)ひょっとして?ブツブツ

 6時前起床。曇りのち晴れの予報、温暖さから冷たさに変わる。
 10時前公園へ、すっかり花が散り、人影まばら。鉄棒&車椅子押し歩き15分+25分で花壇中央に。八重桜が咲きだした。今日から大阪造幣局の通り抜けだ。
 帰宅して車椅子室内用に乗り換え時に失敗、頭ゴツン!!と強打。昼食後3時までSIESTA。夕刻までスケッチ着彩。
●朝刊地方面に、交通事故で一緒に瀕死の重傷を負った親友・ニックネーム「ブツブツ」くんの業績と思しき記事が。ひょっとしてK大学から転進した彼か?
呼吸酵素:働き解明 新抗生物質に道--県立大大学院・Y教授ら 
 生物が呼吸をしてエネルギーをつくる際に最も重要な役割を果たしているシトクロム酸化酵素(呼吸酵素)の働きを、県立大大学院のY教授のグループが解明した。12日付の米科学アカデミー紀要で発表した。人間と病原菌などの細菌では呼吸酵素の働きが異なることが確認できたため、細菌の呼吸酵素のみ働きを失わせる化合物が発見できれば、将来的には新たな抗生物質の開発などにも道が開けるという。
 呼吸酵素は細胞内のミトコンドリアにあり、食物から得られた水素と酸素を結びつけエネルギーを取り出している。水素と酸素の化学反応では通常、がんや老化の一因ともされる過酸化水素などの有毒な「活性酸素種」が生成されるが、呼吸酵素の働きでは生成されないため、この仕組みなどの究明が焦点となっていた。M紙〔神戸版〕4月13日 

4月13日(火)井上ひさし訃報コラム

 7時前起床。夜来の雨上がり、曇り。
 昨日は朝刊休刊で今朝の4紙コラムは揃って井上ひさし追悼。
Y紙:「人間の愚かさが誰かに注意されて改まるならば、悲しみや怒りではなく、笑いによって注意を下されるべきではないだろうか」と井上の言を。
N紙:黒澤明監督の「素晴らしき日曜日」を。極めつきのシーンは文無しになった男が寒風吹きすさぶ無人の野外音楽堂に立ち、女ひとりを聴衆に透明人間の楽団を率いて「未完成」を指揮する――。見えなくても確かにある希望に、井上さんは「素晴らしき人生」を見た。
A紙:脚本を書くうち、日本語を問題にすることになったと話し「日本語は主語を隠し、責任を曖昧(あいまい)にするのに都合が良い。その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」と。
M紙:9年前、井上さんは朝日賞受賞のあいさつで米詩人の詩を引いて語った。「悩みごとや悲しみは最初からあるが、喜びはだれかが作らねばならないという詩です。この喜びのパン種である笑いを作り出すのが私の務めです」。この時、江戸の戯作者が書いた笑いと出合った若き日々が胸をよぎりはしなかったかと。
 今日はBOBがベトナムから帰国の日、そろそろメールが来るか?
 10時前公園へ、サクラが散って見事なカーペット、車椅子のホイールにまとわり付く。屋台が撤収を始めた。鉄棒&車椅子押し歩き15分+25分。交通安全教室でコースが詰まって、内周一周できた!
 帰宅してFさんのBLOGに、Oさん体調不良で先週末の六甲登山不参加とある。さっそくお見舞いのメールを。
●父方の縁者、越谷市のI子さんから来信。故Aさんの一周忌を5月15日、ゆかりの甲子園・聖天寺で予定していると。
●アーバン仙人花見会に参加できなかった彫刻家SUTさんからカタログの礼メール。

4月12日(月)天候不順・雨

 昨夕から雨、二度寝。8時前起床。予報では雨が激しく外出は無理!!
●INさんからカタログ礼メール。 私のユーモアと話し声が聴こえてきますと、嬉しい。 
●T・N子さんからカタログのお礼メール。
 午後、SIESTAをせず、BS映画「大いなる遺産」ついつい観てしまう。

 夕食まで又兵衛サクラスケッチ。

月曜日, 4月 12, 2010

                 ▲奈良県大宇陀の又兵衛サクラ

4月11日(日)散るサクラ
 
 7時半起床。前夜からの雨があがって曇り。
 10時前公園へ、日曜で花見の人出があるがそろそろ葉桜。清掃中のベテラン9年さん、バック・ウォーキング夫妻&Kさんがエールくれる。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分で花壇中央に。途中でコリー連れの老夫婦にいつものように挨拶。散るサクラに惜別。 午後、日乗整理。SISETAせず。
●昨夜、井上ひさしの訃報。ひょっこりひょうたん島のドン・ガバチョは秀逸!筑摩書房の限定雑誌「終末から」で「吉里吉里人」を連載時、おもろいと思わず膝頭を。ヨメさんが若い男に走ったとき戯作者然と淡々、よかったな!ヨメさんの堂々としたの態度も記憶に残る。
●NAKさんからカタログ礼メール。

4月10日(土)公園で花見弁当

 7時前起床。晴れて暖く25℃近い、絶好の花見時!!
 弁当を持って11時半公園へ。土曜日なので花見客が至る所。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。和菓子屋さんだったUさん夫人と合流、花見会として弁当を広げる。Uさんの話では二三日前のABCTV夕刻ニュースでこの公園の花見の様子が流れていたと。
 帰途、噴水前で人工呼吸器を装備したBEDに横たわる中年女性が関係者と思しき10数人に囲まれながら花見を。ウーン!
帰宅して、カタログ到着の連絡頂いた皆さんに返メール。
●竹馬の友YUKさんからカタログおおきにのメール。

4月9日(金)薄紅色の雪しきり
 
 6時前起床。曇り、風がある。
10時前公園へ、花見客チラホラ。風が無情に花を散らす、薄紅色の雪がしきりに降る。鉄棒&車椅子押し歩きは花壇西端まで15分+25分。
●S社Mさんからメール返信。
●K出版社のSAKさんからカタログお礼メール。

4月8日(木)カタログが届きだした

 8時前起床。晴れ、昨日よりは温暖そう。
 10時半公園へ、まだ満開の花見の人出。施設や幼児団体が多い。交通亜安全教室でコース使用中。鉄棒&車椅子押し歩き花壇中央まで15分+25分。Uさんがベンチで休憩中だったので先週撮ったデジカメ写真渡してもらう。花壇ベンチで小休止の後、グロサリー買い物に連れてもらう。
昼食後SIESTA3時まで。S社Mさんにカタログ恵送のお礼メール。ぼちぼちカタログのお礼メールが届き出す。
●もとキャリアフラッグ広報のKさんから。
●COMSのMさんから。
●OZさんからも「山が春でした」と嬉しい「森を守る活動」の近況が。

4月7日(水)SANWAカタログ出来!

 6時起床。曇り、肌寒い。ツバメの群れが宙をしきりに舞う。
 10時過ぎ公園へ、花の絨毯、花筏が随所に。寒いのに施設の花見会の場所取りがあちこちで。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。昼食後SIESTA3時まで。夕食までデジカメDATA整理。
●夕刻、SANWA社の2010年春カタログ到着。甘ピンと色悪い原画が気になってしまう!!

4月6日(火)又兵衛サクラ観る
 
 6時前起床。晴れて暖か!!今日も花時!
10時過ぎ出迎え有、10時半、中国道豊中ICから近畿道経由南阪奈道路へ。初の通行、橿原出口で混む。桜井を経て大宇陀道の駅へ。トイレ休憩して人麻呂公園でお弁当。観光というか村おこしというか、大宇陀はすっかり様変わり。観光バスが押し寄せる「万葉・かぎろひ」のメッカ。薬草料理の大願寺も昔泊まったころの古寺の風情をなくし、鉄筋コンクリートに建て替え。大賑わいの「道の駅」に隣接、威容を誇っている。休日でもないのに又兵衛サクラ見物の人でごった返す。
 又兵衛サクラ見物。杖のオバアサンか近づいてきて堰を切ったように話しかけてくる。「さっきから見ているが、よくまあ、面倒を見てもらってよくお出でになった。私も主人を亡くし病気で右足が10㌢短いが何とかがんばって居る。今日は弟が連れて来てくれたが、あんさんを見て元気をもらった!長生きしてください」と握手を求める。こちらも意外なエールに面食らって感激胸いっぱい!!誤嚥しそうでオバアサンにどう訴えたら良いのか?!
 2時、仏隆寺の千年サクラを求めて隘路を登るがまだ咲いてない。旧道を室生寺目指して下がる。小学校の恩師N先生が神主をしていてよく訪ねた室生龍穴神社を通過、橋本屋の前を登っていくと室生西光寺に行き着く予定で車が進む。平日なのにオジサン・オバサンの一団が道路のあちこちでカメラを構える。途中で警備員が工事中ゆえこれ以上は車で無理だという。西光寺の枝垂れサクラを断念、針ICへ帰途に着く。4時10分、針IC到着、西名阪経由近畿道から中国道豊中を経て5時半帰宅。

4月5日(月)起き上がりに難航

 6時前覚醒。起き上がりに苦心!起き上がり子法師の要領でいつものようにBEDの柵を持ちながら拍子をとって上体を起こすがダメ。8回目にようやく起き上がりに成功、これは退化か!!
 曇りのち晴れ、暖かく20℃の予報。
 9時半前に公園へ、遠目にもサクラ満開。子どものスケッチ大会か、画板を抱えた児童があちこちに陣取り。ブルーシートのグループや施設のデイケア団体が大勢。鉄棒&車椅子押し歩き15分+花壇中央まで25分。鉄棒で後ろ向きに歩くウォーキング夫婦が、コース途中でコリー連れの老夫婦がいつものようにエールくれる。Tさんが合流、11時半まで公園でサクラ見物に、まぎれる。

4月4日(日)アーバン仙人たちの園遊会

 6時前起床。快晴、絶好の花見日和。
 9時半、FさんがHさんを乗せて団地前へ到着。Fさんの愛車プリウスの車椅子を押し込んでもらい大阪空港へ、15分で到着したのでモノレールで来るTさんを待つ。10時半、Tさん到着。元気そうで何より!一路173号線へ。川西で食材補充買い物。一庫ダムから能勢路、山には満開のサクラ。大阪の北海道・天王から丹波篠山路、瑞穂を目指す。なだらかな田舎路に堪能。
 12時半前、瑞穂きさらぎ道の駅到着。トイレ休憩でバリアフリートイレに連れてもらう。残念ながらこのトイレ、水が溢れている。いったい管理はどうなっているのか!とにかく用を足して版画家Sさん宅へ5分ほどで到着。1年ぶりの再会、去年は4月18日押しかけだったが。庭のサクラはまだ、杏の木の下でBBQを。今朝は未だ霜が降りていたそうでさすが標高200㍍。Fさんが去年の伊賀肉を名張に手配をしていてSさん宅に届いていた、あとは火床起こしに。たっぷりの焼き肉を頂戴して満腹。
 ひと段落してSさんが去年取り組んだ作品を見せてもらう。木口木版で名を成した彼が日本画顔料で挑んだDRAWINGとコラージュー。去年高島屋でやった個展に行けなかって、あらためてここで鑑賞!蒼い色が馥郁として抽象表現に合っていてこれまでの作風から脱皮・進境が私には心地よい、とSさんに感想を漏らす!!そのままSさんに車椅子を押してもらって周辺を案内してもらう。蔓や雑草が生い茂っていた周辺が去年より綺麗に手が入れられていた。創作の合間にSさん自身が刈り込んだという。3時半になり、三味線を習っている中学生のジュニアの新内リサイタル。落語のテープを聴いていてご本人が小学5年で習わせてと言い出しとそうだ。なかなかいける!!タイムアップ、名残惜しいが帰途に、染色家の奥さんが手早く椿としいたけ・勝栗を土産に包んでくれた。丹波路・能勢路と帰りを急ぐ。日もたっぷり暮れてFさん送るまで無事送り届けてもらう。

4月3日(土)岡山ドライブ
花の雲、南半球にもサクラに思い至る
 サクラ満開、花の雲がたなびく。絶好の花見日和の朝、娘夫婦に誘われて山陽自動車道赤穂ICから日生の町を横目で眺め、岡山ブルーラインから眼下に穏やかな海の眺めを楽しみながら備前・邑久(おうく)にある「岡山いこいの村」まで遊山。花見を楽しんだ。
 夕刻、帰宅してM紙夕刊に目を通すと社会面トップ記事に目が留まった。終戦直前、豪州で起きた日本人捕虜脱走事件の生存者でハンセン病患者だった元兵士が二度も社会から隔絶された悲劇を岡山県の女子高生らが聞き取り調査、その成果を英・ケンブリッジ大であった戦史研究の学会で展示したという。
 昼間見た丘の眼下に広がる東洋のエーゲ海、牡蠣養殖筏の対岸の瀟洒な建物群はたぶん牛窓あたりのホテル群と思ってカメラに収めて、家族にもそう説明したがまったくの見当違い!あれは永い間弧絶された島・国立ハンセン病療養所「長島愛生園」であると確認。
事件は1944年8月5日未明、オーストラリア南東部NSW州のカウラ捕虜収容所で起きた。1104人が脱走を図り231人が死んだカウラ事件だ。記事によると聞き取りを受けたのは事件生存者の一人で長島愛生園の一角、邑久光明園入園者の立花誠一郎さん89歳。
 事件の年の4月、ニューギニア・ガダルカナル戦線で捕虜となり、収容所入所時にハンセン病と診断され別テントに隔離された。脱走計画は知らされず「未明に突撃ラッパが鳴り響き、外に出ると、バットや食事用ナイフを手にした日本人捕虜が飛び出し、収容施設の小屋には火が放たれた」と当時の模様を語る。戦争とハンセン病で二重に自由を奪われた人生を知った女子高生らは「事件から学んだことを多くの人に伝えたい」と結んでいる。
 南半球の豪州のサクラは十月初旬に開花する。事件の舞台カウラ市はこの悲劇をきっかけに日本との関係が深く、日本庭園も造られて捕虜収容所跡を結ぶ通りはサクラ・アヴェニューと命名されるほど。道路脇に日豪双方の寄付金で桜が植樹され、関係者の手でサクラ祭りが毎年開催されている。
 私も現役時代に担当していた日豪友好プログラム「姉妹都市にサクラを贈る」の参考に同地を訪れ、泊まったモーテルで南十字星を仰ぎ、翌朝、犠牲者の墓地で花を捧げて水不足にあえぐ桜並木を見学した。案内所で求めた豪の作家ハリー・ゴードンのDIE LIKE THE CARP78年版(鯉のように死ね)で事件の概要を知った。まさしく「まな板の鯉」のように逝った兵士たちをはるか南半球の桜とともに想い出して胸が刺さる。
*カウラ事件は05年にはNHKのドキュメンタリーになり民放でもドラマ化されている。

4月2日(金) アンパンGET

 4時半いったん覚醒。7時過ぎ起床。雨が上がり曇り、WTCや南港が良く見える。墓地横の林のサクラ咲く、武庫川堤防のサクラも目立ち始めた。温暖。

●M紙朝刊によると昨日付けで地方部長だったSさんが社会部長兼科学環境部長に栄進。
●SATさんからメール。PCが故障だったので不便されたらしい。竜馬の新婚旅行地・霧島や中国雲南「茶馬古道」へも予定がありとか。中国の地溝油問題や東京オブザーバーにも言及されていた。
 11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.5℃、血圧116-78、脈正常、聴診器による診断異常なし。
 昼食後、1時過ぎサクラ満開の公園へ。施設の人々の花見か車椅子が多い。鉄棒は冠水で出来ず。車椅子押し歩きで交通安全教室コース一周を30分で。途中で清掃中のベテラン9年オジサンがいつもどおり優しいエールをくれ、ホッとする。終わって混みだした公園を後にグロサリー買出しに連れてもらう。世界で一番美味いベーカリー、学校通りのHIROへも寄ってアンパンGET!
帰宅して4時までSIESTA。

4月1日(木)言葉捜し

 雨が降っている。いつも通りPCのスイッチを入れると、トロントのクラシックFM局が音楽の隙間に小鳥のさえずりを入れている。各紙をチェックしながら今日も「言葉」を捜す。サンデー毎日に南伸坊が鶴見俊輔の『言い残しておくこと』を紹介している「南方の密林を敗走する日本兵が、木の枝にぶらさげた塩の袋を見つけた。塩の袋には走り書きで、『シオ、ヨゴレテイナイ』と書いてあった」鶴見さんが書きおいておこうとして書きおいたコトバである。この本を読むと鶴見さんが、どういうふうに生まれて、どういうふうに生きた人なのかがわかる。帯にはこんな文句が書いてある。「善人は弱いんだよ。善人として人に認められたいという考えは、私には全然ない。I AM WRONG.悪人で結構だ!」外は雨。音楽と小鳥のさえずりとPC、電子効果というなかれ、私には過ぎたる朝の芳醇な言葉探し時間で、贅沢に過ごしている。

 7時半起床。朝から4月の雨、温暖。 BLOG入力。CLIPPING。昨夜、メールをくれたM紙Nさんにメール。4日の花見の件でFさんとお邪魔をする京丹波の版画家Sさんにメールを入れる。 エクササイズ出れず、SIESTA3時まで。
●Fさんから4日9時半迎えありとの返信。
●GUI TOU氏上海へ。
Subject: 関空より愛をこめて Date: Thu, 01 Apr 2010 15:51:31 +0900
これより上海へ出稼ぎ(オモロネタ探し)に出陣致します。ついでに冷凍餃子の件、文句言うてきますわ・・・何が犯人見つかったや!オンドレ、ギョウザんじゃないよ!森村デス。頑張ってネタ探してメール致します。まや編集長の腸がネジレル位のヤツ送りますね。ほなバイナラ!
85(85イタリア語でお願いします)
 入浴して爪切り&髭そり!

木曜日, 4月 01, 2010

3月31日(水)NET新聞JANJAN休刊

 6時前起床。晴れたり曇ったり、昨日よりは温暖。 あっと言う間に21年会計年度が終わった、何か新しいことが始まるのか。いいやシコシコやる日常に何の変化もありません!!
 10時前公園へ、花見の人出依然少ない。鉄棒&車椅子押し歩き15分+20分。脳梗塞3回オジサン鉄棒中に来てエール交換。
 昼食後、30日までBLOGをUP。
●本日付で「市民による市民のための市民メディア」という謳い文句の日本インターネット新聞、通称「JanJan」が休刊することになった。
 脳梗塞でリハビリ中の不自由な体をおして当時の厚労省と闘い続けていた多田富雄さんの「リハビリ棄民」など硬質なレポートが多かったのに寂しい限りである。代表は朝日新聞編集委員から鎌倉市長に転出。記者クラブ制度を撤廃した竹内謙だったがスポンサーが広告出稿が思いどおり集まらなかったのに業を煮やしたらしい。残るは魚住昭の『魚の目』だけか!!
 SIESTAはせず、夕食までスケッチ着色。
●夜、4月1日付で大阪本社転勤が決まったM紙NAKさんからメールあり。まずは毛馬のマンションに落ち着き、整理部は軟派デスクで社会面を担当との連絡に安堵。ますますの活躍を祈る!!