まや-NET

http://mayanet.zouri.jp/

月曜日, 5月 30, 2011

晴れときどき阿呆果 万緑

 十二日早い入梅、雨中、ベランダ越しに見える武庫川堤の樹々は水にも濡れて緑滴る。
『万緑』という言葉を聴くとなんとなく晴れ晴れとして上田五千石(九七年没「天狼」)の「万緑や 死は一弾を 以って足る」を思い出し、気分を亢進できる。同時に、ついつい詠いやすい寺山修二の「燐寸擦る 束の間 海に霧深し 身捨つるほどの 祖国ありや」も、喋れない「構音障碍」の口を行き来する。
昨夜、M紙夕刊を観ていたら「万緑の 風の底押す 車椅子」の句が目に付き、胸にキュウンときた。甲子園球場芝生に並ぶ球児たちのカラー写真が付いた歳時記風記事だった。作者は由利雪二 、てっきり障碍者と思い込んで今朝、NET検索したら、1936年兵庫生、結社「からまつ」主宰で句集『塔のある位置』『ふきかえしていった椅子』と「雪来るを誘いて夕の谷の翳・降りきって雪の月夜の安息日・春の雪薪割る音の一度きり」の句が掲載されていた。あちこちで講演会も開いている、ンッ?
由利に師事した中原徳子さんのページに行き着いて事情が読めた。中原さんは1958年香川県生まれで脳性マヒ障碍、由利の「からまつ」同人に加わり、俳句に生きがいを見出した過程で、彼女は由利をこう紹介している。
『先生との出会いは38年前に遡る。都立光明養護学校小学部5、6年時のクラス担任。私立中学の教師から障碍児教育を志して赴任したばかりの熱意溢れる先生だった。授業そっちのけで多摩川で魚を追いかけたり蓬(よもぎ)を摘んだり。外で思い切り遊んだり自然に触れたりする体験の少ない障碍児にそういう機会を少しでも与えてやろうという教育的配慮と今にして思う。(中略)
転機は俳句を始めて十年目に訪れた。手足が痺(しび)れ動きが鈍くなり転びやすくなっていた。秋になり、丈夫が取りえだった母が癌で急逝。その後私の身体変調も急速に進み、ついに首から下が完全にマヒした。脳性マヒの二次障害、頸髄症である。打ちのめされた。支えてくれたのは家族と友人たち、そして俳句。』とあった。
王安石のいう「万緑叢中紅一点」を一つ見つけた!(5月28日)

晴れときどき阿呆果 イスラエルの暮らし

 昼食後、いつものようにSIESTAを決め込もうとしたら、TVからフランス語が流れ出した。05年仏映画「約束の旅路VA,VIS ET DEVIENS」。
冒頭字幕に、1984年にイスラエル政府がスーダン難民キャンプからエチオピア系ユダヤ人(「ファラシャ」と呼ばれるエチオピアの「ユダヤ人たち」で彼らが信奉しているのは「トーラー」=モーセ五書・旧約聖書の最初の五書)をイスラエルへと帰還させたモーセ作戦に基づく映画だと、いう。
OBAMAが第3次中東戦争後の67年停戦ラインをイスラエル・アラブ双方は維持すべきと、提案したばかり。
飢餓の難民キャンプを生き延びるため、母と別れてユダヤ人と偽りイスラエルへと脱出した9歳の少年が主人公。人種差別や宗教問題に直面しながら、愛情豊かな義父母に育てられる。実母への思いを募らせ、やがて医師を志して国境無き医師団になって実母にキャンプで再会、号泣するシーンで終るヒューマン・ドラマ。里親のフランス系両親が『私たちは左翼だ』といきなり主人公に告白、イスラエルの反体制運動をも垣間見せ、ファラシャに集団割礼を強いる人権問題や人種差別問題も取り上げている。嘆きの壁での作法や若者のディスコ、近隣との交わりなど、これまで観たことがなかったイスラエル社会の市民の暮らしが見えた興味津々の2時間半だった。
世界各国映画祭で注目を浴び、観客賞や脚本賞など多くの賞を受賞。
〔製作・監督・原案・脚本〕ラデュ・ミヘイレアニュ〔脚本〕アラン・ミシェル・ブラン〔撮影〕レミー・シェブラン〔音楽〕アルマンド・アマール〔出演〕ヤエル・アベカシス、ロシュディ・ゼム、シラク・M・サバハ〔仏語・ヘブライ語・アムハラ語
〕(5月27日)

晴れときどき阿呆果 ええ加減にせい!

 IAEAが来日してFUKUSHIMAのメルトダウンに関する後出し事実が出てくる。本夕、共同が現場所長の判断で海水を続けたかどで同所長の処分をするとTEPC副社長のムトウは表明、原子力委員長のマダラメも「私はいったい何だったのか。頭の中は相当混乱している」と言い出す始末。
青天の霹靂事故だと言い張る連中もさることながらKAN辞めろや当局を攻め立てる側に積極的対案はカメイの言うように皆無で「思考停止段階」!共産党の不破がいうように「トイレのないマンション」を推進、つくり続けた元凶の責任はトウダイ原子力村エスタブリッシュメントやジミントウ時代に遡る。それを追及されたくないが、問題のすり替え&責任逃れのために、事故後の対応ばかりを論(あげつら)う。ええ加減にせい!とニュースは最近、見ないことにしている。いくら騒いでも、「危機的事態」は何も変わらない。M紙や東京新聞が、冷静に検証している。(5月26日)

晴れときどき阿呆果 吐く息

 重く暗澹とした雲が垂れ込む荒野でいる夢を観た。ときどき胸が圧迫されて息苦しいので覚醒すると、まだ息が吐けるので文字通りホッと一息。
 早ければ3年だとSCDを診断されて6年。近頃は歩行器代わりにしていた車椅子ものったまま過ごす一日になった。誤嚥もままある。手足がフリーズする回数が頻繁になった.
ストイックの語源、ストア学派の祖、ゼノンは加齢で歩き出したとき躓いたのを悟り、自ら呼吸を止めたという。そんなこと可能なのかな?誰しもピンピン&コロリを願っているが、両親や兄の臨終は間に合わなかったので、奈落ではどうなるのか、ついつい考えてしまう。悪夢をみるのはそのせいか。:
白洲正子が、祖父(海軍大将、伯爵・樺山資紀)86歳で隠居先の大磯で息を引き取るときに立ち会った思い出を書いている。
 やがて祖父は深い息を二、三度すると、妙にあたりが静かになり、「ご臨終です」と、お医者さんがいわれた。いかにも最期の生命の火が燃え尽きるという感じで、私の記憶に間違いがなければ、そういう呼吸のことをシャイネストークというと、あとから先生が話して下さった。空気は吸っても、吐く力を失った時が臨終で、「息を引き取る」という言葉もそこから出たものに違いない。
 だが最近は延命装置普及して、医者も簡単に息を引き取らせない風潮が行き渡り、身内も延命に同意すると白洲は嘆息していた。願わくはピンピン&コロリと逝きたいな!(5月23日)

晴れときどき阿呆果 カズオ・イシグロ

 夜、ETVで「カズオ・イシグロをさがしてIN SAERCH OF ISHIGURO」観る。イシグロの英語も聴き取りやすく、インタヴューした福岡伸一の質問も興味深かった!
カズオ・イシグロ(石黒一雄)。五六歳。長崎に生まれ、日本の血筋を持った彼は、現代イギリスを代表する作家である。これまでもイギリス文学最高賞であるブッカー賞を獲得するなど、ノーベル文学賞に最も近い存在のひとりとも言われる。05年の話題作「私を離さないで」が映画化を軸にイシグロに迫っていく。ドナーになるために生育されるクローン人間がテーマだ。記憶と命のはかなさ、尊さ・・・・・・。福岡伸一は、イシグロの作品世界の底にある領域を探求し、「生きること・生命とは何なのか」を捉える。分子がまったく入れ替わったのに「動的平衡」で不変の個人として存在する人間に、確かなことは「記憶MEMORY」だけが存在している?。

晴れときどき阿呆果 アカハタ引用

 K社のSさんが、銀座を取り巻き引き連れ練り歩く姿を観たというのでこのくそジジイ!と普段は思っていたが、M紙のI氏が今日のコラムで珍しく共産党アカハタ記事を引用している。
 14日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」に3ページにわたって掲載された不破哲三社会科学研究所長(81)の<原発災害講義>は出色だった。日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい。 不破が同党の書記局長、委員長時代、三木、大平、鈴木、小渕の四つの自民党政権下で追及してきた実績が講義の裏付けになっている。二十数年間、原発災害という同じテーマで質問し続けた唯一の政治家だ。長年の論戦の実感として、不破は、「質問に答える政府側が、原子力の問題をほとんど知らないで済ませていることにあきれ続けた」と述懐している。
 最初の質問は1976年の三木政権下。当時、原発は6カ所に9基、さらに増設計画が進んでいた。不破は、 「原発の一つ一つが安全かどうかの審査をきちんとやっていると責任をもって言えるか」とただし、佐々木義武科技庁長官が、「十分やっている」 と答えた。ところが、審査体制を調べると、アメリカは1900人の技術スタッフがいるのに、日本は全員非常勤のアルバイト仕事。審査といっても設計図をみるだけだった。
 さらに、福島原発でも大問題の使用済み核燃料についても質問したが、まともな答弁がない。いま、不破は、「政府側がほとんど何も知らないことに驚いた。それから35年たっても、原発の後始末の面では何の手も打たれていない。だから、原発は<トイレなきマンション>と言われてきたのだ」と語る。
 80年(大平)にはスリーマイル島事故の教訓、81年(鈴木)は東海地震と浜岡原発、99年(小渕)は国際条約違反問題を取り上げた。だが、政府側の反応はすべて<安全神話>に浸りきったものだった。不破が言う。
 「菅内閣の対応は本当にだらしなく、政権党として考えられない。しかし、こういう事態をつくり出したのは、2年前まで政権を担ってきた自民党だ。国民的大災害の根源である自民党の歴史的責任に口をぬぐい、今の対応だけを追及して済まそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思う」
 講義の最後で不破は次の二つの問題を訴えている。(1)原発からの撤退を戦略的に決断する(2)安全最優先の権限と責任をもった原子力の審査・規制体制を緊急につくりあげる(撤退しても後始末に少なくとも20年ぐらいかかる)
と引用は続く。 (5月21日)

晴れときどき阿呆果 

 目に青葉、耳もとでウグイスが鳴き続ける。(5月20日)

晴れときどき阿呆果 210歳、綾部へ行く

 久しぶりに小学校同窓の竹馬の朋友がドライブに連れ出してくれた「210歳のドライブ」。行く先は語感もいい「綾部」!GENちゃんは「サンデー毎日初年兵」。YUKさんはリタイア10年のベテラン、考古学と韓国探求にもっぱら精を出している。綾部への言いだしっぺGENちゃん「地道に地元産業から始めたグンゼは一見の価値アリ」という。道中はなしもいつも正義感に満ちている。塚口のグンゼ跡地に「つかしん」モールが出来た経緯のとっくにご存知。ちかごろ、元尼崎市長の美人がグンゼの取締役に迎え入れたニュースで「ペーペーは終生ペーペーで終るネン。何か空しいねえ」とエスタブリッシュ批判。YUKさん「何故か近ごろ、目が行く新聞の紙面下。訃報記事を見て、まあ70歳超だったら「しあないかな」と妙に納得してるんやでえ、と。
「つかしん」開設時は畏友IZさんが広告代理店担当者、INさんは進出したSEIBU担当者だったので「いい目」をさせてもらったし、行く先のグンゼには某先輩の賢夫人が診療所スタッフだったいきさつをよく聞いた。また、S紙で顔を合わせた女性漫画家Fさんも同社広報スタッフでつとに有名だったことなど車中思いだした。さて、
私市円山古墳 まずは福知山ICで降り、勇猛果敢な福知山連隊跡の自衛隊用地を見ながら由良川を渡る。田植え真っ最中もある田園風景を見ながら舞鶴道の一角に「私市円山古墳」が見えてきた。ここは旧の何鹿(いかるが)郡だという、私市(きさいち)という古名もなんとなく了解。綾部は漢部(あやべ)だったかもしれない。高速道路の補助金で造られただろう古墳公園の駐車場入り、頂上の古墳を見上げる。円墳からは高速道や由良川など周辺が一望できるだろうが、山道、アクセスは断念。GENちゃん曰く「兵庫の五色塚と同じやナ、かの地は明石海峡を見下ろす王が、ここは由良川を見下ろす王がおったんやでえ」YUKさん、愛機を持って古墳踏破に挑戦。高速道を走る車の騒音が駐車場まで響く。こんな静かな里にとGENちゃん。暫時、若葉を見上げて休息。汗かいたYUKさんが降りてきて『上まで登った。陶製の埴輪などが復元されているが一部壊されている、嘆かわしい』と嘆息。YUKさん&解説版によると、古墳は高速道予定ルートで1987年に調査が入り、標高94㍍の山頂で経塚発見。翌年調査で巨大な円墳であることが判明。古墳時代中期(5世紀)のものと推定され、方墳では京都府下最大。自然の山地を利用して直径70㍍、高さ10㍍、南東部に18㍍・長さ10㍍の造り出しを設けて墳丘全面に葺石(川原の石)を置き、3段築成で2段にわたって約1,500個の埴輪を周らす。円筒埴輪が主で、造り出しには家型、盾形などの形象埴輪も。古墳頂部は13㍍の円形で木管直葬、粘土を張った主体部が東方向に2基、南北方向に1基あったらしい。東西方向の主体部分は同じ形式で足元部分に甲胄類一式、鏡、鉄鏃、など。棺中央から頭部にかけて玉類・鉄槍などあったという。北部主体部からは矢をいれる胡籙(ころく)も発掘。すべて市立綾部資料館収蔵。
「ゆらり」でヒルメシ 公園駐車場から由良川に沿って綾部駅前を目指す。JR綾部駅は京都から来る山陰線・舞鶴へ行く舞鶴線・福知山経由大阪へ行く福知山線の分岐点。鉄キチでもあるGENちゃんが戦前の軍部主導の鉄路輸送について解説をしてくれる。駅前で一旦停車。オバアサンの多い待合室を兼ねた駅前案内所でバリアフリートイレに連れてもらい準備ヨシ!GENちゃんが観光案内+昼飯情報を仕入れてくれる。案内所で聞いた「ゆらり広小路」がバリアフリーというので訊ねて行く。駅前通をすこし入ったところに古い商家風の店。吹き抜け太い梁がむき出しの今風レイアウト、BOSEのスピーカーが目に付く。平日なのにほぼ満席。1500円ランチをオーダー、たっぷり待ったら丁寧な懐石風ランチが出てきて、天ぷらは揚げたて。珈琲ケーキがついて満足。中庭もあり落ち着けるランチタイムだった。
グンゼ 駅東の西町アイタウン(目抜き商店街?シャッターがしまっている店多い)を通って山陰線と舞鶴線のレールを横切ると行く手に年代物の建物、グンゼ綾部本社らしい。一番奥はメディカル事業部で使用中。創業者・波多野鶴吉の顕彰碑アリ。何鹿郡の経済発展は地場産業の蚕糸業以外にないと、これを社是ならぬ「郡是」に「地域社会と共存共栄する理想の会社」を1896年、興したとあり、以来110年余。駐車場に車を置き、受付へ。入場料300円(障碍者200円)で記念の繭玉とリーフレット。上履きに履き替えて観覧、車椅子は受付女性がタオルを持参、汚れを拭ってからと指示される。「歴史蔵」では繭の関係資料、織機など。2FへはEVがあり、錦絵などが見られる。ファッション蔵は懐かしいパンストなどの資料。メリヤス(莫大小)から発展する新機能蔵。説明版にスペイン語medias、ポルトガル語でmeias (くつ下)の意。「莫大小」は「大小莫(な)し」の意で伸縮自在であるところからの当て字が使われた由。博物館を名のらず、博物「苑」なのは博物館法適用のシバリを避けるためか。ナールほど!駐車場からのアプローチといい、ちょっとバリアが多すぎる。
景徳山安国寺 ぼちぼち3時近く、もう1カ所、室町幕府開闢の足利尊氏(1305-1358) ゆかりという安国寺への道を辿る。ほどなく舞鶴道の高架近くに寺が見えた。このあたり上杉の荘と呼ばれたらしい。道標どおり駐車所へ上がると、開山堂と宝篋印塔が三基、無銘だが南北朝期の仏塔。三基は左に母堂清子(1342年没)、中央が初代尊氏(1358年没)、右に妻登子(1365年没)古くから足利尊氏母子の墓碑とされている。息子の二代将軍義詮が父母没後、遺骨の一部を当地に迎え建立したという伝聞。秋の紅葉が名所らしいが、訪ねる人なく若葉が美しい。本堂へはバラス敷き詰めが難行だが、委細構わずGENちゃん車椅子押してくれ、YUKさんが轍を靴で消してくれアプローチ。茅葺の本堂がひっそり、うまく齢を重ねた好々爺のように好ましい佇まい。『タカウジ』といえば、皇国史観で「逆賊」、弓削道鏡、田沼意次に並ぶ3悪人の一人でパラノイア説もあった。戦前国史教科書(復刻版)で観た馬上の騎士スタイルの肖像画が一般的だが、滋賀県近代美術館で片岡球子が描いた肖像画を観て「おもろそうなオヤジ」にイメージが変わった。片岡は京都・等持院に残る木像をモデルにしたらしい。カリスマ性はあったものの後醍醐上皇に止めを射せず、内部調整が下手。頼朝や家康に及ばずという、海音寺潮五郎や井沢元彦の評価も頷ける。天皇VS武家の軋轢が尊氏跋扈で日本全土に拡散、南北朝狂乱の世の中になって行く。夢窓疎石を重用して天竜寺を寄進したというが、片岡が描くとおりの人物なら一度、逢ってみたいオッサンではある。
 帰路、道端に尊氏公産湯の井戸とある。1305年(嘉元3年)に鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の次男として生まれた。生誕地は綾部説(当地・綾部市上杉荘)、鎌倉説、足利荘説(栃木県足利市)の3説あるらしい。『難太平記』は尊氏が出生して産湯につかった際、2羽の山鳩が飛んできて1羽は尊氏の肩に止まり、1羽は柄杓に止まったという伝説を伝えている。かくて、舞鶴道綾部ICへ急ぎ、西紀SAでトイレ休憩後、宝塚IC5時着。5時半、無事帰宅。またまた気の置けない両君に甘えて極上の日を過ごした。(5月19日)

晴れときどき阿呆果 死後はない!

 帰宅して夕食前に介助してもらいながら入浴。バスタブに浸かると「生きていること」を実感!朝食時の生存感と同じ。
 入浴後、新聞広げると「車椅子の物理学者」スティーブン・ホーキング博士(69歳)が5月16日、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語ったという。「天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考え」をきっぱり否定したらしい。別段言うことないか!!(5月18日)




▲公園でのスケッチ


5月29日(日)XP?

 雨、6時起床。BEDで朝刊。脱力感一層!
 朝食前、テーブルについて誤嚥!昨夜同様状況でかなりシンドイ誤嚥だった!!
 雨で外出不可能、NHK日曜美術館「ルドン・オディロン」を観てCLIPPING。
 3時前まで午睡。起きて野球中継「虎組ようやく一矢」を観て、夕食まで着色。

XPのはなし
 夜、BSTVでドキュメントつくりの番組を観ていたら「色素性乾皮症(Xeroderma Pigmentosum “XP”)の子どもたちの闘病生活の記録する話がレポートされていた。
知らないこと、障碍者を見たことがないことから偏見や障碍者差別を生じやすいが、ここにも、始めて知る病気!

「日の光に当たれない病」で「夜しか活動出来ない病気」難病だ。夜間しか表へ出て遊べない子どもたちがいることに驚きだ。しかも、この病は分類されている一部を除き、元となる皮膚疾患に加え、若年発症であれば聴力障害や知能障害と言った日常生活すら困難になる神経障害なども確認されている。また、成年近くなると摂食障害を起こす例もあり、気管切開や経管栄養補充必要な深刻な状態にもなり得るケースもある。
問題なのは「小児慢性特定疾患治療研究事業」の対象疾患に指定され、07年3月には「難治性疾患克服研究事業」の対象疾患に指定されたが、未だ「特定疾患治療研究事業」の対象疾患には指定されておらず、医療費公費負担助成を受けることはできない。今のところ署名運動の段階にあるという。障碍者の暮らしを好奇で見つめる人々には、考えられない病気だろう。

5月28日(土)雨の前にエクササイズ

 6時覚醒、BEDで朝刊。トップはTEPCO社長、震災当日、秘書を連れて奈良観光だと判明。
 7時半起床。雨模様だが朝食済ませ公園へ。道が悪く車椅子がめり込むので、南ゲートから。ゲート前にはいつもこの時間に耶曾教の信者が布教で立っていて元気に挨拶。『信じる強さ』をいつも見せ付けられる。
自宅植木鉢の廃土を撒いてもらい、鉄棒の雨滴を拭いてもらい伝い歩き、後ろに引っ張られバランス崩す!すんでのところで、何とか起き上がる!靴裏の砂を拭ってもらい、車椅子押し歩き4ブロック終了。雨粒ポロポロ。
 帰宅してCLIPPING。
 午睡2時半まで、起きて着色。
 Oさんからもメール。近況と旅行の提案にお礼の返信。
 夕食前、飲料を飲み損ねて誤嚥!油断がちだった、反省!!


5月27日(金)午睡せず映画

 胸に圧迫感、両肩に脱力感鬱積で張り裂けそう!!!は言い過ぎか?6時前に覚醒、7時起床。昨日に遡って気象台は平年より12日早い「入梅宣言」。
 9時に一旦公園へ向かうが、大粒の雨で引き返す。10時過ぎ、再度出る。雨模様なのに鉄棒周辺に大勢の遠足の生徒。「タンポポをいくつ見つけたか?鳥の巣はあったか?」などプリントを手に三々五々少人数で駆け回る。すでに80歳翁が伝い歩き中。挨拶して道を譲ってもらいながら4周、幼児の交通安全教室を尻目に車椅子押し歩き4ブロック。終って薔薇が香り、咲き競う花壇に連れてもらう。明日からの雨に備えて係員が懸命に満開の薔薇花弁を摘花中。ねぎらいの声をかけたら「雨が降ると雨滴がたまって、薔薇が枝ごと折れるから」と解説してくれる。久しぶりに赤ジャンパーのUさんに出会いエール交歓。今日も池畔でカルガモ親子の見物多い。Uさんが手招き、初見だという。団地まで戻るとホタルブクロ、アジサイが咲き、ツバメが行き交う。
 昼食後、BSで仏映画「約束の旅路」観て午睡せず。夕刻までスケッチ着色。

金曜日, 5月 27, 2011









▲スケッチ14日~20日



5月26日(木)起き上がり、揺らぐ!

 6時覚醒、疲れか二度寝して7時半起床。曇天だがまだ晴れ間が少し。
起き上がり上体起こしで揺らぐ。一段とバランス悪くなった!
 9時過ぎ公園へ、途中で長老Nさんに出会い挨拶。鉄棒では既に80歳老が伝い歩き中、挨拶して加わる。4周、車椅子押し4ブロック 、終えて花壇に連れてもらう。幼稚園児ら遠足、歌を歌いながら花壇を去る。池畔に、今日もカルガモ親子目当ての人多い。池に黄色の菖蒲満開、池の中ほどにカモの親&雛5羽。しばらく様子見て帰宅。
 午睡2時半まで、起きてなお全身脱力感!昨日のスケッチ手入れ。

5月25日(水)信楽ドライブ

 6時起床。快晴、絶好のドライブ日和。MAX27℃の予報。明日から天気が下り坂、娘からとりあえず信楽方面へ行くとの連絡アリ。
 9時半出発、中国道豊中ICから名神・草津PAでトイレ休憩、昼食買い出し。タイ寿司や柿の葉寿司、オニギリなどを仕入れ、新名神・信楽IC。正午、県立陶芸の森に到着。
 陶芸館で『特別展ウィリアムス・ド・モーガンWILLIAM DE MORGAN展』鑑賞(障害者は介助者と無料はアリガタイ!さすが滋賀県)。19世紀英国のアート&クラフツもう一人の巨匠のタイルと陶器と惹句。産業革命に成功した英国で精神的豊かさを奪われた労働者に、生活と深く結びついた中世の手工業を唱えたウィリアムス・モリスが美術工芸運動を主導。モーガン(1839-1917)も1872年に小さ
な工房を開設、大量生産のタイルや陶器に抗して、手工業的手法で独自のスタイルを開発。ルビー・ラスター彩(薄い金属の皮膜で覆う)の再現を工夫した。珍奇な動物や植物のデザインが面白いし、ラズラピリー色のBLUEが目に付いて美しかった。

 坂を下って信楽産業展示館前のもみじ池前の木陰ベンチで昼食にする。観天望気に長けた婿殿が南西の空に『彩雲』発見、しばし七色を楽しんで弁当開く。

 終って、2時出発、草津・烏丸半島に突き出た水生植物園・水の森を目指す。植物園駐車場に車を置いて東側の水辺道 路まで連れてもらい、蓮の群生池を前に近江富士をバックに休息。風が心地よい!道の駅・草津でトイレ、ソフトクリーム休憩。3時半出発、4時10分豊中IC着。4時40分、帰宅&爆睡6時まで。

5月24日(火)夕刻なのにいつもの80歳翁

 7時半起床。雨上がり、快晴だがエクササイズは午後、土が乾いてから出ないと無理だろう。CLIPPING。
 午睡たっぷり3時前まで。娘が歯医者帰りに寄る。一緒に珈琲ブレーク。4時公園へ、エレベーターでY夫妻と一緒になる。Y夫人 が杖を、40日間入院で膝に人工関節を入れ、リハビリに公園へ行くという。公園はかなり土砂が流れている。鉄棒には武庫町の80翁が 伝い歩き中、一緒に加わって道を譲ってもらう。車椅子押し歩き4ブロックも無事終了。久しぶりに商店街へ連れてもらい、帰路、80歳翁が息子に介助されて信号から大きく手を振っているのを見て応える。

5月23日(月)本棚整理

 雨、6時半起床。BEDで朝刊。終日雨でエクササイズ出られず。CLIPPING&BLOGのUP。
 BOBへの返信作文。2時半、写真9枚添付して返信。
 夕食まで本棚を整理、読まない本や順序を入れ替え。書店同様、平積みしないとなかなか目に付かないぞ!廃棄30冊。

月曜日, 5月 23, 2011


▲上は綾部の景徳山安国寺(足利尊氏の墓と産湯がある?)下は公園のカルガモ


5月22日(日)BOBからメール

6時起床。雨模様。
朝食後すぐ8時前、公園へ。外周水路にカメラを持った数人、どうやら昨日のカルガモ親子らしい。鉄棒には既に80老が伝い歩き、ストレッチの人もいて混ぜてもらう。前のベンチでオカリナの練習をするオバサン、もう七夕の歌練習中。小雨交じりの中、4周して車椅子押し4ブロック。早々に帰路に、水路沿いに人だかり。カルガモ親子、水路に移動して親子で石垣に付いた藻を啄ばみながら移動、噴水池に。フラッシュがたかれ、カメラが大勢。

 午睡3時前まで、起きたらBOBからメール。
Subject: Greetings Kohsukeどうしてる?  Date: Sun, 22 May 2011 11:59:25 +0930
『ハローKOHSUKE、皆さん元気かい、こちらはみんなOKだよ。前のメールでホームドクターの往診を受けると聞いたけど勿論大丈夫だったろうね。いつもの日曜だったら午前中はユリシーズ・バイク・グループのツアーで出掛けるところだったが、今朝はあいにくの雨、キャンセルしちゃったよ。メリディスはアデレードへ8日間の予定で双子の姉妹宅に出掛けた。多分、戻ってくるときは姉妹と一緒だろう。
私は市議会とカレッジ理事会で相変わらず忙しくしてるよ。先の2週と今週の夜は、金曜以外すべてミーティングが開かれる。木曜日に開催予定のカレッジ年次理事会ANNUAL GENERAL MEETINGには再度、理事長にノミネートされる予定だ。キミも週末には娘さん夫妻やまやNETの仲間と予定があって動くのに忙しいだろうと思ってる。楽しい報告をまた教えてよ。
こちらの天候はまずまずで、マイルドだよ。先週は23℃の日が2,3日続いて間もなく少し冷えてくる。私にとって寒さは心地よくないんで嫌いだがね。そちらはぼちぼち暑くなって夏到来かな。アウトドアーに快適だろうし、エクササイズにもいいね。また遠出も楽しめるしね。
アンドリューとジェーミーとその連れ合いたちも変わりないよ。ジェーミーのところは種蒔きの雨待ちだよ。予報によればかの地は今日ぐらいから雨、適当な降雨で収穫目指して農作業が始まるように私も祈ってるところだよ。私のところの報告はそんなところだ。キミの楽しいニュースを待ってるよ。キミとご家族のみなさんにLOVEとご多幸を!!じゃあねBOB XXXXXX(チョメチョメ印し) 』
 夜、NHKETVで「カズオ・イシグロをさがしてIN SAERCH OFISHIGURO」観る。イシグロの英語も聴き取りやすく、インタヴューした福岡伸一の質問も興味深かった!

5月21日(土)カルガモ親子

 6時半起床。晴れて蒸し暑い。

 8時半、公園へ。鉄棒、すでに車椅子の80歳老がエクササイズ中。挨拶して一緒に伝い歩き。老派まだ独力で立位できるので交差するたびに道を譲ってくれる。カだ!防虫薬を噴霧してもらい4周。車椅子押し4ブロック終わり、花壇の薔薇観て、池畔へ。コリーのオジサンに出会い「池で化もが雛5羽連れてるよ。昨日6羽だったのに、1羽カラスにやられたみたい」と。なるほど南端に望遠レンズを構えたオジサンたち4、5人も含めてウォーキング・オバサンのグループも人だかり。混じってデジカメ撮る。林の一角ではテント村がイベントの準備中、マイクテストが響く。

 11時、ケアマネMさん来て現状ヒアリングと来月分介護計画。
 午睡2時半まで。綾部行の資料整理。夜、NHKラジオ朗読の時間『五木寛之・親鸞36~40回、範宴(はんねん)を名のる親鸞が比叡を捨て法然の吉水院へ行く決意を固めたところ』聴いて就寝。


5月20日(金)大野山へピクニック

 6時半起床。快晴。朝食後、娘から快晴なのでドライブのお誘い。
 8時過ぎ、公園へ。鉄棒4周&車椅子押し4ブロックことなく終了。既に盛りの花壇の薔薇を見せてもらい帰宅。訪問看護に備える。11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温35.0℃、血圧114-78。ちょっと血圧低いかな、ホームドクターW先生に提出のレポ・コピーを渡す。全般的に異常はないが機能低下&誤嚥の頻度も少なくないことを言う。
 11時半、娘夫婦の迎えで一路、能勢方面に。猪名川道の駅を過ぎ、杉生(すぎお)から大野山アルプスランド登山道を一気に上がる。山道に沿ってツツジが咲く。途中、婿殿が道傍にウォーンバットのような動物発見、逃げないのでしばらく注視。1時過ぎ、山頂広場に着き、娘お手製のオコワ弁当。しばし休息。吹く風が心地よい!!家人はワラビ採り。娘たちは752㍍ポイントへ。爽快なPICNIK。2時過ぎ下山、水を張った棚田が綺麗。少し下がって杉生を過ぎると、ここかしこで田植え。帰路はいつものように猪名川道の駅でトイレ・野菜買出し休憩。KONNEでアンパン買って食う。4時帰着、5時過ぎまで爆睡!

5月19日(木)綾部へドライブ

 6時半起床。絶好の快晴!朝食をとり、お楽しみ210歳トリオのドライブ出発準備。
 9時過ぎ、GEN&YUKさんを乗せた車が団地に出迎え。中国道宝塚ICから吉川JCを経て舞鶴道・福知山ICへ。砂原(いさ)駅前から由良川を渡ると観鶴道の一角に私市丸山古墳が姿を見せる。駐車場で待機、YUKさんが古墳を踏破。復元した古墳は痛みがひどく陶製の埴輪も破損していたという。綾部随一の「ゆらり広小路」で昼食。グンゼ博物苑から景徳山安国寺を観て、舞鶴道・綾部ICから西紀SAでトイレ休憩。両友に送られて5時半帰宅。ただちに爆睡!

5月18日(水)バスタブに浸かって生を実感

 6時前起床、快晴。BEDで新聞、あいかわらずスカッとする記事なし。
 家人は陶芸で公民館へ。CLIPPINGを始める。明日のドライブ資料検索。

 昼食後2時半までSIESTA。
 4時前、公園へ。鉄棒4周、車椅子押し4ブロック。小さな虫が頻繁に飛ぶ。帰宅して夕食前に介助してもらいながら入浴。バスタブに浸かると「生きていること」を実感!朝食時の生存感と同じ。

水曜日, 5月 18, 2011

    ▲団地前に咲いた花


5月17日(火)地塗りシコシコ

 6時半起床。晴れているが蒸せる。
 朝食とりながらNHKニュース観たら、また世論調査。いったい内閣辞職など選択肢の多い質問に電話で回答するのだろうか?何故か空しい。
 またもや節電奨励のニュース。節水も同じだが、「儲からんからとても節水ナンテ本音ではないんだよ」と言った水道関係者を思い出した。
 8時半過ぎ、公園へ、人がいない。鉄棒4周中、耶曾教布教ネクタイ老人が「お早うございます。頑張っておられますね」といって通り過ぎる。車椅子押し歩き、始動がツライ!右足を引きずり靴底が気になる。4ブロックを終え、木立に連れてもらい一服、スケッチしようと思ったら虫が多い。オマケにK係員が「ごめんね」と清掃作業。掃除機で砂塵を巻き上げるので退散。
午睡2時半まで。3時半、娘が惣菜を取りに来て、一緒に珈琲ブレーク。
夕食まで青系統の地塗りをシコシコ。

5月16日(月)イッパイ飲まな?

 6時半起床。晴れてはいるが。
 8時半過ぎ、公園へ。鉄棒中、神社脇のオジサン来てストレッチ始める。「どうすこしはよくなった?重錘はまだやってるの?」裾をめくって見せると納得。「イッパイ飲まなアカンでえ!」と慰めてくれる。除草中の係員が手を振ってエール。せやけど、やっと生えた雑草まで刈らんといて、言いたいけど!車椅子押し歩き4ブロック。木立の中のベンチへ連れてもらい、一服。
 午睡2時過ぎまで、以降、制作。
 夜、入浴時にGENちゃんから電話。19日ドライブの件。
10時からBS映画オードリーの63年「シャレードCHARADE」観る。K・グラントのCIAに加えてW・マッソー、J・コバーン、J・ケネディーのワル役3人が懐かしい。粋な映画をつくっていたなあ!




火曜日, 5月 17, 2011







▲上は日田の小鹿田(オンダ)焼登り窯風景、中は霧島山中の田の神サア、下はスケッチ5月8日



晴れときどき阿呆果 中電、浜岡再開の報

 CLIPPINGしていたら田中龍作ジャーナルが『中部電力が市民に浜岡運転再開』の第一報!
日本プレスセンター内にある中部電力・東京支社に市民ら230人が14日午後「廃炉の要望書」を同支社・加藤隆之総務課長に手渡したところ、応対した同支社の加藤隆之総務課長は「防潮堤が完成する2年後には運転を再開する。廃炉にするつもりはない」ときっぱり言明したという。「運転停止は防潮堤が完成するまでの措置」―中部電力が固執する路線で、それを改めて市民に強調したまで。ここまで自信を持って言い切るには、政府のお墨付きを得ているのではないかとも勘繰りたくなる、と伝えるが。むろん大手メディアは伝えていない。(5月15日)

晴れときどき阿呆果 オウムの冥い思い出が

 『週刊新潮』5月19日号は【「原発ゼロ」なら日本はどうなるか】の特集を組み、さまざまな悲観的予想を紹介。結びは「原発をやめるかやめないかで解散総選挙をしたら、あなたはどちらに投票するか」と、あいかわらず「ヒヤカシ!」パターン。電力不安を掻き立て、正当右翼を標榜する魂胆ミエ見得。あの「正力・CIA説」を出版した社?と訝る。なるほど右翼が泣いて喜ぶ「共産主義体制の欠陥」をチェルノブイリは露呈してロシアは解体した。
 メルトダウンしたフクシマ第1原発事故が世界に与えた心理的衝撃はチェルノブイリをはるかに上回る。安心・安全・信頼では世界屈指のジャパンで原発事故が起きて、世界中は自国でも起きる可能性大の普遍的事象だと踏んでいる。フクシマ事故は現代文明が持つ冥界の一端をのぞかせた。95年のオウム事件と同じショックを世界中に与えだ。何一つ不自由のない恵まれた高学歴の若者たちが1人の指導者に心身をささげ、サリンや炭疽菌を開発した。当時、米国は事件に強い関心を示し、対テロ調査団を日本に派遣して背景を調べて、後になって01年9・11同時多発テロにおける国家対組織の非対称戦争を先取りした事件となっている。
 『日本は米国のように現代文明の先端を走っている国ではない。フランスのように世界に対するミッション(使命)を自負している国でもない。むしろロー・プロファイル(目立たず)の国だ。その日本が、現代文明が抱える深い闇を予兆させるような出来事をまれにだが引き起こす。効率一辺倒の生き方が、何か本質的なものを脇に追いやってしまったからなのか。安心・安全・信頼が表面的なものにすぎないからなのだろうか。しかもオウムは阪神大震災の時に起きている。3・11以降、「なぜ日本が」という問いが私の中で続いている。』 M紙、西川恵専門編集委員は今日のコラム(金言)でいう。(5月13日)

晴れときどき阿呆果 原発単価の高さ

 ながらTVで朝食。TV朝日が「原発の発電原価は本当に安いのか?」と検証まがいをやっていた。電事連データのエエとこ採りを京大・小出助教授、もう一人関西の学者(同志社教授?)が指摘。河野太郎議員も経済産業省が黒塗りデータしか提示できなかった経緯をコメント。「導入時(過去)からの利権のしがらみ」とはっきり言明。
 電源3法があって交付金の額がハンパではない。資源エネルギー庁によれば、たとえば出力135万キロワットの原発を造る場合は、まず運転開始までの10年間に449億円が地元へ。その後も年々20億円ほどが投下される。全国自治体に渡る交付金総額は年間約1200億円。ほかにも立地市町村や周辺への「原発マネー」は過疎に苦しむ地域にとっては本当にありがたかろう。ハコモノの建設を競い合い、○○プラザとか△△センターの豪華施設が鎮座する。もちろん、福島も浜岡も。過去30年余りに及ぶ国の立地対策として原発マネーから抜け出せぬ悩みをもたらしたのが電源3法。エネルギー政策のきしみを根本から考える時期でもあろうか。
 原発奨励TVCMのタレントはじめ、マスメディア、広告代理店、学者に至るもろもろの衆が恩恵をこうむった後の祭りは、どうなる? (5月12日)

晴れときどき阿呆果 暴走してるのは?

浜岡原発停止の言い分が通ったM紙コラムニスト山田孝男は「暴走してるのはどっちや?」と今日も言う。快哉!あっぱれ!
 問題の核心は、何がなんでも電気をつくり、使い続けようという人々と、流れを変えようとする人々の綱引きだ。全原発の即時停止が非現実的だということは誰も知っている。「危険な原発は他にもあるから浜岡を止めるな」は通らない。危険なら他の原発も中期的に抑制するのが当たり前だろう。
 これは、福島の、あれだけの惨状を直視して原発依存を見直そうという常識と、福島を見くびり、過去の惰性に開き直る時代錯誤との戦いである。首相の次の一手に注目する。(5月09日)

晴れときどき阿呆果 55体制の残骸

 贔屓の藤森照信の書評記事を眺めていたら、堀田典裕・著『自動車と建築――モータリゼーション時代の環境デザイン』(河出ブックス)を紹介していて、うなづき二重丸!
この本に書かれた車と建築の関係を、戦後史の中に置いてみると面白い。
 50年、庭付き一戸建ちを推進するため住宅金融公庫創設。政府によるこの国民小資産所有計画に対し、55年、社会党主導により、私所有ではなく賃貸の集合住宅推進を目的に日本住宅公団設立。同年、政府、国民車(軽自動車のこと)開発を各社に指示。翌年、アメリカからワトキンス調査団が来日し、高速道路建設を提言。住宅と車は、国民生活レヴェルにおける55年体制の物的基盤として、車の両輪のごとくして動き始めたのである。
ナールほど!当方のビンボウ生活の歴史をなぞるなあ!依然、55体制は矍鑠として残っている。(5月08日)

晴れときどき阿呆果 KAN、浜岡に停止要請したが

 静岡・浜岡原発は30年以内に87%の確率で起きるとされる「東海地震」想定震源域にあり、今月18日にM紙山田孝雄が正面切って提案して以降、M紙は浜岡原発停止を主張してきた。案の定、KANが取り舵を切って中部電力に停止要請。今朝のM紙は黒ベタ白字抜きで伝える!BBCもヘッドラインの中で取り上げた。世間筋は内閣延命策とかパーフォーマンス論評するに違いない。M紙は社説も「浜岡停止要請・首相の決断を評価する」
 KANの「最小不幸社会」は、弱者に手を差し伸べるはず。このまま押し走る姿勢を見守るしかない。5日に思わず官邸にメールを入れたが、フクシマ原発避難に際しての一時帰宅に脚の不自由な足手まといは除外というのは「最小不幸社会」より「最大多数の最大幸福」が大事のジミントウ政治と何の違いもなくなる!
あのエロい渡辺淳一が『波5月号』で、KANをこう評している。
たとえばいま菅総理のことについて、社説から評論まで異口同音に「決断力がない」「政治力がない」と批判するけど、そんなことなら素人にも言える。ただ駄目な総理だと言うだけでは、プロとして金を取れるはずがない。いまは時事問題ではなく戦後史をテーマにしているので書けなかったが、僕ならば、「歴代総理のなかで最も民主的な総理」と書きたい。なぜなら自分ひとりでは何も決められず、これだけみんなに振り回されている菅氏はまさに民主主義者。中小企業の社長だって、社内ではもっと権力を持って独裁的でしょう。
なるほど、こういう判断もあるなあ!
ミンシュトウはリベラル政党である。競争社会の弊害、格差や不公平を減らしてくれると踏んだ多数の有権者が希望を託した。が、口約と実際の振る舞いとの落差の多さに失望も買った。震災をタネに被災者より政局優先の「国民生活第一」政治なのか?ぼんぼん政治家が口にする「友愛政治」は、この震災でどう作用したのか?(5月07日)

晴れときどき阿呆果 クレーの秘密


 国立京都近代美術館の駐車料金と観覧料がタダだったかもしれない。観て得をした気分にしてくれることってある。よくぞこれだけ集めたと思わせる作品群。私が生まれた1940年に没したパウル・クレーの思い描くイメージに堪能できた少しばかり追想できた一日だった。
 ニューヨーカーのソウル・スタインベルグが真似、ベルギーのミシェル・フォロンがそのままパくった線描・構図!ヴァイオリニストでもあったクレーに脱帽!
 詩人でもあった瀧口修造は「クレーの素描は実に空間を怖れるものの筆である」「直線は、それが定規でひかれたような線でも、空間に脅えながら進む線だ」と評する。
ふと、クレーの絵に岡本信二郎の世界を見たが、クレーは子供のように無邪気な世界と混同される誤謬を正していく。「私はむしろ子供の世界を火のように盗んできた有邪気な芸術家であったのだと理解したい」。瀧口は二十年後の詩的断章に「遥(はる)かな鉱脈深く石の虹が眠る」と書いたが、石のように堅い純粋な芸術の謎は謎のままとどめる、たしなみを忘れない。(5月06日)

月曜日, 5月 16, 2011





▲8日、BOBのバイクツアー 仲間集合


5月15日(日)裸足になりたいな

隘路を行く車の助手席で行く手に障害物、垂直になった車で慌てふためく夢で覚醒5時半。6時半起床。快晴!
8時過ぎ公園へ。まだ人まばら、鉄棒を始めたら脊椎手術後調子の悪い80老ガ車椅子を息子に押してもらいやってくる。エール交歓し4周終了。車椅子押し歩き4ブロックも終えたところで、脊椎損傷右足内捻転のオジサン登場、挨拶。脊椎損傷が多いなあ!花壇へ連れてもらい暫し薔薇をスケッチ。武庫川堤防に沿った伏流水の農業用水路を進んでもらう。いつか見た街の風景に白昼夢が誘う。木漏れ日とひんやり冷気が快感だ。吹き溜まりの春落ち葉を踏む感覚が欲しい。下駄を素足に履いた日が懐かしい!裸足になりたい日!
帰宅したら婿殿実家から仁淀の新茶届く。
午睡後、スケッチ着色。

5月14日(土)ドミンゴ!

6時起床。快晴、BEDで朝刊。
8時半、早くも公園へ。人まばら、涼風が拭いて快適。鉄棒伝い歩き4周、車椅子押し歩き4ブロック終えて花壇に連れてもらう。花たちが咲きそろうが、水路に茶色の藻で見た目が悪く、去年いた小魚が皆無。池畔に菖蒲が咲いているので移動させてもらう、黄色とほんのわずかな紫色が咲いている。葦が皆刈られていて殺風景。伏流水の湧き口からも水が出ていない。挨拶の人がいて振り返るとコリーの夫妻。「こんなところでお会いするなんて。20羽近いカモも一羽だけになって殺風景ですな」と。林の木立に移動、ベンチで暫時吹く風に身を任せる。
午睡後、スケッチ。
夜、NHKBSで谷村新司のプラシド・ドミンゴINTERVIEW観て入浴。
ドミンゴの聴き取りやすい英語に感服。サルスエラ歌手を両親にもち、青年期にメキシコに移住、歌手に。結婚、イスラエルからOFFERでテルアビブ歌劇場に。多民族の中、砂原美智子とも共演するなど確実にスターダムに。MET/MILAN/WIEN/LONDONの4大歌劇に。この一月で古希!来週土曜4時半からN響ズービン・メータの4月11日コンサートは必見!
Sacrifice(=自己犠牲)を身につけたドミンゴに乾杯だ。
ラジオ五木寛之『親鸞』を加賀見幸子の朗読―甲良坊と大病治療「自利利他」の節、を聴いて一致に感心、就寝。

5月13日(金)遠足で賑やかな公園

7時起床。4日ぶりに晴れ。多少黄沙の到来あるとか。
9時半、公園へ。遠足の児童が多い、鉄棒周りにも終結。右足内捻転オジサンが先着で挨拶。伝い歩き始める。ほどなく80歳のオジサンが息子に車椅子を押してもらい登場、鉄棒に加わる。挨拶をしてきた子どもに訊いたら「昆陽の里小学校2年」と答える。車椅子押し歩き、始動時てこずるが4ブロックこなす。終了時にまた大勢の子ども。また、訊いたら「瓦林小学校2年」といい、園内図を持参して散っていった。事務所から花壇へ連れてもらう。花壇入り口でオバアサンが「綺麗ね、ここは地所はどこですか?」に家人が心配してお一人ですかと訊いいたら、「併設幼稚園の園児とバスで宝塚から来た」小林の聖心らしい)に納得。緑の帽子の幼稚園児と老人が多数居たナッ。老幼交流はいいアイデアだ。
色とりどりの綺麗な薔薇を堪能。見事なシャクヤクを写生する青年アリ。花壇手入れ中のオバサンに声をかけてもらい、花に混じってスックと立つ雄雄しい麦を所望、頂く。ひさし振りの快晴で公園に賑やかな子どもの歓声が響く。千里丘からも幼稚園バスが来ていた。
午睡、2時半まで。3時前、Wドクターとナースが汗かきながら往診に来宅。階段を駆け上がって来たらしい。血圧144-98、聴診器による診断異常なし。レポを渡して読んでもらう。喉の薬ムコダイン再服用を処方してもらい握手して辞去。夕刻、家人がクリニックまで取りに行ってもらう。

5月12日(木)介護認定

7時起床。本日も雨!これで3日連続。
朝食中、TV朝日で原発単価が高いことを伝える。電事連データのエエとこ採りを京大・小出助教授、もう一人関西の学者(同志社?教授)が指摘。河野太郎議員も経済産業省が黒塗りデータしか提示できなかった経緯をコメント。「導入時(過去)からの利権のしがらみ」とはっきり言明。
雨でCLIPPINGや明日のホームドクター往診のレポ準備。
3時半、介護保険評価認定調査のTさん来宅。認知症の確認から、身体機能まで細かく1時間のヒアリング。2年前の「要介護2」認定更新時から機能低下を訴求。車椅子押し歩きの距離が極端に短くなったし、自宅内移動も車椅子に乗ったまま、誤嚥も増えたこと伝える。
入浴後髭剃り。


5月11日(水)薔薇華やか

7時起床。今日も予報どおり雨。CLIPPING途中で小降りなので、世界一美味い学校通りのベーカーリーHIROまで連れてもらう。帰りに小学校→中学校→公園まで脚を延ばしてもらう。小学校が耐震化工事を終え、外壁に太いパイプの鎹が目立つ。中学校は現在改装中。雨ぱらつくが公園のバラ園の薔薇が咲いたので寄ってもらう。香りが芳しいし、雨で樹々が鮮やかな新緑を誇示している。
午睡後、スケッチの着色試みる。
YUKさんから葉書の礼メールあり。

5月10日(火)雨。

6時半起床。予報どおりの雨!エクササイズ出られず。
午前、CLIPPING。
午睡2時半まで、以降、夕食まで「小鹿田焼・登り窯」着色。
夜、BSシネマ「ノー・マンズ・ランド=01年・仏・伊・英・ベルギー・スロベニア合作NO MAN'S LAND」観る。
ボスニア紛争でセルビア陣営とボスニア陣営の中間地帯に取り残された双方の兵士を描き、戦争を痛烈に風刺したブラック・コメディー。道に迷って中間地帯の塹壕に入り込んだボスニア兵チキ。偵察に来たセルビア兵と遭遇して敵同士協力せざる負えない状況になる中、悲劇的な結末。カンヌ映画祭脚本賞、アカデミー外国語映画賞ほか、世界中の映画祭で数々の賞を受賞。


5月9日(月)MISSINGに引き込まれる


暑いBEDでたびたび覚醒、7時起床。
今朝も両肩に強い脱力感。
9時、公園へ。鉄棒4周+車椅子押し歩きは昨日と同じやや軽い感じで4ブロック。郵便物投函してもらう。
帰宅して祝日のなかった愚息にメールで激励。
午睡たびたびDISTURBあり。
起きてDESK周り整頓するがカッターナイフの替え刃がなかなかうまく行かない、約半時間試行錯誤、やっと出来る。疲れた!
夜、BSシネマ「ミッシング82年米映画MISSING」観る。73年、チリの軍事クーデター中に起きた米国人失踪事件を事実に基づく社会派ドラマ。つい引き込まれて0時半のENDまで。カンヌ映画祭グランプリと男優賞(=父親役のジャック・レモンが嫁から反発を受けながら星の王子さまを愛読したヤワな息子を理解して死亡確定後、政府を訴える)をダブル受賞ほか、アカデミー脚色賞も。「何でも見てやろう精神」が国情激変の外国でCIAやアジェンデを政権から手痛い報復を受ける。剣呑・ケンノン!

5月8日(日)姿勢保持に気の緩み→誤嚥!!

7時起床。依然、起き上がり脱力感。MAX27℃。
9時過ぎ、公園へ。鉄棒4周&車慰す押しブロック終えて、木立で一服、久しぶりにスケッチブック開く。
帰宅して、BOBに写真を6枚、再送信。
娘夫婦から母の日ギフト届く。
昼食後、ソファで姿勢保持に気の緩み、誤嚥!
午睡後、TSUさん、GENちゃん、YUKさん、甥に礼状を作る。

夕刻、再送信したBOBから早々に返信。やっぱり、本日はバイク仲間ユリシーズの定例終結に参加していてその写真も送ってきた。
Subject: Photos   Date: Sun, 8 May 2011 16:06:36 +0930


『ハーイKOHSUKE、メールとステキな写真有難う。紅い傘のもとで撮ったHIROKOとの写真や満開のサクラの写真、綺麗で完璧だよ。ここ数週間、キミたちがあちこちへ行って目イッパイ楽しんだ様子がよく分かる。AKIと婿殿とがいつもエスコートしてくれて申し分ないカップルでキミたち夫婦が誇りにしているよね。また「まやNET」の友達などグレートだよ、みんなツルーフレンドだよ実際!次回の主治医のいつもと同じようにいい結果だと願ってるよ。キミのエクササイズや制作に打ち込む前向きなの様子を聞いていると、そう予想できて安心だよ。


 今朝は例のバイク仲間『ユリシーズ』の50㌔ツアーを楽しんできたよ。先週はばててて参加できずだったが、久しぶりに今朝は快適だったんだ。今朝のツアーのティー・ストップの様子の写真添付するね。一枚はグループの様子、もう一枚はケータリング・トレーラーに群がるバイク仲間だよ。こちら皆OKで子どもたちもファインだ。ジェーミーは種蒔きを始める雨待ちだ(いつもはANZACデーのころに雨が降るんだが)。彼の農場エリアはここ2~3カ月はいい雨があったので、雨が後れ、農作業の始まりは後れそうだ。収穫もずれてちょうどXマスころになるかも。アンドリューは床のタイル敷き工事や階段工事が忙しそう。今日明日の休日は嫁の連れ子の家に大きな離れを作る工事に行ってるよ。今朝は青空で陽光まぶしく穏かに始まった。20℃かな、11時半現在は快適だが遅くには雨がぱらつくかもしれない。家族の皆さんや友達みんなの息災を祈るよ。今週は議会関係で大変忙しくなりそうなんだ。ひと段落したら、またメールするからくれぐれもご自愛を!


LOVEとご多幸を込めて、BOB XXXXXXXXX(チョメチョメ印し)

入浴後、爪を切る。俯き姿勢がシンドイ!20分かかってフィニッシュ。

5月7日(土)BOBに返信

7時起床。BEDで朝刊、『浜岡原発停止をKANが要請』の文字躍る。BBCを観たら、HEADLINEニュースで取り上げていた。
快晴、久しぶりに金剛葛城がよく見える!
9時過ぎ、公園へ。木々の緑鮮やか!鉄棒脇に神社横のオジサン、挨拶して伝い歩き始める。車椅子押し歩き、少し軽い感じだ!4ブロック終え、花壇に寄らず木立の多い林に連れてもらう。森林浴に風が快い。ふと見ると足元に印鑑袋落し物、家人に事務所へ届けてもらう。足元ばかりに目が走る!
ハヤメシ後、BLOGをUP。
BOBに返信英作。写真9枚添えて送信するも、3信目届かず戻る。
小学同級生O君から来信。「体調はいかが?世の中、安穏には行かないことが多い。それでも生き抜いていかなければならない。「何のために」「どう生きるのか?」探求するところに意味があるのか、その意欲も旺盛さを欠く今日この頃です。と、言ってくれたが後段に聖教新聞がHPの改訂をやったからゼヒ読んでと新聞同封!聖教という大仰な紙名といい、党名はNEW KOMEITO?記者発表があるたびこのボードが罷り通る。外国メディアもこの党名。誰も?を呈さないし、O君のような御人好しで従順な大衆をこき使ってんのかな!
11時前にBEDに就いたら五木寛之の「親鸞」数回分の貯め置き朗読を加賀見アナがやっている。来週は要チェック!
本日から夏蒲団で就寝。

土曜日, 5月 07, 2011

晴れときどき阿呆果 足手まといに抗議、官邸へメール

 昨日朝刊を観てショックを受け、次のメールを総理官邸に送信した。
『日夜を問わぬ皆さんの奮闘に敬意を表します。大震災復興は先ず着手することが大切。走りだす前にとかく言うことが、どれほど実行意欲を削ぐかは幼い子どもに聞いても明白です。そのことをわきまえて、原発事故避難問題で一言申し上げます。今朝の朝刊を広げて驚嘆しました。福島第1原発「一時帰宅 足の不自由な母娘、参加困難」とあります。立ち入りが規制されている警戒区域への一時帰宅で、福島県南相馬市の足の不自由な母娘の参加が困難な状況に対し、国は「移動に支援を必要とする者は対象としない」との見解を示したとあります。そんはずがない!と私は思いますが、実際にはどうなんでしょうか?
 私自身も車椅子暮らし、阪神大震災も体験して「移動弱者」に対する社会の理解もようやく進んできたと思っている今日このごろですが、今朝、報道されたような冷酷な「国の見解」が事実でないと願っています、ご返答頂戴できれば安心です。』(5月05日)

晴れときどき阿呆果 真犯人はアルカイダか?

 Y紙=ウサマ・ビンラーディン、A紙=オサマ・ビンラディン、N紙=ウサマ・ビンラディン、M紙=ウサマ・ビンラディンと英語表記のOsama Bin Ladenを珍しくまちまち表記。厄介者扱いが分かる。殺害されたビンラディンの遺体が死後24時間以内に土葬のイスラム教慣習に反し、水葬されたというニュースに?臆測が飛ぶ。殺害を巡り「何らかの作為」を疑う声も強まりそう。米政府高官は「引き取り手がいないからだ」とAP通信に説明したという。
 ビンラディンはサウジアラビア出身、同国国籍はすでに剥奪、遺族も絶縁している。引き取り先がテロの対象になる可能性もあり、悪名高い人物の遺体の引き取り手を探すのは困難。また、埋葬地がイスラム過激派の「聖地」になるとの指摘もある。だが、米政府が「最重要容疑者」として行方を追っていた人物の遺体を殺害直後に水葬し、場所も明らかにしないのは、極めて異例な措置だ。米政府は「複数の方法で本人確認をした」と説明しているが、遺体がなければ検証もできない。*5日付、BBCも「No release of Bin Laden photos」と伝える。
 コーラン(クルアーン)ではどんなに偉い人物でも、アッラー神の下(もと)、人は平等であり、死ぬとそのおぼしめしに従い大地に還っていく、という。また、2章牝牛186節で。「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために堂々とこれを迎え撃て」と命令している。但し、「こちらから不義を仕掛けてはならぬぞ」ともある。同188節、189節に「しかし、向こうが止めたら(汝らも手を引け)とある。
N紙「私の履歴書」(4月)のブッシュ前大統領は「大量破壊兵器に関するCIAの間違った情報でイラク攻撃をしたことを悔やんでいる」と吐露。
「9・11テロ」の真相解明を期待する08年1月11日、変則的な衆議院再議決により、新テロ対策特別措置法が成立。これにより、インド洋における海上自衛隊の給油活動は2月中旬に再開。前日10日の「参議院外交防衛委員会」における攻防について、週刊文春(1月24日号)は、「国会は『珍獣の舘』」というワイド記事で「『9・11』陰謀説をブチあげたF議員(民主党・藤田幸久)に『あの人ダイジョウブ?』」という記事を掲載、ヘンジン扱い。
 「(普段は)ごくまっとうなF議員が『トンデモ話』に乗っかって、「9・11の同時多発テロは本当にアル・カイーダの仕業だったのか?」と質問、問われたフクダ総理やしたり顔のマチムラ官房長官が不快感を示した、由。「そもそもの原点である「9・11テロ」の検証が、アメリカ政府からの間接情報に全面的に依存していていいのか?と疑問をメディアすら皆無だったなあ!「事実は何か?」という視点で改めて検証をすべきだと考えるが、、。(5月04日)

晴れときどき阿呆果 ベトコンのトンネルで

アルカイダの首魁ビンラディンが潜伏中のイスラマバード近郊で米特殊部隊(SEAL)に急襲され丸腰で殺害された。OBAMAが「Good day for America,」で「The world is safer」だと高らかにスピーチするBBC速報を観た。01年、9月11日、アルカイダは同時テロを敢行、NYで貿易センタービルが灰燼に帰してから10年で、米国は宿敵のリーダーを抹殺したという。
世界中はアルカイダ騒ぎで持ちきり。海外旅行厳戒の中、02年正月休暇に、私は家人とホーチミンに旅行。メコンデルタのベトコンのトンネルや米大使館跡など抗米戦争遺跡を見学した。東洋人向けに細く狭い案外清潔なべトコン・トンネルの中で、案内のベトナム人ドライバーに「もし、ここにビンラーディンが潜伏いたら?」と訊いたら、「悪い冗談は止めてください」と釘を射された。アメ帝もはるかになったと、速報を観ながら思い出した。(5月03日)

晴れときどき阿呆果 チャレンジド・村木&浅野

 昨夜観たNHK・ETV『二人のチャレンジド―浅野史郎と村木厚子』に考えさせられた。
2年前に発症した成人T細胞白血病(ATL)と闘病中の前宮城県知事で慶應大学教授の浅野史郎。去年、郵便不正事件で無罪が確定、職場復帰し現在、内閣府政策統括官を務める村木厚子。二人はそれぞれ厚生省、労働省に入省し、障がい者問題をライフワークとしてきた旧知の仲。くしくも2年前の6月、浅野が入院した直後、村木は無実の罪で逮捕された。障がい者の就労支援に尽力してきた村木の誠実な仕事ぶりを知る浅野は、当初から無罪を信じ、病床から支援のエールを送り続けた。
二人が共通に唱える障碍者を示す「チャレンジド」は、障碍者を単なる弱者ではなく“神から試練を与えられた者”ととらえる考え方。行政側から「チャレンジド」を応援する立場だった二人は、5カ月に及ぶ無実の拘置所生活や、死と隣あわせの闘病生活を、自らに与えられた「チャレンジ」としてとらえ、苦しい時期を乗り越えた。番組は2年ぶりに二人が再会する場に立ち会い、思いあふれる二人の対談を収録。二人はいかに試練を乗り越えたのか?互いに現在の心境を存分に語り尽くす。
村木は拘束されたときメディアの検察一辺倒の報道に疑問を呈し、被疑者側の取材がされない経過をもらす。病床の浅野は無罪署名にコメント『あきらめるな、正義は勝つ』を寄せ協力。収監担当女子職員が「これからですよ、泣いてなんかしていてはダメ!」の言葉にあらためて腹をくくり直したという。130冊あまりの差し入れ書籍に感激。(うち絵本とミステリーを紹介)先の収監時のエピソードを挙げ、「何よりも人間性」を訴え、今後は、役所が市民・国民から信頼されることを望むという。
二人が逆境で矜持を保てたのは「リッチで恵まれたエリート[上級公務員]だったことをいい忘れてはいけないと思う?(5月02日)

晴れときどき阿呆果 メーデー懐古

 M紙コラム「余録」のみがメーデーを取り上げた。
日本のメーデーが11年ぶりに復活したのは敗戦翌年の1946年、5月1日だ。毎日新聞大阪本社にいた記者・藤田信勝は冷めた目で見つめていた。藤田の日記をまとめた「敗戦以後」(リーダーズノート新書)によれば、この5月1日はこうある。「ほんとうに盛り上がった熱情ではなくて動員されたメーデーの感が深い」▲きっと少数派だったろう。「このごろはうっかり社内でも、ものもいえぬ時代になった。進歩的と自認する人々が、威圧的、暴力的な態度で、自分に反対するものはすべて、『反動』の一語で片づける傾向が最近強い」と書いている▲70年代を境に左翼・労働運動は退潮し、その後の東西冷戦終結でイデオロギー対立の時代は終わったといわれた。ところが似た構図は残っていたのだ。原子力研究者らの間の原発推進派と反対派の対立だ▲多数を占める推進派が「反対派は左翼的」といったレッテルを貼り、危険性を訴える主張に耳を傾けてこなかったと今、しきりと指摘される。少数意見をもう少し聞き入れていたら地震や津波の「想定」は変わっていたかもしれない。悔やむ人も多かろう▲原発に限らない。賛成か反対か、敵か味方か。単純に色分けして他者を排するような社会から今度こそ脱皮したい。65年前の藤田の日記は「理性が支配するのが民主主義的なあり方」と続いている。
はじめてメーデーに参加して昂揚したのは昨日のようだが、動員手当てをもらったのは意外で面食らった。複雑化した現代社会にあって、原則を遵守する側を原理派と非難するのは易しいし、積極的消極派を「ダラ幹」と切り捨てるのも容易い。民主主義はそうは簡単に進まない!(5月01日)

晴れときどき阿呆果 ガラパゴスか、第二の敗戦か

 知日派で知られる英人ジャーナリスト、ビル・エモットは大震災直後、イタリアの新聞コラムで、世界への関心を失い、国内に引きこもってしまう危険性がある日本が、ますますガラパゴス化しないか、と心配してくれていた、とM紙論説室・福本容子はコラム「発信箱:ニッポンの危機」でミンシュトウの内紛を嘆く。
魚住昭のWEBマガジン29日号で、四茂野 修は連載中の「ホロウェイ論13労働組合は中間団体たりうるか?」で、原発翼賛体制を憂い『日本の第二の敗戦』だと、日本の労働組合の現状を論評している。もうとっくにメーデーは過去のものになったのに!
 今も継続する福島第一原発の事故は、日本の第二の敗戦かもしれません。小中学校で使われていた原発関連の副読本が訂正されると報じられました。そこには「大きな地震や津波にも耐えられるように設計されている」(中学校向け)とか、「地震が起きたとしても、放射性物質がもれないよう、がんじょうに作り、守られています」(小学校向け)と書いてあったそうです。敗戦のとき、作家の三浦綾子が体験した、教科書に墨を塗らせるのと同じことが繰り返されようとしています。
 といい、三浦綾子の言葉を引用する。
「まず修身の本を出させ、何頁の何行目から何行目まで消すようにと、わたしは指示した。生徒たちは素直に、いわれたとおり筆に墨を含ませてぬり消していく。誰も何もいわない。なぜこんなことをするとのかとは、誰も問わない。/…教科書は汚してはならない。大事に扱わねばならないと教えてきた。その教科書に墨を塗らせる。わたしは、墨を塗る生徒たちの姿を見ながら、かつて、日本の教師たちの中に、このような作業を生徒にさせた者がいたであろうかと思った。昨日まで、しっかりと教えてきた教科書の中に、教えてはならぬことがあった。生徒の目に触れさせてはならぬ箇所があった。教師にとって、これほどの屈辱があろうか。」(『石ころのうた』)
ガラパゴスも第二の敗戦も肯定するが、だからどうした!
こちらBRB(ビンボウ・ロウラン=老懶・ビョウキ)ながら今日も生きるぞ。(4月30日)

晴れときどき阿呆果 作用反作用

 サクラは花びらが丸いうえ花びらに反りがあるため、ひらひらとゆっくり舞い落ちる。高速度撮影映像を撮りTVで実証していた。しかし、落ちて行くのは地球の引力のせい。時たま筆や絵具を床に落とすのも同じ、地上にあるものは、すべて地球の中心に向かって引き寄せられる。
しかし、BEDに座っている私が落ちないのは、地球が私を下向きに引っ張っている力とまったく同じ大きさの力が上向きに働いていて、帳消しになっているからという。壁を押せば押し返されるという物理学でいう「作用・反作用」の法則である。宇宙全体は、反対の性質がせめぎあう中で、バランスがとれているものだけが存在するようにできているからだと、宇宙物理学者S博士は言う。らしこのところ伝い歩きで両腕に負担がかかり倦怠感が増すのは?と考えてしまう。
(4月29日)

晴れときどき阿呆果 露出されない制作

 今日配信のDESIGN WEEKLYで、妻の遺した秘密の絵「関谷富貴 の世界」が栃木県立美術館で6月19日まで開催中の報。同館のHPを覗いてみたら、ヴァーチャル観覧できて興味津々! 忘れ去られていた、いや、そもそも美術界に登場することなかった画家の画業が初めて紹介されたという。
富貴(1903-1969)はこれまでその存在を全く知られてこなかった画家で1950年代に制作された抽象作品は、鮮烈な色彩とイメージが画家の内面からあふれ出してくるような力に満ちている。
栃木県北部の伊王野村(現在の那須町伊王野)に生まれで若くして両親と死別、20歳の時には兄も亡くし、その後、画家の関谷陽と結婚。晩年まで世田谷区暮らし。アトリエでは、夫の陽が二科展に出品しながら絵画教室を開き、富貴は画家の夫を支えた。生前、富貴は作品を発表することは一切なく、また周囲の人にさえも制作する姿を見せることはなかった。ごくわずかの人々を除いて、200点近くの作品の存在そのものが知らなかったらしい。露出欲求過多の美術界にあって、ひたすら発表される日のない制作態度に黙然!(4月28日)

晴れときどき阿呆果 言葉の力!

 A紙Y紙コラムとも「天国で、被災された方のお役に立ちたい」と、泣かせる言葉を残して旅立っていった田中好子さんに感動。
YNA3紙連合NET版「新聞案内人」で元「天声人語」執筆者の栗田亘は 『言葉の力、声の強さ』と題して好子さんの生前メッセージを前文掲載。死去の報に始まる関連ニュースの大きさに辟易したが、25日夜のテレビニュースで接した別れのメッセージには心を打たれた。NHKで声を聞き、チャンネルを回して今度はTV朝日「報道ステーション」で再度、告別式で突然披露されたという録音の全部を聞いたと、吐露。
前回同コラム「筆舌に尽くしがたい、という形容があるが、大津波の映像にまさる文章は、存在しないだろう。地震と津波が去ったあとの惨状もまた、文章の役割をしのぐ」を引き出し、田中さんのメッセージで、活字の力を上回る音声の力を感じ、繰り返し文字を辿ってみても、声の強さには及ばない。文字を生業の手段としてきた者には、いささか以上に残念なことだけれどと、述懐。
 A紙4月13日の「記者有論」に、〈失われた言葉 想像し続ける力がほしい〉と武田耕太記者が書いたいわゆる新聞業界でいう「雑感」についての所感は、老兵にとっても示唆に富んでいた。「言葉を失った人の心を伝えられるのは、言葉でしかないと思う」と結ぶ。
 N紙のコラムから「さくらさくらさくらさくら万の死者」。今週の日経俳壇にあった句、作者は岩手県大船渡市の桃心地さん。三陸の被災地からの投稿だ。選者の黒田杏子さんは「国民的鎮魂歌」と評しているのも記憶にとどめよう。(4月27日)

晴れときどき阿呆果 何もなく過ぎしがごとし春の雲

 M紙夕刊題字下「近時片々」で「何もなく過ぎしがごとし春の雲=横光利一」が目を引く!(4月26日)

晴れときどき阿呆果 6年目

 維新だという。改革だという。もはやそんなことにはまったく興味を失った。あの脱線事故から6年目、同時間に覚悟を決めてK病院に検査入院して「脊髄小脳変性症」が確定。以来6年目!!体の機能は日一日低下、伝い歩きもシンドウなった。(4月25日)















▲北タイへバイクツアーしたBOBとゲーリー。一番上はアデレードから帰途虹が出たという。


5月6日(金)京都でクレー展

7時半起床。晴れ、本日は立夏という暦どおり暑いMAX25℃。
訪問看護待機。11時、ナースOさん来宅。36.1℃、血圧110-78。手の脱力感、誤嚥少し頻繁な状況、エクササイズの低下をレポ。
朝食時、娘たちからドライブお誘いあり、京都「パウル・クレー/おわらない・アトリエ展PAUL KLEE Art in the Making 1883-1940」をリクエスト、早メシでPICK UPに備える。12時半、迎え。中国豊中から名神で京都東ICから蹴上、岡崎の国立京都近代美術館到着。HPどおりガードマンに申し出たら玄関脇駐車場OKだった。
混んでいるが1時半からゆっくり展観。私の生年に60歳で生を終えたクレーの制作過程が一つ一つ丹念にSCANするように観覧できる。
3時前、観終って1FCAFEテラスで珈琲ブレーク。疎水に観光屋形船が往来する。雲行き怪しく3時半、逆コースで帰路に。4時過ぎ、茨木ICで車両火災事故発生。渋滞に巻き込まれる、なるほど黒焦げのトラックが茨木IC脇に。5時帰宅&爆睡!6時まで。
GENちゃんからドライブのお誘いなど来信。原発問題で大震災直前3月3日付で「東電が点検漏れで保安院から注意処分を受けている」高知新聞も同封してくれた。
疲れて11時早々就寝。

5月5日(木)待っていた「仙人サロン5」届く


7時半起床。明け方、ローカル紙SのO社主の夢見る。選挙がらみの事案で記者クラブにいた。脱力感に倦怠感増す。曇天+黄沙予報が今日も出ているが?

10時過ぎ、公園へ。昨日設置された大型遊具が賑やかなBGMを。鉄棒4周、車椅子押し歩き4ブロック終えて帰路、南出口で一昨日の車椅子親子が到着「頑張って」とエール。通りがかりのUさんに家人が事務所下で今日はアンケートあり。公園の草が消えたと、回答したしたから伝えると、Uさん「噴水の水が止まっている。係員に訊いたら水が悪いというし」と。
TSさんから心待ちに待った「里山の仙人サロン5」届く。ページを繰りながら抱腹絶倒!!
M旅行Tさんから4月29日催行のSATさん「古道山歩-西熊野街道長坂を歩く」レジュメ届く。

5月4日(水)BLOG更新に喝ッ頂戴

6時覚醒、7時半起床。なお脱力感!
朝食後10時過ぎ公園へ。黄沙、今日も視界遮る。
祝日で子供用大型遊具しつらえた公園は早くから家族連れが賑やか。鉄棒4周、車椅子押して4ブロック何とかこなす、暑い!帰路、1丁目のご隠居が「今日もやったか、ご苦労さん」。緑濃くなった林に連れてもらい帰る。
昼前、婿殿来宅。午睡3時まで。BOBからの写真整理。
朝刊見てたまらず官邸に投書!
K通信SUさんからBLOGを読んでと初メールあり、記者仲間のOさんがリタイアしたのでちょっと寂しいと。更新をサボったらアカンアカンと喝ッ!


5月3日(火)BOB、5週間ぶり帰宅

7時起床。依然、脱力感!BEDで朝刊。憲法記念日押しのけて、ビンラディン殺害の文字躍る!
今日も黄沙が激しい!10時、公園へ。鉄棒、このところ見る鉢合わせの老人、今日も車椅子で先着、伝い歩きリハビリ中。笑顔で迎えてくれる。こちらも伝い歩き始めたら道を譲ってくれる。話しを総合すると、頚椎手術後2年で歩くのが辛くなって障碍申請中。武庫町2丁目在、80歳。エール交歓後、車椅子押す4ブロック。帰路、西ゲートで脳梗塞3回入院のオジサンに久しぶり遭遇。
午睡後、福井在のA家の甥から電話アリ、義姉・甥・嫁・孫一行が連休で親戚訪問の帰途、突如来宅すると連絡、待機する。5時到着、夕食ともにする。7時過ぎ辞去。
夜、GENちゃんから電話。17or19日にドライブのお誘い。
朝、Fさんと、横浜のSANさんに闘病記恵送お礼メールを入れたが、昨日初出勤のFさんからその模様の返信あり。よかったよかった!
夕刻、タイのバイクツアーから帰国したBOBから5週間ぶりにメール。写真を12枚も添付してきた。


Subject: Greetings Kohsuke Date: Tue, 3 May 2011 16:46:59 +0930
『ハーイKOHSUKEとファミリー!ポン(朋)友ゲーリーとの素晴しいツアーを終えて先週帰宅したヨ!タイ北部でこれまで観たことがない美しさに堪能した19日間だったよ。
乾季に訪ねたいと思っていた北東部のナン(NAN)への四日間がとりわけグレートだった。チェンマイから365㌔、タイとラオス北東部国境に広がるドイ・プウカ国立公園は高低差2000㍍、7時間を要する211㌔のワインディング道路で、前回は雨季で断念したんだよ。
このホリーデーのためには病気や食中りから身を守るためにRE HYDRATION(含水化合物?)の粉末もばっちり準備したし、独逸人オペレーターの新しいレンタルバイク屋でほとんど新品の手入れがいいカワサキ650ツィンキャブを選んだ。それが正解だったと実証されたんだ。
私が旅立ってからアデレードのマリリン宅に2週間居候したメリディスはブロ-クンヒルに戻り、2週間、子どものころのお友達夫妻宅を訪ねていたんだ。私が帰宅したとき、メリディスはちょっと落ち込んでいたらしいが、今はすっかり復調したよ。
君にコンタクトしなくなってもう5週間になるが、君の家族やまやNET、他の友達などたくさん出掛けたに違いないと思ってるよ。
毎日のニュースは、日本がTSUNAMIの多数死者を出した悲劇を次第に克服しつつある一方、原子炉事故で放射能漏れの問題で憂慮すべき事態が近接地域の問題になってるよね。政府も実態を国民に公表しないだろうしね。
我々はOKだよ。たぶん君んちもみんなOKだろうと祈ってるが。
当地は先週は毎日20℃前後、ほとんど快晴で夜にはクールダウン、残念ながらもうすぐ寒さがやってくる。日本はもうすぐ夏到来だったよね、あの蒸し暑さの準備だろうかな。タイ北部はホットで蒸し暑かったが、夜間は涼しく当地ほど寒暖計の針はぶれなかったんだのに。
チェンマイ北西のパイ地域やドイ・プウカ国立公園の旅行中に撮った写真を添付するよ。
じゃあ、君の近況レポを待ってるよ。制作やルーティンのエクササイズが捗りますように、ごきげんよう。LOVEとご多幸をみなさんに!BOBからXXXXXXXXX(チョメチョメ印し)

5月2日(月)ビンラディン殺害速報

6時半起床。温いし黄沙の警報。脱力感。BEDで朝刊、読むべきなし!朝食時、早くも見通しきかない。
9時過ぎ公園へ。鉄棒で神社脇のオジサンと久しぶりに出逢う。4周、コリーの夫婦が手を振って通り過ぎる。車椅子押すが、ペースをつかめない。左脚で強く反動付けるが右が上がらない!フーフーいいながら3ブロックがやっと。終ってゼリーで水分補給。花壇に連れてもらう、八重桜の花弁の絨毯。花や麦の成長が盛ん!深紅の薔薇が一輪咲いている。蕾は満々!西ゲートでもう除草が始まった。
横浜SANDAさんから闘病記「余命三年、癌と戦う」届く。
甥CHOTAから来宅礼状と投稿掲載紙来信。午睡2時半、後制作するも手が動き難い!
ビンラディン殺害速報とオバマの誇らしげな演説をBBCで聴く。
Osama Bin Laden dead, US President Obama confirms

5月1日(日)ペース換えたいが?


7時半起床。脱力感残る。BEDで朝刊。メーデーだが、記事もなく、わずかに動員メーデーで日当をもらった記憶甦る。
今日から5月、何とかペースを換えたいが!
10時過ぎ、雨が来ないうちに公園へ。ぬかるみの鉄棒、水溜りを避けながら伝い歩き4周。靴を水溜りでぬぐって車椅子押し歩き4ブロック、途中大粒の雨が。傘を差してもらい帰宅。公園のディオゲネス委細かまわずベンチで寝ているが。
午睡3時前まで。起き上がりスケッチを3枚試みる、線が牽き難いし、思わぬ方向に行く!

夜、NHK・ETVで浅野史郎と村木厚子の対談「二人のチャレンジド」観て、考えさせられる。

4月30日(土)ことのほかモノ哀し

7時半起床。脱力感一層でBEDから起き上がり一苦労。やっとこさで朝刊引きずり込む。曇天、温いというより暑い。早い一日!!早くも4月終了!一年には52週間しかない!
10時過ぎ公園へ、公園スズメに挨拶して鉄棒へ。右足内捻転オジサン来て両手で大きなマル印しつくって挨拶。このところ鉢合わせする脳梗塞老人が今日も息子?に車椅子押され来る。「がんばっとるなあ」とエールを返す。車椅子押し歩きはいつもどおり4ブロック。振り返ると内捻転オジサンが朝からベンチでコップ酒。池畔へまだ花残るサクラに連れてもらう。公園スズメ長老Nさん来て「たまには散歩に車椅子押して連れてやろうか」と優しい言葉。丁重に断って盛りながら帰宅。
午睡後、家人が整理中の写真を残を判断。今年の賀状と住所録整理やっと終る。4月はことのほかモノ哀しい!


4月29日(金)公園も黄金週間

7時前起床。晴れの予報だが?
10時半、若葉が綺麗な公園へ。数多い駐輪&人ごみ、黄金週間のスタートでイベント賑わう。エクササイズ断念!鉄棒も大盛況のバザー会場に。事務所前でブラスバンドが始まって、しばし鑑賞&震災のドネーション。
午睡後、住所録整理。
夜、LOYAL WEDDINGウォッチング。

4月28日(木)脱力感しきり

7時起床。曇天。
10時公園へ。今日はコース全体を小学校の自転車安全教室が使っている。歩行できない。鉄棒4週のみ、右足内捻転のオジサン来て脚の痛みを訴える。事務所北の菜の花結実とハナミズキ見て北側駐車場から外周歩道に連れてもらう。水路に戻り、カモが1羽エサを啄ばむのを確認、Uさんに挨拶して帰宅。
午睡、作文。終日、脱力感しきり!


4月27日(水)姉が来宅

7時前起床。雨模様!
朝食時、住吉在の4番目の姉から来宅の連絡。10時過ぎ、甥と到着。1年ぶりか、お茶&昼食で2時過ぎまで。山口や九州に遊んできたという。心配していた骨折は癒え、甥が言うボケはまったくなく安心、ヨカッタ!姉は山之辺・穴師の思い出話す。祖母Oバアサンやご先祖K家、ルーツ・橘右近などの話も。麦刈りのキツイ記憶もしっかり!小学同級会で逢ったSさんが姉に遊んでもらった記憶を言ってたので伝えたら覚えてなかった。出前で昼食をともにして、珈琲ブレーク。2時辞去。
少し疲れて爆睡4時まで。
夕食後、ソファで新聞を読む際、誤嚥!
夜、BS映画QUEEN(エリザベスⅡ)を観て驚いた、車の運転は自分でやるシーンがありしかも故障して自分で故障箇所を指摘できるなんて。夫君エディンバラがピクニックの食事をいそいそとやるなんて!


4月26日(火)公園の花壇花盛り

7時半起床。曇天温暖。
10時前、公園へ。鉄棒4周、車椅子押し4ブロック、終えたら鉄棒に右脚内捻転オジサンが「右脚突っ張って痛い。脊椎456が損傷だが歳なので手術する勇気ない」と。花壇へ連れてもらい、八重桜やチューリップなど彩り華やかな花壇を堪能。公園スズメの長老「大変やナあ」と通り過ぎる。池の周囲は草が刈られてカモ一羽も入ない。
帰宅後、CLIPPING。新聞代集金に家人留守で慌てる。
午睡2時半、3時、娘たち高知から到来の蜜柑持参で寄る。夕刻までLIST整理。