まや-NET

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火曜日, 4月 26, 2011





▲上は萌春、下は春のスケッチ



晴れときどき阿呆果 女性詩人訃報

 立て続けに関西在住女性詩人の訃報だ。一人は大阪万博テーマ曲「世界の国からこんにちは」の島田陽子。東京生まれながら軽やか大阪弁を駆使し詩を書いた。18日、すい臓癌で81歳。もう一人は在日女性文学の先駆け宗秋月(チョン・チュオル)、「宗秋月詩集」、「猪飼野タリョン」の詩集があり、沖縄の作家Sさんと生野で酒席をともにした。23日、急性心不全のため死去、66歳。
A紙23日天声人語掲載の新詩集からTake note。
『滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
まっさかさまに
落ちて落ちて落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走りはじめる』
島田が6年前にがんを手術で病への驚怖を表したのだろう。昭和の応援歌を書いた人が残した震災後日本への励ましに思えてならないと紹介している。
 僕も自身のカタストロフィーを追想する。(4月24日)

晴れときどき阿呆果 鋏状較差?

 先日(15日)、M君が来宅した折、同君に漏らした感想「生き続ける大変さ」で触れた。震災後、時間とともに被災者の間に生活格差が広がることについて言及したが、今日のM紙「余録」でこの格差を精神科医は「被災のはさみ状較差」だと指摘している。でも、どうすればいいのか?格差を指摘しても無力感は増大するばかり、「生きる辛さ」「生き難い世界」に海図を示せないニッポン。(4月23日)
 阪神大震災で被災者のケアにあたった精神科医は、地震の40~50日後に人々の間のある変化に気づく。ふだんより元気になった人と、ひきこもってしまう人の違いが目につく。その差がまるで開いたはさみの刃のように広がっていくのだ▲柔軟に新発想を出す人と考えられないほど頑固になる人、酒を飲まなくなった人とアルコールにのめり込む人、仲がよくなった夫婦とヒビの入った夫婦--最初のわずかな差が日を追ってどんどん開いていく。医師はそれを経済用語を借りて「鋏状較差(きょうじょうかくさ)」と呼んだ▲貧富の差もはさみ状の広がりを見せる。経済力や社会的人脈、地縁をもつ人々と孤立した人々の境遇の違いが拡大した。人々の生死を分けた震災は、その後も人々の幸不幸を切り分けた(中井久夫編著「昨日のごとく」)

晴れときどき阿呆果 好子さん急逝

 朝刊の「田中好子さん死去:突然すぎる」を見て驚愕!
 70年代に「キャンディーズ」で一世を風びし、その後は女優として活躍した田中好子(たなか・よしこ、本名小達好子=おだて・よしこ)さんが21日午後7時4分、乳がんのため東京都港区の病院で死去した。55歳。東京都出身。午後10時半すぎには、夫で実業家の小達一雄さん(56)が記者会見。92年に乳がんが見つかり、一時は回復したが、今年2月に多臓器に転移したと明かした。
 テレビなどで見せた元気な姿の裏で、長年にわたってがんと闘っていた。乳がんが見つかった92年は結婚翌年。36歳の時だった。その後、何度か再発したが、医師から「心配ない」と言われて放射線治療で対処し、乳房も除去しなかった。昨年9月に十二指腸潰瘍で入院。いったん退院したが、今年2月に体調を崩して再入院。十二指腸から大量出血し、高熱が出た。この時、絶食状態が続き、免疫が大幅に低下。その後、がんが多臓器に転移していることが分かった。

 私のリタイア後、4年前の5月22日付けでCM撮影中をぬって「まやさん おひさしぶりです。ただいま千里でSOのCM撮影中です。とてもお天気に恵まれ楽しく過ごせています。Nさんも空回り?!することなく一生懸命頑張ってくれています。今も和菓子を頂きました(超美味しい!)今では、Nさんの顔を見るとホッとするほど癒されています。まやさん、リハビリ頑張ってくださいネッ!!コマーシャルもお楽しみに!田中好子」と見舞い葉書を頂戴した。今振り返ると彼女も闘病中だった?昨秋にはNHKドラマ出演の案内ももらっていた矢先。今年届いた自描のカレンダーは今も卓上だ。
 山口瞳が「私はスーちゃんを妻にし、ランちゃんを恋人にし、ミキちゃんを秘書にしたい…」と語ったのを91年没のコラムニスト青木雨彦が『にんげん百一科事典』(講談社文庫)に書き留めている。
 キャンディーズ時代はおろか、演技派女優に転進した「黒い雨」を見たころはまさか、この女優と仕事をするなんて夢にだに思っていなかったある日、クライアントからCMの候補に是非にとリクエストされた。もうそのころ、構音障害が始まっていて、出演を依頼するのに所属事務所に長文の手紙を書いてマネージャーに会えたのは03年秋、六本木ANAホテルだった。前夜、東京の旧知たちと旧交を温めギャラ相場をリサーチしていたから、出演交渉もトントン拍子。イベントやCM仕事で交流するようになったのが昨日のようだ。
 新幹線の駅やホテルで迎える好子さんは偉ぶらないフツーの目元パッチリのスマートなオバサン、ただ、すれ違う人々が大勢見返るオーラ発光には存在感を再認識した。メークやスタイリスト、スタッフたちにも細心の気遣い人一倍。いつも差し入れる和菓子に素直に喜んでくれ、打ち上げのビールを一緒に楽しんだ。酔狂の挙句、「暇になったら、好子さん向けにホン(脚本)を書いてあげるから」とビールを勧めたら「どうもありがとう!待ってます」と微笑み返しをくれたっけ。(4月22日)



 同日付けM紙夕刊題字下コラム「近事片々」は:さよならスーちゃん
《雷鳴を轟(とどろ)かせる黒雲が市街の方から押し寄せて、降って来るのは万年筆ぐらいな太さの棒のような雨であった。真夏だというのに、ぞくぞくするほど寒かった》 井伏鱒二「黒い雨」
 今村昌平監督で映画化される際、台本を渡された田中好子さんは重い内容に自信が持てなかったが、「私の女優の“花火”にしよう」と決心した。89年度毎日映画コンクール女優主演賞に選ばれた時語っている、
と。


晴れときどき阿呆果 日当十七万円なり?

 NET市民ニュースで、原発事故関連でかき集められた現場作業員の過酷な状況が報じられているが、今朝、M紙はトップで詳報を掲載。多少、胸をなでおろす。
NET情報で囁かれたヤバイ日当一日40万円もあながちでデマとは否定できない。詳報の社会面を見ると一日十七万円、三日で五十一万円が支払われたとある。モンタンの映画「恐怖の報酬」を髣髴させるが、モン無しの当方にはチョビット羨ましいな!(4月21日)
M紙トップの記事福島第1原発:「ババ引くのは作業員」嘆く下請け社員
 福島第1原発の復旧作業を担う作業員の被ばく線量を定めた特例措置があいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に記載されていないケースがあることが明らかになった。現場の作業員はあいまいな運用に不安を漏らすとともに「結局、ババを引くのは作業員」と嘆く声も聞かれた。関係者からは「線量管理がいいかげんだと、訴訟になった時に証拠が得られない可能性もあり、問題」との指摘も上がる。

晴れときどき阿呆果 ハシモトくんの野望?

 わが尼崎選出の田中康夫衆議院議員は著書で都知事を「日本で唯一MAYOR(市長)とGOVERNOR(知事)を兼務する存在」で、東京は日本で唯一の特殊な自治体と指摘する。
東京23の特別区は選挙で選出された区長は存在するが収税権がない。つまり独自財源がないので都からの交付金でやらざるをえないので、区長は都の機嫌を伺う。しかも23区の消防、水道、清掃も都が行っているので都知事は23区の総元締めのオヤブンでもあるのだ。
ひょっとして大阪の橋下知事も同じコトを大阪でやろうとしているかな?
また国賓来日時には都知事は三権の長でもある首相、衆参両院議長、最高裁長官と同列の扱い。また年間100人近い外国の市長や知事等の訪問を受け、外国の国家元首の訪問をも受けている外交官的な仕事もある。それだけでなく11兆円の予算、18万人の職員を率いる都知事の権力はそれだけ強大であると過言でない。
「パチンコする人は我慢なさい。自販機がなくても生きていける」とおっしゃっていたイシハラくん。発言は節電策というだけでなく、日本という国がいかに異常だという指摘でもあった。せやけど、日本の異常を言うなら「東京一極集中」こそを挙げなければなりませんけど!(4月20日)

晴れときどき阿呆果 そうかもしれない

 震災後、流行り言葉『覚悟』が頻発される「覚悟バブル」だと、M紙ジュネーブ支局の伊藤智永が嘆く。
景気や経済を振りかざし、カラ元気の押し売りも横行。売れっ子作家が「こんな時だからこそ、頑張っておいしい物食べに行こう」と書く。それで世の中、変わりますか?本音は正直に「それでも原発とともに生きる」と言えば。維新や敗戦を持ち出す輩も願い下げ。革命は国民の半分が没落しない限り成就しないぞ。震災前から震災後へ、皆が自分は生き延びたと高をくくっているうちは、覚悟なんか持てやしまい。「何だかうそ臭いな」と恥ずかしくなった、と警告。
太宰治の「トカトントン」で最後に、作家から主人公へ贈った言葉「気取った苦悩ですね。いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです」を引く。
 民主党政権誕生を、当時の首相の軽口に唱和して「革命だ」とはやした人たちが、そのまま復興を語るから、大連立がどうした、首相は代われ、という話になる。東電も保安院も原発も私たち自身が生み育ててきた、我が身の投影であると、断じていた。
そうかも知れない。(4月19日)

4月25日(月)6周年&好子さん葬儀

7時前起床。ここ1週間、両手付け根から肩にかけて脱力感いっこうに治まらずたびたび覚醒。起きても症状が引かず。晴れたが朝食中、急に雷鳴轟くヘンな天気!
本日9時16分はJR尼崎脱線事故6周年。同時刻にこちとらは北野病院初回検査入院!「早ければ3年から5年」と担当神経内科KO先生からSCDの宣告を受け、すべてはここから始まる。「生き延びた」感慨無量。 昼食後、午睡2時半、デスク回り片付け。
N君も参列している田中好子さんの葬儀の模様も頻繁にTVが伝える。夕刻にはご本人の3月29日のお別れメッセージが流れ、思わず涙腺緩む。

田中好子さん告別式:“3分20秒のラストメッセージ”スーちゃん肉声に涙…
 「キャンディーズ」の元メンバーで、21日に乳がんのため55歳で死去した女優田中好子さんの葬儀・告別式が25日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。アイドル時代からのファンら約2200人が参列。出棺前には、死期を悟った田中さんがキャンディーズの仲間や東日本大震災の被災者にあてて病室で録音していた肉声が紹介された。デビュー当時の歌声が流れる中、ファンは霊柩(きゅう)車に向かって次々と紙テープを投げ、往年のコンサート風景を再現しながら天国への出発を見送った。
 田中さんは、会葬者を想定して自身の肉声を残していた。夫の小達一雄さん(56)が喪主のあいさつで、映画で使うカチンコを持ち出し「女優田中好子の第1章は幕を下ろしましたが、第2章第1幕を本日、スタートさせてあげたい。第2章シーン1、テーク1。用意!」と合図をすると、「こんにちは、田中好子です」と語りかけた。
亡くなる23日前の3月29日に病室で録音。自分を愛し、支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝え、「特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした」。この日、弔辞を読んだキャンディーズの仲間の伊藤蘭(56)と藤村(現・尾身)美樹さん(55)に特別な思いを寄せた。また、「もっともっと女優を続けたかった」と無念さもにじませた。
 演技の時とは違い、消え入りそうな細い声。死期を悟り「天国で、被災された方のお役に立ちたい。それが私の務め」と、震災の被災者を気遣う言葉も。義妹で女優夏目雅子さんが急性骨髄性白血病のため85年に27歳で亡くなった後、「夏目雅子ひまわり基金」が設立されたことに影響を受けたようで、「義妹のように、社会に恩返しを」と遺志を託した。
遺言のような声は3分20秒続き、小達さんの「カット!OK!」の声で終了。式場では、すすり泣く声が漏れ、ハンカチを当てても涙を拭いきれない参列者が見られた。

4月24日(日)OHさんピースボート出航

8時前起床。曇天のち晴れ。
昨深夜Oさんからメール。本日、横浜から世界一周ピースボート乗船のOHさんに激励メールをと。
NA君からメール。明日、東京・青山墓所の好子さん告別式に参列してくれるらしい。リクルート情報もあり一安心。
NHK日曜美術館で十数年前に尋ねた阿蘇山録小国の「坂本善三美術館」の紹介、懐かしく見る。畳敷きで抽象画!の快適さ。本棚からここで買ったカタログ引っ張り出し再見。
10時、サクラの花シベが詰まった道路を公園へ、Uさんが既にベンチ挨拶。近くの博寿園の職員たち10数人が車椅子の実地訓練中。鉄棒途中で昨日も家族に介助された老人が同じように伝い歩き始める。「頑張って」とエール送り車椅子押し歩き4ブロックを。終って商店街へ連れてもらいスーパー同行。 昼食後、SIESTAをしていたら娘が手作りのドーナツ持参で珈琲ブレーク。
夕刻まで越谷在のIM家の娘さんに3回忌欠席の葉書書く。

4月23日(土)雨

8時前起床。雨、終日外出できず。エクササイズできず。午睡と制作。

4月22日(金)田中好子さん急逝

昨夜は寝不足、何度か覚醒。7時半起床。脱力感なお残る!!
曇天、予報は雨。
朝刊観て驚愕!田中好子さん急逝のニュース。NA君もメールをくれていたので返信。
朝食中、TVが震度4の横浜・金沢八景マンションの液状化を伝える。昨夜、SANさんにメールを入れたばかり。
とりあえず雨が来ないうちに公園へ。常連の公園スズメ陣取るベンチに挨拶。軽トラックで落ち葉を集めるKさんも「お早う!」。鉄棒中、バスから降りてきた1丁目のご隠居が「片手で出来てるなあ」とエールをくれ通り過ぎる。車椅子押し歩き4ブロックを済ませ帰宅。
11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.0血圧122-66。ホームドクターにレポした事項を読んでもらい、近況を報告。痰きりムコダイン再服用を伝える。

4月21日(木)首が回らない!

7時前起床。晴れだが、まだ首がよく回らない!昨日から続く猛烈な脱力感!
午前、CLIPPING&BLOG UP。昼食後、公園へ。噴水から続く水路にKさんが浸かって溜まったドロと格闘中。お疲れさんと声をかけると「ほおっておくと臭いがするからね。今日は暑くて大変!」。鉄棒4周、車椅子押して歩くがシンドイ!何とか4ブロック。帰りに花壇そばの八重サクラ観に連れてもらう。満開で咲くサクラの下でシートを広げるグループもいる。
帰宅後、爆睡!4時から少し制作。横浜のSANさんに17日の花見の写真を添えてメール送信。

木曜日, 4月 21, 2011

晴れときどき阿呆果 カバ地震で転倒して死ぬ

 またもやサトウ・エイサク 


 M紙コラム「風知草」で山田孝男論説委員が『中部電力の浜岡原発を止めよ』という。三陸と福島を回り、帰京後、政府関係者に取材を試みて、筆者はそう考えるに至った。福島に入った山田を浜岡へ向かわせたのは先日取り上げたサトウ・エイサク前福島県知事(71)だ。サトウに「首都圏の繁栄の犠牲になったと思うか」と聞いたとき、前知事はそれには答えず、こう反問した。「それよりネ、私どもが心配しているのは浜岡ですから。東海地方も、東京も、まだ地震が来てないでしょ?」5期18年(5期目半ばで辞任後、収賄で逮捕・起訴。1、2審とも有罪で上告中)。国・東京電力との蜜月を経て原発批判に転じたサトウが、恨み節を語る代わりに首都圏の油断を指摘した。
 浜岡原発は静岡県御前崎市にある。その危うさは反原発派の間では常識に属する。運転中の3基のうち二つは福島と同じ沸騰水型で海岸低地に立つ。それより何より、東海地震の予想震源域の真上にある。「原発震災」なる言葉を生み出し、かねて警鐘を鳴らしてきた地震学者の石橋克彦神戸大名誉教授(66)は、月刊誌の最新号で、浜岡震災の帰結についてこう予測している。
 「最悪の場合、(中略)放射能雲が首都圏に流れ、一千万人以上が避難しなければならない。日本は首都を喪失する」「在日米軍の横田・横須賀・厚木・座間などの基地も機能を失い、国際的に大きな軍事的不均衡が生じる……」(「世界」と「中央公論」の各5月号)
 しかも政府関係者から「浜岡は止めなくちゃダメだ。新聞で書いてくれませんか」と声をかけられたという。原発輸出を含む新成長戦略を打ち出した内閣ブレーンのひとりが、浜岡に限っては反原発派と不安を共有「原発を維持するためにこそ止めるべき。なのに、聞く耳をもつ人間が少ない」と慨嘆したそうだ。
 福島のあおりで中電は浜岡原発新炉増設の着工延期を発表したが稼働中の原子炉は止まらない。代替供給源確保のコストを案じる中電の視野に休止はない。
民主党政権は無残だが、ジミン党ならみごと制御できたとも思わない。空前の大災害で、なお収束のめどが立たない。
 向こう1000年、3・11級の大地震や津波がこないとは言えないだろう。列島周辺の地殻変動はますます活発化。そういうなかでGDP(国内総生産)至上主義のエネルギー多消費型経済社会を維持できるかと言えば、まず不可能だろう。首相官邸にはあまたの知識人が参集、「文明が問われている」ようなことが議論されている。ずいぶんのんきな話だと思う。危機は去っていない。福島の制御は当然として、もはやだれが見ても危険な浜岡原発を止めなければならない。原発社会全体をコントロールするという国家意思を明確にすることが先ではないか。と、山田は力説する
 夕刻には上野動物園の長寿カバ「サツキ」が震災直後に転び、怪我したのがもとで16日に死んだことが公表された。大震災直後に転んで左前脚が化膿性関節炎となり、痛みや炎症が全身に広がったのが原因だという。39歳11カ月。カバと原発って関係ないか! (4月18日記)

晴れときどき阿呆果 遅まき花見、生き下手人間たち

 人生にはすばらしい人に出会う瞬間もあるが、『生き下手』人間たちに出会い、あまりの心地よさに酔いながら老残期までご一緒して憚らぬ仲間も多い。
 今日の花見も年一回そんな同志が集って、京丹波に寓する版画家のアトリエで開くBBQ会。称して「アーバン仙人の会」、もう40年も付き合っている。
 何時の日か、桃源郷に俗事を離れて憩う場を作ろうと企んだ。それでも、めいめいが労働の対価を得ている間はやれ山小屋が棟上げだと言っては飲み、やれ清談と称しては飲み騒いだ。意気軒高に日を過ごし、日本経済の冷え込み出した途端、懐具合も緊縮。おまけに、各自の加齢ととともに意気消沈、実現は遠ざかった。 それでもなお、『ココロだけ仙境』にこだわるメンバーはたまに集うて、世情に慨嘆する会合を、備前山中、気鋭陶芸家の登り窯の焼入れを手伝いながら。また、自家用車改造キャンピングカーを駆って信州や九州へ遠征、ひそやかに杯を重ねていた。
 16年前、未開の京丹波の山間部に移住、アトリエを構える相談されたの機に、少壮木版画家のアトリエが格好のポイントになり、サクラの季節、たまさか集うことになったのがこのところの年一回の常会。みんな生き下手やけど、今年も花見が出来た。こんな句が思い出される。

 『満月や 大人になってもついてくる』

 俳号「貨物船」の辻征夫の句は『本の立ち話』小沢信男著(西田書店)に出てくる。(4月17日記)

晴れときどき阿呆果 不耕貪食の徒

 棚の絵具を取り出したとき、E・H・ノーマン「忘れられた思想家」が目に付いた。八戸の医師だった江戸期の思想家・安藤昌益の再読を思い立って始める。昌益は「世の中には不耕貪食の徒と直耕の衆」と二通りの人がいると、不労を戒め、自然優位を説いたマイナー思想をもう一度噛み締めてみよう。(4月16日記)

晴れときどき阿呆果 生き続けるということは、M君へ

 グラフィック・デザイナーを続ける元少年Mが来宅。萎む経済情勢を嘆息、将来への不安を漏らした。
 Mくん!生き続けるということはシンドイ。並大抵でことは運ばないよ。 体は健康でも、当節のように社会が病むとき、普段考えもしなかった『生きる難しさ』を意識せざるを得ないね。まして、君のようにステキな『自由業渡世』は誰からの庇護もない「不自由渡世」なんだ。常に活路を絶たれる不安でイッパイ。末路の老残は私自身にも重なる。
 
『生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽(び)がまぶしいということ
ふっと或(あ)るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと』
 谷川俊太郎の詠むように「生きる」と軽やかにいかないんだ。

 地震や津波が襲ってきて水道も電気もガスも止まってしまって、みんな『生きる』ことをいやおうなく考え、共通の意識が芽生え、痛みを分かち合う『心地よい人間コミュニティー』は成立する。
阪神大震災を経験、見聞したから、ほどなく心地よいコミュニティーに主(あるじ)の属性によって分化が始まるのを知っているよ。勤め人は会社の大小で救援物資が届く質量に差がたちまち生じるのを十分観た。街の人は会社勤めと商売稼業の損得勘定をとっくにご存知だ。
 家賃10万円以上の社宅にタダ同然で入れる会社や家賃補助がある役所、社員食堂タダ!の会社。通勤に新幹線代が出る会社、家族手当などもろもろの手当、残業手当が1日1万円を超すうらやましい会社もあってオモテの年収だけではサラリーマンの実入り実態は本人以外分からない。その差が時間とともにボディーブローのように効いてくる。てなことを十分考えなかった君や僕は、それでも生き続けることを止められない。

 社会が病んでいるとき、人は生きることを考える。私もまた病んで思うように体が動かないのだが、二十四六時中、くしゃみをしながら考えているんだがね。Aくん!(4月15日)

4月20日(水)また誤嚥!

まだ首が回らない、覚醒前、入管での不思議な夢。ボーディングデッキから係員のいる窓口へ、何故か撮影したフィルムがそのままプロジェクターに投影されている。カナダの風景や震災のものもある。分厚いパスポートを念入りに観る係員がおもむろにスタンプを押す。スーツケースを引っ張りながらそのまま出口へ進む。
8時前起床。すっきりしない天気。
10時過ぎ、紀ノ川のM子さん宛の礼状を持ち郵便局のポストへ連れてもらい投函してもらう。パラパラ時雨れる。
公園でつむじ風に煽られながら鉄棒4周、車椅子押し歩き4ブロックを終えて通りがかりのUさんに挨拶して帰宅。
午睡時、C関連オフィスにて打ち合わせの夢を観た。留守電にクライアント(K電車)訪問を約束している夢を見るなんて?
本日気温低くMAX13/7℃。筆&筆洗を洗ってもらい夕刻まで着色。

夕食後、歯磨きでまた油断!誤嚥!!

4月19日(火)エクササイズ再開

7時起床。寝違え首が回り難い。曇天、低温。
10時前、ぬかるんだ公園へ。すっかり葉桜。鉄棒もぬかるんでいるが何とか4周。途中、90歳超のご隠居が通りかかり「頑張ってるなあ」としばし見学していく。コリー夫妻もエール。花壇北の公園常連オジサンが自転車から大きなエールくれる。右脚内捻転オジサンがストレッチしながらエールを送ってくる。「朝は脚が突っ張って痛い」とも。車椅子押し歩き4ブロック終了。
帰宅して、昨夜写真付メールくれたFさんにお礼メール。5月から某官庁で仕事が始まるとか、よかったよかった!!!

4月18日(月)安息日

8時前起床。昨日の花見会で日焼けたっぷり、鼻先真っ赤、両手の甲の第一次火傷で真っ赤。曇天、疲労しきり。終日安息日。
夜、ソファで姿勢悪く誤嚥!

4月17日(日)アーバン仙人花見会

7時前起床。晴れて行楽日和、憑いてるなあ!
9時前、身支度してセブンイレブン前で迎えに来てくれるSさんを待つ。時間きっかりに新しいバンでSさん到着。一路、能勢へ。懐かしいSさんのアトリエへ寄る。すっかりこのあたりは建て込んだが、前の山は自然のまま。みんなが集合場所・能勢町刊行物産センターのある道の駅へ。日曜で大混雑、ガードマンに身障者用トイレに誘導してもらい用を足す。暫時待機。このスペースに不似合いな真っ赤ななにわナンバーBMWのオープンカーあり、しばらくするとエエ歳格好のアベックが平然と車に乗り出て行く!罰当たりメ!は聞こえないか。

ややあって、Fさんが運転するプリウスにTさんH君が同乗して到着。道の駅脇の肉屋でBBQ用食材、道の駅で野菜を仕入れ、瑞穂の道の駅へ。天王から篠山、多紀のサクラ名所経由、瑞穂へ。道の駅でトイレ休憩してアトリエへ12時半到着。庭で準備万端の主・齋藤修さん、夫人、ジュニア3人と一年ぶりの再会。BBQ始まる。
2時、食べ終え、中学3年のジュニアの三味線で新内を聴く。齋藤さんの近作、水干絵具のドローイングを拝見、去年より純化したブルー一色の作品がいい!!29日から故郷・島根浜田市の石正美術館で展覧会も開催とパンフレット頂戴。
ここで最近一番のサプライズ!!オバQ仙人ことFさんが作品集をひそかにDVD化してくれていたのだ!しかもBGM付きで!!「まやこうすけ作品集DVD」鑑賞。3時過ぎたので、ボチボチ辞去の態勢。3時半、齋藤さん一家に送られて、瑞穂道の駅でトイレ休憩。プリウス組とここでお別れ、多紀→能勢→川西経由、6時ごろ、無事帰着。送迎の労のSさんとお別れ。帰宅後、爆睡!!
 夜、ETVでN響特別演奏会ズービン・メータ指揮の大熱演。バッハの組曲3番からアリア&ベートベン第9を静かに聴く。

4月16日(土)昌益、再読

7時半起床。朝食時、痰きりのムコダイン再服用始める。昨日来宅のM君からお礼のメールあり、返信。
曇天、風強し。一度出るが雨模様で待機し、10時半、公園へ。サクラは葉っぱ、公園中がピンクの雪化粧。鉄棒、後ろに引っ張られながら、4周。車椅子押し歩き、しんどいが4ブロック何とか終了。ベンチで休むUさんに3日ぶりの挨拶。BLG整理。TATさん横浜のSANさんに更新連絡メール。
午睡後、安東昌益再読を始める。入浴後、髭剃り&爪切り。面倒やナア!

4月15日(金)M君来宅

7時半起床。雨か!
午前、CLIPPINGなど。午後のM君来宅に備える。
雨中、2時過ぎM君がドアを叩く。たっぷりのスィーツ持参で元気そうな顔が嬉しい!残念ながらしぼむ近況の話に終始したが、何とか応援したい。何度も喉を危機が襲うが、納得いくまで話が聞け、ともかく頑張りぬく決意が聞けた。5時前に辞去。入れ代わって婿殿が来宅、食材をPICK UP。

土曜日, 4月 16, 2011



▲丹波氷上町清住のカタクリの里で


晴れときどき阿呆果 ビンボウに帰る


元N紙論説主幹で作家の水木楊は本日付で『 大惨事の後 価値観が変わる』をAYN紙連合NETに寄稿。『大都市にはさまざまな人が集まってきますが、彼らに共通している物差しは、損得勘定です。お金を持った人間が勝ち。人を蹴落として何が悪い。自分が浮かべば人が沈む。人が浮かべば自分が沈む。負けるものかと金を追い、金が金を生む「強欲資本主義」なる怪物まで出現しました。都市こそは功利主義の巨大な巣窟です』と書き、都市に住むことを止める「田園の知恵と精神を」を勧める。あのゼニ本位制を誇るN紙の元論説主幹が、、。

 同じ日、M紙コラムで潮田道夫は米ハーバード大ラリー・サマーズ教授が今度の震災を受けて「日本は前より貧しい国になるだろう」発言を紹介。 小幡績慶応大准教授のエネルギー多消費型産業は海外移転するほかない、それが論理的必然ではないか。日本から雇用が流出し、サマーズ氏の「日本は貧しくなる」が実現してしまいそうなイヤな予感がすると、追い討ち。「災害と経済成長」を扱う経済学常識でいう先進国の災害は成長を妨げない楽観記事や飛躍のチャンス説を抑え、『私は低エネルギー社会への移行は不可避だと思う。とすれば、仮に経済成長=所得が低下しても、それなりに心豊かに暮らせる社会にしなければならない。助け合いがカギ』と言い切るが、、。

 兎にも角にも『ビンボウ』が大手を振って罷り通るほど価値観の変換はありうるのか?生きているうちに観たいもの!(4月13日記)


晴れときどき阿呆果 サトウエイサク曰く


 大地震から1カ月。4月10日現在のまとめによると、死者約1万余人。行方不明者は約1万5000余人。15万人以上が避難所で生活。被災地、福島県は地震・津波・放射能の三重苦に喘いでいる。

前知事の佐藤栄佐久が『巨大地震や大津波のせいで原子力発電所が故障したため、事故は仕方がないと考えてはいけません。東京電力は今年の2月7日に、運転開始から3月で40年を迎えた福島第一原発1号機について「さらに10年間運転を延長するために必要な保安規定の変更認可を、保安院から得た」と発表。認可されたのは震災の約1カ月前です』とNET情報「PJニュース」で言明。「沿岸部に原発を建てるなら津波のリスクを考え、防波堤を高くするべきだったなどと『技術的な問題』に矮小化するのではなく『原発の設計思想』そのものから考えなければいけません。『部品を交換したから安全に運転できる』訳ではないのです」「地震や津波の被害は天災。しかし『原発事故は天災ではなく人災』。経産省から原子力安全・保安院を分離する動きがでていることに対して今更遅すぎる」と語ったという。 汚職容疑でとっ捕まる前に言うてほしいなあ!! (4月12日記)

晴れときどき阿呆果 今日は1カ月、許容した我々は?

 今日で1カ月、あの日津波の映像はホームドクターの往診で始まり、予期しない原発問題で世界中からを注視されている。M紙日曜コラム「時代の風」3月26日付で、『原発を「許容していた」私』と加藤陽子東京大教授の自省を掲載した。長いが引用する。

 『テレビは、首相官邸、原子力安全・保安院、東電等による記者会見の模様や現場の状況を臨戦態勢で報じた映像を見ながら私の頭に浮かんだのは、奇妙にも次に引く大岡昇平の言葉だった。「(昭和)十九年に積み出された時、どうせ殺される命なら、どうして戦争をやめさせることにそれをかけられなかったかという反省が頭をかすめた、(中略)この軍隊を自分が許容しているんだから、その前提に立っていうのでなければならない」輸送船に乗せられた時、自分は死ぬという明白な自覚が大岡を貫いた。これまで自分は、軍部のやり方を冷眼視しつつ、戦争に関する知識を蓄積することで自ら慰めてきたが、それらは、死を前にした時、何の役にもたたないとわかった。自ら戦争を防ぐという行動に出なければならなかったのにもかかわらず、自分はそれをしなかった、こう大岡は静かに考える。

 よって、戦争や軍隊について自分が書く時には、自分がそれらを「許容してい」たという、率直な感慨を前提として書かねばならない、と大岡は理解する。その成果が「レイテ戦記」にほかならない。この大岡の自戒は、同時代の歴史を「引き受ける」感覚、軍部の暴走を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察だろう。 以上の文章の、戦争や軍部という部分を、原子力発電という言葉に読み替えていただければ、私の言わんとすることがご理解いただけるだろう。』

 ジミントウ政権とトウダイ卒を初めとする官僚、エスタブリッシュたちは長年、原発を地球温暖化対策の切り札だとする考えを国民に納得を強い、原発は、パッケージ型インフラとして海外展開され、政府策定の新成長戦略の一環でもあった。庶民の生活面でも「オール電化」は、火事を起こさない安全なものとして語られていたことの事実を忘れてはならないし、我がビンボウ生活でも「トータルに許容していた」んだ。 敗戦の総括についても自力では行えなかった我々。ならば、せめて今回の事故について、同じ過ちを繰りかえしたくはない。(4月11日記)


晴れときどき阿呆果 モクレンと倶会一処


3カ月ぶりに馴染みの旧友たちに逢う。六甲の裏側、西神戸「しあわせの村」という福祉施設。文字通り車椅子の障碍者も多い。広い園内を、車椅子を押してもらっての遊行。サクラ満開、菜の花やタンポポの黄色が春を謳う。サクラの花びらは白いのに樹全体を観るとほんのり桃色。

 中に二本、モクレンがある。夕闇の中で際立つ白さの花を、もはや撒いている。早世した色白の仲間、TAさんが舞い降りたように白い。優し過ぎる性格が災いして病気も受け入れたのだろうか。

 降って沸いた災害や病気や死は、人が夢見ていた未来を容赦なく変えてしまう。ただいま以降の未来は誰にも予測できない。不条理な運命、それでも生きる努力をするのは、自分という個体が未来のためにできるたった一つのことなのかもしれないからか。今宵もTさんを思い出しながらこう呟くだろう。「諸上善人 倶会一処=くえいっしょ」と「さあ、TANOさん、食うでええ!!!!」

*ともに一つの場所で出会うということ。阿弥陀経は極楽浄土へ生まれる願いを起こすことをすすめ、それは浄土の仏・菩薩たちと倶(とも)に一つの処で出会うことが出来るからと説いている。一つの処とは浄土のことである。岩波『佛教辞典』(4月09日記)


晴れときどき阿呆果 海底もずれる  

 

 海上保安庁のHPは、3月28、29日の測量船「明洋」による海底調査を実施、「東北地方太平洋沖地震(M9.0)で震源のほぼ真上の宮城県沖海底が東南東に約24㍍動き、約3㍍隆起したこと。陸上で検出されていた牡鹿半島で約5.3㍍の4倍以上に相当する最大移動量であると発表した。

 天動説のような日々を過ごしているのにこのデータには剋目で脱帽!!(4月08日記)


晴れときどき阿呆果 アートが何ぼのモンじゃ


 M紙コラム余録は震災と文化に触れている。何ほどのモノも生産しない無職渡世の無力感と、なおオマケな生活に耽るブンガクシャの矜持は?

 『関東大震災で被災、寝食に不自由した菊池寛は「我々文芸家にとって第一の打撃は、文芸ということが生死存亡の境においては、骨董書画などと同じように、無用の贅沢品であることを、マザマザと知ったことである」▲同じく正宗白鳥も「数分間の大地の震動に比すると、月評家の筆などは何の力もないのである……文筆の士の痩腕(やせうで)で果たして以前の如く生きていられるでしょうか」と書いた。なるほど震災は人間の文化的営みに深い無力感を与えるだけでなく、その基盤も破壊する▲「芸術は生活の過剰だそうである……しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ……過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」。震災の後に文筆家の矜持をこう記したのは芥川龍之介だ▲避難所で本を手にする子供の姿を見れば誰しもほっとする。「人間を人間たらしめる」営みは、震災で壊れた世界を少しずつ修復してゆくことだろう』と書く。

石川啄木は『頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず』『いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ』と詠んでいる。 ブンガクが何ぼのモンじゃ!アートが何ぼのモンじゃ!ゲイジュツが何ぼのモンじゃ!!無力感で万感迫る。(4月07日記)

金曜日, 4月 15, 2011

4月14日(木)カタクリを観に

 7時起床。快晴絶好の行楽日和。朝食時、娘からお誘い電話、弁当を作っているとのこと。紀の川市のM子さんから大好物タケノコ・干し柿・金山寺味噌など丹精子込めた手作りの里の味が宅急便で届く!感謝感激!!

 10時半、迎えに来てもらい出発。行く先未定と婿殿。11時、中国道宝塚IC。サクラで薄化粧した丹波の山並みが哂う。春日ICで北近畿道へ、「このあたりにサクラ堤が綺麗だった記憶がある」と氷上IC着。7号線沿いに走ったら「カタクリの里」の案内板。今月初めに竹馬の朋友たちと行く予定だった清住が近い!観光協会が用意した駐車場があり、既にたくさん観光客が。案内所で聞くと車椅子は無理、流れに沿って対岸から見えるから入場料フリーでどうぞと言う。カメラと三脚を持ったグループもたくさん群生地を目指して上がって行く。流れに沿ってカタクリが観える。今が見ごろか?車椅子でしばし鑑賞、鶯が鳴く。娘たちは群生地へ。平日なのに客は引きもきらず続く。正午過ぎ、近くの名刹・達身寺へ。前回、竹馬の朋友たちに連れてもらい身障者用トイレのあること確認済みなので山門前へ。茅葺の本堂を見ながらベンチで弁当を広げる。観光客もパラパラと。弁当が終わり、氷上ICへ戻る道すがら、加古川堤のサクラ並木をクルーズ。高速道を春日経由、西紀SAでトイレ休憩、婿殿は例によってソフトクリーム。丹南ICで降り、176号線を走る。武庫川上流のサクラをサーチ。福知山線藍本駅近くが絶好のポイントで綺麗。さらに三田から青野ダム→有馬富士公園→千苅池→猪名川道の駅→川西から5時前帰着。夕食まで爆睡、メールを確認したら、M君が明日来宅したいと。返信しなくっちゃ!


4月13日(水)介護認定手続き


明け方、東京のMORさんといる夢。7時起床。晴れて温い。10時、ケアマネMさん来宅。現状ヒアリング、来月分介護計画。2年に一度の介護認定の手続きについて打ち合わせ。10時半、公園へ。サクラの花びらが随所で絨毯に。葉桜が増えたが、敷物の団体もある。鉄棒4周+車椅子押し歩き4ブロック、今はこれがBEST、で15分ずつかかる。ケアマネに訊かれたが随分機能低下。夜、野球を早く終わり、BS映画「ブラッド・ダイアモンド」L・デカプリオが好演、アフリカがTIAであることがよく分かる。 TATさんから近況報告メール。酸素抱え頑張ってはるぞ!彫刻のSさんから17日のアーバン仙人の花見会お迎え段取りのメール。アリガタイ有難い!!


4月12日(火)花筏


7時半起床。晴れ。10時過ぎ、公園へ。葉桜だが、福祉団体多い。噴水池や水路に花びらが花筏を綺麗につくっている。鉄棒4周、車椅子押し歩き4ブロック。午睡2時過ぎまで。ひたすら描く以外にない、夕食まで頑張る。夕食前、ソファで新聞を広げたら誤嚥!やはり姿勢が悪かった!夜はプロ野球始まり、BS映画『エネミーオブアメリカ』観る。ああ、やっぱりJ・ハックマンだった。


4月11日(月)カルぺ・ディアム


6時前、明け烏の大きな鳴き声で覚醒。7時半起床。晴れ、温い!10時過ぎ公園へ。サクラ満開、木によっては葉桜。スケッチグループが写生、車椅子の団体も多い。露天商が撤収作業。鉄棒伝い歩き4周、車椅子押し歩き4ブロック。終って花壇に連れてもらう。菜の花の黄色にサクラが映える。帰宅後、ハヤメシ!

 午睡。BSシネマ「いまを生きる89年・米映画 DEAD POETS SOCIETY」厳格な名門校を舞台に型破り新任教師と多感な生徒たちの心のふれあいを描く作品を午睡しながら少し観る。アカデミー脚本賞受賞らしい。映画の冒頭、ラテン語 Carpe diemの解説がある。カルペ・ディエムとは、紀元前1世紀の古代ローマ詩人ホラティウスの詩に登場する語句。「一日の花を摘め」、「一日を摘め」などとも訳される。英語では「seize the day」(その日をつかめ/この日をつかめ)とも訳される。ホラティウスは「今日という日の花を摘め」というこの部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」か。関連表現に「メメント・モリ」(死を想えmemento mori)がある。「その日を摘め」も「メメント・モリ」も同じような意味合いで使われることもあるが、メメント・モリという概念にある2つの側面の「謙遜」と「悔い改め」は「その日を摘め」には見られないものである。2つの語句は相反する世界観を表しているともいえる。「その日を摘め」が後事を考えない、後悔のない人生を送ることを勧め「メメント・モリ」は質素で謙遜した、柔和な存在であることを勧める。今日で震災1カ月。先月の午後2時46分はちょうどホームドクターW先生が『いそがしいそがしい』といいながら往診してくれた時だ!


4月10日(日)三宮へ


6時40分起床、BED周りでの身動きが以前に比べてかなり落ちたと実感。身支度してOさんに園内散歩に連れてもらう。終ってそのまま2階レストランでバイキング朝食。Oさんすべて介助してくれる。メンバーだんだん集まってくる。一堂朝食済ませ、昨日の逆周りに園内散策。子供用トリムコースでOHさんが長い滑り台に挑戦。日本庭園で記念撮影済ませ各自チェックアウト準備。9時45分、仕事のあるUさんの車にNさん、Sさん同乗するのでお別れ。OHさんOさんTさんFさんと10時10分発の三宮行きバスに。10時40分に三宮到着。阪急三宮駅で家人に出迎えてもらい、皆さんとお別れ。

 本日は山口組組長出所で新神戸駅近辺は警察厳戒だというが、めったにない機会なのでセンター街へ。商店街でウィンドウSHOPPINGしてユザワ屋へ行きアクリルガッシュを見て思い付く色をPICK UP。ステッドラー鉛筆、パステル用フィクサチーフ、BEDカバーのインド棉などを買う。かばん屋に入りショルダーバッグ買う。昼時、交通会館9FのPAPA MILANOでイタメシ。家人は明太子ラザニア、自分は超特大マルゲリータPIZA。阪急電車へ移動。駅員に手伝ってもらい各停梅田行き乗車。王子公園や夙川から花見客で込む。久しぶりにラッシュで子どもの泣き声!何と武庫之荘ではエレベーターと地下道が設置されていた。時代は進む!駅から阪急TAXIで帰宅、県議選投票をして爆睡4時半まで。起きると、娘がエコポイントの景品はHAMとケーキを持参してくれる。夜、BS映画「鉄道員ぽっぽや」観る。


4月9日(土)しあわせの村でハッピー!


7時半起床。雨が上がった。好天に恵まれそう。 CIPPINGなど。 H君から17日にアーバン仙人花見会決行の電話あり。

 横浜のSANさんからメール。仙人の皆さんによろしくとの伝言、絵文字入りメッセージつき。

『いよいよ、あちらこちらから満開の便りが聞かれるようになって来ました。Tさんたちとの花見に参加できなくて残念です。皆さんによろしくお伝えください。               ) ) ) Cofee ( ( (  please     (~~~~~~~~~~)⊃             (      )⊃             ( )( )           ≡≡≡ San

 11時、ハヤメシして身支度。正午、TAXIでOさんが出迎えてくれるJR立花駅へ。12時40分、Oさんと合流。積もる話をしてJR三ノ宮到着。しばらく皆さんのお出ましを待つ。FさんとOHさん、Sさん、Tさん、Nさん合流。交通会館のエレベーターで浜側の市バス66番デポへ移動。「しあわせの村行き」を待つ。2時10分発のバスに車椅子を皆さんに持ち上げてもらい乗車。ドライバーに車椅子を固定してもらう。山麓バイパスのトンネルからひよどり台経由、3時前到着。珈琲ブレーク後チェックイン。 Oさんの手配で車椅子用の3階の部屋に。Nさんに車椅子を押してもらい皆さんと手入れの行き届いた広々した園内遊行。車で来場のUさん合流。日本庭園、芝生広場、鎮守の森、果樹園まである。車椅子も多い。6時夕食を2Fレストランで、まあまあのMENU。一同、酒量が落ちた!終って我が部屋で皆さん歓談の賢人会議。9時半、『やかましい』とのクレームに部屋のドアを閉めて、喋るが10時には散会。


4月8日(金)花に雨


7時半起床。予報どおり雨。昨夜の地震で3人死亡、負傷多数、その上停電が300万世帯とは!朝食時、武庫川堤防の桜が満開、華やかそう!昼食後、午睡2時過ぎまで。レポート用意してホームドクターW先生を待つ。3時きっかり、W先生とナース来宅。血圧135-96、体内酸素98%、聴診器と触診をしてもらい「異常なし」。「口を閉じて鼻から息を吸い込み5秒止める」肺の強化法を心がけえるように指導受ける。逆流性食道炎の薬を続ける処方。 Oさんに明日の一泊旅行の段取りをメール。海風社オフィス移転通知来信。 YUKさんからメール。


4月7日(木)サクラ満開


7時半起床。晴れ。10時前、桜満開の公園へ、噴水前に90超の1丁目ご隠居に挨拶。今日も福祉団体の花見が多い。鉄棒4周、車椅子押し歩き4ブロックを終える。早やメシのため帰宅。2時まで午睡。夕食まで制作。夜、下痢。就寝前、ラジオで緊急地震予報。宮城沖でM7.4.ラジオ番組急変。難儀やなア!!!

木曜日, 4月 07, 2011


▲紀三井寺の桜と眼下に広がる海(4月5日)


晴れときどき阿呆果 二億千七百万秒余  


 「花また花へ 移る陽に 車椅子」。桜ドキは毎朝が花見。今日こそは何かを仕上げるつもりが、そうではなく、何も完成しないで終ってしまう。 

 J・リュック・ゴダール監督は「気違いピエロ」の中で、アンナ・カリーナに「一時間は三百六十秒、一カ月は二十五万九千二百秒。人生七十年、我々が生きるのは二億千七百七十二万八千秒あったという。「うんざりするほどの時間だ!」というのに何も出来ない!(4月06日記)


晴れときどき阿呆果 吉本隆明、震災を考える  


「未曽有」が読めないソウリ大臣もいたが、未曾有の原発複合災害が社会に大きな影を覆ってしまった。 「共同幻想論」の吉本隆明がA紙のインタビューに答えて言う。「災害状況が進行中ですが、お前は考えているのかと問われれば、絶えず考えています。いくら考えてもわかんねえってこともありますが、自分なりにずっと考えています。」と、むかしサヨクの星が親鸞の往還論を引き合いに出したので、要旨をメモった。 

 私事と公け、どちら選ぶか? 戦争が終わって落胆したが、思い返せば軍国主義だけはよく学んだけれど、それ以外のことは学んでこなかったので、本を読みました。『新約聖書』も読んだし、マルクスの『資本論』も古典経済学のアダム・スミスも、自分なりの読み分けができるまで読みました。これから自分は何を警戒し、何を戒めとしたらいいのか。読みながらそれを考え続けた。考えたことの中に、レーニンとスターリンの対決で結末がついた問題もあった。切実な私事と公、どちらを選ぶべきか、という問題である。レーニンは、ロシアに本当の意味でマルクス主義社会が成立するなら、その時は共産党は解散しようと『国家と革命』の中で言っている。共産主義の相互扶助が成就したら党を解散しようというのがレーニンの考え。そして年をとったレーニンが病に伏し、妻が看病するが、スターリンはレーニンに対し、おまえの妻は党の公事をないがしろにしていると批判。そこから二人の対決が始まる。家族の看病や家族の死といった切実な私事と、公の職務が重なるとき、どっちを選択することが正しいのか。東洋的、スターリン的マルクス主義者であれば公を選ぶのが正しいというであろう。ところがマルクスは、そうではないことを示している。 

 マルクスは、唯物論でなんでも白黒つける論者たちとは異なり、肉親が死んだときの寂しさ、闘病のつらさといった切実なことは、公の利益のよさといったことと別のものだということを「芸術論」で言っている。「私」をとるのがマルクス思想の本流であり、それは比較や善悪の問題でもなく人間の問題なんだ、というのがレーニンの立場。真理に近いのはどっちだ、ぎりぎりの時にどっちを選ぶんだとなれば、レーニンの立場を選ばざるを得ない。  

親鸞の往還論 日本で似た問題提起をした人物ば親鸞。弟子から「死んだら極楽浄土に行くそうですが、私は少しも極楽浄土に行きたいと思えないのです」と打ち明けられ、親鸞は「現実社会というものは煩悩のふるさとだから、ふるさとを離れがたいのと同じように人間は煩悩から離れられないものなのだ」と答え、オレもおまえと同じだと伝える。そのうえで親鸞は「人間には往(い)きと還(かえ)りがある」と言っている。「往き」の時には、道ばたに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかしそれを終えて帰ってくる「還り」には、どんな種類の問題でも、すべてを包括して処理して生きるべきだと。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと。この考え方にはあいまいさがない。かわいそうだから助ける、あれは違うから助けない、といったことではなく「還り」は全部、助ける。しきりがはっきりしているのが親鸞の考え方であると。 ずい分、歳を重ねた吉本らしい。(4月05日記)

晴れときどき阿呆果 ドーナツの穴?


 珈琲ブレークでドーナツを食べ始めると、ドーナツの「穴」という概念は、目前からはだんだん消える。見えない穴は?

4月2日Y紙復興『論点スペシャル』骨と血で生き直せる・宗侑玄久は『天災は従容として受け入れるしかない。しかし、人災である原発事故に関しては従容としているわけにはいかないのだ。政府も東電も国民に対して誠実であってほしい。人間の死に『死に甲斐』があるとすれば『その人の死によって周りがどれだけ変わったか』という以外にない。今回、これだけべらぼうなことが起きた。骨だけを残して、肉など外側のものはみんな変わっていくというくらいの価値観の転換が起こるべきだし、起こるだろうと思う。人間は、骨があって、周囲の人との心のつながりに血が通えば、生きていける』というが、やはりドーナツの穴か?(4月04日記)


晴れときどき阿呆果 花見


『世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし―在原業平』「戦時中の日本人の連帯感は美しい、見習うべきだから自粛しよう」と、イシハラシンタロー知事による花見自粛呼びかけで都内の花見が実質上中止が多いらしい。自粛する意味がホントにあるか?Jishuku。ニューヨーク・タイムズが震災後、日本の自粛ムードを伝える大きな記事を世界に配信、急にグローバル化した日本語になり、美徳というより「無難な横並び、過剰反応のマイナスイメージ」で伝えている。

朝食時にベランダ越しに集落鎮守の森一番手前に見える大きな桜がほんのり咲き始めた。午後、出掛けた公園では桜は3から4分咲き。露店が出て大賑わい。こもごもブルーシートで家族単位やグループが弁当を広げている。日本人は分に応じて花見を楽しんで美意識を形作ってきた。震災の被災者を思いやって花見自粛論が出ているが、酔態さらしての放歌高吟はこういうときでなくとも控えたい。しかし、節度をもって日本の美を楽しむことを遠慮する必要はなかろう。米国の首都ワシントンのポトマック河畔は日本から贈られた3000本のサクラの名所として知られる。先月24日には咲き始めたサクラ並木で「日本支援」の黙とうと静かなデモが行われた。サクラの花には人の心を結ぶ力もあると、M紙コラム余録はいう。

中には作家で老人党の「なだ・いなだ」のように、「桜も嫌い。大和魂も嫌い。NHKは桜前線などと、なんであんなものに騒ぐのだ」と憤慨する御仁もいる。「なだ」は桜の代わりに、自宅に植えた白い花桃で日本を埋め尽くしたらいいのに。純白の花。散るまで純白。散るときも純白。箒(ほうき)で集められても純白。散るときの花吹雪の美しさ、桜など比べものにならない。あまりの美しさに見とれて転ばないように。春の空に一番合う。桃ついでにいえば新左翼「いいだ・もも」85歳が31日、老衰で大往生したと伝わる。(4月03日記)

4月6日(水)病気に負けたらあかんでえ


7時前起床。今日も快晴、温暖MAX19℃か。10時前公園へ。桜満開の中、鉄棒伝い歩き4周。久しぶりにクルージングで脊椎を骨折したオジサンがヘルパーさんに車椅子を押されてやって来て「少しはようなった?わしは3年もこの姿。病気に負けたらあかんでえ!」。車椅子押し歩きにチャレンジ、4ブロック歩けた。終って、水路沿いのベンチに休むUさんが「池の周りの剪定されてない桜が綺麗」と教えてくれたので、目指す。なるほど花のボリュームがある。午後3時まで午睡。以降制作。BS映画山田洋次推薦08年『トウキョウソナタ』12時まで観る。


4月5日(火)根来寺から紀三井寺へ


7時前起床。快晴、絶好のお花見日和らしい。昨日GENちゃんからキャンセルの連絡あった「カタクリの花見物ドライブ」は中止。急遽、娘夫婦と和歌山方面へドライブ。9時45分、出発。湾岸線尼崎末広RNPから阪神高速に入る。 何年ぶりかの車窓風景。懐かしい湾岸風景が快晴に映える。USJ、フンデルトワッサーのゴミ処理場、WTC、海遊館、フェリー乗り場、コンビナート、堺の街、関空KIXなど。11時過ぎ、阪和道泉南ICから、根来寺を目指す。峠は道路整備されすっかり風景が変わった。本日休業の根来さくらの里でトイレ済ませ間もなく根来寺駐車場到着。散在する山桜が咲き揃って美しい。しばし参道を行き桜見物。足場が悪く、緑化センターに移動するが、駐車場が満車で諦めて昼食場所を探しに、和歌山線下井阪付近を越え24号線を。

石段続く紀三井寺へ上がる! 12時半、国道24号線の「さと」で昼食を終え、井阪橋を渡り桃山町「桃源郷」へ。堤防沿いの桃源郷を見つけるがまだ花は咲いていない。国道へ戻り、紀三井寺を目指す。2時過ぎ、紀三井寺前到着。楼門前のコインパークに駐車、車椅子に乗り換えたところ参道の焼き鳥屋のオジサンが駆けつけてくれて「裏道を行き、駐車料を払えば本堂横まで車で上がれる。バーが上がる前にコインパークの料金を払わないで急いで出したら」と親切なアドバイス!なるほど、横道を行くとガードマンが誘導してくれ、料金1300円を払って急峻で狭い山道を行く。まるで寛永馬術並みの階段に似た隘路。婿殿の奮闘で本堂横に無事到着。桜満開、見下ろす和歌の浦の海がきらきら輝いて、満腹!目の下、急勾配の参道階段を行く参詣客が。3時出発、帰路は和歌山ICから阪和道。紀ノ川SAでトイレ休憩。煌めく春の大阪湾を眺めていると、眠気吹っ飛ぶ。あっという間の尼崎末広RNP4時半。5時過ぎ無事帰着。そのまま7時まで爆睡! YUKさんから体調不良で本日のキャンセルをメール受信。


4月4日(月)娘のおはぎ


 7時前起床。晴れだが依然冷え込み!MAX13℃か。公園へ10時半に。桜が咲きそろったが、枝振りが昔日の豪華さはない。車椅子や福祉団体の花見が多い。バランスが悪いので鉄棒伝い歩きのみ4周。ばてる!昼食後、午睡。2時、GENちゃんから電話で覚醒、明日のドライブYUKさん体調不良でキャンセルとのこと。3時、AKIたちがオハギを作ってきてくれる。珈琲ブレーク。  横浜SANさんからメール受信。闘病中ながら念力を送ってくれると次のような嬉しい便り。

「先日、新聞に中学生が瓦礫の撤去に行くボランティア活動の申込書に記入している写真が掲載されていました。その顔をじっと見ていると涙がこみ上げてきました。これも貧者の一灯でしょうか。その後、孫正義氏個人が100億円寄付、更に、役員報酬年間1億800万円も在職中分寄付と出ていました。年収の100倍の寄付はすごいなと感心しましたが、涙は出ませんでした。僕がもし元気だったら何をしていただろうかと考えています。ボランティアに行ってただろうか。今は、皆さんに念力を送ることしか出来ません。でも念力は体力と違っていくら使っても消耗しないので惜しみなく使えます。東北にも大阪にもしっかり送ります。」


4月3日(日)花冷え  


 夫人の療養に付き添って千葉に移住したK印刷Sさんの夢を見た。堺工場のエレベーター風景など次々に出てくる。7時前起床。曇天、朝食時、ベランダから鎮守の森を観ると桜が咲きだして華やいでいるのが見える。BLOGをUP。昼食後、大道芸が団地広場に来ているというので観に行く。残念ながら演技は休憩中。そのまま花見の宴で賑わう公園で鉄棒4周。風があり冷えるのにみんな宴会中。5時、婿殿が来て食材Pick UP。急遽リクエストで、伊丹ダイアモンドシティに連れてもらいGAP、ユニクロ、IKKAなどを周り、VETNAM製帽子を買う。7時過ぎ帰宅。


4月2日(土)桜3分咲き  


 6時覚醒、もはや昨日から4月、カタストロフィーについてあれこれ思う。7時半起床。晴れて温い!10時半公園へ。桜3分咲き、あちこちでブルーシートを敷いて団体の花見も賑やか。障害者や車椅子も多い。Uさんすでに定位置のベンチで休息中。対岸で脳梗塞入院4回の夫婦が手を振る。鉄棒4周、車椅子押し歩きにか刈り、どうにか2ブロック。帰路、まだUさんが気持ちよさそうに寛いでいる。「いや、足が痛むので」と。5本指ソックスを勧める。昼食後午睡3時前まで。Oさんからメール。H君からアーバン仙人の会花見について日程調整の電話あり。夕刻から夜は冷え込む。


4月1日(金) 前歯抜ける


 7時前起床。晴れて温暖、MAX19℃。自室掃除してもらい、公園へ。寒さが緩んだか少し華やかで人出もある。鉄棒の周りがすっかりやわらかい砂で伝い歩きに骨が折れる。どうにか4周して終る、時間も20分以上かかる。帰路、団地外周を大回りして連れて帰ってもらう。ユキヤナギがちょうど視線の高さ、よく見るとピンク色のもある。11時、訪問看護Oさん来宅。検温36.5℃、血圧122-78.歩行が二三日不調を伝える。午睡後、珈琲ブレークで、自家製ドーナツ食べたときに補綴した下前歯が抜ける。以降夕食まで制作。ダーマトで構図をスケッチしてみる。夜、佐川急便でプリンターインクなど消耗品届く。

土曜日, 4月 02, 2011

晴れときどき阿呆果 自灯明、法灯明  


福島在の宗侑玄久が30日の河北新報に自身の地震体験を「日本社会の転換期」だと、書いている。『大揺れが来た途端、わたしの体を「今のままではいけない」という感じが通り過ぎました。地震や津波という自然は一瞬にしてすべてを変えてしまう。結局、我々はすべてに「仮住まい」している。技術を含め、あらゆるものが欲望化している日本の社会が今、大きく変化するときではないかと考えます。もしお釈迦様がいたら、何と言うでしょうか。やはり亡くなるときに語られた「自灯明、法灯明」だと思います。「自らをよりどころにせよ。そして、その自らが見た世界の法則をよりどころにせよ」と。どんな偉い人が言ったことでもなく、自ら見聞きし、体験した、そこからしか道は始まらない。 そういう意味では、ものすごくしっかりした道の原点を、私たちは得たと思います。』と、かりそめの現(ウツツ)を説いている。 我が小学校の恩師からも先日『自分のことは自分で』と便りを頂戴したばかり。(4月02日記)


晴れときどき阿呆果 また東電!    


「東電情報隠し」をフリージャーナリスト田中龍作が鋭く追っているのが心強い。次に要点を書き写す。 原子力担当の武藤栄副社長の記者会見は23日から社名と氏名を名乗らなければならないようになった。途端に民放の記者連は、おとなしく借りてきた猫のよう。質問しても東電側が喜ぶヨイショ質問ばかり。大広告主である東電の機嫌を損ねるような質問はできないと想像つく。ところが想定外の理由が他にあった。東電によるマスコミOBの接待旅行である。地震発生時、勝俣会長はマスコミ幹部を連れて中国旅行に出かけていたと、 衆院議員の田中康夫が『サンデー毎日』誌上で明らかにした。記者クラブメディアには誘惑はイッパイ。経済部系記者に対する企業もてなしは並々ならぬものがある。好況のころはワイシャツ仕立て券はじめ数々のギフトが届いた。政治部記者が有力政治家から海外旅行に連れて行ってもらうのも同様だ。  


30日、東京電力本店で開かれた記者会見で田中は勝俣会長に「マスコミ幹部を連れた中国旅行(の旅費)は東電持ちだったのか?」と質問。「全額、東電で持ったということではないが、私どもが多めに出した。(連れて行ったのは)幹部ではなくOB」と、あっさりと認めた。田中は食い下がる。「では社名を明らかにして下さい」には「プライベートに関わることなので明らかにすることはできない」と弁明。「マスコミはプライベートではない。公共施設の中にある広い記者室にタダで入居してるんですから」と質すと「2~3日中に相手(マスコミOB)と話し合って…」。「話し合って隠ぺいしようと言うんですか」。「そういう接待旅行があるからテレビは『原発はクリーンでエコなエネルギーです』などと国民の頭に刷り込んできたんですよ」と迫った状況はネット映像に流し、勝俣会長は気の毒なほど慌てていた。  地震で成田空港が一時使えなくなったため、添乗員が「関空になら帰れる」と進言したのだが、勝俣氏が拒否したという噂もある。いずれにしろ、陣頭指揮をとらなくてはならない会長がすぐに帰国しなかったことは事実のようだ。 


東電の隠ぺい体質をめぐっては、2002年に米技術者の告発によって事故隠しが発覚し、国際社会の批判を浴びた。にもかかわらず06年、07年に柏崎原発と福島第2原発で連続して事故が起きていながら公表しなかった。いずれの事故も記録が改ざんされていたことが明らかになっている。改ざん工作の中心にいたのが勝俣氏だったとも言われている。情報が広く公平に開示されていれば、問題点は指摘され改善されたはずだ。一連の情報隠しが今回の大事故に結びついたとも言える。「情報を隠すということは全くありません」(勝俣氏)というなら、中国旅行に接待したマスコミOBの社名くらいは公表すべきだ。マスコミとの関係を可視化しない限り、国民は「原発安全神話」に洗脳され続ける。東電の隠ぺいは改善されないと、田中は憤る。(4月01日記)  


また、本日、文春から届いたメールは『泥のカネ』 森 功・著が4月5日に初版される。東電・福島原発の大罪、黒い裏事情がここに!福島原発から小沢一郎の胆沢ダムまで、汚い金の臭いがする所には、必ず“裏金王・水谷功”の影がある――。政界の裏街道でその名を知られた「闇の政商」の告白から政官業「癒着」の核心をあぶり出した傑作ノンフィクション『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』が刊行されるという、惹句。


晴れときどき阿呆果 泪(なみだ)そなへて生れ来し    


Y紙編集手帳が「生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。〈寒き世に泪(なみだ)そなへて生れ来し〉(正木浩一)」と。震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸して停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、赤ちゃんを発泡スチロールの箱に入れて暖めたエピソードを取り上げた。A紙天声人語は同紙が大震災の句を募り、寄せられた千数百作の中から〈生きていて生きてるだけで燕(つばめ)来る〉飯田操を掲出。▼哲学者の森岡正博は「その人たちのいのちは、彼らを大切に思い続けようとする人々によっていつまでもこの世に生き続ける」と遺族に心を寄せる。あの呆然(ぼうぜん)から20日過ぎた。今日で会計年度が終り、社会はそれぞれが新しい装いをする節目の3月31日。(3月31日記)


晴れときどき阿呆果 待つ    


レールに耳を当て、近付く列車を待つように今日がやって来るのを待つ。家族が起き出すのを待つ。洗面のドアが開くのを待つ。食パンにバターを縫ってもらうのを、ハムとトマトと湯通しのキャベツが出来上がるのを、ヨーグルトに文旦ジャムとバナナを砕いて入れてもらうのを、待つ。箸がパンの上にトマトを載せ、ハムで包むのを待つ。キャベツを掴めるまで待つ。食べ終わってぜリーで薬が喉を通るのを待つ。洗面所に移動して両膝を洗面台にもたれさせ立位保ちながら、歯磨きが終るのを待つ。トイレを済ませ、デスクに車椅子で移動してついてパソコンが立ち上がるのを待つ。パソコンの画面を見ながら掃除洗濯が終るのを待ち、エクササイズに連れてもらうのを待つ。待つで始まり、待つことで進み、待つことでベッドにつく一日。(3月30日記)


3月31日(木)鉄棒の周りに砂が  


6時半覚醒、7時半起床。晴れ温暖!10時半、SATさんに古度山歩レジュメのお礼メールをして、桜ほころび賑わい始めた公園へ。鉄棒周辺をシルバー財団のオジサンたちが手入れ。伝い歩きするが、バランス悪い上、手入れで足元柔らか、3度ばかりこけそうでピンチ。これで切り上げ、花壇に連れてもらう。午睡後、画想&制作。


3月30日(水)バランス悪い!  


昨夕から右偏頭痛!未明、沖縄の作家Sさんと行動をともにしている夢。7時前起床。曇天。9時半公園へ、桜の開花進まず。鉄棒伝い歩きするが、またぞろバランス悪く後ろへ引っ張られる!車椅子押し歩きは断念。横浜のSANさんからメール。午睡せずBLG整理など。㈱フォレストへプリンターINKなどーダー。夕方、M旅行Tさんから古道山歩・白旗城レジュメ届く。


3月29日(火)カルガモ歩く


7時前起床。晴れ暖かくなる予報、MAX15℃か。10時、公園へ。上着脱ぐが、まだ桜はほんの少し。噴水前の歩道をカルガモが2羽ゆうゆう横切って行く。鉄棒に今日も右足内捻転オジサン。伝い歩き始めるが、バランス悪い。何とか4周して車椅子押し歩き、3ブロックにとどめる。帰路、赤いジャンパーのUさんと出合う。 SATさんから昨日付けでメールあり。27日に古道山歩を実施、今回は上郡町赤松の白旗城で26人参加。赤松円心の足跡を辿るコースのレジュメを送っていただいた。今夏、海外編をGNH標榜のブータン行きとか。 夜、BSハイビジョンでギタリスト村瀬佳織が白洲正子の巡礼道をトレースした番組観る。映像がいい!熊野→白山平泉寺の十一面観音→吉野大峯の蔵王権現と役の行者→天川・能面→天野山金剛寺(94歳の住職が春夏秋冬を人生に例えて説得力ある!)の日月屏風など見せ、演奏。


3月28日(月)貧者の一灯を  


6時前起床。晴れて暖かいMAX13℃。愚息が今日から仕事場復帰で早起き、7時前に出る。 9時半、郵便局へ寄り、東北関東大震災に貧者の一灯を振り込み&切手PICK UPして公園へ。桜はまだ昨日と変わらず、今日の温さで一気に今週開花か。鉄棒で右足内捻転オジサンがもうストレッチ。鉄棒4周終えたとき、1丁目の90歳超ご隠居通りかかり挨拶。車椅子押し歩きにかかる、4ブロック。余力あったが止めて花壇へ。事務所下でUさんに出会い『今日は早いね』。苧環とポピー観て、帰宅。 昼食後、午睡2時まで。制作。 夕刻、散髪をしてもらい、入浴後、髭剃り&爪切り。


3月27日(日)公園の露天営業開始  


今日も胸に圧迫感、2時覚醒、6時半覚醒。7時半起床。晴れだが冷え込みMAX10℃の予報。10時半、公園へ。もうすっかり露天商は営業を始めた。金魚すくい、おでん、ホットドッグ、ヨーヨー釣り、焼きそば屋、ETC。風なく陽射しは春、鉄棒4周。車椅子押し歩き4ブロックこなし、帰路、Uさんと談笑して、アーモンドの満開を見せてもらい帰宅。午睡3時まで。起きて着色7時まで。7時過ぎ、娘、食材のお裾分け取りに来る。8時過ぎ、愚息帰宅して夕食。


3月26日(土)桜ちらほら開花  


娘の運転で家人と三人、園田近辺をドライブしている夢。デジャブな風景ばかり。未明、高周波の耳鳴り、胸に圧迫感がして目覚める。6時覚醒、7時起床。晴れて冷えるMAX9℃か。10時半、公園へ。冷えるので右手手袋にカイロ。桜ちらほら開花!露天商が開店準備。鉄棒4回、車椅子押し歩き、4ブロックできる!このところBETTERなのは横浜のSANさんの念力をもらったからか!終って、花壇に連れてもらう。ポピーが紙のような質感で大きく見ごたえある。通りがかりのオバサンにオダマキの花を教えてもらう。噴水へ戻り、開花した桜を確認。ベンチのUさん「雑草を刈ってしまい、地面にすっかり緑の安らぎがなく殺風景になってしまった公園管理にがっかり」に共鳴して帰宅。昼食後、午睡2時半まで。BLG整理UP。制作。夕刻、横浜のSANさんにメール。愚息8時半帰宅して3人で夕食。 *前回、横浜のSANさんのもと勤務先を誤書き込み。正しくはDハウスにつき訂正、SANさんごめんなさい!!