まや-NET

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火曜日, 8月 30, 2011

晴れときどき阿呆果

夏の思い出


夏は思い出に相応しい言葉だ。
エクササイズに出る公園ではつくつく法師が鳴き、池の上をアキアカネが群舞する。日の傾きも早い。
去りゆく夏への思いを広津和郎は「妙に哀感が身にしみる。峠を下るということの淋しさに違いない」と小品に書いているが、言いしれぬ寂しさは、加わった年齢と無縁ではない。野見山朱鳥=あすかの「秋風や書かねば言葉消えやすし」が身にしみる。(8月28日記)

エリを正す!

その昔、とある田舎役場に記者クラブあって4大紙やNHKの担当記者が詰めていました。この町にはA紙M紙の老舗新聞には通信部もあって、記者は住居兼通信部からクラブに詰めていました。もちろん大事件などめったに発生しない土地柄。事件があって警察ダネなどもれ落ちない横並び仲間意識。記者同士は顔を合わせてはマージャンや、手っ取り早い花札を使ってのコイコイ賭博で時間をつぶし、仲良しクラブを維持していました。記事は広報担当者に、できるだけ写真の着いたものをせっつきます。月末にはタダで使っている電話代の町長名の領収書をもらって会社に請求します。街の助役もせっせと交際費切って大きな町の高級クラブへ記者を案内します。
あるとき、M紙の敏腕記者が赴任してクラブの仲良し慣行を無視、自分流の取材を敢行して、ついにはクラブ除名騒ぎに発展。傍らにいて経緯を知り、まあ、記者クラブやメディアって、そんな程度や思ってはいたが?。
 例のシンスケ騒動で独自の見識や態度を発揮したメディアがなく、地方紙・伊勢新聞コラム大観小観氏(8月26日)は次のようにエリを正して自戒している。
所属事務所が引退会見連絡を「会見後解禁」の要請つきで報道各社へ送ったのが会見二時間前。みんなお行儀よく「会見後」まで〝自粛〟したと本紙が報じていた。所属事務所の力がかつての「五社協定」や「ナベプロ王国」並みということだろうが、通知以前ならともかく、当事者側から〝ネタの存在〟を教えられて要請だけ無視したのでは自慢もできまい。国民に一刻も早く報じる内容という報道機関の使命に照らして判断するというのなら、また別。タレントの引退がそれに匹敵するということか。ばかばかしいが、こちらのセーフとアウトの感覚が世間とずれてきたのかもしれない。(8月27日記)

8月29日(月)ウツラウツラ民主代表選

昨夜も寝苦しかった。7時半起床、身体を拭いてもらう。
午前、CLIPPING。
昼食後TVで民主党代表選を観ながらウツラウツラ。なんと、十三のI衆院議員が壇上に中央選管委員で出ずっぱり。第一回投票で午睡に入った。2時半、起きたらノダに決定。外電は第一報を速報。濠紙オーストラリアンは「もうノーサイドに」発言も紹介。
Leadership ballot seals Yoshiko Noda as new PM for Japan Rick Wallace, Tokyo correspondent From: The Australian August 29, 2011 4:04PM
"I think we should put it all behind us there are no sides now," he said.
BBCはこの5年で6人目の首相と伝える。
29 August 2011 Last updated at 06:57 GMT Noda wins Japan leadership race
Finance Minister Yoshihiko Noda wins the Democratic Party leadership race, putting him on track to become Japan's sixth PM in five years.
5時半、公園へ。鉄棒伝い歩き3周、途中で後ろへ引っ張られる例の悪い傾向!車椅子押し1ブロックのみで断念×!シャワーもキツイ!!

8月28日(日)伊丹でホフマン絵本展

昨夜も熱帯夜!記録では35.4℃!睡眠浅く長い夢を見ていた。カナダK宅や米加国境、果ては長い時間航空会社のカウンターで待たされている夢だった。7時半、起床後身体を拭いてもらい朝食。
娘が伊丹市立美術館で生誕「100年記念フェリックス・ホフマン展うつくしい絵本の贈りもの」に行くので同行させてもらうことに。10時45分迎え、11時過ぎ同館着。夏休み企画で最後の日曜で込んでいる。

スイス生まれの絵本作家フェリックス・ホフマン(Felix Hoffman1911~1975)は故郷アーラウ市で美術教師。絵本を描くきっかけは第2次世界大戦兵役中、長女に《ラプンツェル》、二女に《ねむりひめ》、三女に《おおかみと七ひきのこやぎ》、長男に《七わのからす》の手描き絵本を贈ろうと描いたことに始まる。絵本『クリスマスのものがたり』は日本の出版社からの依頼で制作、特徴の勢いある線描と美しい色彩が際立っており、キリスト誕生絵本のなかで最も優れたものと評価が高い。 緻密な手描きを見ていると、つくづく文字も絵のうちの感が!オット印刷用のトンボも随所に発見。
絵本以外に遺族と絵本美術館(長野県)から作品と資料の約250点を展示。挿絵、ステンドグラスの下絵、壁画の試作などもありボリュームに降参!
1時前帰宅、昼食後午睡3時まで。
5時半、公園へ。鉄棒伝い歩き中、後方へ引っ張られながら3周、車椅子押し1ブロックのみ、今日はBAD!!

8月27日(土)ひょうご古陶遍歴

熱帯夜続く。4時半、一度覚醒。クーラーでもう一度寝る。7時半起床、身体を吹いてもらう。
朝食後、娘から兵庫県立陶芸館へのお誘い。
11時ハヤメシ、12時出発。中国道宝塚ICから舞鶴道三田西ICで下りて陶芸館12時50分着。特別展「ひょうごの古陶遍歴」を観る。
 丹波焼(篠山市ほか)三田焼(三田市)や東山焼(姫路市)、珉平焼(南あわじ市)、出石焼(豊岡市)など、但馬、丹波、摂津・播磨、淡路の兵庫旧五カ国の多彩な古陶器をたっぷり展観できた。
もともと同館は全但バス株式会社創設者の田中寛(1904~1981)が収集した丹波焼を中心とした兵庫県内産の古陶磁約850点のコレクショを所蔵。丹波の種壷や室町期の大きな壷や甕などいつ観ても古人の生活雑器に寄せた手わざが心和む。婿殿に作品スペックは英文表記を観たほうがいいよと、アドバイス。染付赤壁図鉢が
BOWL with IMAGE OFRED CLIFF(HUBEIPROBINCE, CHINAA) IN UNDERGLAZE BLUE、
染付麒麟文香合がINCENSE CONTAINER WITH DESIGN OF GIRAFFE IN UNDERGRAZE BLUEに「分かりやすい」と納得。
同時に「神戸ビエンナーレ2011現代陶芸コンペティションプレ展示」も同年代のたゆまざる精進が見てとれて、なかなかGOOD!
なかでも、南瓜を思わせる土の素材にチャレンジした・大賞の青木邦眞「土からの収穫」黒のねじれた象形・審査員特別賞の髙津未央「そこに棲息する0906」、3年がかりの土くれの山根耕「時の化石」が目に優しい。
 緻密な積み上げを感じる奨励賞の加藤重美「綵匣」同賞の象嵌が美しい小林 陶春「色象嵌花文深鉢」、奈良美智風のPOPな動物の野村直城 「MAROCCHINO」、深いエメラルドの美しい花器の古野幸治「碧蒼釉花器」など記憶に残った。室町期から現在に至る「手」に拍手。
2時45分発、篠山経由で山越え、田んぼの稲穂が早くも深くお辞儀をたれ、黒大豆畑がそこかしこに。課ごぼう温泉との出会いを経て猪名川道の駅に3時45分着。4時発。川西では雷鳴して、降雨の中5時帰着。
団地は雨の中、盆踊り風景。往く夏を見送る。
Fさんからシンドイのに返信あり。

土曜日, 8月 27, 2011

▲ヒマワリ、コスモスが咲く大山放牧場からの眺望


晴れときどき阿呆果

読書


今朝着信の「考える人」MMが読書について書いていた。
見識をひけらかされたようで、他人が読む本に関心が無いが、このメールマガジンに、辞めKANが「退陣後に読む?夏休みに書店へ」と、半袖シャツにチノパン姿のKANが、書店で本を選んでいる写真を掲載した新聞と買った本のリストを挙げている。
〈菅首相は16日、東京・八重洲の書店で本を5冊購入したほかは、終日公邸で過ごし、短い「夏休み」を送った。書店に出かけるため、公邸を出発する際は、「読書の秋が近いから」と記者団に笑顔で語ったという。買った5冊は、水野倫之・山崎淑行・藤原淳登『緊急解説! 福島第一原発事故と放射線』(NHK出版新書)、佐藤優『予兆とインテリジェンス』(産経新聞出版)、佐藤栄作久『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』(平凡社)、ラモン・ビラロ『侍とキリスト ザビエル日本航海記』(平凡社)、吉村昭『冷い夏、熱い夏』(新潮文庫)。普段は読めないような本のページを繰りながら、少し遠くを見るような時間を持ちたい、と思ったか。
下世話ながら遡って1月10日に買った7冊は、ジャック・アタリ『国家債務危機 ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?』(作品社)、藻谷浩介『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(角川ワンテーマ21)、宮本雄二『これから、中国とどう付き合うか』(日本経済新聞出版社)、筑紫哲也『自我作古 国家を考える。』(日本経済新聞出版社)、立花隆・NHKスペシャル取材班『がん 生と死の謎に挑む』(文藝春秋)、橘木俊詔『無縁社会の正体 血縁・地縁・社縁はいかに崩壊したか』(PHP研究所)、『文藝春秋』2月号、というラインナップだった。
 一方、ジミントウのソウリだった小渕恵三は、若い時分、すっかり太宰治に傾注していて「どうせ好きになるんだったら徹底して好きになってやろうと思って、ありったけの初版本を集めて読みました」と言いつつ、〈じつは僕が、太宰治を語るようなことは最近になってなんです。いままでは、こういう政治という仕事をしていると……ともかく軟弱文学にふらついていたと思われたくなかったんです。強靭な精神をもって毎日を生きていかないとノイローゼになってしまうような仕事をやっていますからね〉(『中央公論』2000年3月号、司馬夫人の福田みどりとの対談「司馬さんに教わったこと」)と、本音を。
対照的にサッカーの本田圭介は「子供が憧れる真のスターでいたい」から「カッコよく振る舞うことを人格にしないと」という。「最近読んだ本で印象に残ったものは?」という『Number』783号の問いに、サミュエル・スマイルズの『自助論』と答えている。スマイルズは1800年代に活躍した英国作家で、1871(明治4)年、中村正直の手によって翻訳され、明治最大のベストセラーとなった『西国立志編』の原本『セルフ・ヘルプ(自助論)』の著者として知られている。中村訳の巻頭に掲げられた一文「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」の倫理が、江戸時代以来の儒教文化に接木され、それが近代日本人の精神的なバックボーンになったと言われるその本を、若きサッカー界の雄が手にしたということに興味を覚える。「もし原稿の最後に2行くらい余ったら、マコ(長谷部誠)やユウト(長友佑都)の本もいいけど、『自助論』もいいよって書いておいてよ」〉と記載されている。
 なでしこジャパンの沢穂希も「苦しくなったら私の背中を見て」という言葉が話題に。どうやら、人に見られる存在、“リーダー”の自覚は、スポーツ選手のほうが政治家よりも強いような気がする。彼らのほうが自らの目標を設定し、そこに至るまでの行程を描き、自分を厳しく鍛え上げていく能力や、自分を客観視するために周囲の意見に耳を傾ける謙虚さにおいても、一日の長があるのかも知れない。(8月26日記)

8月26日(金)甲子園から太鼓の音が


昨夜も熱帯夜に雷鳴&降雨でしばしば覚醒!胸に圧迫感がして寝返りままならず。酸素不足の魚みたいに喘いで、何度かクーラーのスイッチを入れなおして7時半起床。明け方の夢に野宿年末越年者にボランティアでテントを手助け、周辺を掃除していたぞ。身体を拭いてもらいぼちぼち動く。
CLIPPINGなど。気がかかりだったFさんの退院後の近況更新があった。抗がん剤服用は順調らしいが、当分自宅静養が続く。 昼食後、家人はアルカイックホ-ルで写真展に。
午睡2時まで。BLOGをUP。
Fさんにメール。
3時ごろ阪神地域に雷雨大雨警報。南はカンカン照り、北側が暗雲。家人が5時過ぎに帰宅するも、エクササイズ断念。久しぶりに甲子園から太鼓が響く。ダメ虎がホームに帰ったか。

金曜日, 8月 26, 2011









BOBからのメールから

上:ジェーミー農場の小屋、中:バイク仲間、左側にメリディスと息子夫婦、下:ジェーミーの小麦畑


晴れときどき阿呆果

引退を「意見」にした強(シタタ)かさ


 ワルを装うことがシンスケの芸風の一つで、時には度を越す言辞すら視聴者は許していた。若者には親の意見よりワル先輩のツッパリを有難がって聞くところがあり、シンスケも画面で「意見する人」印象だった。ガバーナーOSAKAのハシ下すらオマージュを送っている。「天才の一面は明らかに醜聞を起こし得る才能である」と芥川龍之介は言うが、引退という自己批判さえ、後進のワカモノへの「意見」にする辺り、この人らしいといえばこの人らしい。
 記者会見でどんなトラブルを、どのように解決してもらったかという最も肝心な質問が一つも出なかったらしい。終わった関係だったのか、背後に広がりはなかったか。もっと厳しく追及すべきではなかったか。
「歌手にしても、芸人にしても(中略)みんな、好きなんだよ、ヤクザが。だから、お互い、面白く付き合えたんだ」ともと893が書いてひけらかせている。
番組の司会からプロデューサーなど、多才ぶりは指折りだが、突然の引退に民放各局は対応に追われているが、売れっ子タレント一人におんぶに抱っこが業界の体質だ。いやいや、安全な即製品を転用する風習はどの世界でも蔓延していて窒息状態だ。
何度も噂に上がりながらヨシモトはこれまで黒い交際に全く気がつかなかったのか。釈然としないし、最期のツッパリで洗いざらいぶちまけて欲しかった。(8月25日記)


チッキ?

 今は無くなったこの言葉をニックネームにしていた女性が出入りしていたオフィスにいた。サーファーの先駆けだったのでボードを持ち込むのについた渾名だと思っていたが、女子サーファーのNIPPLE(乳首)が波でこそげるともらしていたから別の意味があったかもしれない。
チッキとは、運輸業者による「託送手荷物」の鉄道輸送手荷物のことで、預り証を示す英語の check(チェック・チェッキ)からチッキと呼ばれたらしい。同様の意味をもつ ticket が訛ってチッキと呼ばれた、という説もある。往時は国鉄駅にたいがい窓口があって、故郷からの懐かしい香りがした。物資流通システムが大変化して、いまや宅配便が日本中をくまなくネットして、「チッキ」は死語同然。
「はなし上手」と定評ある細谷亮太センセイの診察室の体重計は「その昔、国鉄の駅からチッキで荷物を出す時に、重さを量るのに使ったような秤」だそうだ。竹で編んだバスケットがついていて、赤ちゃんもこれに乗せる。「チッキで荷物」が何のことかわからない若い母親も、その体重計の目盛りは「ほんもの」と思うだろう。
 こんな話満載の『暮しの手帖』の連載が14年になり、2冊目が刊行された。聖路加国際病院副院長で小児科部長、かたわら小児がんの子どもたちとの活動、育児学、ラジオ、テレビでもよく知られている。
 「はなし上手」のお医者さんと思われているが、あきらかにあとの出番を困らせるようなタイプでない。ひとりで場をさらったり決してしない。いい話し手は聞くのが上手。仕事柄、幼い子やその子の母の話を全身で受けとめるようにして聞いてきた。その上で生まれた信頼があってはじめて医療が意味をもつ。診察を受けたいドクターだ。(8月24日記)

8月25日(木)BOBがまたバンコクへ

昨夜も熱帯夜、30℃から下がらず!深更、降雨で除湿するが。再度、空襲の夢、ほかにNO社の巨漢MAさんに遭遇する夢。7時半、起床時身体を吹いてもらう。
午前、爪を抓んでCLIPPING。ハガキPRINT OUT。
宅配便が紀ノ川のM子さんからの丹精込めた手作り食品(梅干・ショウガ漬・金山寺味噌・JAMなど)届けてくれる。昼食後クーラーを点けて3時前まで午睡。家人は塚口へSHOPPINGに。
夕刻、BOBからメール。またバンコクへリラックスにという。
Re: Greeting from the hottest country2011年8月25日 木曜日 午後4:34
From: "Bob Algate" P1040126.JPG (289KB), P1040094.JPG (250KB), P1040125.JPG (267KB)来週からまたバンコク!
ハローKOHSUKE、キミの返信と綺麗な写真、とりわけ山を背景にしたヒマワリとコスモスがいいね、実に美しい風景だ!!!
こちらはあいかわらず冷たい天気が続くが、ここ数日は20度まで上がってややましだ。しかし、夜間は冷えて数週間でまた寒くなるだろう。日本の異常な暑さはTVでも報じていたんで知ってるよ。もう少しの辛抱で涼しくなるよ!
メリディスと私はフクシマ原発の放射能拡散問題が広がっている報道でとても心配している。ツナミの悲劇に加わえて、今度は放射能の問題だ。放射能の拡散は手に負えないからね。おまけに今日のランチ時に、日本が抱える負債でフィナンシャル格付けが一段と下がったと聴いたんだが、どうもよくないよね。
キミたちの家族の近況を聞いて、安心。お盆で顔合わせてよかったね。メリディスと私はジェーミー農場で4日間の滞在を終えて帰ったばかりだよ。以前は雨よけ程度の小屋を建て直しを手伝って、居心地いい建物になった。我々も滞在しやすくなったんで、もっとへヴィー・ワークな手伝いが出来そうだ。(写真添えるね)
ジェーミーの小麦畑は順調そうだが、地面が乾いているんでもう少し適度の雨が必要らしいんだ。夏の暑さの前に自習から3週間以内で20から30㍉の雨があればとみんなで祈ってるんだが。(畑の写真添えるね)もう一枚の写真は私のバイク仲間をジェーミー農場に呼んだときのものだ。みんなでフリンダー高地へ向かう朝のお茶会の様子だよ。いつもなら私もツアーに参加するんだが、この日はジェーミーを手伝う約束をしていたんで止めたんだ。
アンドリューは新しい仕事のポト・シ鉱山で機嫌よくやってるよ。12時間シフト(12時間勤務を7日間働いて、翌7日間は休日)だが給料はいい。隔週に支払いがあり、以前のように仕事あるかどうか心配しなくてハッピーだ。
メリディスと私は今週日曜日にアデレードへドライブ、彼女の姉妹宅で2日間逗留、それから18日間、バンコクへホリーデーだ。リラックスして飲み食いを楽しんでくるよ。まったくもって市議会やカレッジ評議会の仕事はキツイ。この3週間は会議とおさらばできるしね!!
いずれにしてもKOHSUKE、キミたちがOKなのを聞いて嬉しいよ。厳しい残暑を何とか凌いでねと祈ってる。さらなるエクササイズと前向きな姿勢で9月20日の主治医診察まで頑張ってよ。LOVEとご多幸をこめて、キミのメートBOBXXXXから。
 
今日はエクササイズは定休日!

8月24日(水)商店街まで連れてもらう

熱帯夜続く!今朝方見た夢:東南アジア、多分タイか?女が首無しの鶏を持ち、そばに百㍍の人工水路があったが?意味不明だった。5時に一度覚醒。
7時前起床。昨夜深夜ラジオで聞いたシンスケ引退事件で朝からTV大賑わい。
11時、ケアマネMさん来宅。現状ヒアリング、9月分介護計画書作成。
本日、記録では35℃超!クーラーで午睡3時まで。珈琲ブレークに初物無花果を賞味。
5時半、公園へ。鉄棒伝い歩き3周、車椅子押し3ブロック何とかクリア。終って公園北口から学校通りに連れてもらう。中学校に横断幕が「走り高跳びで某君が全国大会出場」とあった。商店街を経て6時半、秋らしい空が日没する中、帰宅。エレベーターに蚊取り線香が。いつも声をかけてくるあの長身のオジサンの配慮か。夜、髭を剃る。

水曜日, 8月 24, 2011



晴れときどき阿呆果

至らなかった夢ども


 向田邦子の30回忌。毎週のように乗っても離着陸の時は平静でいられないほど飛行機が苦手だったらしい。空の旅となると縁起を担ぎ、乱雑な部屋から出かけた。下手に片付けると「万一のことがあったとき、『やっぱりムシが知らせたんだね』などと言われそうで」(ヒコーキ)の一文を遺して3カ月後、彼女は台湾で万一に遭った。
 事故に遭遇して、その瞬時にあれこれ思いを馳せる時間はない。秋を待ちながらしきりに「至らなかった夢たち」に想いが馳せる。もっと絵を描いていたかった、さらなる詩歌を書いていたかった。秋の夜が無事故で通り過ぎる。(8月23日記)

KAN蹴りの後始末

 加藤典洋が11日M紙夕刊で「疑問だらけの菅降ろし」と題して脱原発首相に対する批判勢力の言葉の貧しさを酷評した。
 論旨は、いま最大の政治課題は原発である。首相は脱原発という新しい価値を明示したが、反対派は現状維持(原発推進)以外に提案がない。足りぬ電力をどうするかは経済の問題だ。反対派は真に必要な政治論戦をサボり、首相の政治努力を空洞化しようとしているにすぎない--という。
事の発端は、KANの脱原発表明にあると、心あるメディアも市民側も捉えている。原発丸かかえ組VS被爆国につき核エネルギー反対組みの構図だ。
 KAN蹴り後継候補たちは原発維持に理解を示している。「原子力技術を蓄積することが現実的」(ノダ)、「世界最高の安全基準を策定する」(マブチ)、「短絡的な脱原発というイメージの独り歩きは危険」(カイエダ)……。脱原発志向の候補もいるにはいるが、KANをしのぐまでの執念は感じられない。
 KANはどう見ているか、知人の問いにこう答えたらしい。
 「もう逆戻りできないところまできたとは思うんですよ。ただ、脱原発は、社会構造全部にかかわる大政策ですからね。そういう意味では、まだまだこれからですよ」政権に未練はないかという質問には、「そんなこと言ったら10年やってなくちゃいけない」。加藤典洋の文章にも目を通しており、「見てくれている人は、見てくれている」と自負を語ったという。
 ソーリの座も票次第。原発推進派の世界観にしたがえば「世界の主流は原発推進であり、青臭く迷っているのは日本だけ」である。だが、米露英仏といえども国内で原発不信がくすぶっている。と今朝もM紙コラムで山田孝夫は慨嘆するが、同感!(8月22日記)

悟りの佛教、救いの基督教

論語に没頭していた呉智英が『つぎはぎ仏教入門(筑摩)』を上梓した。
 「知識人たちがしばしば自分の思想のつっかい棒として仏教の安直な利用をするのにも疑問があった。野間宏の親鸞論はただ人間は平等だと言いたいだけ、吉本隆明の親鸞論は、ただ大衆はすばらしいと言いたいだけである。国粋主義者たちの日蓮論は、ただ日本は世界一だと言いたいだけ。仏教ってその程度のものなのか。そんなはずはないだろう。それなら、仏教はどれほど深く、どれほど先鋭なものなのか」若き日のこの自問について、64歳の呉智英が答えた、直球勝負で親鸞「救済の思想」を考える一冊。
 仏教を基督教と比較して論を進めるのが秀逸。例えば「仏教――覚りの宗教・基督教――救いの宗教」とまず説明して、基督教が原罪を犯し迷える子羊となった人間を救う宗教であるのに対し、他人をどうこうするのでなく自分という存在の根本について目覚める(覚る。悟る)のが仏教の肝所と見定め、日本に現在広く根差す大乗仏教を批判する。
 何年か前、死刑廃止論が叫ばれた頃、呉智英は“死刑反対仇討復活”のメイ言によって人権派の主張の虚を衝いたが、今回はそうした得意の変化球は止め、なぜか直球勝負。日本の大乗仏教思想のなかで最も深くて魅力的な親鸞の例の悪人正機論に挑む。
 悪人こそ往生する資格があると言うけれど、本当か。親鸞の教えを潰そうとする悪人を親鸞は許すことが出来るのか。親鸞の息子で父の教義に距離を置いた善鸞が異端として追放された事実をあげ、悪人正機論は、思想としていくらすばらしくても人間の現実には合わないだろうという。
 そして、親鸞の“悪人こそ救われる”の思想を、基督教の「一匹と九十九匹の譬え」につなげ、“百匹の羊のなかの罪ある一匹を救うために基督は来た”と同根の思想と指摘する。たしかに、言われてみるとその通りで、親鸞と基督の救済の考え方はよく似ている。
 深くて魅力的な大乗仏教の救済思想を呉智英はなぜイコジに切り捨て、狭い小乗仏教の側につこうとするのか。
 死の問題だった。「人間にとって死の恐怖は、自分が負の無限に呑み込まれること、絶対的な虚無の中を漂うことである」暗く冷たく何もない闇の世界を目前にした時、人間は、とりわけ宗教による救済など本気で信じたことのない人間は、本を読むのが好きなような現代人は、どうすればいいのか。まさか急に宗教に走るわけにもいくまい。
 ことここに至って、呉智英は初期仏教を発見する。
 教団と教義の確立以後、原始仏教として軽んじられがちな釈迦の金口直説の教え『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』には「生があるが故に、老・死があるのである。」ゆえに、「生を滅することによって、老・死は滅するのである」と。
 生あるかぎり死はあり、死があるから生もある。生が消える時、死もまた消える。この真理に目覚めることが覚り。迷える人間が仏となる境地。釈迦は一人覚り、死についての迷いは消えたが、当初このことを世に広めようとは考えなかったという。
 しかし、最後には慈悲の心によって衆生に教え、やがて大乗仏教が生れるのだが、宗教など信じぬ呉智英は大乗による救いはあくまで拒み、「釈迦の原点に還れ」。生が消える時、死もまた消える。論理上はその通りだが……と、藤森照信が評する。(8月21日記)

8月23日(火)大山崎山荘美術館HP訂正を

蒸し暑さが復活。予報どおり深夜に降雨の音が。明け方、Fさんのオフィスで「心地よい浴室の家?」プレゼン案をみんなで考えている夢。ンー?きょう23日は二十四節気の一つで暑さがやむ時季という意味の「処暑」。
7時起床、雨。
午前、CLIPPINGなど。車椅子来館者に冷たかったアサヒビール大山崎山荘美術館のHPの案内欄にやっとバリアフリー工事中の訂正が入った。
●車椅子でご来館の場合、事前にご連絡のうえ送迎バス停留所向かい(トンネル横)の障害者専用駐車場をご利用ください。(電話:075-957-2364)駐車場から美術館受付までは300mほどの坂道になっています。受付にて駐車許可証を発行いたしますので、付添いの方はお手数ながら許可証をお車に掲出していただきますようお願いします。(ただし、公的機関発行の駐車許可証をお持ちの方はそちらを掲出していただいてもかまいません)立地の関係上、バリアフリー工事終了まで大変ご不便おかけしますが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。地図はこちらをご参照ください。
昼食後、午睡3時半まで。
N君からメール受信。リクルートの結果、【上を向いて前進していきます】と、残念ながらの報告。その意気にエール返信。
大山放牧場からの眺めパステル・スケッチほぼUP。
雲行き妖しくエクササイズ断念。

8月22日(月)空襲の夢みた

扇風機も点けずに長パジャマを穿いて寝た。空襲に逃げ惑う夢をみて覚醒、室温26℃!予報によれば本日MAX31℃で昨日+4℃。
不貞寝が快適で7時半起床。朝食後、SHINから定期便の電話。CLIPPING。
家人は都島の大阪医療センターへNさんのお見舞い。
ハヤメシ後、2時まで午睡。BLOGをUP&スケッチ手入れ。
家人が留守中、車椅子のストッパーを止めずに転倒するも自力で起き上がる。
奈良榛原U家から明日入院の報。
5時半、秋が近付いた公園へ。鉄棒伝い歩き3周、車椅子押し2ブロックで脚止まる。

月曜日, 8月 22, 2011

晴れときどき阿呆果

村の船頭さん


 10年ほど前に天竜川の川下り。日焼けと皺の老船頭に、川下りの苦労話でもと思って「何年やっておられる?」と訊いたら、意外にも3年という答え。
先だっての転覆事故で不明になった船頭が66歳でベテランかと思ったら経験はわずか3年。かじ取りは3月に始めたばかりの新人船頭だった。66歳で新人とは厳しい。「頭ではなくしっかり体で覚えるまで経験を積むしかない」との同業者の指摘がある。かじ取りになるための必要な練習時間や規定もなく、国家資格は不要だという。
「村の渡しの船頭さんはことし六十のおじいさん」と、一昔まで60歳で「おじいさん」と呼ばれた世代は、船頭一筋で生きられた時代だった。ハッピーリタイアという言葉があるが、今の60歳はとても「おじいさん」とは呼べないし、還暦過ぎてから転職せざるをえない世代である。事故はその厳しさを浮き彫りにした。川下りはスリルを求めてあえて渦に突っ込むという。失敗した責任は大きいが、慣れぬ仕事に挑戦し続けた「老船頭」を思うと、ここは会社側の経営責任の重さの方を問いたい。 (8月20日記)

沖縄は襟を正す!
 
「今今と今という間に今ぞなく、今という間に今ぞ過ぎゆく」。江戸後期大流行した心学の道歌の一つである。あっという間に時間は過ぎ去る!
夏休みもあとわずか。この時期、宿題を前に、なぜもっと早くからと悔いる親子が増える。
ドクバイ・グループの元締め正力亨氏がお盆の最中に逝去。父君はディズニーと同じ、CIAの工作員でコードネームも持っていると公文書にある。
 由緒正しい日本の「原子力の父」だった。戦後、いち早く原子力の平和利用に目を付け、紙上キャンペーンや原子力博覧会などを展開し、1956年には初代の原子力委員会委員長(国務大臣)に就いた。
しかし本人は「原子力に関する知識は小指の先ほどもなかった」と作家の佐野眞一氏が著書「巨怪伝」で記す。就任前年の国会で原子力3法が審議されたとき、「核燃料」を「ガイ燃料」と読んで訂正されるなどしどろもどろの答弁が議事録に残る。ともあれ、原子力の平和利用の旗の下、政治主導で発足した原子力委員会が日本の原子力政策を進め、各地に原子力発電所が建てられた
原発を建設するために国は「絶対安全」と主張し、交付金という“アメ”をちらつかせて過疎や高失業に悩む地方に原発を受け入れさせた。“アメ”の仕組みをつくった電源3法を模したのが米軍再編交付金だ。「弱者に米軍基地や原発の負担を押し付け、金で片を付けるのが日本の政策だった。大震災をきっかけに日本全体が差別構造を考え始めている。もう政府のキャンペーンにはごまかされないだろう。東日本大震災を想定外と言い張り、釈明に終始した政治家や官僚、学者の姿を見ては」と、さーすが沖縄の地元紙・沖縄タイムス「金口木舌」氏は襟を正す!(8月19日記)

夏は終わった

今朝の天声人語に塩とサラリーマンの関係に言及していた。
そもそもサラリーはローマ時代の兵士に与えられた「塩を買うための報酬」に由来する。貴重だったらしく、中世英国では家に塩の貯蔵庫のあることが貴族の自慢。人は塩なしに生きられない。そして猛暑の夏、「塩入り」の食べ物、飲み物に人々の手が伸びている。
熱中症は全国で約3万5千人がこれまでに救急搬送された。予防意識か?「塩人気」を生み、飲料メーカーの塩サイダーは発売1カ月で年間目標を超え、スーパーの棚には各種の塩飴がずらりと並んでいるらしい。元気者が病むのを「鬼の霍乱」と呼ぶ。霍乱は熱中症や食あたりを指すそうだから、暑気は侮れない。その暑さも明日あたりから一段落らしい。
翻って想う、世のサラリーマンの3倍、人生の暑さを謳歌した。秋近し、もうそろそろ矛の納め時近い。(8月18日記)

生き下手

 半年振りに逢う二人の子どもの仕草や話す言葉を見聴きしていると、自分のそれと酷似しているので背筋がゾクリとする。真っ向から物事に反対できない性格で、いまだに酷暑の中、冷房も無い社会の底辺で齷齪している。処世術でも「生き下手」を認めざるをえない。イノチがつながれた遺伝子について、あらためて想う。
イノチの実態
昨日の自分と今日の自分は同じか違うか。大して変わらないが、分子生物学的には明らかに違っている。古い細胞を捨てて、新しい細胞に置き換えているのが生き物の鉄則だ。1週間もすれば分子レベルではすっかり別人だそうだ。皮膚、爪、毛髪で日々だれしもが実感できる。脳細胞のタンパク質は20日ほどで、肝臓は3日で半分が入れ替わっている。人間は動的平衡でイノチを保っている。(福岡伸一著「生物と無生物とのあいだ」佐倉統著「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?」)。
 身体のあらゆる部分は絶えずつくり替えられており、その源は食べ物だ。生物は食べるという行為を通じ、地上にあるすべては物質循環の流れの中で生きている。
生きるというのは自分たちの遺伝子を残すこと。英の生物学者リチャード・ドーキンスが表現した「利己的な遺伝子」自分だけが残ればいい、ということに尽きるが。(8月17日記)

8月21日(日)暑さ一段落

昨夜は扇風機もクーラーも無しで就寝。
「メディアプランを示せというプレゼンをTAさんとこで打ち合わせている夢。Mという専門学校の生徒に天満宮境内で出会う。ところが彼の名前がなかなか思い出せない。確か「昭和」の紹の字を偏と旁を逆転させて書いていて吃驚したことがあった。あのグループは今夏甲子園に出場したアノ高校だったと、いうところで覚醒。ナアンだ、今朝もまだ生きている。
7時起床。予報どおり雨。唐突にメールミロコという呪文思い出す、まるで鼠花火がパチパチ炸裂しているようだ。
CLIPPING、新潟日報が下平(しもたい)真弓著「ブータン 国民の97%が“ハッピー”な国」レーヴックの紹介。昨日出発した古道山歩チームはご存知かな?
午睡後、大山放牧場周辺スケッチをパステルで試みる。アクリルで描きかけのベニス印象も。
終日雨で外出できず。夜しきりに虫の声が聴こえる。

8月20日(土)古道山歩はブータンへ

めずらしくクーラー無しで寝る。扇風機も止めた。明け方夢は、横長の滝見物、駐車場に困っている風景だった。
身に大きすぎる悩みがあるのに十分すぎるほど寝むれた。起床時7時過ぎの室温はなんと27℃!終日雨模様で午後は蒸せる。
朝刊に$75円で戦後最低の文字躍る。NIXONショックからは40年。30年前の80・81・82年渡米時は300円レートだったのに。
CLIPPING、国土交通省の道路に関するアンケートに回答。
午睡後、デッサン試みる。
SATさんの古道山歩海外編『幸福度世界一のブータンへ』レジュメ届く。本日出発、27日帰国。
本日雨模様でエクササイズは休み。

8月19日(金)エクササイズでやや生体反応

夢は闇市でうろついている、HA君が一緒だった。TSさんとの会合を気にしていた。阪神尼崎近辺の風景に酷似、はたまた十三か。食い物露店が並び、何故か千円札を手にしている。もう一つの夢は、阪急塚口駅構内に自転車でいて、改札で精算して踏切を渡る。その後園田方面を目指すが?いずれも想像外の夢だが?
7時過ぎまでたっぷり寝た、室温28℃、どうしてこんなに寝るのか??
身体を拭いてもらい身支度、朝食中にまた降雨。
11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.4℃、血圧122-68、脈72で不整脈なし。W医師へのレポのコピーを渡す。
午睡後、BOBに近況と写真7枚添付してメール送信。
国土交通省からメール受信。「道路に関する意識調査」道路局3から。
スポーツギアのフェニックスからGOGOバンクーバーキャンペーのグローブが当選したと、受信。
5時半、ツクツク法師合唱する公園へ。少し涼感がするので動きやすい。鉄棒伝い歩き3周、車椅子押し3ブロックにトライ、OK。生体反応がやや戻る!

8月18日(木)やっと降雨

展覧会を開催する夢、3階吹き抜けのアトリエへパネルを運び込んでもらっている夢で、傍らにUMさんがいた。
昨夜もクーラーかけっぱなし。6時半起床。今日の暑さがMAXだと予報はいうが?
午前、CLIPPING&作文手入れ。
N君からメール。酷暑の中のリクルート状況報告あり、ただちに返信でエール送る。
午睡3時過ぎまで。35℃超の空が俄かに暗転!5時過ぎ公園へ。鉄棒伝い歩き3周目で大粒の雨、急いで帰宅、やっと降雨か。

8月17日(水)秋近し

NETの会?で旅行か、プールで泳ぎホテル自室へ戻ったらまだTAさんがベッドで寝ている夢を観た。
世間は今日から盆明け。愚息が仕事復帰のため、6時前起床で朝食。愚息、7時出発。10時から11時半まで寝なおし。
CLIPPING&詩人・清水昶と分子生物学・笹倉統について調べる。
午睡もたっぷり。
5時半過ぎてから、公園へ。鉄棒伝い歩き3周、歩いてみて飼い犬の糞と毛玉が鉄棒の進路に。車椅子押し2ブロックOK。涼風なので花壇を廻ってもらう。帰路、ネコやカモに餌やるオバサンに熱血漢オジサンが大声で注意しているぞ。帰宅6時半、日没意外に早し。連日の暑さだが秋はもうそこか?
10年ほど昔、秋野不矩美術館の帰りに乗ったことのある天竜二の俣の『天竜下り遊船』で転覆事故。あの時ベテランそうな老船頭に訊ねたら「(経験は)なってまだ3年」と聴いてちょっと不安を抱いたが、もしや?人災では。


8月16日(火)80年代渡米資料

7時過ぎ起床。昨夜もクーラー稼動。
午前,CLIPPING&BLOGをUP。
午後、午睡の後、古い渡米資料整理。80年米国+中南米、81年シアトル・シカゴ・NY・サンフランシスコ、82年分厳冬期アラスカ+カリフォルニア。
エクササイズ休み。夜、娘夫婦が帰省先の高知から戻り、愚息も帰宅して家族全員の夕食。

火曜日, 8月 16, 2011

8月15日(月)旧盆

一晩中クーラーで安眠、ボゴタにいる夢。66回目敗戦記念日!7時半、起床。
午前、文章手入れ。JANKメールにホリエモンの拘置日記有料ブログのCMが混じっている。エー、カネにするか!?こうまで自己顕示欲強いか?
堀江貴文のブログでは言えない話
巷ではホリエモンとか堀江なんて呼ばれています。経済情報から芸能界の裏話までブログに書きたいことは山ほどあるんだけど、タダで公開するのはもったいない、とっておきの情報を書いていこうと思っています。私に質問のある人はメルマガに記載されているメールアドレスに返信ください。個別のビジネス相談などは有料にて承りますが、それ以外の一般的な質問に関しては、メルマガ内公開で質問に答えることになります。全ての質問に必ずしも答えられるわけではありませんのでご了承ください。 【月額840円】 1配信あたり約 168 円 【著者紹介】 堀江貴文SNS株式会社ファウンダー 福岡県八女市出身。血液型A型
TVニュースは両陛下の姿や靖国神社にイ集する安倍ほか亡霊どもを映すが?
昼食後、クーラーで午睡3時まで。
5時半、公園へ。暑さのなか繁茂のエノコロ草、メヒシバ。花を落としたアガパサンスス、たわわに咲く百日紅。鉄棒伝い歩きを始める。3周目、時々見かける眼鏡のオジイサン自転車で来て「頑張ってるなあ」と。車椅子押し歩き2ブロック。Kさん来て一緒に帰る。日没早し!

8月14日(日)また誤嚥!

熱帯夜続く!今日もMAX35℃か!明け方、ドゴール空港にいる夢、はたまた英語スピーチ大会で担当のS課長と相談している夢。7時半起床。
朝食後、歯磨きで誤嚥で呼吸困難!しばらく安静。
午前、CLIPPING。朝刊に同年の詩人・ドシシャのブンド清水昶の追悼記が。
昼食後、クーラーで午睡、3時まで。起きてTVのスイッチを入れたら、松岡正剛が世界遺産シリーズでクレスピ・ダッダ (Crespi d'Adda)を紹介していた。
夕刻、シャワー。8時、愚息が帰宅して夕食。母子が美味そうにスイカを食べるのをみる。

8月13日(土)クーラーのお陰か?脚軽い

連日熱帯夜!MAX35℃!6時過ぎ起床、すでに室温30℃。BEDで新聞読む。
午前、CLIPPING、スケッチをSCANする。
昼食後、クーラーを入れて午睡たっぷり。起きて文章手入れ。
5時半、ひと気のない公園へ。涼風が時おり吹き脚も軽いと感じる。普段より早く鉄棒伝い歩き3周、車椅子押し2ブロックできた!8月に入って一番脚が軽い。クーラーで疲労少なかったか?

8月12日(金)スタニスラフスキーさん「やっぱり彫刻!」

依然熱帯の夜が続く!室温31℃でクーラー稼動させて寝たが、3時覚醒!クーラーをもいちど稼動させて寝る。明け方、RYOちゃんの夢、Sで仕事を断られ、いいやんかと開き直っている夢。
6時過ぎ、セミの合唱で起きる。本日、日航機御巣鷹山事件26年か、同日、成田で米国から帰国便で降機、東京への連絡バスが遅れたのを思い出す。坂本九も乗っていたJAL123便だった。
昨夜、彫刻家スタニスラフスキーSさんからメールを受信していた。勤務の学校は夏休み、先週イタリアへ行って刺激を受けて来たらしい。「やっぱり彫刻だ」と!!エエなあ!!
GENちゃんあて手紙投函してもらう。午前中、大山のスケッチをパステル着色。KAKさんから退院のメール、ヨカッタヨカッタ!!即返信。
国土交通省からモニター連絡あり。
夕刻、降雨。エクササイズ休む。夜8時前、愚息が帰宅して親子3人の夕食。

8月11日(木)4日ぶりエクササイズ  
                                                                                                        昨夜も熱帯夜!クーラーで就寝したが2時過ぎ覚醒、クーラー再度点ける。7時過ぎ起床。
午前、Wドクターにレポート書く。
続いてGENちゃんにも返信と西宮の絵本原画展招待券を添えて。
昼食後、1時半から午睡。
2時45分、Wドクター往診。レポを読んでもらい触診は異常なし。血圧やや高め?リハビリ施設通所はもう少し様子を見るか、「出来るだけ動くように心がけなさい」と。家人が事後、処方と薬を受け取りに病院へ。
日乗BLOGをUPして、5時半、風の無い公園へ。4日ぶりのエクササイズ再開、鉄棒伝い歩き3周、車椅子押し1ブロックがやっと。

                       ▲MY PASSING DAYS

晴れときどき阿呆果 

敗戦記念日

敗戦記念日の今日、先の第二次世界大戦を振り返る。米国では戦勝記念日がミズーリ艦上の降伏文書調印の9月2日で、8月15日は日本側のみ、おまけに「終戦記念日」と摩り替えた。
それにしても、誰もが出自を振り返るという旧盆直前をポツダム宣言受諾日に、8月15日に玉音放送を画策したのか?照りつける夏空に果てしない疑問は広がる?戦争が終わって幼少時に見上げた青空にB29が飛行雲をたなびかせて飛んで行くのをまざまざ記憶している。
47NEWSにデーリー東北が「八戸で米軍の空襲予告ビラ発見(2011/08/15 08:27)」と伝える。
終戦直前の1945(昭和20)年8月上旬、米軍が八戸市上空からばらまいた空襲を予告するビラ1枚が、市内の男性宅に保存されていたことが分かり、市に寄贈された。
ビラは紙製で、縦14センチ、横21・5センチ。モノクロの写真と文章が両面印刷されている。表面には、米軍のB29爆撃機の写真と「八戸」など空襲を予定する12都市名を明示している。裏には「日本国民に告ぐ」と題し、「数日中に爆撃する」「爆弾には眼(め)がないからどこに落ちるか分からない」などとして、避難を呼び掛ける文章が日本語で記されている。当時、米軍により、同じ内容のビラが全国33前後の都市に投下された、とされる。地域によっては、都市名の組み合わせが異なるものも確認されている。市内では45年8月5日ごろから同10日ごろにまかれたとみられているが、戦時中は、ビラなど敵国のものを所有するだけで「非国民」とそしりを受けたり、スパイに疑われたりした時代。自警団や軍部によりすぐに回収、処分されたため、残っている可能性は低いとされていた。

大戦での死者総数5500万人の約半分3000万人(うちユダヤ人600万人)が一般市民だった。戦死した長兄や知己、無辜の民の霊に瞑目!(8月15日記)

明日は新聞休刊日

 ラッキーにも新聞界は休刊日でホッと? (誰が?)
Y紙・編集手帳は「一升瓶の中の玄米を棒でザクザクと搗く」と、戦時中や終戦直後の映像に見る苦労を体験、主婦の買い出し体験記から再現し九段の「昭和館」で、〈戦後復興までの道のり/配給制度と人々の暮らし〉と題した特別展を紹介。
 N紙・春秋は「大災害の後には、人々の新たなつながりが生まれる」。地震、大風、テロなどに襲われた町で何が起きたかを調べ、そう結論づけた研究書が米国『災害ユートピア』日本語訳出版を引く。食材を持ち寄っての炊き出し。信号の消えた夜の交差点では自主的に交通整理。各地から集まるボランティア。一般の家庭による被災者の受け入れ。ふだんは競争に明け暮れる人々も、パニックに陥らず、助け合い、食べ物を分けるなど「無数の利他的な行為」が見られたと、ノンフィクション作家の著者は米国を中心に中南米、欧州などの事例を記す。
 A紙・天声人語は田辺聖子(83)の玉音放送を一家で聴いた。「降伏したみたいなこと、いうてはる」と父。「フシが、なさけなさそうですなあ」と母が頷(うなず)く。大人の脱力ぶりに呆(あき)れ、17歳の軍国少女は一人、無念を日記にぶつけた(回想『欲しがりません勝つまでは』)66年前のきょう、日本はポツダム宣言受諾を連合国側に伝えたことを。
 M紙・余録は当時大阪本社在社の井上靖の日記を「五時から部会があったが、出席者は少なかった。そのあと薄暮の町を歩いてみる。街はひっそりと焼けあとだけがどこまでも拡(ひろ)がっている。何年かぶりで散歩といった歩き方をする。ゆうべ京都で見た下弦の月が焼土の上にかかっている」と。
 皇紀2600年に生まれた我が身は貧しさいっぱいの「この戦後」を振り返り、僥倖という言葉に尽きる思い出がいっぱい返って来る。(8月14日記)

虐待されたかのようにセミ鳴く

 沖縄では旧盆のとき海で泳ぐことは厳禁とされ「あの世から帰ってきた霊が足を引っ張って溺れさせるよ」と、祖父母の強烈な脅しは、子どもだましと分かっていても教訓として守り続けているという。祖父母としては先祖供養を取り仕切らなければならない。一族がそろう貴重な3日間に結束を強め、いらぬ事故で世間に迷惑をかけないためにも、霊を利用したのだろう。
ヤマトでもお盆以降は土用波を警戒して遊泳は避ける。クラゲの出現も多くなったようにも覚えている。
 旧暦7月13日はウンケー(先祖をあの世からお迎え)、14日はナカヌヒー(中元を持ち、親戚を一軒々々回って歩く)15日はウークイ(先祖をあの世にお送りするお盆の中で一番大切な日)。旧盆初日のウンケー(お迎え)の昨晩、八重山は伝統芸能「アンガマ」でにぎわった。グソー(あの世)と現世を行き来し、珍問答で爆笑を誘うウシュマイ(爺)とンミー(婆)も、さすがにこの1年の日本の変わりようには驚いたのではないか、と沖縄タイムスは伝える。
ここ数日、MAX35℃を超え喘いでいる。セミも水に身を投じたいか、ベランダに投身自殺。子どもが虐待されたかのように悲痛な鳴き声を上げる。(8月13日記)

竹馬の友 GENちゃんへの手紙

 お便り有難うございました。
 この暑さの中、元気に東奔西走されていることを知って嬉しい限りです。あらためて残暑お見舞い申し上げます!
 舞鶴へ行かれたとお聴きします。震災以来、自衛隊もすっかり市民権を得てのTVコマーシャル放映を見ながら、歳月の経過に感慨あらたです。
 私の方は、あいかわらず体幹機能の衰えが進み自宅内の移動も車椅子で動くようになりました。まあ、老化が進んだからと、自ら言い聞かせています。
 ところで先月26日、いつぞや貴兄とYUKさんに連れてもらった例の琵琶湖岸草津の「みすの森公園」へ娘夫婦に連れてもらい、蓮を見てきました。朝早くから大勢の人が詰めかけ壮観でした。
その帰りに、アサヒビール大山崎山荘美術館へ寄り、美術館側の車椅子に対する対応が、事前に電話を入れてあるにもかかわらずあまりにも冷たかったので、入館せずに帰りました。アサヒ本社にメールを送り抗議したところ、館長名でお詫びの返信が届きました。いまバリアフリーに改装中だとのこと、それならそうと教えてくれたらと、いっそう腹立ちが深まりました!
 また、先月16、17日に奈良で友人たちと一泊(教員共済の春日野荘)、懐かしい唐招提寺を訪ねました(ユースホステルの会?で行った若い日を思いました)。何と駐車場へ着くなり寺の係が飛び出してきて、車椅子を先導してくれました。なお、吃驚したことには、境内一面バラスが敷き詰められた中、中央部分に車椅子が通行できるようにバラスがはがされていて、金堂に容易にアプローチできました。なんだか鑑真の遺徳に遭ったような気がしました。この件があったのでアサヒの対応が余計に冷酷に見えました。
 ま、そんなものですね、世の中は。
 今週火曜日には大山方面へ暑気払いに日帰りドライブに連れてもらいました。蒜山でランチを取って、大山側へドライブ。ブナ林や雄大な眺望を満喫、ソフトクリームを食べていたら雷鳴が聞こえ、たちまちの豪雨で帰路を急ぎました。米子道を越した途端、中国道はピーカンの日照り!オマケに宝塚の大渋滞まであっての一日でした。
 暑さに喘いでいますが、お陰さまで毎日、昼寝をたっぷりしますのでわりあい元気です。今日は月1回のホームドクターの往診を待ち受けています。来月は20日に北野病院神経内科主治医の3カ月検診です。
 秋になってまたお会いできるのを楽しみに精進を続けます。同封の招待券が手に入りましたので、お好きなようにしてください。
 ではご家族の皆さんのさらなるご健勝をお祈りしています!(8月11日記)

秋立つ

公園のサクラの枝に目を凝らすと、堅い小さな芽がいくつも付いていた。サクラの芽は夏にかけて力をつけ、小休止して冬に深い眠りに入るそうだ。ブナ林の大山では、ナナカマドが薄緑色の実をびっしり。「赤くなる準備は完了」と誇らしそうだ。昨日の「秋立つ日」を知悉していたかのように、植物の世界は、着実に済ますべき仕事を済ませ、果たすべき役割を果たしている。
その寡黙な連続性の律義さ。ヒトに真似ができない意志の力で自然界は一歩一歩変化を続ける。(8月10日記)

日曜日, 8月 14, 2011





晴れときどき阿呆果 

けっして安らぐことのないこころ

酷暑が続き、体調もよくない、エクササイズも捗らない
と、ホッとするし詩句をさがしたくなる。手近にあった長田弘「詩は友人を数える方法」の冒頭にウォレス・スティーブンス「われわれの風土の詩」からの1章を引用して「オープン・ロード」の旅立ちを讃える。
けっして安らぐことのないこころが、人にはあるのだ。だから、人は逃げだして、長くずっと
落ち着いているもののところへ戻ろうとするのだ。
不完全さが、われわれのパラダイスだ。
こころせよ。不完全さはとても激しいもの。
その悦びは、苦々しさのうちにしかない。
損なわれた、手に負えない音のうちにしかない。
(8月9日記)

旧盆

今朝はべランダ越しに見える旧集落の墓地が賑やか。うらぼん「盂蘭盆」間近か、丁寧そうな掃除が進む。梵語でullambana 倒懸と訳され、逆さ吊りの苦しみの意とされるが、イランの語系で霊魂の意のurvanとする説もあるという。盂蘭盆経の目連(もくれん)説話に基づき、祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、供物を祖先の霊・新仏・無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈る。墓参・霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなぎょう)にまわる。
この暑さのさ中、地獄の業火は想像に難くない。6文で渡った三途の川、途端に奪衣婆バアサン鬼に身ぐるみをはぎ取られる。衣服は木に架けられ、枝が重さで垂れ下がれば悪人、軽いと善人に分けられる。先には七つの法廷が待ち受け、裁きは1週間ごとに延々と続き、エンマ王は第五法廷で睨みをきかす。最後の第七法廷には六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)に通じる六つの鳥居があり、行き先は自分の生前に積んだ業で決まる。ちなみに三途は、六道のうち地獄(怒り)、餓鬼(欲望)、畜生(愚かさ)の三悪道の意味もあるという。

子どものころ近所の寺でよく見さされた、地獄の絵図の幻燈が甦るが、それより悪行を積んだ我が身には昨今ブームの啄木がぴったりと思えてきて口に浮かぶ。
自己嫌悪の歌「非凡なる人のごとくにふるまへる/後のさびしさは/何にかたぐへむ」
(8月6日記)

足元見る

弱みを見て、吹っかける「足元を見る」ショウバイが大手を振って罷り通る。以下、東奥日報から。
夏祭りたけなわ、祭りは売り物が少ないのに買いたい人がたくさんいると、高い値段を付けても買ってもらえる。青森ねぶた祭の時期、旅館やホテルの宿泊料金が普段の1.5倍から2倍の「ねぶた値段」に跳ね上がるのもそうか。売り手が強気を押し通す。
 青森市内のあるホテルは、1万500円の1泊朝食付き料金をねぶた期間だけ1万6500円に上げている。別のビジネスホテルは、消費税込み4500円のシングルルームが8月中は1万円だ。それでも迫力満点のねぶたを見たいという観光客がいて、どこも満杯だ。
 料金を2倍にした経営者は言う。「観光客向けの朝食はビジネスマン向けとは違う。新鮮なイカ刺しを出すし、品数も多い」。こうも言っている。「他県の祭り時期の料金を見てください。同じでしょう。トップシーズンとレギュラーシーズンに価格差があるのは当たり前」。
 何千円もする絶品イカ刺しを食べてみたくもなる。理屈はどうあれ、ねぶた頼みは昔から変わらない。困ったことに、どっと押し寄せる見物客を泊める宿が足りず、ねぶたを見終わった客を乗せた大型バスは、夜の高速道を秋田県の宿泊地へ突っ走る。本県に金は落ちない。
 「残るのは、空の弁当とごみとおしっこがたまった簡易トイレ」。ホテル経営者のジョークは笑えない。祭りの稼ぎ時が過ぎると閑古鳥が鳴く。だからねぶた値段で稼ぐ。通年観光でにぎわえば料金も落ち着くのだろうが、掛け声先行は否めない。ねぶた値段は本県観光の底の浅さを物語ると、東奥日報はコラム天地人(8月5日)で地元批判。同感同感の声が全国津々浦々からおこりそうだが?(8月5日記)

三つの恨み

 金の恨み、恋の恨み、食事の恨み。人生には三つの恨みがある。
60数年前に体験したわれわれの飢えの恨みはほぼ根絶され、TVはグルメ番組があふれる。飽食ゆえの生活習慣病やダイエットに悩むという別の恨みが列島を覆っている。
夏が来れば、飢えの体験が甦る。ムスリムの断食月・ラマダンにも想いが至る。それにしてもこの身は「ヒトを食い過ぎたきらいがある」何となれば、小骨の人骨が喉に刺さり、誤嚥や噎せをこのところ繰り返す。(8月4日記)

生き延びる

「毎日が失せ物、毎日が物探し。物探しに明け、物探しに暮れる」。74歳の春のことだ。死ぬ1年前には弾む感じでこう書いている。「『楽しく楽に』を最優先。不快、厄介、後廻(まわ)し。楽々鈍で、どんどん楽」。世界でも希有(けう)な長寿社会を実現する一方で、「老い」をどう迎えるか。気骨の作家、城山三郎が手帳に残していたメモが文庫入り。「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」として新潮文庫が刊行された。
同時にニュースは日本人の平均寿命は去年、女性が86・39歳、男性は79・64歳だった。女性は26年連続で世界一、男性は前年の5位から4位に浮上したと伝える。
長寿国日本のDNAは何だろうか?コメや野菜中心の食生活、医療制度...。いくつもある中で、一つは自らを律し耐え抜く国民性にあるのかもしれないと、自らを慰めておく。(8月3日記)

働かないアリは

 アリはみな働き者だと思っていたが、実際はそうでもないらしい。巣の中にいる働きアリの7割ほどは特に何もしていない「休憩中」で、1か月以上観察を続けると、2割が「ほとんど働かない働きアリ」だったという。進化生物学者の長谷川英祐氏が、著書の「働かないアリに意義がある」(メディアファクトリー新書)で紹介している。働かないアリという「余力」が、巣穴が壊れるなどの緊急時への備えとして、重要なのだそうだ。
働き者を尻目にさぼっている“昼あんどん”のアリも、いざという時には大活躍する。個性の違うアリが役割を分担して、組織全体の繁栄を支えているさまは、人の社会のようでもあると、1日付のY紙編集手帳はいう。
3割分に当たる働き癖の我が身は「いつも何かをセコセコしていないと落ち着かない」ビンボウ症が悲しいかな治らない!(8月2日記)

はや晩夏到来!

季語では早や晩夏が到来。セミ鳴き、じっとしてても汗が滴り落ちる。身体も思うように動かない。
葉月とはよくいったもんだ。公園のサクラは葉を生命力一杯謳歌して、芽を養生中らしい。(8月1日記)

アサヒビール大山崎山荘美術館への返書

返事をくれたアサヒビール大山崎山荘美術館館長Nさんへ次の返書を出した。

ユニバーサル・ミュージアムを目指して
障碍者に現状情報も

酷暑でご多忙の中、私どもの勝手な意見具申に対して、わざわざご丁寧な返信を頂戴して誠に有難うございます。
現在、貴美術館でバリアフリー工事が進められているとお聴きして、嬉しい限りです。ユニバーサル・ミュージアム完成時には、是非ゆったり鑑賞できることを念じています。先週末には改正障害者基本法も成立しましたが、私どもがお伝えしたかったのは、まだまだバリアフリー化社会は途上段階。
貴美術館が障碍者鑑賞にロケーション上不便であることの表示や「改良工事中」であることの情報をもっと事前に知りえたならばと、心残りでした。アサヒグループ美術館のことだからと、私どもが安心していたのが手落ちです。
情報の点からいえば、貴ホームページを拝見して、大変素晴しいと感じました。山本コレクションをはじめモネ、ムーア、ジャコメッティ、イサム・ノグチの作品紹介にも「原画・現物を観たい要望」が大いに喚起され、庭園案内とともにバーチャル体験でき、私のような障碍ある身にもありがたく拝見できます。
しかしながら、貴HPには障碍者用のガイドページが無く、現在着手されているバリアフリー工事についての情報もまだ公開されておらず、とても残念です。ご覧になられたことと思いますが、京都国立近代美術館や京都市美術館のHPにはバリアフリー情報の項目があります。
現在、進められている工事が完成時に更新されると思いますが、私たち障碍者にとっては工事中である事実も知りたい情報の一つです。
たまたま観たホイットニー美術館のホームページには①車椅子②視覚障碍③手話用④聴覚障碍用ガイドがそれぞれあり、車椅子なら74番街と75番街のマディソン・アベニュー945のメーンエントランスでエレベーターが使えること。また、利用可能なバスの番号、降車場所、美術館へのアプローチ法などが掲載されています。

美術鑑賞は「作品に心を寄せる」ことだと私は思っています。美術館がビジターにマニュアルどおり応対をされることは致し方ないことです。社会の目線を障碍者に合わせることは難しい問題ですが、私どもが「ビジターに対しての美術館のやさしさ」の目を感じたら、引き返すことはなかったように思えてなりません。
話はそれますが、先月中旬、私は友人たちと奈良へ所要で立ち向き、時間があったので西の京・唐招提寺へ参観に立ち寄りました。突然の訪問にも、駐車場で車椅子姿を目ざとく見つけたお寺の関係者がすばやく私たちを先導、車椅子が通行できる通用口に案内し、入場の手伝いされました。さらに、心打たれたことは境内一面に敷き詰められたバラスの中央部分に、車椅子通行に支障ないようバラスが避けられたルートが、南大門から金堂まで確保されていたことです。私たちには鑑真和上の遺志の遭遇したかに思えて、このことだけで十分感激の記憶が残りました。

余分なことまで言及してご免なさい。
豊かなコレクションあふれる貴美術館が、障碍を持つ人々にも広く、たやすく鑑賞できるユニバーサル・ミュージアムを一日も早く実現されることを願ってやみません。

さらなるご発展を心からお祈りしております。(7月31日記) 

天人の五衰

 老衰とはよくいわれるが、はるか天上界にもやっぱり「老衰」があるという。
手持ちの岩波「佛教辞典」によれば、天界の住人が死ぬとき5種の衰弱相が現れると出ている。往生要集の六波羅蜜経3の所説で①頭上の花鬘(はなかつら)忽ちに萎み②天衣が塵垢に著(けが)され③腋の下より汗出で④両の目しばしば*目偏に旬(くるめ)き⑤本居(ほんご)楽しまず(天界の生活を嘆く)という。
ああ、そろそろ我が身にもと、振りさけみればでゾクリ!
正法念処経23では「この五衰時の苦悩に比べれば、地獄の受苦もその16分の1にも満たないという」
「かの*(りっしん偏に刀)こう利天の如きは、快楽極まりなしといへども、命終に臨む時は五衰の相現れず」と往生要集の大文第1に、また、「およそ人間の八苦、天上の五衰、今にはじめぬ事にて候へども」と、曽我物語の巻12の「虎にであひ」で出てくるらしい。(7月30日記)

事前の挨拶状(高知新聞コラムから)

今朝の高知新聞コラム「小社会」は、自分の死去のあいさつ状を生前に用意することを提案する津城寛文・筑波大大学院教授のことが、同紙28日付朝刊に掲載され「遺言状とは違う体裁で、自分の思いを文書、録音、録画などの形で残しておけば、家族、友人らは故人をしのぶよすがにすることができる」とお勧め。
「私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません」「映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった」と、4月下旬に亡くなった田中好子さんの告別式の生前録音メッセージを援用、「必ず天国でお役に立ちたい」と、命の灯が尽きる前の弱々しい声音で大震災被災者を気遣っての言葉に人柄が滲み出ていたと、追想した。このあいさつ状はいわば死の事前準備。
同じ手法をとうの昔に新聞発行で実践した人がいると、香川県出身の宮武外骨の反骨精神を紹介。明治後期、「大阪滑稽新聞」の創刊号に何と「本誌廃刊の辞」を掲載した。あらかじめ示した廃刊理由は二つ。一つは「一人の読者もない場合」で、もう一つは「悪政府の爪牙にかかって発行禁止の圧迫を受けた場合」。後者には政府の言論弾圧に抗議、牽制する。大事の前に発する言葉には魂を絞り出すような響きがあると結んでいる。(7月29日記)

よく寝てられるなあ、と

K社のSさんから近況メールを頂戴して、睡眠不足を託っておられるとか。よく眠れないので「余計に眠ることに不安感が増す」と伝わってきた。
暑さも本格的で、ヤツガレはのほほんと実にイージーに眠る。カタストロフィーCATASTROPHEが近いというのに、昼飯を食べたら数分で睡魔が襲ってきて、姿勢が保持できない!
ルース・ベネディクトは著書「菊と刀」の中で、日本人はどんな姿勢でも、どんな環境においても楽々とよく眠ると驚嘆している。睡眠は「日本人の最も完成された技能の一つ」とまで持ち上げている。
『よく寝てられるなあ』と感心されるが、寝てナアしゃあないんヤンケ!(7月28日記)

長寿遺伝子?

日本はトップクラスの長寿国と NHKニュースで伝える。去年の日本人平均寿命は、女86.39歳、男79.64歳で、女性は26年連続で世界一「金メダルや!」。男性も香港、スイスなどに次いで世界4位と、日本は世界でトップクラス の長寿国。ヒトの細胞には長寿遺伝子(サーチュイン遺伝子)というものが存在しているが、普段は眠り込んでいて役目を果たさない。しかし、うまく目覚めさせると、平均寿命を100歳に延ばすのも夢でないという。カロリー制限で「飢餓」を演出すれば目を覚ますらしい。「必要量」の80%とか75%とかにカロリーを減らすと、数週間で長寿遺伝子が活性化し、老化物質の掃除を始めるらしい。
 NHK放送の「あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿遺伝子~」はざっと、そんな内容で大反響だったらしい。話のポイントは、人間のような高等動物も「飢餓」という生存を脅かす危機に立ち至ると、危機回避メカニズムがムクムクと立ち上がってくるということ。「火事場のばか力」など、これにちょっと似ている。眠っている原始生存本能が、危機に際して一気に噴出する。
 まだ長生きか?そんな声が天国から聴こえる。70歳はもう十分長生きだ!(7月27日記)

木曜日, 8月 11, 2011

                       ▲唐招提寺で



8月10日(水)アツイ!!!

昨夜も熱帯夜!クーラーで就寝、再度クーラー点ける。疲れか7時45分起床。
DESK整理、CLIPPINGなど。
熊本M君からメールあり。
自室TVの地デジ・チューナー届く、配線したが映らない!!
今日もMAX35℃!アツイ!!!!
室温33℃のためクーラーで午睡3時半まで。エクササイズはとてもじゃないが!夏休みじゃ!
GENちゃんから来信、京都近代美術館モホイ・ナジ展招待券送付の礼。白洲正子を読み終わったと。6日、青春切符で舞鶴へ行ってレンガ館と湾内巡航したこと、軍港ムード一杯だとの感想、いつもながら敬服!返信しなくっちゃ!

8月9日(火)暑気払い「蒜山+大山行」

昨夜はク-ラーを点けて就寝。昨日は早や立秋、暑気払いに「大山行き」を娘たちが提案してくれたので6時前に起床、身支度。
8時出発、中国道宝塚ICから米子道を目指す。交通量は少ない、道路わきに可憐な百合が多く目立つ。10時半、上月PAでトイレ休憩、11時過ぎ、蒜山高原SAへ立ち寄って、ICを出る。道の駅「風の家」のファーマーズ・マーケットが平日にもかかわらず大混雑、例によって新鮮野菜をしこたま買い込んでドライブ開始。蒜山三座(上蒜山1202・中1122・下1100)を見上げながら旧道を行き、蒜山道の駅傍のホテル蒜山ヒルズへ正午前。ゆったりしていそうで昼食にする。ハンバーガーセットを注文、家人はラーメン、娘は蒜山名物B級グルメの「焼きソバセット」婿殿はラーメン+ライス。まあまあ丁寧なMENUに満足、でも次第に混み出し満席に。
1時過ぎ、ドライブ出発、別荘群の中、大山を目指す。鏡ヶ成の団体キャンプ場を過ぎるころ24℃の道路標示。ブナの林の中、鬼女台(きめんたい)展望所で大山の岩塊を背景に烏山など何度も見慣れた雄大な展望を満喫。さらに名所「鍵掛峠」で大パノラマ!ここの展望駐車場は以前から車椅子用が1台あり助かる。雲行き怪しい、3の沢、2の沢、1の沢から周辺の展望、ブナ林に堪能。桝水原のリフト前から「ミルクのまきば」へ。濠円山を背景にヒマワリ+コスモスが美しい。名物ソフトクリームを。雷鳴が聞こえ日本海側を見ると雨、振り返ると山は雨模様。慌てて車に移動。2時半、豪雨で帰路に。
4時半、加西SAで休憩、ここから娘の運転。宝塚周辺が渋滞6時過ぎ、無事宝塚ICを折り、6時半過ぎ帰宅。

8月8日(月)緩慢さ+夏バテ

昨夜も熱帯夜!6時覚醒、もうセミが呼び起こす。本日立秋というのに予報はMAX:34℃!
朝食後、CLIPPING。娘夫婦から帰省を控えてのSHOPPING、昼食後に行くという。伊丹、白雪ブリューワリー、続いてダイアモンドシティーへ。夏休みで酷暑、家族連れが避暑を兼ねて混雑。幼児が危なかっしい!視線が低い分、神経ひやひや、疲れる。他人には理解できない疲労!3時帰宅して珈琲ブレーク後、爆睡5時過ぎまで。エクササイズは休む!
夕刻、入浴するとき、脱衣段階で身体の動きの緩慢さが増しているのを痛感する。限り無く寝たきりに近付くぞ。食事で箸に固執しているときもそうだ!!夏バテも!

8月7日(日)BOBの長男が転職

UNPLEASANTな夢に6時覚醒。誤嚥の影響アリ、本日は静養日にする。
8時過ぎ、寝返りを打った途端、柵を外したBEDから転落!口中に裂傷、家人がヘルプ、脚の重錘を巻いて口の手入れしてもらい、シャワーを浴びBEDで午前中安静に。
DESKをチェックするとBOBからメール。あいかわらず忙しいのと、歳取って億劫にと述壊。長男アンドリューも鉱山会社に就職するか!
Greetings2011年8月7日 日曜日 午前9:27 From: "Bob Algate"
ハローKOHSUKE&ファミリーのみなさん、キミからメールもらって早や2週間が過ぎてしまってご免ご免。いつものことながら市議会やカレッジの用事が忙しく返事が遅れてしまった。つらつら思うにやりたいことを全てこなすには、我々お互い歳を取り過ぎてしまったかね。こちらは全員OKだよ、メリディスは軽いインフルエンザにかかったが、もう回復しつつあり毎日軽快に過ごしてるよ。こちらブロークンヒルではインフルエンザが猛威をふるい、老人や呼吸器系の弱い人たちが入院して、毎年冬の問題になっている。
送ってくれた道路沿いのアジサイや天文台の写真、よかったよ。娘さんたちカップルと日本全国よく出掛けられていいね。もっと日本国内のことを教えてね。お互いもう歳だから、それがとても大切に思うね。キミが言ってるヨーク半島メイトランドは、私も行ったことがあるよ。3年前だけどゲーリーとポールと3泊かけてのバイクツアー。金曜日にジェーミーの農場で集合して1泊、土曜の朝にヨーク半島の北端にあるWALLAROOという小さな町のホテルに2泊、半島を東側から全周回して西側からワラルーに戻った。このツアーでメイトランドのホテルで昼食。この街は田舎だけど、小麦や大麦、キャノーラ(菜の花)の畑が多く、いい土地で綺麗な眺めだ.とりわけキャノーラは収穫前で黄色の花は絵になる風景だったよ。そんなわけでメイトランドは半島の真ん中に位置して、毎年の年間降雨量も適当にある収穫もある肥沃な土地柄みたいだよ。
女子サッカーの世界選手権試合の結果は、ここオーストラリアの新聞やTVもハイライトをプライムタイムに報じたので私たちも見入ったよ。チタニックな闘争の末に、ジャパンチームはオンリーワンの栄誉に勝利を得たんだ。試合の結末も私たちにも信じられなかったね。日本の女子選手たちが歓喜したのを観てようやく分かった。彼女たちはヒーローで恐ろしいTSUNAMIの被害から立ち上がる日本の人々に再生の大きな勇気を与えた(REGENERATED)と私も同感。ここオーストラリアでも連日、TSUNAMI災害復興と同時にと原発からの放射能漏れの情報が刻々伝わってくる。原発を持つ多くの国は共通の問題として、再検討しなければならないように、私は思うんだが。
16,17日の週末にまやNETの会で奈良へ行ったんだって。メリディスと私も何度も奈良を訪れたんで懐かしく思い出しているヨ。鹿の公園や大仏など、いい思い出は古びないね。キミの方は猛暑らしいね、ここブロークンヒルではまったく逆。冷たく不愉快な冬の毎日、青空なのに10~14℃の間を行ったり来たり。しかし、ここ3,4日は明るい兆しがあって気温も21℃に上昇。残念ながら今日は16℃の予報、依然冷たさには変りはないんだヨ。いつもなら、朝はモーターバイクでぶっ飛ばす予定だが、今日はそんな気分になれないんでリラックスを決め込んだ。
タイにいる友達のレポートでは台風の余波はフィリピンや日本に及び、北部タイでは豪雨と洪水の被害。私たちも観ているTVは台風による洪水被害がフィリピン、中国、カンボディア、日本、タイと広範囲に及んでいることを伝えている。
ジェーミーとアリソンはOKだが、必要な雨が降らないで収穫が遅れているよ。ここ4週間、大地は雨がなく乾きっぱなしだそうだ。アンドリューはごく細々建築の仕事を続けていたが、目下の世界的金融危機を心配して、何しろ大抵の人々が金を手離さない景況が問題。幸い、アンドリューは鉱山会社で仕事が見つかり、今週水曜日から鉱山技師として働き始めると決めたんだ(若いとき8年間、鉱員として働いた経験がある)。もうぼちぼち終りにするよ。みんなのOKを祈ってるし!書くたびにキミのことに「スペシャルな日本の友達」だと、想いが至る!!では、テークケアで、LOVEとご多幸をみんなに、BOBからXXXXXX○○○○○

午睡後、しばらくソファでTV観る。松岡正剛解説の世界遺産「第5集ルネサンス~先駆者たちの夢~」1200~1600年のフェデリコ2世の8角形デルモンテ城や知られざるルネサンスの都フェラーラを訪問。コペルニクスという異端をも育て上げた背景に迫る。日本の室町時代の国師・無窓疎石も言及、中国禅が日本招来の経緯や茶道など「引き算」の美学に昇華することに注目。
夜、やや回復したのでETV観る、ソルジェニーチンと大統領たち。

8月6日(土)誤嚥!

昨夜は熱帯夜!5時前に覚醒、室温見ると30℃!クーラー点けてしばしウトウト、7時前起床、背中を拭いてもらう。予報はMAX34℃!Terrible!
朝食時、ベランダ越しの旧集落の墓地、人の出入り激しい。お盆の準備か。
8時15分、66回目のヒロシマ原爆忌で瞑目。
午前、唐招提寺スケッチをUP。
午睡3時まで。
5時、公園へ、百日紅がこぼれんばかり満開。今日は鉄棒脇に公園のディオゲネスがウロウロ、どうやら今夜の野宿場所か。伝い歩きどうにか3周、車椅子押し歩きは1ブロックちょっとで右脚上がらず。
夕食後、誤嚥で呼吸困難。ヒーヒーと喉が叫ぶ!家人が慌てて窓を閉めてクーラー点ける。2時間安静。


8月5日(金)鉛筆と筆に苦闘

5時、セミの鳴き声で覚醒する!6時半、起床。本日MAX31℃!
11時過ぎ、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.3℃、血圧122-76で安定。ヒアリング、脚上がらない状況以外、熱中症の恐れなし。
昼食後、予報どおり熱雷でクーラー点けて午睡、起きて再び熱雷の音!
夕刻まで熱雷続き、公園へエクササイズ出られず。唐招提寺、スケッチ着彩するも色鉛筆&筆が巧く握れず、苦闘!

8月4日(木)夕景、空澄む

6時起床、今日もMAX34℃!
朝から身体が重く自立保持がシンドイ。着替え・纏足のような装具+重錘装着・洗面・朝食・歯磨き・トイレなど動くのが大変になってきた。家人が気にしながら公民館の陶芸教室へ行く。午前BLOGをUP。晴れときどき阿呆果は7月26日分までUP。
午睡後、クーラー稼動させるも室温30℃。習作PASSING DAYS と唐招提寺スケッチ着彩始める。
K通信のSさんからメールを受信。ご無沙汰でしたが、巧く安眠が取れてないみたい。まだまだ現役佳境の身。夏ですから、私も頑張らずに置こうとは思いますが。
エクササイズ本日休む。
夕食時、7時過ぎだが空が澄み綺麗。南港高層ビルから葛城・金剛の山並みがハナダ色の空に映える。見る間に夕焼け、そして漆黒が。夜、爪を切りながらBSTVで昨日の続き、家族と側近が語る周恩来「最終章 犠牲~命尽きるまで~」を観る。 
おいやめいなど家族と秘書や護衛・看護士など、側近が周恩来の実像を語る証言ドキュメントの最終章。文化大革命という激動の時代、中国が進むべき道を模索し、事態の収拾に取り組んだ日々は過酷で苦悩に満ちた道のりだった。やがて忍び寄る死の影。重い病に侵されながら、なおも激烈な権力闘争を余儀なくされた。祖国の安定と近代化。周恩来は、長年にわたって果たせなかった願いを鄧小平に託そうと、最後まで死力を尽くす。秘書の「周恩来にも過ちは合った。しかし、それはどうにも回避出来ないことだった」が印象的!

木曜日, 8月 04, 2011

▲イカロス翔んだ


晴れときどき阿呆果 


大山崎山荘美術館の障碍者対応について
プライベート・コレクションゆえの冷遇か
(アサヒビールCRS室に送った文書)
7月26日、あちこちでパブリシティを見かけて、アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の評判の「かんさい いす なう展」に娘夫婦の車で、出掛けました。
残念ながら車椅子対応の「みせかけ」だけに、展観せずに早々に帰宅しました。事前にホームページで確認、車椅子でも入場できることを知ったので、当日、約2時間前に電話を入れての美術館到着でした。
ところが、①ホームページ「美術館のご利用案内」には館内図の下段第1項目目に「車椅子でご来館の方は、事前に電話にてご相談の上、お越しください。(電話番号記載:075-957-2364)」とあります。車椅子なので施設へは車で最短距離へアプローチして降車の後、車は所定の駐車場へ置くものと、通常のルールと思っていました。しかし、この美術館では所定の駐車スペースで降車の後、急峻な坂を車椅子を押し上げてもらう方法しか入場方法がないと、案内スタッフに教えられました。
車椅子生活になってからの唯一の楽しみで多くの美術館
へ出向きましたが、この扱いは初めての体験です。美術館へ搬入される美術品や所要の品物はいったいどうして運搬されているのでしょうか?山の上にある多くの寺社でも展観を希望すれば、所定の運搬ルートが特別に許可され、拝観可能になっています(今春、あの急峻な紀三井寺さえ特別ルートで拝観できました)。
貴グループは私設コレクションゆえ、障碍者にはこの配慮は不要とお考えですか。
また、所定のポイントにおられた警備員氏の対応も「社会に開かれた文化施設」に相応しからぬ態度でした。
②エレベーターが利用できるのは美術館新館のみであることも案内の方の情報で始めて知りました。このような大切な情報を公開しないで、あたかも「障碍者」にも利用できるイージーな情報を流しておられるのか、疑問です。
見せかけだけバリアフリーは望みません。まだまだバリアフリー普及に時日がかかることもよく承知しています。障碍あるものにとって、利用不可とか不便な事前情報も「とても大切な」ものです。私のように不愉快な目に遭わないため、ゼヒ善処されることを信頼あるASAHIグループに望ます。
(7月26日記*応対の女性スタッフに悪意はないが、親身に障碍ある身になって考える余地はない。まだまだ社会には絶望することが多いぞ!)

晩節を汚さない

品川美容外科への捜査資料漏えい事件で逮捕された警視庁捜査一課警部は同外科幹部に「あんなOBを雇っているとつぶれるぞ」とすごんだという。後輩二人に入れ替えて「こいつらはスペシャリスト。任せておけば安心」とも。
老境で限界が見え出すと心地よい境遇がちらちら目前をよぎる。定年間近の役人に限らずサラリーマンも第二の道に狂奔だ。
 なあにメディアといえども事情は同じ。みなさん、第二ステージ(英語では第三ステージだが)が気になる。海外取材のイロハを私に教えてくれた某大名誉教授も、定年前に不動産会社が経営する地方紙の社長(ああなんていい響きだ!)転出の誘いに乗って、計画破綻が分かるや自宅で布団をかぶって震えていたのを、励ましに行ったことがある。
晩節、汚さず。ヘー(屁)こいて寝てたら?(7月25日記)  

仰天の叫び

衝撃的なノルウェーの叫びを聴いた。オスロとその郊外のウトヤ島を襲った連続テロ。極右思想とされる容疑者の男が逮捕された。オスロでノーベル平和賞授与式が行われて今年で110年という。皮肉にもNHKはBSで北欧特集だ。
不気味にうねる夕空を背に、やせ細った人物がおびえた顔で大きく口を開け、橋の上で両耳をふさぐ「叫び」はムンクの回想などによると、この人物が叫んでいるのではなく、どこからともなく聞こえる叫びに恐れおののく姿を描いたという。
しかし、火山爆発で実際に「叫び」の風景があったと実証する科学者もいて、NHKのくだんの番組で一つ一つ風景を再現していた。
美術史家・高階秀爾は「叫び」を含むムンク作品は「いっさいの日常的な音は遮断され、かぎりない沈黙のなかで、ひそかに運命の糸が紡がれている(「近代絵画史」中公新書)」という。エドワルド・ムンク(1863~1944年)は幼くして次々に肉親を失い、死に向き合って、その筆で魂の叫びを伝えようとしていたのか。「白夜の国」から恐怖と怒りの叫びと慟哭が聴こえる。(7月24日記)

めぐり来る河童忌

 明日は河童忌、芥川龍之介の命日「河童忌」である。雌の河童が出産するときに、オスの河童が胎児に向かって、生まれてくる気があるか大声で尋ねる場面が印象的。
あまりの暑さに衝動的に自死したのでなく、思い詰めた末のことだろう。「自殺に発作的ということはない」と何かに書いていた。
小学校の教科書でトロッコのシーンを思い出す。何処かに不安な面影が漂う風景だ。風景というよりもいつも人の心象を見ていたのかも知れない。(7月23日記)

ごくり水を

 朝、洗面時に水が冷たければうれしいな!と、つくづく思う。こんなに暑いと、生ぬるい水も出ることが多いが、それすら鉄管ビール?と称して、ゴクリ飲むあのダイナミズムが夏だ。
顔を洗うとき、両手で蛇口から水を受ける。両手で水をすくう、あるいは、両の手の平をくぼめて水を受ける行為を、誰に教わったのだろう。父や母、姉や兄に教わった記憶がない。記憶がないだけで、見よう見まねでいつしか覚えたのか、言葉を自然に覚えたように。
洗面や歯磨きが自分の手でタイヘンになったとき、ふとそんなことがよみがえる。そういえば、このごろ空飛ぶ夢を見ない。空を飛ぶってどういうことか。車椅子に乗らないで、突っかい棒がなくて、空に浮かんで動くこと出来ることだ。そんな真夏の昼寝の夢を、思い出した。(7月22日記)

美しい夏の行方

M紙ブックウォッチングで辻邦生、とっておきの3冊を井上卓弥が推奨していた。
「嵯峨野明月記(中公文庫)「美しい夏の行方 イタリア、シチリアの旅」(写真・堀本洋一、中公文庫)「ある生涯の七つの場所」(中公文庫・品切れ)が紹介されていた。辻は「今、ここに在る」という喜びを表現したという。
 歴史物の先駆けとなった「嵯峨野明月記」。名高い豪華本「嵯峨本」にかけた江戸の書画家3人の情熱を描く長編だが、立教大で教えていた68年に第1部が書き下ろされた。辻夫人が言う。「大学の同僚や先輩研究者から美術品の解釈や時代考証などの研究成果をうかがいながら筆を進めたものです。自作の朗読を求められると、作中の鶴の群れが夕暮れの空に舞い立つシーンを好んで取り上げていました」。もう一つ忘れ難いのが紀行エッセー「美しい夏の行方」。99年7月、滞在先の長野県軽井沢町で急逝する前日、「出版社から重版の連絡を受け『だってタイトルがいいもの』と満足そうでした」と夫人が振り返る。大作家でも「へぇーと」感心、57年、小説を書くためにパリに留学し、2年後、夫婦そろって文字通りの貧乏旅行で訪ねた思い出の地シチリア。再訪の喜びに解き放たれ、筆致は活力にあふれる。(7月21日記)

思ったように動けない

「思った相撲取れない」と魁皇が引退を表明した。幕内最多1047勝のレコードを手に悪ガキだった力士の引退だ。
想うように身体が動かさせない衰退は、わが身にとっても、同じ。事後の発展を祈るばかり。(7月20日記)

Eさん退院に

Eさんが3週間の入院予定を6週間に延長、退院の報に、メールで応えた。医師も病院も医学的知見で万全の治療を施したと思うが、病気を背負って生きる当人に「生き方や暮らし方」までサジェッションしてくれない。自身の体験から次の(大意)メールをEさんに送った。

「わざわざのご退院の連絡を有難うございました。ご退院、おめでとうございます。お見舞いに行けなくて御免なさい。予定の倍の入院、耐えたご自身の身体を先ずは褒めてやってください。
胃の全摘という大オペを終えられて、自宅静養される由、ゆっくり免疫力回復に専念されるようお祈りしています。無念ですが、仕事のことはあっちゃへ措いといて、とはなかなか行かないと思いますが、体力回復に意を注ぎましょう。
一般的に医者はビョウキのことしか知見がなく指導してくれません。病気と共生しながら生き延びるのは私自身ですから、私もいろいろ考えながら生活の仕方を工夫してきました。
たとえば、①リハビリのこと(ドクターはこの病気にリハビリ法は無い旨、告げたので、出来るだけ動くことにして隣接の公園へ行って格好の鉄棒を見つけ、伝い歩きを思いついた。公園でリハビリ中の他の老人たちも倣って始めるようになった)。②運動神経を喪失、立つとバランスを失くすための対処法を相談。といっても喋れないので、すべて「自身の思い」をパソコンでプリントアウトして申し出て、整形外科医師は「脚につける装具」神経内科主治医は1㌔の重錘」をサジェッション。ところが装具も重錘も足首に巻くと、擦れて痛む。(緩和のため、神戸の手芸店でぴったりのスポンジを見つけクッションに巻く)③噎せや嚥下力低下に、最悪の場合は胃ろう(胃に直接栄養を補給する穴アケ手術)がある旨、教えてくれるが?呑み込み易い方法は教えてくれない。(ゼリー状の経口補水液OS-1by大塚製薬を見つけ常時携帯、*Eさんの場合は薬を飲むときにいいと思います)などなど枚挙に暇ありません。ビョウキと共生するには、毎日の暮らし方自体が創意です。
すでに骨折で体験されたことでしょうが、身体が思いのまま動かない苦労や食い物に制限あることは計り知れないものがあります。発病でみなさんから「病気をそのまま受け入れて!」なんて言われますが、承服するには私も余命といわれた3年という時間の経過が過ぎて(ただいま7年目)からです。
抗がん剤治療にも体力が消耗するやに聴きますが、プラス思考のEさんにはお節介は無用でしょう。私は動かない身体のことを「超高齢化が一寸ばかり早く来た」と自分に言い聞かせてます。
16・17日はOさん、SGさん、SNさんと一緒にOHさんのご好意に甘えて送迎つきで奈良のならまち界隈、春日原生林、唐招提寺+OHさんの世界一周クルーズのスライドまで満喫できました。
まだ夏は始まったばかり、何かと不便でしょうが焦らないで回復をしてください。またメールしますが、安静専念のため返信無用です。「何かお困りのコトあらば、お訊ねください」とりあえずお大事に!!!(7月20日記)  

海から来ました

一泊旅行を車で応えてくれたOHさん。一夜、世界一周ピースボートの旅の写真を見せてもらうと、海景の美しさに、あらためてOさんの海への思い入れが理解できる。ヘミングウェイ好みのパナマ帽もぴったりだし、ダンディさを誇るOさんが夜毎船上でダンスの特訓の風景も想像できて楽しい。
我々は儚いイノチの来た「海」を思い出さずにおれない。海遊館「超水族館のうらおもて」出版時の前書きを再現する。
イノチのドラマの地球誕生は46億年前、ほぼ同時に海が誕生。7億年を経て海水成分が安定して生物の祖先が生まれたが、34億年、海から出られず。30億年前に光合成で藻類が繁栄、酸素が増えて大気へ移行、雨が川になり海と陸がつながりオゾン層が形成。紫外線から護られた生物が陸上へ。4億2千万年前、地上に植物の元祖シダ類登場。その後3千万年を経て魚から進化して脊椎を持つ動物が陸上に進出なる。
地球史を1年のカレンダーに置き換えると、3月に葉緑素を持つバクテリアが発生、9月に酵母菌が生まれ、12月3日に両生類が誕生、14日に爬虫類と恐竜が、20日に鳥類が現れる。人類は12月31日午後10時過ぎにやっと出現したに過ぎない。
ああ人間のイノチが来た海よ!(7月18日記)

猛暑の唐招提寺で

 鑑真の「唐律」「招提」寺である。
50年前、GENちゃんとユースホステル協会行事で訪ねたころの鄙びはないが、南大門から眺める金堂はあいかわらず「端正」そのもの。8本のエンタシス柱、シ尾を頂く屋根の反り。天平の甍に寄せる想いを、残念ながら同行のみなさんには漏らした「たんせい・やっ」が伝わらないもどかしさ。
が、係員が駐車場から飛び出て来て先導での入場。境内一面に敷き詰められたバラスが、南大門から金堂にアプローチできるように中央部分だけ車椅子幅で、避けられている!これぞ鑑真和上の心づかいか!
753年12月、6度目の渡海で来日。翌年、東大寺大仏殿で聖武天皇など400人余に授戒、右京五条のこの地に戒律専修道場を創建したのは天平宝字3年(759年)。律宗総本山唐招提寺は始まる。
89年の大修復、東山魁夷の襖絵完成時に展観したし、「中秋の名月・観月讃佛会」で観た本尊・慮舎那佛、東に薬師如来、西に十一面観音像が美しさも忘れられない。若いころは古寺巡礼を「仏像乞食」と蔑んだ罰は十分頂戴している。(7月17日記)

そう蚊!

 「シトウ(嘴頭)のセンエイ(先穎)はキリ(錐)にヒト(斉)しく、インイン(殷殷)たる雷声は閤閨(コウケイ)をメグ(繞)る。一たびラコク(羅恕ト)の隔てを透過してヨ(自)りは、鉄牛の背上もタダ(爛)るることデイ(泥)のゴト(如)けん」。一体何のこと?キリのような鋭い口先、寝室に響き渡る轟音。いったん衣服を通過すれば、牛の背中でもただれてしまう…。やや大げさな表現のせいか、巨大な化け物を想像するが、あに図らんや、この詩のタイトルは「蚊」である。こちとらの不自由さを敵は先刻ご承知。毎日出掛けるたびにドアから攻撃を辞さない。
うるささとしつこさに座禅中の虎関師錬(こかんしれん)(五山文学の祖とも称される禅僧1278-1346年)も心を乱されたらしいと高橋睦郎の「漢詩百首」に。
「吸血鬼」の蚊は日本脳炎やマラリアを媒介する厄介者であるが、昆虫の機能を応用する「インセクトテクノロジー」の世界で最近の「痛くない注射針」は蚊の吸血器官を参考に開発されたというし、蚊は血液が固まらないよう、特殊な唾液成分を注入しながら血を吸い取る応力あるらしい。そこで血液をサラサラにする新薬の研究も進んでいる(長島孝行著「蚊が脳梗塞を治す!昆虫能力の驚異」)と、永平寺のお膝元、福井新聞のコラム越山若水は伝える(7月16日記)。

書店員の運命は?

季刊誌「考える人」はユニクロが単独スポンサーで新潮社から出ていて、そのメールマガジンがなかなか読ませるので愛読者の一人だが、14日着信の450号「それでも朝は来る」―は憧れの書店員の悩ましい現状報告を、出版人としてシンパしながら冷静に分析している。ホンヤさんの職業観、使命感が見えてきて、仕事と狭間で『生き方』の模索はためになる。
以下、長文だが抄出する。
昨年8月、PARCO出版刊行の『傷だらけの店長』という本が話題になった。著者は伊達雅彦、中規模チェーン書店の店長を9年間務め、最後は近隣に大手ナショナルチェーン店が進出で本部から「閉店」を命じられ、やがて「書店員」の仕事を断念していく経緯をリアルに綴ったドキュメンタリー。
「著者の書店員としての能力は抜群で、本に対する愛情の深さは圧倒的で、“本に奉仕する”といってもいいほどの思いを注いでいた。それに比べると自分は“そこそこ”の書店員でしかありません。つまり、彼に明らかに負けたことで、自分の存在価値は何だろうか、と考えるようになりました」
 この発言は7月9日に開かれた「本の学校・出版産業シンポジウム2011」で、「いま改めて書店について考える――本屋の機能を問い直す」というシンポの一つ「書店に求められる人材とは」で“著者の同僚だった”書店員。
 実際に読んでみると、内部告発調とは違って「ただひたすら本が好きで好きで」、学生時代にアルバイトをしていた書店にそのまま就職し、やがてその同じ店の店長となって戻ってきたという著者のまっすぐな生き方に親しみを覚えた。同時に、そういう匂いを放つ書店員だけに、「天職だ」とまで思った(最後までその気持ちに変りはなかった)「本屋」の仕事に次第に耐えられなくなっていく過程も理解できる気がした。中学生の甥が「僕も将来、本屋になりたい。楽しそうだもん。叔父さん、どうやったら本屋になれるの?」と問いかけに、即座に「やめとけ、本屋になんかなるな」と答えてしまう著者の自問自答が本の導入部にある。
〈台車に積み上げた本の山を見て、うんざりする。本なんかもう見たくない、と思う。本が好きで書店員になった。本が好きな気持ちはいまも変わらない。しかし本が本当に好きなら、書店員になるべきではなかったのかもしれない、と思い始めている〉〈どうして私はここにいるのだろう。どうして私は書店員であり続けるのだろうか〉〈何回も辞めようと思った。「こんな賽の河原みたいな仕事いつまでも続けてられねえ」と実際に辞表を書いたこともある。それでも結局、その辞表を叩きつける度胸もなく、20年近くもこの仕事を続けてきた。たんなる惰性、ではないようなのだ。いったい何が、辞めようとする私の心を引き留めてきたのだろう〉
 会社から与えられた業務時間はあまりに短く、ごく日常的な仕事をこなすだけでも朝早くから終電ギリギリまでかかってしまう。給与は低く、土日祝日もなく出勤。その上、本部からは的外れな指示が送りつけられ、スタッフには勝手な要求を突きつけられ、あいつぐ来店客や出版社の営業担当の応対もままならないところに、万引きは後を絶たない……。どんなに頑張っても、この悪循環は一向に改善される気配もなく、心の底には徒労感がしだいに澱のように溜まっていく。その様子が、少し突き放したような、抑えた筆致で語られている。
 それでも、仕事への情熱、書店人としての矜持は失わない。探していた本を見つけたときのお客の表情や、意外な本にめぐり合った時の楽しさを人に感じてもらう喜びを最後の拠り所としながら、なんとか踏みとどまろうとする。実際、著者が信じてきた「書店の存在意義」がすっかり消えてしまったわけではない。
 しかし、そうした個人の夢や願望を情け容赦なく押し流していく負のスパイラルの勢いは強大である。章を追うほどに、業界の構造的な問題と過酷な現場との間で、板ばさみになって苦しむ著者の姿が痛々しく感じられる。店の棚作りに心血を注ぎ、「どれも、私がじっくり選んで仕入れた本だ。『なくていい』ものなど、一冊たりともこの棚にはささっていない」と自負するほどに懸命であるからこそ、その孤独な姿に胸をふさがれるような思いがしてくる。
 パネルディスカッションで「彼のような優れた人材が燃え尽きるようなことがないように」書店の環境整備をすることが、その後の自分の役割だと思ったと、書店員の発言者は続けた。業界の制度的な見直しが始まっているし、別の分科会では、地域に根ざした店舗づくりを地道に続けている地方書店の意欲的な声も耳にした。
職能としての書店人は何をすべきなのか、まさに「書店の存在意義」の明確化を求める動きが起きていることも事実。書店の未来像を描く道のりは容易ではないが、困難であればこそ、もう腹を括ってやるしかないという反転の兆しが今年のシンポには感じられた。
 それにしても気になるのは、書店への「未練」を捨て、それを完全に断ち切って、前に進むことを選んだ「店長」のその後だ。
〈多くの書店で同じ思いを持ち、志を捨てずにいる数少ない書店員たちが、そうでもない者たちに囲まれながら、この朝もまた、店を開けるだろう。そして、多くの妥協を強いられ、悩み、苦しみながら、働くだろう。ある者は己の志を貫こうと努力して周囲と衝突し、またある者は、どうにもならない状況に屈し、あきらめてしまうかもしれない。私と同じように、辞めようと考える者もいるだろう。
 でもそれらの誰ひとりにも、「本」に対しての熱い思いだけは失ってほしくない、と願う。売上減少に頭を悩ませ、理不尽な客のクレームにうんざりし、データ本位で構成された棚を前に奥歯を噛みしめ、本が思うように入荷しないことにため息をつきながらも、本を愛する気持ちだけは失くさずにいてほしい〉
 そして、その情熱だけが「本」と「書店」を守る武器となり得るはずだ、と店長は書いた。「その気持ちさえ失うことがなければ、『書店員』というかたちでなくとも、これからも積極的に『本』と関わって生きていくことができる。方法はまだわからないけれど、多くの『傷だらけの書店員』とともに、『本』に対していつまでも能動者であり続けようと思う。そうでいられるはずだ」と締めくくった。
書店をのぞきながら、かく悩む書店員の存在や「職業意識」に考えが至れば。(7月15日記)




▲7月17日春日奥山ドライブスケッチ・7月26日草津みずの森へ蓮を観に行った


8月3日(水)パソコン接続不調

3時、自動車の警笛続くので覚醒。7時起床。予報MAX35℃!!
午前、CLIPPINGなど。NET接続悪い。アサヒビール大山崎山荘美術館・館長宛の返信を整理。
午睡3時過ぎまで。
5時半、上記文書をPOST投函してもらい公園へ。小雨の中、鉄棒伝い歩き2周目でバテル。ZONさんが自転車を止めてエールをくれる、ほかにも何処かのオバサンが立ち止まってエール!よほど悲壮な顔に見えるかな?休息して3周終える。車椅子押し1ブロック(約12㍍)のみ。心臓が早鐘を打つ!何とか前へ進みたい!そうまでしなくてもと、家人が警告。一服して入浴、このところ疲れが激しく10時にはBED。

8月2日(火)一日一事を心がけるが

涼風で寝やすかった、7時前覚醒&起床。室温27℃!朝食後、
昨日の不調続きか、トイレで誤嚥発作!家人が慌ててHELPに来る。何とか自分で落ち着く。
午前、YUKさんと熊本M君にメール。ほどなくM君から返信あり、このところアトリエに閉じこもって秋冬物の準備に多忙。昨日珍しく唐津・博多へ出掛けたっこと。月末に第二子(男子)誕生予定とか、ハッピーで何より!!
午睡2時半まで。CLIPPINGや日乗整理。習作試みるが絵具のチューブの蓋がなかなか填まらないし、床に落ちる!嘆くな。
DESK上整理、今日は出来なかった。一日一事!!もって瞑すべし!!
公園エクササイズは本日休業。
夜、歯磨き時に髭を剃る。立位保持苦しいが、一度車椅子で休憩してから、やり遂げる。

8月1日(月)不調&誤嚥の晩夏初日

夢亡失。6時半、明け烏の喚きで覚醒!新聞を取ってもらいBEDで読む。今日から8月!と聴くと焦燥感が。早朝からN君も焦慮?のメール受信、返信する。
午前、BOBメール集を整理。CLIPPINGやスケッチ蓮見物UPなど。午睡3時まで。
熊本のM君から原宿のチョコムースなど届く。
5時、涼風が気持ちよい公園へ。ただし鉄棒伝い歩き始めたが2周でDOWN!休憩してもう1周何とか終える。脚上がらずシンドイ!車椅子押し歩きトライするも1ブロックがやっと。帰宅してしばし安静,苦行に思える日!!
夕食後、誤嚥!ソファで10時まで安静、そのままBEDへ。不調の晩夏初日!

7月31日(日)食欲下降か?

早暁、胸が圧迫されて息苦しく、暑くて一度覚醒、扇風機のスイッチを入れた。KAさんと尼崎に行く夢。なぜかJR付近ではぐれ、阪神尼崎へ行く途上、露店街を覗いているところで目が覚めた!
7時起床。蒸し暑い!!が室温を見たら28℃?
自室を掃除してもらい、DESKの小物整理。
26日の琵琶湖の蓮スケッチ仕上げ。CLIPPINGなど。
公園でのエクササイズは休日にする。
ちかごろ、夕食ボリュームの多いのが気なる。食欲下降か?
夜、ETVで尾高忠明指揮・北海道響のチャイコフスキー6番「悲愴」を聴く、なめらか!!

7月30日(土)早世したNさんの夢

朝方、天満界隈で昼時、天神境内石垣に座って弁当箱を開けて食べようとすると中に小魚(メダカのような)が泳ぐ姿。もう一つは40代で早世したイラストレーターN・Tさんの夢。Nさんに豪州で教鞭をとっている美術家K・SANJIさんの消息を訊ねている夢。ヘンだなあ!
7時前覚醒、起床。TVで豪のウルルを訪ねる番組を見て、PCデスクへ。今日も接続が悪い。
昨夕、TATさんから返信あり。
酸素ボンベを抱えながらの奮闘振りに敬服。KIさんは足腰が大分弱ってきたが、まだ現役で頑張っておられる様子。
YUKさんからメール。墓参などに忙しい。47NEWSでハングル版を初めて見たこと。韓国紙はチョーソンイルボー(朝鮮日報)、トンアイルボー(東亜日報)、チュンアンイルボー(中央日報)の全国紙3紙と、他に10紙ほどの地方紙を登録してあり時々暇な時には覗いている。全国紙3紙と聯合通信、ハンギョレは日本語サイトがあり、観てみてはと。
ハヤメシで午睡1時まで。BLOG原稿作成。スケッチ手入れ。
神戸のM・Jさんから暑中見舞い来信。
5時半、夜サマーキャンプか捕虫網を子どもが次第に集る公園へ。鉄棒伝い歩きやっと3周、車椅子押し1ブロックのみ。

7月29日(金)ご学友Hさんを思い出した

6時半覚醒、7時前起床。暑い、背中を拭いてもらい着替え。
朝刊に小松左京の訃報、26日肺炎で享年80歳。M紙余録に筆名の経緯がある。デビュー作SF小説「地には平和を」を雑誌に応募時、姓名判断にこっていた兄が「『右京』なら大金持ちになれる、『左京』は新しいことができる」で、「作家・小松左京」誕生という。3年前に亡くなった今上陛下のご学友Hさんが、この兄が演奏仲間。
40数年前につくった3号雑誌の編集勧進元ID君は勿論、当時大売出しの小松大人に寄付をせびりに行った。Hさんは人脈華麗で指揮者の故ヤマモト・ナオズミに新大阪駅でばったり遭遇。あのハデさ十分の飲みっぷりでお付き合いしたことまで、思い出した。
昨夜、TATさんからメール。最近は酸素ボンベを引っ張って、週に2,3回夕方から近所を散歩?するのがやっとという近況だが健闘中が酔う分かる!!!
午前、Tさんに返信。SATさんの倶利伽羅峠レジュメのお礼送信。
11時過ぎ、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.5℃、血圧116-60と低い。このところの機能低下について話し。
CLIPPING、スケッチの手入れなど。午睡3時まで。
5時半、公園へ。鉄棒伝い歩き1周目、夕立で大粒の雨。中断して帰宅、西ゲート付近でヒグラシがしきりに鳴く!
甥のCが投書掲載紙を送ってきた。
アサヒビールCRS経由で大山崎山荘美術館館長から先日の回答。

7月28日(木)鉄棒伝い歩き力が尽きる

7時前覚醒、BEDで朝刊読む。
10時半、気分転換に阪急西宮ガーデンへ。GIFTを買って手配を済ませ、文具画材のITO屋へ始めてその他久しぶりのウィンドーショッピング。4F中村屋でランチ。帰宅時、申し込んだ自身の葬儀会場Eのロケーションを確認しておく。2時、阪急TAXIで帰宅。午睡3時まで。
5時半、遠雷聞きながら公園へ。鉄棒伝い歩き2周半で力尽きる!!帰宅してしばし休養。アカンナア!!意気消沈。夜雨激しく降る。


7月27日(水)蜩が鳴く

6時半、覚醒。7時起床、曇天。クマゼミにカナカナと蜩の鳴き音混ざる。もうこんなに早く??
午前BLOG整理、CLIPPIMGなど。
SATさんの「古道山歩-倶梨伽羅峠歩く」届く。
午睡2時半まで、スケッチ手入れ。
5時半、公園へ。鉄棒伝い歩き2周目で早やバランス崩れる!車椅子押し歩き1ブロックのみ。