まや-NET

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水曜日, 3月 30, 2011



▲近作・上から「虚空へ」「虚空へ2」「春の景」


晴れときどき阿呆果 またしても原子力安全委員長!

 M詩朝刊3面にまたまたショックの記事。福島第1原発:汚染水対応 班目氏、「知識持ち合わせず」と見出し!班目春樹・原子力安全委員長は28日夜の記者会見で、東京電力福島第1原発のトレンチでみつかった高放射線量の汚染水への対応について、「どのような形ですみやかに実施できるかについて、安全委ではそれだけの知識を持ち合わせていない。まずは事業者(東京電力)が解決策を示すとともに、原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」と述べた。首相への勧告権限も持つ専門家集団トップの発言だけに、その役割について議論を呼びそうだ。同委員会は原子力利用時の安全確保のために基本な考え方を示し、行政機関や事業者を指導する役割を担い、他の審議会より強い権限を持つ。だが、班目委員長は23日に会見するまで、国民に対して見解や助言の内容などを説明することがほとんどなく批判を浴びていたと、大場あい記者は伝える。

 トホホではないか!原子力安全委員会のホームページを開くと次ぎのようにある。 原子力安全委員会は原子力基本法、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法及び内閣府設置法に基づき設置されています。原子力を安全に利用するための国による規制は、直接的には経済産業省、文部科学省等の行政機関によって行われていますが、原子力安全委員会は、これらから独立した中立的な立場で、国による安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する役割を担っています。このため、内閣総理大臣を通じた関係行政機関への勧告権を有するなど、通常の審議会にはない強い権限を持っています。事務局は霞ヶ関・中央合同庁舎4号館にあり、虎の門三井ビルに会議室もある。職員は事務局長以下約百人、企画官・安全調査管理官2人・規制調査対策官もいる。事故以来、ほとんど国民に情報を流さないし、メディアも追わない。 

 会長を含む5人いる原子力安全委員会委員は全員常勤、さぞや高給をあてがわれていると思うが? レンボーさん次回はしっかり仕分けてください。

班目 春樹(専門:流体・熱工学)1972. 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了 東京大学大学院工学系研究科教授を経て10年4月から.常勤▲久木田 豊(専門:原子力熱工学)1975.東京大学大学院工学系研究科博士課程修了 名古屋大学大学院工学研究科教授 を経て09年4月から.常勤▲久住 静代 (専門:放射線影響学)1972. 広島大学医学部医学科卒業(財)放射線影響協会放射線疫学調査センター審議役を経て04年4月から常勤▲小山田 修 (専門:原子炉構造工学)1970.東京大学大学院工学系研究科修士課程修了 (独)日本原子力研究開発機構原子力科学研究所所長を経て09年4月から.常勤▲代谷 誠治(専門:原子炉物理・原子炉工学)1974.京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学 京都大学原子炉実験所長を経て10年4月から.常勤


◆ また、ホームページにはご丁寧に「原子力安全委員会に対してご意見やご質問を行いたい方々のための情報や、過去に原子力安全委員会が行った国民との対話活動に関する情報などを掲載しています。(※平成23年3月11日以降、今般の災害への対応のため、通常と同様の対応をさせていただくことが、極めて困難な状況となっております。ご迷惑をおかけいたしますが、何卒、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。)」とある。(3月29日記)


晴れときどき阿呆果 神の一撃


 今朝のM紙文芸コラム『詩歌の森』で酒井佐忠は「ただ言葉を失う。詩歌の言葉にどれほどの力があるだろう」と、齋藤愼爾が編んだ「悲傷と鎮魂―阪神大震災を詠む(朝日出版社)」掲載の次の句を紹介。

 「国一つ たたきつぶして 寒のなゐ」安東次男 02年没

 「地震国 日本お粗末 寒満月」三橋敏雄 01年没

 「白梅や 天没地没 虚空没」トイレで地震に遭った永田耕衣 97年没

 「魂や パワーショベルの 銜(くわ)へたる*銜える(中に入れる)=手拭(てぬぐ)いを銜える」小川双々子 06年没

 「はらからの 生死は知らず 寒牡丹」暉峻 康隆(てるおか やすたか) 01年没

 「寒暁や 神の一撃 もて明くる」神戸在住で自宅全壊だった和田悟朗。『風来』を昨年創刊した。

(3月28日記)


晴れときどき阿呆果 語るをカタル


 過日、HA君がくれた【節電のお願い】メールは、真面目オジサンの同君からなので、了解返信をして置いたが一転、チェンメールの類いだと、関電が認めた。メール内容はこうだ。「友人からの転送」で、少しでも私たちにもできることをしましょう!! 関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!※このメールをできるだけ多くの方に送信をお願いします。【たいしたことはできないけど、何か協力できることはやりましょう。文責HYと、ご丁寧にも注釈付き。


 怪しい怪しい!と思っていたが、関電の変換送電能力は100KW、微々たるモノ。東西日本の周波数差は明治時代、関東は東京電燈が50HZ仕様のドイツ・AEG製発電機 (AC 3kV 265kVA) を、わずかに遅れて関西では大阪電燈が60HZ仕様のアメリカ・GE製発電機 (AC 2.3KV 150kW) を採用以来、糸魚川静岡線のフォッサマグナ(地溝帯)を中心にして東日本・西日本の周波数が集約されていった結果である。第二次大戦後、復興にあわせて商用電源周波数を統一構想があったが、復興が急速に進み実現がほぼ不可能。もはや数千億円かかるこの不便を誰も口に出さない。今日になってやっとNHKが夜のニュースでこの周波数のずれで送電がわずか100万KWしか出来ないことを解説していた。

 そういえば、家人が商店街で子どもから貰ったという節電と募金のチラシもよく見たら印刷かカラーコピーだ。微笑ましさを装っているが、発行元が明記されていず、ハテナ?地方選挙も近いことだし、まさかの某宗教団体かもと勘ぐりたくなる。こんなときに良心をくすぐる手口は如何かと、優さぐれオジサンは立腹する。

 寝付かれなかった昨夜のラジオ深夜便で、アンカー柴田佑規子アナとたまたま釜石で被災者になった歌手のクミコの「ロマンチックコンサート」で手紙&力をくれた名曲をテーマに金子ゆかりのサントロペ、田端義夫の十九の春でぐっと和み、最後にクミコがアカペラで歌った阪本九の「ともだち」(永六輔詩・中村八大曲)でグッと来たのに、震災で『何かセナアカン』精神をカタリ、かつタカル行為にげんなり。炭鉱労働者のストで停電の夜が続き、ロンドンの新聞に載ったある老婆のコメント読者のコメント「停電のおかげで、星空が見えた」のようにスッキリとはいかぬか。(3月27日記)

晴れときどき阿呆果 オダマキ


 寒風吹くが陽射しは春。いつものように公園でエクササイズを無事すませ、家人が見慣れない花を観に行こうと花壇へ連れてくれた。北西の一角に、ひっそり可憐な花。名前は?に答えてえてくれたのは通りがかりの花壇の常連そうなオバサン「オダマキといいます」。

 ふむ、オダマキ、聞いたことあるなあ。ホレ、義経の愛妾、静御前が逃避行の果て、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮社前で頼朝に白拍子の舞を命じられたときに歌ったあの有名な歌だ。「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」と義経を慕い舞いを拒否。頼朝は激怒するが、妻の北条政子が「私が同じ立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けたという。『吾妻鏡』は、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。

  オダマキ(苧環)は機織りの際に麻糸を巻いたもののことで、花の形から名づけられたとはいう。*オダマキ属はキンポウゲ科の属の一つ。ラテン名のアキレギアやアクイレギア(Aquilegia)ということもある。本属植物の総称がオダマキ(苧環)である。 静御前は「倭文(しず)の布を織る麻糸をまるくまいた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら」。自分の名前「静」を「倭文(しず)」とかけ言葉、頼朝の世である「今」を義経の「昔」に変える事ができれば、と歌った。本歌は『伊勢物語』にある「古(いにしえ)のしづのをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」。また、「吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していった義経のあとが恋しい」と、義経と別れた吉野山の歌は『古今和歌集』の冬歌、壬生忠岑による「み吉野の山の白雪踏み分けて入りにし人のおとづれもせぬ」が本歌。白拍子といえども古歌を本歌取りする教養に敬意!と、春の午睡前に出典を調べた。(3月26日記)

土曜日, 3月 26, 2011

晴れときどき阿呆果 春到来

公園の桜が膨らんできた。黙認の露天商のオネエチャンたちが脚立でせっせと雪洞の配線をしていた。雪柳も白い斑点を付け、三本しかないアーモンドの花が満開、沈丁花も香る。少々寒いが春の陽射しが厚着した身体を包んでくれる。
Y紙コラムは伝道師でもあった山村暮鳥の詩『桜』を紹介。さくらだといふ/春だといふ/一寸(ちょっと)、お待ち/どこかに/泣いてる人もあらうに〉。〈ずつと磐城(いわき)平(だいら)の方までゆくんか〉と『雲』の呼びかけを被災した福島県の地名を織り込んでいると引用。A紙も桜がはらむ死を想う心を夏目漱石が早世した友に問うた句〈君帰らず何処(いずこ)の花を見にいたか〉で詠嘆。
M紙は別のコラムで、首都圏のスーパーの棚はガラガラになった。ある小学校教師は「保護者から、子どもを外で遊ばせるなと電話がかかる」と話し、自粛ムードも感じる。不安はある。けれど東京で暮らす私たちは、これまでの生き方を見直しつつも、落ち着いた生活を送らないと。そうしなければ、被災者に申し訳ないと、自省の真情を吐露する。(3月25日記)
 *厚顔の原子力安全委員会がやっと国民向けの発信をした
原発の事故で国の原子力安全委員会は25日に臨時会を開催し「放射性物質の放出が継続すると考えざるを得ず、20~30キロの屋内退避区域のうち線量が高いと考えられる区域に住む住民に対し積極的な自主的避難を促すことが望ましい」との見解をまとめた。さらに「これらの区域以外の屋内退避区域に住む住民も、予防的観点から自主的に避難することが望ましい」とした。また、周辺での緊急時モニタリングの実測データと、大気中の放射性物質の測定値や気象情報などから被ばく線量を試算するシミュレーション結果からみて「現在の防護区域を変更する必要はない」とした。その上で「緊急時モニタリングの結果などを踏まえ防護区域の見直しについて適時検討することが肝要。特に、空間線量率が高い値を示している地域は注意する必要がある」と指摘している。班目春樹委員長は委員会終了後「できる限り(モニタリングで)特異な値が出たときは解説、評価を加えてホームページに掲載する。一般の人が心配していることに応えられるような評価を出したい」と述べた。14時43分M紙夕刊

晴れときどき阿呆果  姿を見せた原子力安全委員長?
 福島第一原発の事故後、23日夜に初めて、報道陣の前に姿を見せた班目春樹・原子力安全委員会委員長は「電源の喪失は深刻で予想を超える早さでトラブルが次々発生、技術陣の対処能力を超えた」と指摘。事故や放射性物質の放出データなどを評価し、わかりやすく伝えるという委員長の役割について、会見を拒否してきた12日間を謝罪したと、今朝のY紙が報じた。
 なんでメディアは国の安全規制の基本方針を決定して関係省庁や東電など事業者を指導する強権を持つ独立機関・原子力安全委員会の代表、原子力工学専門の元東大大学院教授で10年4月から委員長という原発のドンをこの騒動で追い回わさなかったのか摩訶不思議!ではないか。
 昨日、M紙は目立たない2面囲みで「原子力規制行政、見直しを」「福島の事故、個人的に謝罪」と見出し。22日の参院予算委員会で、東日本大震災に伴う福島第1原発の事故について「(耐震設計が)想定を超えたものだった。世界的な見直しがなされなければならない」と指摘し、「今後の原子力安全規制行政を抜本的に見直さなければならない」と述べ、従来の原子力安全規制を大幅に見直す考えを明らかにした。事故については「個人的には謝罪する気持ちはある」と述べた。
 社民党の福島瑞穂党首が、班目氏が07年2月の中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟で、複数の非常用発電機が起動しない可能性を問われ「そのような事態は想定しない」と発言したことを追及したのに対し、班目氏は「割り切らなければ(原発の)設計ができないことは事実。割り切り方が正しくなかったことも、十分反省している」と述べた。大震災発生直後12日未明、首相に「水素が発生する可能性がありますが、大丈夫です」と説明。「(説明で)首相の判断が甘くなったことはないと理解している」と説明したらしい。(3月24日記)

晴れときどき阿呆果  疲れた身にマクロ眼
 連日の震災報道に些か泣き疲れた!人知を超えた大災害、想定外の災厄!
 まことに幸運なことに偶然と偶然が重なり合ったことで、凡夫である私たち人類が「弥陀に見初められ、あるいは神の『恐るべき恋人』として生き延びているのは僥倖としかいいようがない。ちょっと視点を  マクロに置き換えてみる。
 そも、地球は宇宙に漂っていた宇宙塵から46億年前に誕生した小さな星に過ぎない。大きな津波がすぐに届く直径1万3000㌔の地球を1㍍大のボールに置き換えれば、空気ある大気層は1㍉、海の深さは0・5㍉。その真下に数ミリの「プレート」と呼ばれる十数枚の岩板がある。このプレートがドロドロに溶けて熱い対流を起こしているマグマの上に浮かび、その動きに載って移動している。もともと薄皮がマグマに浮かぶ頼りない地球の表層にわずかにひしめき合って、:私たちは住んでいるという。
また、地球史を一年のカレンダーに例えれば、3月に葉緑素を持つ原始バクテリアが発生、9月に酵母菌誕生、十二月三日に両生類が発生、十四日にやっと爬虫類と恐竜が姿を現し、二十日に鳥類が誕生。人類は大晦日の午後十時過ぎにやっと出現したに過ぎない新参者に過ぎない。(3月23日記)

晴れときどき阿呆果  食う!
 昨日、訪問看護に来てくれたナースOさんが話す。「辛くて観ておれない大災害ニュースに明るいことといえばたった一つ、女性がたくましいこと。老女がオニギリをむさぼっているのを見てホッとした」と。
思えば食べれない恐怖にそそのかされ、どれほど思想を放擲したことか。鳥を見よ!飛ぶエネルギーのため四六時中、エサを啄ばんでいる。
 池波正太郎が剣客商売や梅安シリーズを書いた時期(昭和47年)のエッセー「食卓の情景」食い道楽とは死生観に満ちていて薀蓄十分。
*「人間にとって、ただひとつ、はっきりとわかっていることは、/『いつかは死ぬ』/という一事のみである。/あとのことは、いっさいわからない。/人は、死ぬために、/『生れてくる』/のである。/おもえば、恐ろしいことである。/この一事を、昭和の大戦に参加した者は、忘れきることができまい。/私も一週に一度は、考えてみてもはじまらぬ自分の死のことを考える。これは二十代で終戦を迎えてから、ずっとそうだ。/『よく、それで生きていられるねえ』/と、知人が私にいった。/まことにそうだ。
*死ぬことを考えると、だれだって気が滅入るであろう。/しかし、人間というものは実によくできている。/死ぬときのことを考えていた翌朝、あたたかい飯と、熱い味噌汁と、好物の焼海苔を口に入れた瞬間に、/『生きていることの幸福』/を感じるように、できているからだ」
 引き続きビンボウ暮らしの身に一番贅沢だと思う学校通りのベーカリーHの5枚切り食パンの上に、扱い難くなった箸でハムとトマトを載せ、湯通ししたキャベツを食べるときの至福感。まだ生きていていいのか?(3月19日記)

金曜日, 3月 25, 2011



▲BOBとメリディス夫妻のバンコク、サイゴン旅行の写真

3月25日(金)公園に桜用の雪洞


3時半、鉛でも飲み込んだように胸に圧迫感がして覚醒!しばらく寝返りを繰り返して輾転反側!7時半起床。晴れ本日MAX13℃か。自室を掃除してもらって10時半、公園へ。日差しが柔らかい。今日も造園業者が多く剪定作業で車が行くて阻む。ベンチのUさんに手を振ってエール送る。桜並木に露天商のオネエチャンたちが脚立で電線から配線して雪洞付けが始まった。鉄棒で右足内捻転のオジサンにエール。4周して車椅子押し歩き4ブロック。ややBETTERな状態が続くのは横浜で病気と苦闘中のSANさんが念力を送ってくれているからか。終って花壇に連れてもらい西ゲート近くのアーモンド3本が綺麗な花を付けているのを観に連れてもらう。カメラでCUしているオジサンもいる。昼食後、午睡3時まで。富山の姉から蛍烏賊とブリの昆布締め届く。起きて小品を着色。夜、娘夫婦来て家人(3月31日)と愚息(4月1日)の誕生祝の食事会。9時前、愚息も帰宅して加わる。


3月24日(木)水売り切れ!


7時前起床。曇りのち晴れ、冷える。10時半、公園へ。桜が昨日同様かなり膨らむ。植栽剪定の作業車が多く作業。鉄棒4周、バランスがBETTERなような気がして車椅子押し 歩きに以前のコースで挑戦、4ブロック歩いて時計台で本日終了。終わってスーパーへ買出しに連れてもらう。案の定、水ボトルは品切れ 、そういえば隣家が宅急便に水を出していたぞ。ハヤメシ、午睡2時前まで。2時、富山の姉から蛍烏賊送ると電話。起きてBOBに旅立つ前に返信を英作して写真とともに5時半送信。ス ーパーに水ペットボトルが売り切れも伝える。8時、愚息も帰宅で夕食。


3月23日(水)BOBまたタイへ


深更覚醒、寝返り打ちにくく輾転反側!7時半起床。晴れたが冷え込む。10時半過ぎ、ケアマネMさん来宅。近況を報告、11日のホームドクターW先生宛のレポ・コピーを渡す。機能&食事などADLのヒアリン グ。ずい分落ちたことを告げる。来月分介護計画書もらう。終わって、11時公園へ。寒風吹き募るが西ゲート近辺の桜は蕾が大きく膨ら んだ。造園業者多数が入り、植栽の剪定というよりはバッサリ伐採。Uさんが例のベンチで「今日は遅いね!」と。春休みか親子連れ多く、間隙を縫って鉄棒を譲 ってもらい伝い歩き4周クリア。続いて車椅子押し歩きに挑戦、なんとか2ブロック歩く。


帰宅して、BOBからのメール受信確認。写真9枚と近況。エッ、またタイへ出発って!事前に片付けること多く忙しくて大変とか。 Subject: Greetings   Date: Wed, 23 Mar 2011 12:08:48 +1030  ハーイKOHSUKE、皆さんOKだろうと願っているところだが、メリディスと私は連日TVが日本の大災害で死者が22000人を超えたと伝えるのを見ながら、どれほど日本の人々の痛みと苦悩を想像することは出来ない。新聞が今朝報じたのを読むとフクシマ原発がメルトダウンの危機から回避でき、電源が再連結されたそうで、私たちもよかったなあと思っ ているよ。我がオーストラリアでも比べるべくもないが、快適な暮らしを享受している身には、放射能が降る恐れに、同じく有罪だと感じ てしまうよ。お陰さまでインフルエンザは日ごとによくなっており3月31日からのチェンマイ行きは100%大丈夫だと念じているよ。次男のジェー ミーはここ3日間ブロークンヒルにいて歯の治療を済ませつい30分ばかり前、4時間かかる農場へ帰っていったところだ。メリディスと 私は日曜日に彼の農場に行って日曜、月曜日と過ごし、火曜日にアデレードへ向かい友達のゲーリーと水曜の午後1時に落ち合うよ。毎夜のようにミーティングがあって、ちょっとばかり忙しくせねばならなくなった。私は遠出、メリディスは姉妹と過ごし、それから4月12 日にはブロークンヒルへ戻り、彼女たち双子の子ども時代の友達とその連れ合いがシドニーから4月15日にやって来て2週間我家で過ごすんだ。

4月22日から26日のイースターとANZACデーには800人から1000人のブロークンヒルの元居住者が再訪して「グレート・ブロークンヒル・リユニオン」ブロークンヒルはホスト役で旧友たちを迎える。グッドフライデーには、マリリンの夫ロン・セリッチを記念した ゴルフ大会も開催される。ロンは超優秀なフットボールの選手でスポーツ万能、とりわけゴルフを愛したので彼の名前を冠した大会になるんだ。私は4月21日木曜朝にアデレードに帰着、マリリンの家でぐっすり眠り、22日金曜に520㌔のドライブを走ってゴルフ大会のディナーのプレゼンテーションをやらなくはいけないんだ。マリリンの代わりだが、まったくストレス満杯だよ!!

このところの天気は異常。2週間マイルドだったがその後4日間は98㍉の雨。今日は20℃。普段どおり18~24℃前後を期待しているんだが、ちょっとクールだな。季節外れの雨でブロークンヒル最大の呼び物の競馬「セント・パトリック・デー競馬大会」はキャンセル。先週土曜日はトラックは最悪コンデション。にもかかわらずこのイベント目当ての飲み食いやファッション・パレードは強行された。ドラマチックに参加者は少なかったけどね。まあそんなところかな最新のニュースは。写真を添付するよ、1枚は英語を勉強中のベトナム学生と私とメリディスと写っている。もう一枚はタイ・バンコクでここ4年なじみになった女性とそのフィアンセだ。もう一枚はメリディスのシンガポール空港でのショット。


3時半、娘夫婦が昨日天理のKちゃんにもらった苺でケーキをつくり、持参。珈琲ブレークにする。夕刻、横浜のSANさんから長文のメール返信あり。壮絶な状況で闘病生活、健闘中がよく分かる!!夕食前、GENちゃんから電話。小学校同窓会とカタクリ見物のお誘い。8時半、愚息戻って3人で夕食。


3月22日(火)一日遅れの墓参


8時前起床。曇天が暖かい。朝食時、娘から電話「休みなので何処か行きたいところは?」に「お彼岸直後なので奈良へ墓参」とリクエスト。10時40分発、中国豊中ICから近畿道経由松原JC、西名阪で天理IC。12時サイレンの音とともに山之辺・中山の念仏寺に到着。エッ、西駐車場にも墓地スペース造成中。遅れ墓参が結構いるし、山之辺ハイクもいるから。家人と娘に代参してもらって佛旗を掲げ、本山・知恩院とともに地震の寄付を謳った寺前で待機。12時半、三輪の麓から、笠の集落目指す。1時、笠農協婦人部の「蕎麦処」で昼食、場店のほうれん草、しいたけなど買い求め滝の蔵墓地へ。1時半過ぎ墓参を終え、旧屋敷跡の隣家O家へ寄って挨拶。天理Kちゃんとも合流、野菜や特産の苺(電子技法栽培のパピオンファーム=高井病院の辻にあり)をどっさりもらい辞去。福住から名阪に入り、天理SAでトイレ休憩。同所の名物メロンパンをピックアップ、食べながら帰路へ。松原からナビが阪神高速尼崎東を指示したので渋滞の中、国道2号線西大島を北上、4時半帰宅。 CLIPPINGなど整理。


3月21日(月)雨の彼岸


車移動中、どこかのオバサンに左ドアをぶつけられる夢で覚醒。7時前起床!彼岸の中日か温い!9~14℃か。雨でどうにも出来ず、終日制作。


3月20日(日)アーモンド咲き始める


昨夜の深夜ラジオで東北三春在の玄侑宗久が電話インタビューに応じ被災と避難した人々の様子を話していた。たまたま昨日は満月(それも93年来で一番大きなスーパー・ムーンNASA「月が最も地球に近付く近地点の日」)の涅槃会、何がしかの死者に供養の徴か?「来年は桜が穏かに見れるといいですねえ」の女性アナウンサーに「今年も桜は、咲きますよ」と切り返し、気遣ったつもりのアナウンサー二の句が出ない。7時起床。曇天だが暖かでMAX17℃か。日曜美術館「97歳の正念場―中川政一」を観て公園へ。西ゲートでしばらく会わなかった入院3回の夫婦の嫁さんに逢う。「お父さんは向うへ一人歩きに」と告げる。骨折で5回目の入院を聞いたが、不屈の精神にヌヌヌツ!鉄棒伝い歩きを4回順調済ませ、車椅子押し歩きに挑戦。右ハンドルを支えてもらってどうにか1ブロックこなす。帰路、アーモンドの花がほころび出したので見に連れてもらい、U保育園沿いに帰る。いつもどおり午睡、4時から7時まで制作。


3月19日(土)今日も胸塞がれる


7時半起床。晴れ、本日はMAX17℃か。朝食後10時過ぎに公園へ、「にしむこ桜守」の幟を立てリヤカーを引くボランティアグループが桜に巻いた藁菰を外していく。ダウンの上着脱いで鉄棒伝い歩き4周。車椅子押しに挑戦するも右足が上がらずにステップ切れず、半ブロックで断念。買出しに連れてもらい11時半過ぎ帰宅。午睡後、横浜のSANさんに来信のお礼と当方の病気の経過、現状などを詳しく報告。送信したが関東の通信事情が不安。あいかわらずの被災情報に胸塞がれ、嗚咽、困った!


3月18日(金)横浜Sさん多発性骨髄腫!


CスタジオのHさんの夢を見た。どこかの駅で一緒に行動していて車でオフィスに行く情景だった。7時半起床。冷え込み緩む。朝食時、愚息から電話、ビジネスがなかなか大変な様子。本日彼岸の入り、ベランダ越しに旧集落の墓地が賑わっている。10時過ぎ公園へ、コリーの老夫妻に出会い「今日はちょっとマシやね」と声掛けられる。右足内捻転のオジサンが手を振る。鉄棒伝い歩き4周のみ。まだキツイ!帰路、内捻転オジサンらベンチで缶ビールだぞ。Uさん通りかかり挨拶。訪問看護ナースOさん来宅。36.6℃血圧122-80.脈異常なし。先週のW先生往診時のレポを渡し、一通を先生宛に託す。午睡3時前まで、起きて夕食まで制作。仙人グループのメンバーで元Dハウスの建築家、横浜在のSANさんから来信。多発性骨髄腫で寝たきり闘病中。天皇についてまとめた文献が同封されていた。何度かメールを頂戴したらしいが、旧アドレスだったので届かなかったという。


3月17日(木)亡母の夢を見た


未明、母が亡くなったときの夢を観た。7時起床。晴れて昨日より冷え込みMAX7℃か。午前、BLOGをアップ。午後制作。エクササイズは休み。午睡3時まで。  甥のCから来信。朝、高知の婿殿のお母さんから電話。夜、紀の川M子さんから電話。天理Kちゃんからも。

木曜日, 3月 17, 2011


▲上は菜の花畑、下はノンタイトル

3月16日(水)霙降る

6時覚醒、唾で誤嚥!
7時前起床。BEDで新聞&ラジオ、また福島原発4号機で火事。晴れているが冷え込みキツイ!本日は昨日マイナス10℃でMAX8℃か。
Y紙はパリ発でフィヨン首相が首都圏滞在の自国民2千人救出にエールフランス臨時便を要請したと伝える。
天候急変、雪混じりになったり晴れたり。K夫妻から半年振りの昼食会お誘い。商店街にオープンしたパスタ店「チェリー・ブロッサムズ」M紙地方版もお勧め。トマトソース・パスタ・B&B・野菜サラダ・珈琲・パン製のプリンのMENUで天候を眺めランチタイムをたっぷり。1時半、K夫妻と別れグロッサリー買出して霙の中を2時帰宅。
3時半まで午睡。夕食まで制作。
夜、富山の姉から電話。

3月15日(火)原発危うし・鉄棒伝い歩きも

7時前起床。BEDでラジオの原発速報聞く。晴れ、温暖。10時半、公園へ、途中モクレンが大きく咲いているのを目撃。桜も花芽が大きく膨らんだ。鉄棒始めるが、やはりキツイ!伝い歩きはあんなにイージーだったのに!4周がやっと。もちろん車椅子押し歩きは無理!帰宅して、原発事故の続報観る。
 NHK解説ではチェルノブイリ事故に次ぐ事故だと。400㍉シーベルトは白血球や遺伝子に異常をきたす。政府は避難エリアを20から30㌔に拡大。
午睡後、BOBに近作作品写真3枚添えてメール。一昨日からかけっぱなしのニュース番組WBUR(BOSTON’S NPR NEWS STAITION)がBBCニュースを転用、在日仏大使が東京周辺在の自国民に離日をサッジェッション。
夕食後の薬服用で、5錠のうち痰きり2錠ムコダインを粉砕してゼリーに混ぜ服用、少し楽になった。

3月14日(月)救援機の離陸音で起きる

昨日同様、伊丹空港の震災救援離陸機の音が頻繁、7時前起床。晴れて暖か本日もMAX17℃か。東京圏停電で大混雑の報。愚息から東京応援組みの情報、現地東京で食料売り切れのため買えず日帰り、食料仕込み再上京とのこと。
10時半、公園へ。鉄棒4周終えて買出しに連れてもらう。学校通りの水路にカルガモ数羽が水草啄ばむ。中学校正門付近に土筆!モンマルシェでグロッサリー買出し。帰路、日当たりよいモクレンの花芽が大きく膨らむ!
BOBから現地4時のお見舞いメール。午睡後制作。


3月13日(日)原発事故?

7時前起床。晴れ暖かMAX17℃。
早朝からNEWSに集中。震度9に変更!
11時前公園へ。小春日和で人出多い。ベンチのUさんに惨劇を話し合い「頑張ります」と声をかけ、鉄棒始める。4周でバテて5周がやっと!!車椅子押し歩き不可能で夢ハウス前の菜の花を観に連れてもらう。ベテラン係員さんいて挨拶。
NAKさんからNOP社に行った話のメールを昨夜受信。同社解散の顛末を。
昼食後、午睡2時半まで。起きて震度9にUPした記者会見を観る。
早くもH君から節電協力お願いメール。夕食まで制作。
TVニュース惨状に胸塞がれる!長生きしてこんな地獄絵を見なければならないとは!!!映像を見てひたすら滂沱の涙流れる。

3月12日(土)カタストロフィー!

7時前起床。晴れ。TVニュースに集中! 外国でも惨劇詳報。
昼食後、公園へ。鉄棒伝い歩きのみ!
午後、BOBに地震詳報と近況を写真6枚添えて送信。
詩人Yさんから来信。


3月11日(金)惨劇ニュース!

7時過ぎ起床。曇天で冷え込みキツイ!本日はMAX10℃。
10時半、公園へ。西ゲート近くでUさんに手を振って挨拶。鉄棒、方向転換でバランス崩して後ろへ転倒しそうになる。何とか5周。車椅子押し歩きにかかるが、始動で脚上がらず1ブロックで中断!!
午睡後、BOBから帰国報告。メールを開いていた3時過ぎ、大地震のTV速報。
たまたまホームドクターW先生予告無しに往診に来宅。血圧が160-120と高い。レポートをプリントアウトしていないから訪問看護のナースOさんに預けるようにと。
東北地震の惨状リアル映像が続々!BOBから一家全員、よめさんのメリディス、アンドリュー・ベリンダ夫妻、ジェーミー・アリソン夫妻のお見舞いメール。夕食前に返信。

3月10日(木)脚上がらず

7時半起床、BEDで朝刊。晴れて冷え込み。本日はEV検査で動けず。午前、CLIPPING。
昼食後、寒風吹く公園へ。寒いが公園のディオゲネスが今日はベンチで昼寝。沖縄でゴーヤの収穫量が寒くて3分の1だとか。冷えるがカイロを手袋に詰めて鉄棒を5周。車椅子押し歩きに挑んだが、右足硬直、上がらず少しで断念。まあしゃあないあか!
午後は夕食まで小品制作。

3月9日(水)寒いエクササイズ

7時前起床、BEDで新聞。曇天、冷える。
10時半、風の強い公園へ。K幼稚園の子どもが大勢、カメラマンもいてしきりに撮影。子どもに混じって鉄棒伝い歩き5回、ときどきバランス崩す。車椅子押し歩き始める。コンバースの底が地面から離れない。明日はおNEWにしようか?ともかく半分の行程をクリアした。帰路定席ベンチに座るUさんと談笑。
午睡3時まで。夕食まで小品着色。
夜、BS映画「許されざるものUNFORBIDDEN」C・イーストウッド、J・ハックマン、M・フリーマンら、重い映画やなあ!

3月8日(火)主治医診察

BEDの中で寝返りを打ちながら、「寝返りを 打てるあいだの 老いの春」「寝返って 視線を合わす 菜の花に」「寝返りを 打って浄土の 夢が覚め」
6時過ぎ起床。曇天、病院行きのため朝食+身支度。8時半、婿殿が迎えに来てくれる。名神尼崎ICから豊中JC経由阪神高速扇町RP降り、9時15分北野病院着。10時20分、Sドクター診察、レポを読んでカルテに転記してくれる。①正月に救急外来で対応してもらい小康になったこと②ホームドクターの月1回往診がはじまったこと③さりながら機能低下で自宅内は車椅子に乗ること多く、エクササイズも捗らないことを伝える。Sドクターは「HD往診体制が取れことはよかった。エクササイズは無理をせずに続けること。これから気候がよくなるのでもう少し希望を持って。次回は6月14日診察」と。10時半、診察終了。処方&会計処理、薬局で薬をPICK UPしてもらい10時55分、病院発。新御堂・江坂経由・飛行場・伊丹経由、12時前、帰着。

ホッと一段落!午睡も十分とり休養の日。
夜、娘たち来て一緒に夕食、赤飯・タイなどで婿殿の51回目の誕生日を祝う。
夜、BSで映画「LAコンフィデンシャル」観る。

3月7日(月)立位キツイ!立ってられヘン

7時半起床。曇天、BEDで新聞。起きて洗面するがバランス悪い、台にもたれて洗面する間、立位保持がキツイ!
M紙朝刊に富安風生の思い出集が刊行されたと。虚子グループで郵政官僚だったという。1885年~1979年の長命で人生肯定の詩。
「まさをなる空よりしだれざくらかな・生くることやうやく楽し老の春」のほか以下の句チェック。・わが生きる心音トトと夜半の冬・一生の疲れのどつと籐椅子に ・柿若葉重なりもして透くみどり ・蟻地獄寂寞として飢ゑにけり ・古稀といふ春風にをる齢かな・狐火を信じ男を信ぜざる・行く道のままに高きに登りけり・菜の花といふ平凡を愛しけり・三月の声のかかりし明るさよ・春惜しむ心と別に命愛(を)し・春昼といふ大いなる空虚の中・大いなる幹のうしろの霧の海・大寒と敵のごとく対ひたり・大風の中の鴬聞こえをり
家人、N医大時の友だちのNさん見舞いに上六・都ホテルへ出掛けるため11時過ぎハヤメシ。
YUKさんにメールのお礼返信、下旬か四月初めGENちゃんと清住へカタクリの花を観に行こうとお誘い!に返信。
BLOG整理、北野病院主治医宛レポート作成、いったん作成したレポ原稿がデフォルテ・キーで消える。再度作文してプリントアウト夕刻までかかる。

月曜日, 3月 07, 2011


▲「軌跡」と「翔びたい」

3月6日(日)懐かしい未来?

7時前起床、曇天なので二度寝。起きて朝食中、前の畑でオーナーが耕運機を持ち込み作業をするのをボケーッと見た。ほどなく「南の空に飛行船が」と家人が。大阪から神戸方面へゆったり移動を繰り返す。
本日エクササイズ休みにする。午前&午後、確定申告書作成。
2時半まで午睡、3時過ぎ娘が高知親族からの文旦を持って来たので珈琲ブレーク。

夜、ETVでハンス・コパー(1920-1981)Hans Coper Retrospective再放送を観る。4月静岡県美術館で開催。バーナード・リーチ(1887-1979)やルーシー・リー(1902-1995)と並ぶ20世紀イギリス陶芸界の巨匠。独ザクセン州ケムニッツに生まれ、父がユダヤ人であったことから、1939年にはナチスの迫害から逃れロンドンに亡命したが敵国人扱いで入隊、第二次大戦中にさまざまな困難にみまわれながらも、彫刻家になる夢を抱いて素描や油彩画を続けた。転機が訪れるのは、終戦後、仕事を求めるなかでオートクチュールのボタンづくりをしていたルーシー・リーと出会ったこと。以後、強い友情に結ばれたふたりはお互いに影響を与えあいながら、個々の制作を進め、これまでの陶芸とは全く違う独自の作品を作り続けた。筋萎縮症発症、話せなくなり、動けなくなり、孤独な制作に打ち込む。晩年、手紙や資料、作品まで処分するコパー。窓辺から双眼鏡で観る外界。大英帝国博物館で展示されたエジプトの小さな石彫や副葬品をよく展観して、コパーが遺した言葉「数千年前の王朝時代以前から生き残った つつましく無抵抗 それでいて少し滑稽なカタチ」を再現することを目指したのだろうか?司会のカン・サンジュンが作品を手に取り「懐かしい未来だ」と。

3月5日(土)初タケノコ

7時半起床。BEDで新聞。晴れて穏やか。
10時半、公園へ。鉄棒伝い歩き始めるがバランス悪く手こずる。5分は余分にかかった。車椅子押し歩き、右脚上がらず、ヤット半分!
午睡後、確定申告書FULL UPにかかる。
夕食にコブシ大の徳島産タケノコ、初物!!

夜、今村昌平の映画「カンゾー先生(原作:坂口安吾)98年」観る。先生役の柄本明、和尚役の唐十郎、モルヒネ中毒外科医役の世良公則など怪異俳優がテンポよく動く昌平のB級会心作の一つかな?シュールでリアルがおもろい。

3月4日(金)書く&描くしかしゃあない

7時前起床。晴れ冷え込み。本日もMAX8℃か。10時過ぎ公園へ、久しぶりに噴水池畔で1丁目の90超のご隠居が大きく手を振って挨拶。鉄棒持つ手がリズム整わず不調。コリーの老夫妻が手を振る。車椅子押し歩きにかかるが、案の定脚が上がらず断念!帰路、例のベンチでUさん「靴を新調したが痛い。健常者には分かりませんね」と。
11時、訪問看護ナースOさん来宅。検温36.3℃、血圧118-72、脈拍異常なし。歩行訓練の調子が「今ひとつ不調」とレポ。
午睡2時まで、起きて病床六尺や仰臥漫録を倣って書く&描くしかしゃあない!!
夕刻、Oさんからお誘い電話あり。4月9日、一泊で神戸幸せの村行き。
YUKさんからメール。


3月3日(木)エクササイズ疲れ

TATさんが事務所でいる夢。後半はNOP社解散の夢、夕刻5時半というのに全員飲み屋に移動MENUを見ているところで覚醒。
7時前起床。晴れ冷えそうMAX8℃。
昼食後、公園へ。寒い!鉄棒伝い歩きも鈍く、車椅子押し歩きは右足上がらず半分で中断。
午睡たっぷり!3時まで、エクササイズ疲れてるなあ!ほかのことでけへん!

木曜日, 3月 03, 2011

晴れときどき阿呆果  バブルの塔
 東京スカイツリーが高さ600メートルを超え、自立式電波塔として世界一の高さになったと。東京都墨田区で建設が進む東京スカイツリーが1日午後、600メートルを超え、未完成ながら自立式電波塔として世界一の高さになって見物客引きも切らず!
 アホと煙は高いところを目指す。ノアの洪水から遁れた人間はバベルの塔作りに狂奔。神は怒り、民を四散させ言葉を通じないようにしたと旧約聖書には書いてある。
 ブリューゲルの名作「バベルの塔」1563年( ウィーン美術史美術館)を観て、あのおしとやかな荻野アンナ(慶應義塾大学教授)が『結局、ブリューゲルが表現したかったのは「人間は死ぬ、人間は阿呆なんだという二つに尽きる。お偉い人でも阿呆な子どもにはあれこれ手を回し墓穴を掘ります」と謂う意味のことを前々週の日曜美術館で話していた。
 世界に冠たる金融情報ブルームバーグのコラムニスト、ウィリアム・ペシェック氏は「高さ競争は新たなバブルを育てている」と高さ競争はバブル前兆だと警告。
 映像を見て『この罰当たりメ!』を実感したアラブ首長国連邦ドバイは世界一超高層「ブルジュ・ハリファ」(828メートル)を建てたが、完成間近の09年金融危機。マレーシアの首都クアラルンプールに「ペトロナス・ツインタワー」(452メートル)が完成のころ97年はアジア通貨危機。シカゴ「シアーズ・タワー」(442メートル)は74年完成。オイルショックに襲われる。「エンパイアステートビル」の完成直前にはあの大恐慌だったぞ!(3月1日記)


晴れときどき阿呆果 人の痛みは?
 NZ地震で崩落ビル現場の悲報に、72時間fが限界だと言う、したり顔のコメンテーターに思わずチャンネル切る。
 妻を殺害されて被害者になった元日弁連副会長が体験する裁判にOBJECTIONがやっと認められた。「已むに已まれぬ」で被害者の裁判参加を主張して苦難の日々。ビョーキになったわが身のみが体感する痛み。
 どこか一局でも静かにレクイエムを流し、痛みにシンパシーする見識はなさそう。
 本日、昭和維新と僭称された226事件の75年目。我が未生前の1936年は日本の飢えていた。ビンボーの末裔としてはこの日にも感慨をもたざるを得ない。兵を出す農村は疲弊、支給金をアテに子の戦死を願う親・ために遺骨を争う親族の様子が史料に残る。いやいや、わずかな年金を狙われるのも同様。現実を憂い、急進運動に身を挺した青年たちが雪の東京で決起。軍は理解を示して穏便に事態を収拾させること、26日午後に川島陸相名で告示。
 『一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ。二、諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム。三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ。四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ。五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ』ところがドッコイ、寵臣を殺された大御心の激怒で事態急変。青年たちのエネルギーだけ利用されて変事の後の瓦解は「冷たいもんでっせえ!」。しかも体制は軍国主義に突っ走る。
 チュニジア・エジプト・リビアと続いているが、歴史はCHANGE後も「何もなかった」とビンボー人に切なく言い聞かす。(2月26日記)








▲上から『華』『ルーシー・リー展で』『水仙スケッチ』『ベニスのアクア・アルタ(満潮)』

3月2日(水)モノ落とす日々

7時半起床。晴れたが冷える。
起床時、洗面時バランスが悪い。歯ブラシ落とし、櫛も落とす!日に何度となくモノを落とし、拾い上げるのに一苦労!午後は筆やPEN、絵の具を何度となく落とし作業中断。
11時、公園へ。3日ぶりの歩行訓練、もうUさんが終わって定席ベンチで『今日は冷えるよ』。鉄棒伝い歩き5周。公園係員Kさんがロードスィーパー作業で通りかかって手を上げて合図。車椅子押し歩き、右ブレーキのみのため左へどうしても流れる。その都度姿勢を修正して何とか半分を超える。
午睡後、着色作業。夕食時、丼を持てず、ついに箸を断念スプーンに。

3月1日(火)ブルーな雨

前夜も眠れなかった。7時半起床。朝から嫌なブルーな雨、MAX9℃か。
表へ出られず、エクササイズ今日も休み。午睡せずBS映画アカデミー賞78年受賞のR・ギア、B・アダムス「天国の日々DAYS OF HEAVEN」観る、シカゴ郊外の穀倉地帯の麦畑風景描写がたっぷりで美しいが、ビンボー流れ者・兄妹の末路が切ない!
夕食まで制作。
前夜、もとNOP社のNさんから社の解散を感慨込めて。朝、激励をメール送信したNAK君から夜、決意表明のメール。

2月28日(月)小品3点

7時半起床。予報どおりの雨だが温い。今日で二月終わるぞ、早い時間経過に慄く。
雨でエクササイズ取り止め。午睡後、夕食まで制作、小品3点UPか。TITLE:「華」・「軌跡」=考えてみれば幸せ安寧の対極である危険な賭けばかり仕出かして来た自分の小さな軌跡が見えた・「翔びたい」=耳元で虫の羽音が聴こえる。身体を擦り抜けて、また新しい風景を捜している自分が虫になったか。


2月27日(日)ハンス・コパー

7時半起床。雨の予報だが晴れている。家人は茨木の朋友Mさんの葬儀に9時半出発。
今朝のM紙坪内稔典「季語刻々」の一句、後藤比奈夫「止まることばかり考へ風車」にしばし絶句、越し方想う。
NHK日曜美術館は「そして不思議な形だけが残った・世紀の陶芸家 ハンス・コパー」ルーシー・リーの盟友・筋萎縮症で亡くなった(61歳)陶芸家・ハンス・コッパーの回顧。作品は生前すべて焼却させたという、潔さ。エジプトなど何千年前の古陶器のフォルムが永遠永劫。何でもないのにちょっと滑稽だとコパーは言い、力尽きたというコパーの「生き抜いてきた」実感が伝わる。丹波の県立陶芸美術館で鮮やかフォルムを観たが、何度観ても刺激がある!
アートシーン・長崎美術館のスペイン須磨コレクションの由来は意外。フランコ政権下の特命全権大使・須磨の東(盗)情報と引き換えにスパイをしていたとは。長崎寄贈は須磨の良心の呵責というが。
家人、1時半葬儀から帰宅。昼食後公園へ。温いので親子連れが多い、鉄棒にも子ども。混じって伝い歩き5周。車椅子押し歩きは右脚上がらず半分で終了。帰宅して昼寝4時まで。

2月26日(土)着色

NOP解散シーンの夢、喫煙し灰が地上に落ちるシーンもあったが。
7時半起床。晴れ、少し冷え込むみMAX13℃か。BEDで新聞。今日は2・26の日だが?
10時過ぎ公園へ、昨日から始まった植栽の消毒、公園スズメが噴水で「避けたほうがいいよ」と教えてくれる。鉄棒伝い歩きを母子連れに混じって。車椅子押し歩き折り返しクリア。花壇、池畔を回って帰宅。通り過ぎるUさんが手を振って挨拶。
午睡後、エスキースを着色。少し見えてきた。フォルムの呪縛から遁れられそうだ。熟睡できず!

2月25日(金)温い!

熟睡できず7時半起床。曇天から晴天へMAX17℃という。温いぞ今日も。
10時過ぎ公園へ。鉄棒伝い歩き&車椅子押し歩き、最後はバテタ!
午睡せずBLOGをUP。筆洗を洗ってもらい制作を夕食まで。
Nくんから悲鳴が屈折したメール。
夜、NHKBSハイビジョン特集「笑う沖縄百年の物語」
お笑い芸人の宝庫、沖縄。その笑いには、全国区の芸人から失われた「反骨」がある。基地問題にするどいツッコミを入れる人気劇団「お笑い米軍基地」、沖縄言葉にこだわる芸人集団「笑築過激団」。骨太の芸人魂の原点が、“沖縄のチャップリン”とよばれた小那覇普天(ブーテン)だ。戦時中、軍人をからかいヒットラーを風刺した。沖縄戦直後は悲しむ人々を訪ねて歌と笑いで励ました。ブーテンの弟子、照屋林助は米軍統治下のコザで基地やベトナム戦争をネタに破天荒なコミックソングを連発。沖縄人の心情を代弁した。この百年、沖縄は巨大な国家に翻弄されてきた。大日本帝国(やまと世)から米軍統治(アメリカ世)、そして基地問題の迷走でゆれる今に、人々はどんな思いで生きてきたのか。